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底倉村は早川沿いの温泉道が終る場所。温泉道はここから山間を進み、隣の温泉「芦の湯」経由で箱根宿へ。早川沿いの道は木賀温泉経由、仙石原村への駿州道になる追分でした。 風土記稿の小名には今も有名な温泉地名が登場しています。 久保、宮ノ下、堂ヶ島で44軒。 久保は底倉温泉がある小名で、箱根七湯のうち3つが底倉村でした。 宮ノ下、常泉寺 文化8年菊秋(9月) 「庚申」。 もしかしたら他にも銘文はあるかもしれませんが、苔で読み切れませんでした。 境内の石仏群としてまとめられているので、おそらく集められたものでしょう。 この界隈は明治以降、かなり開発されています。 資金力がある村なのでもっと庚申塔があっても不思議はありませんが、資料に掲載されているのはこれと、もう1つ、底倉村か宮城野村かよくわからないものだけです。 お寺さんの前を通る細い道が、おそらく往古の温泉道。軽自動車でギリギリです。 この界隈で石仏探索をするときは、車ではなく電車かバスと歩きの方が良いです。 小湧谷、小湧園社宅手前 貞享5年2月 「庚申供養」 施主 拾二人 道標(右せんこくみち/左はこねみち) 三面の下部に蓮華蓮葉。 箱根町の資料は三猿にしていますが蓮華でした。 小湧谷は明治になって開発された新しい温泉地で、風土記稿には掲載がありません。 古くは小地獄と呼ばれていたようです。 庚申塔がある道は宮ノ下から芦の湯への古い温泉道で、庚申塔の場所自体は往古からそれほど動いていないと当初は思っていました。しかし、道標の内容と古い道の関係からすると、現在の小湧谷集会所の辻あたりにあったのかもしれません。 小湧谷は小湧園の創業者が開発した土地なので、開発で移設したものを社宅の敷地に置いたのではないかと想像しています。ただ、訪問時、社宅が工事中で庚申塔がそのまま残こされるのかは不明。 |
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2015年06月28日
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二ノ平は宮城野村に属していましたが、現在の宮城野集落から直線で1km以上離れた場所。名前の通り箱根山中としては珍しい平坦な土地でした。
普通なら人家も多くなり農地として開けた単独の村になったでしょうけれども、2kmほど西に大湧谷があるので酸性土壌との戦いだったでしょう。実際はどうだったのか調べていませんが明治の地図では樹林と竹林と桑畑のマークしかついていません。 現在は彫刻の森がある開けた町になっています。 メインストリート沿いの駐車場脇、西へ入る路地に。 文化13年8月 「庚申供養塔」 講中。 明治の地図では宮の下から直登してきた道と集落中央の道が交差する辻付近。集落の中央部に位置します。 宮城野村全体としての傾向通り、自然石で文化年間の造塔。 これがあるので、大火災で消えた木賀にも庚申塔があった可能性が高い気がします。というより、ただの想像ですが、一番経済力があった木賀に宮城野村で一番最初の庚申塔があったかもしれません。 |
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