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大井町の中部に位置する山田は菊川と勝利川が流れる谷戸地形。
神奈川西部の足柄平野を作ったのは酒匂川水系ですが、その東側に並行して流れている小さな森戸川水系の上流部になります。 狭い土地ながら、国の重文に指定されている土偶が出土しているなど、昔から住みやすい土地だったようで、江戸時代は山田村で118戸ですが、北から上山田、中屋敷、下山田の字があり、それぞれに庚申塔が残っています。 ●上山田 山田236日月社 元文5年11月 「ウン 奉造立庚申供養祈願成就」 三面に猿 相州足柄上郡山田村 講中 謹言 右大山道、左 □□ 三猿がちょっと変わった造形ですが、全体は笠、竿、蓮弁座でこの辺りにある庚申塔としては標準的。 ●中屋敷 山田1125天神社 延宝年間、秋 正面「起諸善法本是幻/造諸悪業亦是幻/身如聚沫心如風/幻出無根無実性」。 三面に猿 相陽□西相大井□山田村 天神社を中屋敷として良いのかどうかいまいち判りませんが、とりあえず中屋敷にしておきました。 この庚申塔は四面に大量の銘文が彫られているのですが、風化で難読。 どこかにもっとちゃんと読んだ資料があるかもしれませんが、大井町史は解読を諦めています。 かろうじて読み取れた部分から判ったことは以下。 延宝年間の秋。 正面に過去七仏の1つ尸棄仏(しきぶつ)の偈が彫られている。 年六度庚申、四面石塔一基など、正規の庚申信仰を想像させる文言があること。 山田村は臨済宗の了義寺の影響が強かったようで、「過去現在未来」と彫られていたり、「諸悪莫作〜」と彫られていたりする禅宗系庚申塔の1つと思われます。 しかしながら、尸棄仏の偈であることは間違いありませんが、過去七仏の1つだけをなぜ正面に彫っているのかはさっぱり判りません。 偈の内容はなんとなく三尸の害に通じるものがあるような気もしますが、それなら他所に複数ある「過去現在未来」や「諸悪莫作」でも問題ないような気もします。 今の所、尸棄仏の偈が彫られた庚申塔はここしか知りません。 まさか尸棄仏の名前から、三尸を棄てる仏として祀った、なんてことは…。 なお、尸棄仏の偈には「若眼見非邪 慧者護不著 棄捐於衆悪 在世為黠慧」もあるようです。 ●下山田 山田1821稲荷神社 享保6年3月 合掌二臂青面金剛、横向き三猿 柳川姓10名 下山田の丘陵部、獅子窪の湧き水にある稲荷社境内にあるもの。 新編相模国風土記稿には記載がありませんが、地元では山王さんと呼ばれ、今でも毎年7月に供養をしているそうです。 下山田は字で小字がどうなっているのか調べていませんが、丘陵部の集落限定の庚申信仰があるようです。 ●下山田 山田1286 明治4年、春 「大巳貴」 右側面に「猿田彦」 下庭講中 下山田の平地部にあります。 大井町史では庚申塔に分類していますが、文化財委員の間で議論があるそうです。 大巳貴は大国主、猿田彦は国譲りの先導者であることを考えると、さすがにこれは庚申信仰とは無縁ではないかと思いますが、それではいったいどういう民間信仰なのかとなると、不勉強にて答えがみつかりません。 横にある風化塔を無理矢理読んでみたところ「三王大権現」と読めたのですが、それが正解なら猿田彦も庚申がらみかもしれません。ただ、大井町は三嶋神社が多く、「三嶌大権現」としている石塔もあるので、「王」ではく「嶌」が風化しているだけの可能性も充分にあって良く判りません。 |
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