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小田原城下の甲州道沿いにあった一丁田町。現在の浜町一丁目界隈。
風土記稿は一町田町ですが、史料によっては一丁田町としているものもあります。読みはどちらも「いっちょうだちょう」のようです。 風土記稿の時代、81戸(借店舗18)。 小名は山上横町、唐人町、大手小路、林学小路、誓願町。 宮は山上稲荷のみ。 寺は宝安寺、安国寺、誓願寺。他に十王堂。 商人町でしたが、郷宿(役所に行く用事のある村人の宿泊施設)も数軒あったようですし、周囲には武家の長屋や屋敷もあったので、賑やかな町だったと思われます。文化14年に小田原大火があり、一町田町と台宿町は三ノ丸の堀沿いに道がなかったため、多くの死傷者が出たようで、その後、新道が作られたそうです。城下町・宿場町の地図で左端の青色が三ノ丸の堀。堀沿い南北の赤線が新道です。 大聖院 寛文元年閏8月 「為庚申供養」 一丁田。 大聖院にある1基。 主尊が定まっていない江戸初期の庚申塔。 小田原市内で地蔵を主尊とする庚申塔は6基見つけられています。 3基は法輪寺の六地蔵でいずれも享保4年。安楽院に石幢六地蔵塔が1基(寛文9)。地蔵単体は飯泉観音(寛文10)と大聖院です。 大聖院の地蔵庚申塔が、今の所、小田原市域での初出塔になります。 やさしい顔をした地蔵です。一丁田といえば飯泉橋西交差点の北にある庚申塔の台石(一具ではないと思われる)が女衆によるものだったので、これももしかしたら女講だったのではと、施主名が蓮華座などに残っていないか調べましたが、見つけられず。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39043294.html |
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