庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

ちょっと変わった庚申塔

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弁財天が持っている鉤(カギ)。※鍵だとちょっとイメージが違うので鉤としました。
あれを持つ青面金剛。
珍しいかどうかは微妙かもしれません。
イメージ 2


イメージ 3

























藤沢市片瀬2-19
戟人型(前右手:戟(槍)、前左手:ショケラ、下左右手:弓矢、上左手:鉤、上右手:宝珠?)
邪鬼、二鶏、三猿
享保4年4月
「奉納」


正式名称を知りませんが、蔵の鉤のようです
弁天の方は宝鍵という表現もあります。

たまたま整理していたら藤沢市に2基ありました。
イメージ 1








































藤沢市石川、諏訪神社
戟索型(前右手:戟(槍)、前左手:索、下左右手:弓矢、上左手:鉤、上右手:宝珠)
邪鬼、三猿
享保3年11月
「奉納」

この写真を見ていて、脚がやたらと短いことに気がつき、跪座の青面金剛を彫った石工と同一だと気がつきました。
銘文の入れ方「奉納」が上に来るなど。
日輪月輪の瑞雲の感じ。
邪鬼の右足が伸び気味。
脚が短いか跪座。
享保年間。

全部を年代順(左から)に並べてみました。
イメージ 4















もちろん他にも「もしや?」と思う青面金剛塔はあるのですが、割と普通の青面金剛塔で三頭身や銘文の入れ方くらいしか共通項が見いだせませんでした。
この石工さん、享保年間に他の石工との差別化を図る努力をしていたのかも。

青面金剛の中には、おっそろしく短足に彫られているものがあります。
てっきりそれだろうと思ってちゃんと見ていなかったものの中に、
脚が彫られていないものがありました。
※以下、足はFoot、脚はLegの意味です。短足はこの意味では短Legです。

短足の場合は足の甲がちゃんと彫られていますが、
それが無いというか、膝下から先が彫られていません。

イメージ 1藤沢市天神町2-15-1天神社
享保2年11月
「奉納」
8名
剣人型青面金剛、邪鬼、三猿
右上手に剣



































イメージ 2







































藤沢市打戻1680
享保3年9月
「奉造立庚申供養之像」
打戻村 同行八人
合掌?青面金剛、邪鬼、三猿
右上手に剣

年代がほぼ同じですし、右上手の剣や脚が無いこと、
三猿の左右が横向きなど、共通項が多いので同じ石工でしょう。

最初は手抜きの脚無しかと思っていたのですが、
膝立ちではないかという指摘がありまして、なるほど、と。
さすがに仏像で膝立ちは無いと思うので、おそらく跪座です。
正座は足をベタっと寝かせる座り方で、
跪座は足を立ててすぐ動けるようにする座り方。
結果、少し腰が高くなります。
そんな仏像は意外にあるようです

青面金剛も、もしかしたら気がついていないだけで、もっとあるのかもしれませんが、
藤沢市にある178基の青面金剛塔の中でこの2基だけと思われます。
近隣の茅ヶ崎市や鎌倉市、横浜市戸塚区あたりは今の所みつけていません。

笠などの彫り物

個人的な癖ですが、庚申塔を見るときつい見逃してしまうのが笠です。
しかしそこに妙なものが付いていることが多々。

横須賀市長井2丁目(台地に登る道沿い)。
イメージ 1文政2年11月
「庚申供養塔」
笠に日輪/月輪

ここまで確認して移動してしまいました。
後日、笠と竿の間に蛇がいると教えられ再訪するハメに。
イメージ 2










確かに蛇。
ここには8基の庚申塔がありますが、他は普通です。
文政二年は己卯で干支はなんの関係もないので、巳待講でもやっていたのか。


以下はよく知られたものですが
イメージ 3





















藤沢市西俣野、御岳神社イメージ 4
猿田彦石廟
延宝8年卯月
天明6年に修復
花応院・文殊院などのほかに48名。

文化財で檻の中に保管されているため、
全体を詳しく調べられませんが、屋根に付いている二猿が、腹這いと桃持ち。
内部に猿田彦と大鷲大明神が祀られているそうです。

笠に銘文や種字がついたものもありますし、
なぜか邪鬼が笠に彫られているものもあるので、
うっかり見過ごすと残念なことに。
私の場合、笠を外して撮影してしまうこともあるので要注意です(笑)。

