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萩原上は、正式には萩原上庭。
山北町で「庭」地名は山間部にはたぶんありません。 平らな土地を示す「庭」はそれが付くだけで農耕に適した土地であることが判ります。 富士山麓東側斜面を水源とする酒匂川が作った足柄平野はこのあたりから始まります。 そこにある萩原地蔵堂 ここから街道が登りに入り出し、500mほど西へ道なりに進むと川村関所跡。 解説板より「小田原からの甲州道を〜略〜関所を越えて共和、清水、三保地区を結ぶ奥山家の道と、途中で分かれて駿州への「ふじみち」として信仰の人々の往来にも使われた道である」 箱根の関所は厳しかったので、足柄峠やこちらの川村道ルートを使う庶民は多かったようです。 余談ですが、もちろん出女には厳しく、小田原領民以外の女性は通れないことになっていました。しかしそこは色々と手があったようで、秋田の豪商の奥さんが残した旅日記にはこちら側を使ったと書いてあります。 ここには3基。 古い順に。 元禄9年8月 「キリーク・□・ウン 山王大権現」 「サク ア・ビ・ラ・ウン・ケン」 「サ ア・バ・ラ・カ・キャ」 三面に猿。 260cm。 足柄平野界隈に多いタイプ。 山北町にも当然多いです。 神奈川西部を回っていると、山王=庚申と考えざるをえないと思いますが、中部東部になると猿が付いている山王石祠を「庚申は全く関係ない」という所有者も出て来るのが面白いです。今は山王と庚申は不可分というのが定説のようになっていますが、一地域の流行に過ぎない可能性もありそうだなと思っています。 享保16年4月 塔身 「キリーク/タラーク/ウーン/アク」 基礎 「宝篋印塔 天下泰平 国土安全」 願主庚申連中 □□村二十一人。 造塔したのが庚申講というだけなので、庚申関連の石造物です。 この辺りは「川村山北」になるはずですが、村の名前は2文字上に付いていてよくわかりません。 大正7年9月11日 施主 田野原□郎 之建 三猿。 独特な像容で、延宝くらいはありそうだと思って裏を調べたら大正時代でした。 山北町最新の庚申塔になりますが、先代があったのではないかと思います。 |
山北町
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鍛冶屋敷地蔵堂
笠付合掌青面金剛。 享保13年9月 「キリーク・サク・サ 奉造立山王大権現」 連中 拾九人 三猿。 山北町の山間部集落はどこでも同じですが、かなりの急傾斜地にある集落。 道も狭く、車幅がある車だと通れません。 それを登っていくと山の上にも家が数軒。全体で字鍛冶屋敷のようです。 苔と風化と写真が下手なせいで明瞭ではありませんが、彫り自体は凝っています。 山北は元禄16年の大地震で被害が大きかったようで、鍛冶屋敷も名主の家が消滅した話しが伝わっているようです。 それから25年後の造塔。 鍛冶屋敷は南北朝から続く集落のようで、山間部では馬が多く使われていたので、とつい蹄鉄などで儲けていたのかと考えたくなりますが、江戸時代は蹄鉄なんてほとんどなかったので現金収入は少なかったでしょう。 それでも頑張って造塔したことを考えると、祈りも真剣だったのだろうと思います。 |
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現在の住所は平山ですが、瀬戸集落の子之神神社。
笠付三猿塔。 寛保3年7月 「アク・バン・□(バ?) 山王大権現」 敬白 2名? 三面に猿(埋没)。 庚申講中の銘もあるらしいのですが、木の側にあって確認しきれませんでした。 瀬戸集落は旧246号線から橋を渡らないと行けない河川敷。背後は山です。 現代は大雨になると孤立しかねませんが、山に細い街道があります。 試しにちょっとだけ上ってみたところ、枝分かれが何回かありました。 子之神神社はその街道の目印にもなっていたようですが、今は道が切れているようで、さらに現代は鹿被害が深刻なため、鹿柵を2回抜けないと庚申塔まで辿り着けません。 |
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笠付三猿塔 文化11年7月 「庚申塔」「講中立之」 台石に三猿 108cm 奇を衒ったか。 竿石に横筋が何本も入っています。県最西部はあまり回っていないので、珍しいのかどうか判りませんが、山北を回った当日に限れば、庚申塔や他の石仏で同じ石を使っているのには出会いませんでした。 文字も「庚」が「皮」に似た異字。文化十一天の「天」も宀(うかんむり)がついていました。 三猿も横手をついて膝を崩しています。 笠付 合掌青面金剛 明和5年5月 「国家安全」 蛇で髷 邪鬼 2鶏 台石に3猿 倒れてパーツが散在していました。 竿石はかなり大きくて重かったので、起こすのがやっと。天地逆さのまま撮影。 持ち物は標準的な矛、宝輪、弓矢。 