庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

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作神の一種、后土神。
イメージ 1后土(こうど)神は道教における地母神。
小田原市を流れる酒匂川が作った沖積平野の「足柄平野」は一面が水田でしたが、大雨になると洪水になっていたそうです。
后土神塔は足柄平野に集中しているとか。

中国には今も全く同じ文字が彫られた石碑があるようです。





后土神
イメージ 2后土神塔は相模川流域の農村部でも見ることができます。
全体の編年を作れば、伝播の流れが判るでしょう。
そこまで調べる余力は今の所ありませんが。

なお、后土神と似た名前として「土公神(どこう)」というのもあります。
見たことはあるのですが写真を撮っていないのでいずれ別の機会に。





















社日塔
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社日塔は社日(春分、秋分の日)に祭祀を行う信仰に基づくものです。
主に五角柱に五柱の神名を刻むことが多く、六角柱のものもありますが、一面には願文などが彫られているようです。
神名は天照大神/少彦名命/大己貴命/埴安媛命/倉稲魂命となっています。
神名の内、倉稲魂命は蒼稲魂命、稲倉魂命と書くことも。

イメージ 6この社日信仰は大江匡弼(オオエ・タダスケ)という神仙道学者らしき人が天明元年(1781)に書いた「春秋社日醮儀」(しゅんじゅうしゃにちしょうぎ)から始まっているそうです。
「春秋社日醮儀」には、春秋の社日ごとに祭祀を行えば「天下泰平国家安寧五穀成熟萬穀豊饒家門繁昌子孫長久無病息災金銀米銭珍貨奇寳充満せんて掌をかえすより易い」とし、塚を作る際は東西南北で土の色を変えろとか、こういう形にしなさいとか、儀軌的な事が色々と書かれています。

庚申信仰も同じですが、暦がしっかりしていないとできない信仰ですので、江戸時代になって一般も自由に暦を購入できるようになったことが、信仰の広まりを支えるインフラになっていたのでしょう。
相模国は三島暦をずっと使っていました。

なお、驚くことに神奈川の社日塔は「春秋社日醮儀」が京で上梓されてから数年で造塔されているそうです。大江匡弼がどれくらい影響力のあった学者か知らないのですが、「春秋社日醮儀」を読んだ宗教家がすぐに持ち込んだのでしょう。
この伝播力の速さと広まり方は庚申信仰も同じだったのでは、と想像させてくれます。

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