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高梨町も海沿い。千度小路町の東隣でした。
宿場としての小田原の問屋場(人馬継立や継飛脚などの公務を行う)は2つの町が10日交替で行っていましたが、高梨町はその1つでした。 かなり繁盛していたはずです。 ※左は市作成の「おだわらの城下町・宿場町」 風土記稿の時代、58戸。 小名は宮小路、鎌倉屋敷。 旅籠が多かった一方、小名の鎌倉屋敷は後北条氏時代からの大商人鎌倉屋の土地があったので、その地名になったようで、諸史料にも高梨町の問屋(これは商売の方)がいくつか出ています。 宮小路は松原神社の門前から青物町までの横町。 寺社は本山派修験の林泉院があったのみ。 宗福寺 延宝6年10月21日 石田□久八亮施主(銘文は背中)。 猿が乗る角柱三猿塔 正徳6年5月 「庚申供養」 右側面「為(二引紋)二世安楽」 左側面「施主高梨町小松屋 飯塚治兵衛」 三猿。 宗福寺にある1基。 上の丸彫り猿塔と下の三猿塔が一具なのかどうかは不明。宗福寺の庚申塔群は山王社にあったと思われるので、不聞になってはいますが純粋な山王猿で、対の狛猿になっていた可能性もあります。 ただし、上と下のバランスは良いでし、接着部分はきれいに処理されています。 仮に一具だったとすると、38年後に再供養したことになります。屋号が同じなら子孫が再供養したと考えられますが、不明瞭ながら1猿の背中の銘は小松屋にはなっていません。 同サイズの丸彫り1猿は酒匂にもあり(不聞)、同じ時代かと考えたくなりますが、足の角度などが異なるので別なのでしょう。 なお、小松屋の屋号を持つ店は他にもあったようですが、高梨町の小松屋がどういう店だったのかは不明です。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39041744.html |
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