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大井町東部の残りです。
柳、多目的集会所。 「奉造立庚申供養」 「相模国足柄上郡大井庄柳村」 「河口清右衛門、山口佐エ右門」以下同姓2名(計4名) 三面に猿 裏面に2鶏と「施主敬白 外七人」。 大井町は町史を作る際に各集落の民間信仰(講、屋敷神、氏神)の調査をやっています。 それによると柳集落は庚申講の有無が「不明」。 江戸時代にやっていたことは間違いありませんが、新編相模国風土記稿には戸数28とあるので、庚申塔に彫られた11人(4名+7人)は半数以下です。 もともと一部の人達だけがやっていて、それもいつの頃か絶えたのでしょう。 なお、庚申塔の背後に僧侶の墓らしき卵塔がありますが、集会所はおそらく阿弥陀堂の跡地なのでしょう。 赤田、八幡神社 「庚申塔」 「施主 當村中」 赤田は中村川水系の水源の1つ。 こちらも山の上を開拓した集落ですが、新編相模国風土記稿では48戸となっている大所帯の集落です。 一ヵ所にまとまっていたわけではなく、現状から推測すると、大雑把に3つの谷筋に畑と家が分散していたようです。 赤田は現在も庚申講が続いているのですが、資料によると昔は全戸参加の庚申講だったそうです。 その割にこの庚申塔はシンプル。 時代も1793年で、大井町の他の集落と比較しても新しいので、先代の庚申塔があったか、あるいは他の場所に隠れている気がしています。 念のため、大綱寺や集落内にある阿弥陀堂、古そうな宝篋印塔群、道祖神群、辻なども廻ってみましたが、庚申塔はありませんでした。 大井町唯一の公的資料である大井町史は各集落の石造物を掲載していますが、「悉皆調査はしていない」と但し書きしています。赤田集落はじっくり探せば、石塔の庚申塔だけでなく、木像青面金剛なども現存しているかもしれません。 |
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2014年04月01日
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大井町の篠窪は山の上を開いた集落ですが、矢倉沢往還が通っていた土地。
三嶋神社も立派です。 鎌倉時代から続く二階堂氏(一部は戦国大名化、現代も政治家)の墓所があります。 中村川水系の源流域の1つです。 大井町はほとんどが1ヵ所に1基ですが、篠窪は庚申信仰が篤かったのか2基残っています。 それに加えて庚申講による階段供養塔。 さらに屋敷神として庚申を祀る家もあり、そちらにも2基の庚申塔があるようです。 ※再訪する機会があれば探してみたいですが、ちょっと行くのが大変。 庚申塔はいずれも素朴なものです。 正面「庚申供養塔」村講中 中村道 左側面「北大山道」 右側面「西ふじみち」 裏面「文化七午六月吉日 施主内藤文七」 中村道は資料では中村為となっていますが誤読。 中村川へ出る道ということで、おそらく矢倉沢往還の地元名称でしょう。 紀年銘読めず 「庚申塔」 草書体の文字がいくつかあるのですが、風化気味でどうにも読めませんでした。 以下は庚申塔ではありませんが関連石造物。 石段上部の両サイドにある尖角柱です。 安永2年4月8日(1773) 「石(石偏に皆)橋(異体字)建立」 「惣氏子中」。 「當邑 庚申講中」 「神山村 世話人 源之丞 善衛門」 「同 建立」。 「信州 石屋茨左衛門」 写真で文字は判りますが読みは不明です。 神社入口あたりに小さな石橋があったような記憶はありますので、石階段と石橋を作った記念碑ではないかと思います。 「神山村」は篠窪から西へ1.5kmほどにある、現在の松田町神山。 山越えの隣村です。 篠窪三嶋神社は篠窪村と神山村、2村の総鎮守。 神山村のまとめをしたのが世話人2人なのかもしれません。 ※神山村(松田町)にも庚申塔があります。 信州石工の茨左衛門は手持ちの神奈川県内信州石工リストに載っていない人でした。 リストは刻像塔がメインだからかもしれません。 石仏マニアの大先輩には神奈川の石工リストを作っていた人がいると聞いたことがあります。 この趣味も掘りさげるときりがないです(笑)。 |
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