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寄5238付近、高根神社
松田町庚申塔14/15 笠付 維時元文五年 庚申霜月□□ 剣棒?六臂/三猿 青面金剛の腰の部分から足元にかけて、石碑面を一段彫くぼめている妙な作り。 日輪と月輪の間に、何か不明ですが、陽刻されています。 宝珠はないし鶏でもない。指でなぞってみましたが判りませんでした。 もう少し状態が良ければ、と惜しまれます。 寄5995付近 角柱 昭和三年二月吉日 「庚申塔」 「虫澤講中」 寄集落は7つの小字が合体してできた集落で、 その1つが虫沢。 どの辺りから虫沢なのか判りませんが、庚申塔がある石仏群の先に橋があり、そこから先が虫沢ではないかと思われます。 平成に再築された庚申燈籠はありますが、実質的にはこれが松田町最新の庚申塔となります。 松田町で確認できた庚申塔はここまでです。 他にご存知の方は是非お教えください。 |
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2013年12月04日
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寄1781福昌院
松田町庚申塔12/15 角柱 享和三年癸亥 八月吉日 正面:「庚申塔」。 右側面:「馬頭観世音」。 左側面:「堅牢地神塔」。 裏面:紀年銘。「現福昌十七世活山人造立」。 福昌寺は曹洞宗。17世活山は中興の祖であり、石造物の建立に熱心だった人で、銘入の石塔がいくつか現存しているそうです。 なぜ3つを一石に刻名したのか記録は無いものの、その当時に人気のあったものを採用したと思われます。 享和3年(1803)の寄(やどりき)集落では、まだ庚申が正面に来るだけの人気があったのでしょう。 弥勒寺村(今の寄の一部で福昌寺も入る)の鎮守「弥勒堂」には天保5年当時、境内に庚申塔があると古文書に書かれていますので、おそらくこれが該当でしょう。弥勒堂は明治の神仏分離以降、弥勒寺村を含む近郷の小社を合併して寄神社となりましたので、その際に寺へ移されたと思われます。 ちなみに、寄集落には、松田町で今の所3基しか確認できていない青面金剛塔のうち2基があります。 文化圏としては足柄平野ではなく秦野盆地に属し、方言なども秦野のものだとか。 寄3259 松田町庚申塔13/15 笠付角柱 紀年銘不明(無し?) 合掌六臂/三猿 足の部分が凹んでいる面白い造形です。 三猿は素朴ですが台石は凝っていて、 青面金剛も含めた全体は秦野市でも見ない ユニークなもの。 なお、寄集落は自前の石切り場があり、 火に強い材質から炭焼き窯や調理用の釜などに 使われたそうで、田代石と呼ばれ流通していそうです。石塔にも使われているようですが、これがそうかもしれません。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/33849571.html |
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神山220付近、清水の山王社
松田町庚申塔10/15 石祠 紀年銘不明 二猿、一鶏 山王社にあるものなので、庚申ではなく純粋な山王石祠の可能性はあります。 松田惣領121の石祠もこちらも、中に日吉大社の札が納められています。 灯篭 平成二十五年六月吉日 「奉造庚申燈供養講」 裏面に「この燈籠の原型は延享二年(西暦一七四五年)に建てられたものでしたが平成二十五年三月十九日に車両衝突事故で破壊されてしまいましたので復元建立しました 平成二十五年六月吉日」 以前の燈籠には21名の奉納者名がありました。 再建した業者が旧塔を廃棄してしまったため、詳細は不明になったとのこと。 なお、対をなしている灯篭は現存しており、ほぼ同形だったと思われますが、紀年銘は延享ではありませんでした。 「奉造立御神燈」 ※松田町の庚申塔でこちらに掲載した以外の ものをご存知でしたらお教えください。 |
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