庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

ちょっと変わった庚申塔

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持ち物不明の青面金剛

イメージ 1



































塔の構成も青面金剛像も立派な庚申塔。
山梨県富士吉田市新屋、普門堂。
宝暦十一辛巳年十一月吉日
當村講中供養
左上手:宝輪、中手:合掌、左下手:弓と矢
右上手:?、右下手:剣

右上手がさっぱりわかりません。
イメージ 2





















最初は宝鈴かと思いましたが、鈴なら下が平になっています。
首だけショケラか?と、よくよく見てみましたが、顔にはなっていない。
握っている上側は金剛杵のように数本の尖りが表現されてるように見えます。
握っている下側はただの袋状。

どこかで同じような物を見たような気がしているのですが…。

stjtomo様から鐃(にょう)ではないかとお教え頂きました。
なるほど似てます。
場所柄、富士講の御師がこういうのを持っていたかもしれません。
イメージ 3

2040年の庚申塔

庚申信仰を続けている個人宅にあるもの@横浜市旭区。
イメージ 1
















向って一番左も庚申塔で、文政12年。
地神塔を挟んで、大正9年、昭和55年です。
もしかすると一番左は寛政12かもしれません。
寛政12年なら、ここにある庚申塔は全て「庚申年」の造塔になるからです。
万延元年のものが何故ないのか不思議ですが、それは置いといて、
一番右の御影石の庚申塔ですが、紀年銘は以下。

イメージ 2言うまでもなく、2040年は次の庚申年です。
生前に墓を作る寿塔(寿陵)や逆修塔などはありますから、庚申塔のような信仰塔で事前に用意しておくことがあっても不思議はありませんが、今の所実見した中ではこれ1基しか知りません。

撮影したのは3年前。いつ作ったのかは不明ですが、下部には家族と思われる三名の名が彫られています。子の世代はもう庚申に興味が無いので,親の世代が作っておいたのか、などと妄想しました。

西暦にしたのは、数十年後は平成ではないでしょうし苦肉の策なのでしょう。
日本が西暦を受け入れていなかったら、どうしていたのだろう(笑)。





几号入庚申塔

旧津久井郡が終わって、気が抜けたようになっています。
行くのは大変でしたが、回っていてあんなに面白いエリアもなかったです。
今は神奈川の県央に着手していますが、七沢石の風化塔ばかりでダレ気味です(笑)
少し古いネタをUPします。

イメージ 1横浜市神奈川区鳥越にある庚申塔。
寛文2年の板碑で長い願文や線刻の三猿が付いていますが、風化でほとんど読めません。


この庚申塔が珍しいのは本体ではなく台石。

イメージ 2













「不」のようなものが彫られています。
これは信仰に関係するものではなく、几号(きごう)水準点。
航路の指標「澪標(みおつくし)」にも似ていますが、明治初期の英国式測量によるものだそうです。

几号水準点は明治初期の測量に使った場所を示す記号。
標高を測量するものなので場所移動だけでなく、上下の移動も無いものを選ぶ必要があり、たいていは単独の石標として設けられていたり、神社の石垣とか鳥居の礎石などに彫られているのですが、石造物に彫られている例もいくつかあります。
明治初期の当時、測量士や役人の常識として、石造物はその場から動かないものと認識されていたのが興味深いです。

しかし時代とともに石造物は動かされるようになってしまいました。

几号水準点を調査しているサイトもありますので興味のある方はご覧ください。
ネタ提供した際に色々教えて頂いたのですが、測量点を明記した地図が存在しており、明治の当時、どこにあったかが判るそうです。
鳥越の当該庚申塔は動いていないようですが、横浜市に3基ある几号付庚申塔のうち南区普門院境内にある地蔵庚申塔は、その地図によって明治時代には橋のたもとにあったことが判りました。
ちなみのその橋は現存していますが、横浜大空襲があった場所でもあり、移動させられた云々より残っている方が奇跡的。

イメージ 3普門院の地蔵庚申塔。
延宝元(資料より)。
光背の周辺が欠けているのは空襲によるもの。
三猿の横に几号水準点。

ところで、これを書いていて、罹災物件だと上の地蔵と三猿が付いた台石が別物だった可能性もあるかと気になり、再確認してみました。
庚申待と読めなくもない痕跡がありました。

なお、几号水準点所在地が記載されている地図には、何に刻んだかまでは情報が無いようで、現地へ行って探さなければならないようです。
リンク先のリストに掲載されていなくても、注意深く探せばまだ出て来るかもしれません。

青面金剛が右上手に持つもの。
巨大なチュッパチャップス…(笑)


イメージ 1文化十癸酉歳 十月吉日
横須賀市秋谷



イメージ 4














イメージ 2文化八辛未歳 十一月吉祥日
三浦市初声高円坊

イメージ 3















年代はほぼ同じで、石工は違うとは同じと思われます。
上記2つの庚申塔がある場所は大名行列が通るような土地ではありませんが、東海道までなら往復しても1日かかりません。
そこも考慮に入れて、槍の穂先に付ける「見通し」とか「鳥毛」とかいうやつではなかろうかと思うのですが、正解は果たして…。
イメージ 5

庚申供養の仁王像

イメージ 1イメージ 2

















丸彫り仁王阿像
元禄15/8「武州都筑郡高田村薬王山塩谷寺/庚申供養同行七人」。
丸彫り仁王吽像
元禄15/8「武州都筑郡高田村薬王山塩谷寺/庚申供養同行七人」。
共に台石に銘文。違いは奉納者名のみ。

イメージ 3



















一度訪問したことのあるお寺さんですが、判りやすい庚申塔しか探していなかったので見逃していたもの。
石像仁王があるのは見ていましたが、台座まではノーチェックでした。
庚申供養だったとは。
某ブログで存在を知りましたが、石仏全ての銘をチェックしているのでしょう。
頭が下がります。

横浜市港北区高田西、塩谷寺
昔はこちらのお寺さんが庚申講を主導していたようで、近隣には沢山の庚申塔があります。

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