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根府川石の丁場が多くあった根府川村。 風土記稿の時代、41戸。割付高61石。 寛文11年は35戸で本百姓は18戸でした。 嘉永年間43戸、214人。 廻船も1艘記録されていますが、石の運搬に使われていたのかもしれません。 根府川石の丁場は米神村にもありますが、西の山で村の境あたりだと風土記稿にあります。空撮写真だと西の山中にそれらしきハゲ山が見て取れます。丁場は複数あり、そのうち3つは名主持ちだったようです。 緻密で堅牢な石質であり、剥落もせず碑石に使われていると風土記稿に書いてあります。 根府川で庚申塔を探した際、絶対に根府川石の板碑だろうと思っていましたが、見つけられたのは石祠型でした。 寺社堂を一応探しましたが、沢山あっておかしくない伊豆型道祖神もほとんど見かけませんでした。 宮は鎮守の寺山権現社の他に、熊野社(末社に山王、乳母神、天王)、山神社。 寺は曹洞宗の岩泉寺(万治年間に流失して移設)。 堂は地蔵堂(現在は釈迦堂とされている)。 寺山神社 明治12年6月 「村内安全」 世話人柏木喜三郎 石工宮本助次郎 三猿。 伊豆型道祖神3基と一緒になっています。 以前にも書いていますが、祭の時に氏子衆に質問してみたものの、石祠も含めて道祖神という認識でした。 熊野社も鎮守だったようですが、どこにあるのか判りませんでした。明治の史料には出て来ないので、寺山神社に合祀されているとしたら、石祠が山王社なのかもしれません。 なお、根府川に庚申講は残っていません。 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/39095151.html |
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