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伊勢原市の庚申塔を全て見たわけではありませんが、
ちょっと悩むものがいくつかありました。 伊勢原市日向、浄発願寺奥院 「キリーク 當山中興十八世善明智眼文速阿大和尚」 文政5年7月18日 基礎に三猿が付いた卵塔です。 これを庚申塔として良いのかどうか。 基礎に銘がないか探しましたが、それらしきものは見当たりませんでした。 同様の例は鹿児島にもあるようです。 三猿については、天台の三諦を表現しているという説もありますが、浄発願寺が天台宗であることを考えると、そちらの関係で三猿が付いたのかと思えてなりません。 紀年銘無し、銘文無し 合掌で矛と宝輪と弓と矢を持つ単体。 宝戒坊は日向薬師で知られる古刹です。 参道には沢山の石仏があるのですが、その1つ。 青面金剛そっくりの単体で庚申銘がついていないのに、庚申塔とされている例は各所にありますが、はたしてこれは。 房総の鋸山にある日本寺には、同様の青面金剛そっくりの単体像がずらっとならんでおり「百体不動」と解説されています。 それはそれで不動とは違いすぎる像様なので疑問に思っていますが…。 大山、諏訪神社 奥に見える尖角柱は庚申塔です。 問題は手前の3基の中央。 「塞神三柱」 「明治四年睦月 改建」 「伊勢原の庚申塔」ではこれを庚申塔にしています。 理由として、平田篤胤が「庚申造立時に塞神三柱の御名を彫り付けを提言」したことを挙げていました。 東京や埼玉に改刻塔はあります。 この塞神塔には「改建」の銘が入っていますので、破却して作り直したのか。 大山に大規模な廃仏毀釈があった歴史も踏まえると、納得せざるを得ませんが、もやっとしているのは、後にある「庚申塔」を含め、大山地区に文字塔や三猿塔がいくつか残っている点と、他に塞神塔が伊勢原市には無さそうな点です。 「道祖□」 寛政4年 「申庚講」 三猿 隣に、風化剥離が進んだ三猿塔があり、てっきりそれのことかと思っていましたが、紀年銘が合わず、資料を見直して判ったもの。 猿は塔の下部、新しい剥落の跡(周囲は白い苔ですが、剥落部分だけ黒っぽい石の地が出ています)部分に1猿だけ残る写真が資料に出ていました。 文字の道祖神塔を庚申講が作っている例や、双体道祖神と思われる刻像塔に庚申供養と入ってる例はありますが、三猿がついているものには未だ出会ったことがなく、ちょっと残念でした。 しかし、これは庚申塔なのか道祖神塔なのか…。 |
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2013年09月25日
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