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伊勢原市だけ見てもあまり意味はありませんが、数が少ないので傾向を調べるには手頃。ということで伊勢原市の青面金剛塔を年代順に並べてみます。
※未訪が1ヵ所あるので全てではありません。 ※表面完全剥離塔は参考にならないので除外。 1676年 延宝4年仲春 笠付、合掌六臂、三猿、二鶏 石材が近隣のもろいものではなく、小松石という話もあり、伊勢原市最古の青面金剛塔なのにかなり状態は良い。 1697年 左/小稲葉 安養寺 右/高森 歌川 元禄10年卯月 元禄10年閏8月 笠付、合掌六臂、邪鬼、三猿 笠落、合掌六臂、三猿(剥落) 「奉建立庚申供養」 「奉庚□供□□」 □□仲西講中 1698年 元禄11年10月 角柱、四臂、単体 「アーンク 奉造立庚申供養」 右上手は金剛杵、左上手は錫杖か。 伊勢原市どころか相模国全体でも異形の部類。 鉈切不動には役行者伝説があるので、修験の影響が濃い庚申塔と思われます。 1699年 元禄12年7月 角柱?、前手不明六臂、三猿?、蛇 「□□供養」 この風化状態が伊勢原市、厚木市、秦野市などの神奈川県央でよく見られる。 石質によるものなのでやむを得ませんが、山沿いの集落には自前の丁場を持つ所もあったそうで、職人が切出す丁場なら商品にならないような石も使っていたと思われます。 日向ではありませんが、伊勢原市内の集落で、石を彫る石工は集落に呼び寄せて作らせていたという証言も得ています。 この呼び寄せるやりかたは割と普通にあったようで、これを彫った石工は「長持ちせんだろう」と思いながら彫ったのかもしれません。 1719年 享保4年8月 櫛形、合掌万歳六臂、三猿 日月を捧げ持つタイプ(以下「万歳型」)の初出。 下平間には西ノ稲荷と東ノ稲荷があり、1年おきに祭祀を行う。 その両方に庚申塔(1基は文字塔)。 1721年 左/上粕屋 山王橋際 右/上谷 池田神社 享保6年6月 享保6年7月 角柱、合掌万歳六臂、三猿 角柱、合掌万歳六臂、三猿 「奉造立庚申供養□」道標 「庚申□□」 1726年 享保11年12月 角柱、合掌万歳六臂、三猿 「庚申供養」 高部屋神社には他に2基。 寛文7年「南無八幡大菩薩」「庚申供養」銘。 寛文9年「山王」銘の三猿塔。 どちらも興味深いものですが、残念ながら表面剥落と風化で文字は読めない状態。 余談ながら高部屋神社は丸山城の一部で、近隣では最高所となっています。 1728年 田中 耕雲寺 享保13年6月 笠付、合掌万歳六臂、3猿 「奉造立庚申供養」道標 1742年 寛保2年立夏 角柱、合掌万歳六臂、二鶏、三猿 ここまでの万歳型は肘がカクっと鋭角に折れていましたが、この青面金剛塔以降は柔らかい感じで曲がるようになります。 |
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2013年10月25日
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