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以前、川西中流部を書きました。
今回は狩川および酒匂川の西岸になります。 洪水被害を受けにくい地域ですが、2つの川が合流する当りから下流域はやはり無い傾向があります。 また、小田原城内域はもともと田畑がほとんどない都会のような場所だったためか、人口は多いのに庚申塔はほとんど見つかっていません。 これは都内でも同じで、中央区は知る範囲で1基の記録があるだけです(現存はしていない)。 北から 穴部新田 9戸のみの新しい村。 多古村 51戸 庚申講はあり、掛軸も確認はできていますが庚申塔は見つけられていません。多古の郷土資料によると道祖神は道路拡張工事などで個人宅が引き取り、そのまま庭で保管している例はあるようですが、庚申塔については記述がありませんでした。 井細田村 90戸 甲州道沿いで宅地化が早い時期から進んでいたようですが、道は古い時代のまま。道祖神も比較的よく残っていますし、雰囲気の良い地蔵堂もありますが、庚申塔は見つかっていません。 今井村 38戸 何の関係もありませんが、秀吉の小田原攻の際、家康が布陣した跡地が神社になっています。 中島村 31戸 村内の石仏は熊野神社付近にまとめられているようです。 堤新田 3戸 場所もはっきりしません。 水之尾村 13戸 庚申講はあったようですが、現在は忘れられた存在です。 小田原城下町 新宿町 124戸 萬町 105戸 宮前町 42戸 本町 41戸 中宿町 30戸 欄干橋町 29戸 茶畑町 82戸 代官町 86戸 青物町 46戸 台宿町 41戸 大工町 25戸 須藤町 49戸 竹花町 38戸 こちらは大稲荷神社の事例があります。 上記の他、風土記稿には未掲載の武家町もあったようです。 上記の城下に筋違橋町がありません。 今後もブログにできる見通しはありませんが、個人宅に三猿付の石祠があることだけは確認できています。明治期に真言宗の2寺が祈祷をしていた記録もあります。 霊夢によって池から庚申に似た石が出たことにより祭祀したとの記録があり、屋敷神のようなものと思われます。庚申を屋敷神としている例は村(大井町山間部)にそれらしき記録はあるものの、商人町では珍しく、非常に興味深い事例です。 おまけ 浜町4-8八坂神社 紀年銘なし 「□祖神」 古新宿町か新宿町の小名鍋町のどちらなのか不明。 見つけた瞬間は喜びましたが、銘を見てがっかりしました(笑)。欠けていますが「道祖神」だったと思われます。 地元では猿田彦と呼ばれているようで、造形や文字の残り方からは、さほど古い感じがしません。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39058195.html |
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2018年08月16日
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