イメージ 5




















国東市安岐町下原、五十鈴神社


大型の庚申石祠

イメージ 1



















横浜市戸塚区で現存最古と思われる庚申石祠です。
※2013年末に別の場所へ移転し、ちゃんと組み立てられています。
ちゃんと測っていませんが、函は高さ60cm、巾は80cmほど。
笠は1mくらいある大きなもの。
撮影時、紀年銘がどこにあるのか判らず、ささっと写真だけ撮ってすませてしまいましたので、以下は資料から。

承応4年(1655)孟夏(4月)。
裏面
「七守庚申三彭滅失伏
善男子善女人等歳月
之積善餘慶及家□豈
将疑矣哉□命工彫刻 
庚申彫像加之憑千現
前清衆伸供養之儀次
製一偈以述上来之功
勲云
齋潔精誠并民睡魔降 
去守庚申不□善悪説天
帝這□従来安楽人
干時承応四戴々舎乙未孟
夏如意珠日 
恵照山海蔵禪院住持比丘
精士月勤謹誌」

イメージ 2右側面(写真)。
「竊以日域東関路相模 
州小坂郡富塚郷三宝
弟子善男子善女子聚  
会潔齋而守庚申者向 
干十有三稔致穰□招
福之梱祈焉西陽雑 
俎云□有彭候尸彭常 
尸命児尸之三尸庚申
夜□於諸人蔵肚報善 
悪於天帝夫所謂諸悪 
莫作諸善奉行有平古
語云三守庚申三尸伏」。

戸塚の名称はこの時代だと富塚だったことが判ります。
しかも三尸の害をメインにした、古来からの庚申信仰が忠実に伝わっていたことが判る貴重なもの。
恵照山海蔵禪院は現存している臨済宗寺院ですが、境内に庚申塔は見つけていません。
取材していませんので、今も庚申信仰が続いているのかなどは不明です。
戸塚区で2番目の現存最古は明暦2年(1656)で、浄土宗の蔵田寺(ぞうでんじ)にあるもの。
当時の宗派が今と同じなのかどうかは調べていませんが、変わっていないと仮定すると、1655~1656年にかけて宗派の異なる寺院が主導する形で庚申塔が連続して造られているのは興味深いです。
文書が残っていそうな気もしますが、寡聞にて存在は知りません。

もともとは戸塚駅の北にある踏切のそばにありましたが、東海道線、横須賀線が通過する「開かずの踏切」で、それを解消するための工事が延々と行われており、現在は矢部町の住宅街の空き地に仮置されています。
上の写真撮影当時は自由に見れましたが、今は鍵のかかった金網の中。
藪と土にうまりつつあります。早く元の場所で公開されることを祈ります。
イメージ 3

請け観音の庚申塔?

イメージ 1





















逗子市小坪寺。
確実ではありませんが、阿弥陀三尊になっているようです。
中央の阿弥陀が寛文12年。
左脇侍が宝暦11年。
右脇侍はパッと見、銘が無かったので調べていません。

この左脇寺は庚申塔。
奉造立庚申供養
宝暦十一辛巳七月吉日
イメージ 2










































実は最初、何かを持っているので薬師かと思っていました。
でも建立年が違うものの、阿弥陀三尊だとしたら右脇寺のこれは観音?。
宝冠が仮仏になっていないような気がしますが、蓮華座を持っています。
これ「請け観音」と言うらしい。
検索してみたところ、これに魂を乗せるのだそうです。
石造物としては珍しくはないようですが、全く知りませんでした。

種字もありませんし、この光背型塔だけだったら…。

イメージ 3























追記:こういうの他にもあったよな〜と思っていましたが
同じ像様ではっきり観音と判る例がありました。

横須賀市田浦、盛福寺
イメージ 4貞享4年(二二年)9月
「奉造立観世音菩薩□」

聖観音とする人もいますが、
これも請け観音になるのでしょう。

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