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●正覚寺系地神塔
文献では正覚寺型に分類されることもあるタイプ。 正覚寺は横浜市都筑区茅ヶ崎にある真言宗寺院です。 こちらが御影を出していたかなどは調べていません。 左:横浜市都筑区茅ヶ崎東3-12-1正覚寺/文化13年(1816)。 右:伊勢原市東富岡357八幡神社/天保8年(1837)「地神尊」。 この2基が同じ系統で、神礼寺系とは異なると見なされるのは矛と花盛器の持ち手が違うからのようです。しかし正直よく判りません(笑)。 神礼寺は右手に矛/左手に花盛器。 正覚寺は右手に花盛器/左手に矛。 なお、正覚寺がある都筑区の地神掛軸は持ち手だけだと神礼寺系という謎なことになっています。 細かい話ですが、神奈川県内に現存する地神刻像塔より古い館林市茂林寺の元禄7年塔は 、持ち手だけの分類だと正覚寺にある地神塔とほぼ同形です。 安永3年(1774)「地神講中」。 地神研究の資料によるとこの安永3年塔は、神礼寺とも正覚寺とも違う系統と分類されています。 見た目で分類するのはなかなか難しそうです。 しかし明らかに違う地神刻像塔もあります。 女神像とされているもの。 堅牢地神は本来女神なので、こちらが正統なのかもしれません。 左:横浜市緑区鴨居6西谷戸稲荷/享和3年(1803)「地神」。 中:横浜市瀬谷区下瀬谷1全通院/天明3年(1783)「堅牢□□」。 右:大和市上和田1168左馬神社/寛政3年(1791)「地神供養」。 鏡智院の御影が参考になります。 地神の掛軸だともっと多様になりますが著作権の問題で画像を貼れません。 http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/yhm_publicc/yhm.html こちらの「館内の文化財」「キーワード」で地神と入れると掛軸を数点見る事ができます。 掛軸には武神や女神ではない鍬と槌を持つ神像があります。春秋社日祭文を書いているものもあり、社日塔と同じ5柱の名前があるので、神道系のものと思われます。 神奈川における作神の信仰は、稲荷は別にして、后土神、天社神、社稷神、土公神、社日塔、堅牢地神、地神文字塔、地神刻像塔などが、庚申信仰と入れ替わるように江戸の中後期から増え出し、明治初期あたりまで最盛期でした。 全く同じタイミングではありませんが、一気に色々な種類の作神信仰が登場して広まって行きます。 背景には新田開発などで耕地が増える→石高が増えて年貢も増える→実際には農業技術不足や天災などで、それほどの実りが得られない。といった切実な部分があるのかもしれませんが、験のある作神を求める人々に、神道、仏教の各派が応えようとした結果、まるで違うジャンルのように色々な名前の神が登場することになったのではないかと想像しています。 もっとも、これらのほとんどは地元ローカルであり、他国への広まりはないガラパゴスな信仰です。全国で見られる地神も、珍しい刻像塔が多種。 庚申塔の初期に主尊が定まっておらず、徐々に青面金剛に固定していった流れを彷彿とさせます。 もし明治政府が修験を禁止しなかったら、地神刻像塔はもっと細かく色々なタイプが作られていたかもしれません。 横浜市青葉区しらとり台61神鳥前川神社 二十三夜講による堅牢地神塔。 主尊はおそらく二十三夜の勢至菩薩。 |
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2014年01月29日
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