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あまり下手なことは書かない方が、と思いつつ、作神塔について俯瞰しようとすると避けて通れないのが稲荷です。
江戸の稲荷神社を調べた論文?を読んだことがあるのですが、祭祀の主目的は豊作や商売繁昌ではなく流行病の防止が最多だという結果だったように覚えています。 例を挙げますと、笠森(かさもり)稲荷などは「瘡守(かさもり)」で疱瘡除け、というわけです。 稲荷信仰はかなり早い時期に関東でも広がっているようで、江戸時代以前だそうです。 しかし稲荷は屋敷神のように家ごとで祀るようになったため、作神信仰(=ある程度の数が集まって祈願する講)の形になれなかった、とかなんとか。 ※間違っているかもしれませんので鵜呑みにはしないで下さい。 稲荷は恐ろしく深いので本当は避けたい(笑)。 ところが、石造物の場合、こういうものがあります。 前に狐があることからの推測ですが、いわゆる稲荷神だと思われます。 左手に持っているのは稲の束。 右手は鎌か杵のはずです。 この神像の名前は稲荷神でもあるし、 宇迦之御魂神、豊宇気毘売命、保食神、大宣都比売神、若宇迦売神、御饌津神、倉稲魂命のどれかかもしれません。 この石仏そのままの絵図も見た事があるのですが、うまく探せませんでした。 この石像は前振りで、本題はこちら。 相模原市下溝1380 変形八角柱、寛政11年9月 「庚神」 「保食神」(うけもちのかみ) 「真津藤原政春」 「真津藤原霊神」 保食神は広範囲にとらえれば稲荷。そして八角形という変わった塔身と併せると、どうしても「社日塔(倉稲魂命)」を連想してしまいます。 藤原姓は神官の名前ではないかと考えています。 これに「庚神」庚申の神道系の名前が付いているのです。 これとは別に、稲荷神をwikipediaで調べると「佐田彦大神」=猿田彦も稲荷神の1つであると書いています。調べた範囲では猿田彦を作神として祀る例はあるようで、中には豊漁の神として祀る例もありました。 猿田彦は庚申の神道バージョンでもあり、かなり紛らわしいというより、もう区別不可能とも言えますが、神奈川にはこういう石塔があります。 六角柱塔、嘉永元年秋 「差累他毘己お保可微」 道標 さるたひこおほかみ=猿田彦大神。 道標になっているので道祖神かもしれませんし、年代的に庚申かもしれませんし、後に天社神塔があることから作神かもしれません。 あるいは全部ひっくるめたものかもしれません。 個人的には六角柱に注目しています。 妄想が広がりすぎていますが、この○角柱(5~8)は、六地蔵とか六観音塔の例はあるものの、あまり多くない形。 社日塔の影響があるのでは、と考えながら、以下のような例に出会うとますます妄想が広がります。 秦野市渋沢上2-2 天明3年10月 「庚申塔」 八角形の台石に三猿 庚申塔の台石に八角形は珍しいです。 そして、横には新しい「地神塔」。 集落内の狭い辻ですが、ずっと昔から場所が変わっていないのだそうです。 まとまりが無くてすみません。 混乱しているのが明白な内容ですが、とりあえず触れておかないと次の地神塔へ展開できないのでお許しください。 地神信仰もさらっと流す予定ですが、それでも色々ネタがありすぎてUPは未定です。 |
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2013年11月24日
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