いたずらなどではなく、地盤が緩んで(もぐらか?)倒れたそうです。 基礎を固めて建て直すのに30万円かかるとかで、しばらくはこのままにせざるをえないと地元の人が言っていました。 ※2013年に修復されています 笠付三猿塔 紀年銘不明 「庚申供養塔」 三面に猿。 76cm(資料より) 鍵のかかった堂内で詳細は調べられず。 高杉は県の無形文化財に指定されている「お峯入り」という祭のゴール地点。スタートは山北駅で、棒で地を突く、オカメが男根を背負う、修験者の踊りなどが連なって練り歩くもの。 峯入りは東名の吾妻山トンネルの上を通り、尾根筋を歩いて高杉の神明社まで歩くらしく、それが昔からのルートだったようです。 お峯入り祭は修験の影響が濃い内容だそうで、尾根の道沿いにも石仏があるような気がします。 角柱 三猿塔 享保13年11月 「キリーク 奉造立山王権現」 「施主□□」 三猿(埋没)。 49cm UPしようか悩みましたが、資料に掲載されているので。昭和に出土したもので個人宅保管です。 三猿は頭部だけ見えています。 皆瀬川村は、皆瀬川、深沢、市場、高杉、湯ケ沢、八丁、人遠の7集落あり、元禄16年の大地震までは58戸、580人いた比較的裕福な村だったとか。しかし大地震以降は宝永の大噴火などでだいぶ荒れたようです。 皆瀬川には享保13年の庚申塔が2基あり(1基は未見)、それが最古となりますが、宝永の噴火灰被害から21年経った享保13年にやっと造塔できるようになったのでしょう。 ところで、同じ村だと庚申塔の傾向は似るものですが、皆瀬川は各集落でタイプが違います。多少張合う気分が働いていたのかも。 |
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笠付合掌月捧げ持ち六臂 享保12年5月 「我等長夜持佛浄成 始於今日得其果報」 「若人為佛□建立□□ □□□相皆□□□」 三猿。 左下手に何も持っていません。 てのひらを前に向けています。 ここは地蔵堂があり、通常とは逆の手に宝珠と錫杖を持っているため「左地蔵」と呼ばれているとか。それと何か関係があるのかないのか…。 笠付大日?坐像塔 文政8年10月(再築) 三猿。 現状は「怒った顔のお坊さん」。 資料では大日如来の坐像となっていましたが、山北町の庚申講を調査した岩本南花氏の記録によると、湯触の庚申講は静岡県小山町の庚申寺配布の掛軸を使用しており、この庚申塔はその絵柄と酷似しているそうです。 似た像容の庚申塔は御殿場市や秦野市にも残っているので、当時はよく知られた寺院だったのでしょう。 この集落は奥山家道沿いで、江戸時代は朝から荷駄が通る街道だったそうです。 今は車が通れるか心配になるような細い道。 川西/峯 元禄8年9月25日 「奉祈念山王大権現」不聞 「現在心不可得」不見 「過去心不可得」不言 「未来心不可得」 三面に猿。 城山として知られている集落です。 河村新城と呼ばれていて、以前、縄張り観察をしに行ったことがありましたが、急傾斜の細い道沿いに石仏など置けるはずもなく、いったいどこに?と、懐疑的でした。 里の人に訊いてやっと場所が判明。石仏群がありました。 河村新城の主郭は茶畑の中にあったようで、もしかするとこの石仏群がある道が大手道になっていたかもしれません。 現在過去未来は金剛般若経の偈。中井町にも同じ偈の付いた庚申塔があります。 この石仏群は脇が急斜面。昔、ここから転がった石塔が下の集落まで落ち、今も戻されることなく下の集落で祀られています(おまけ)。 笠落三猿塔 紀年銘不明 「庚申供□塔」 三面に猿。 ひどい状態です。 個人所有ですが、「水神さんなので丁寧に祀ってくれ」と言伝えられているので割れて倒れていたのを戻してセメントで接着したそうです。 所有しておられる方は庚申をご存知無く水神と思い込んでおられました。 それでも大切にしてくださっているのでありがたいことです。 笠付三猿塔 享保18年5月 「奉造立庚申供養」 講中十人 三面に猿。 ブナの森さんから所在地の情報を頂きました。 丹沢湖から酒匂川へ流れ込む河内川の支流・塩沢川。風土紀には川西村の小名に塩沢があるので、塩沢川沿いの集落の庚申塔と思われます。 江戸時代は山腹を巻くような古道がメインだったと思われ、その途中に残っていますが、現在は崩落していて危険を伴います。古道の入口部分と思われる場所に馬頭観音もあるので、馬も通っていたようです。 笠付三猿塔 元禄13年10月朔日(庚申日) 「奉造立 庚申(横書) 山王大権現」 「直指人心見性成仏」 施主 透間 柏木 同行三十二人 三面に猿。 風土紀に川西村小名透間の鎮守として記載されている子ノ神社。 「直指〜」の偈は禅宗で使うものですが透間に寺院の記録はありません。 川西村の禅宗は満蔵寺(臨済宗)と長光院(曹洞宗)がありました。同じ偈が小田原の曹洞宗寺院にある庚申塔にも付いているので、長光院の影響下にあったのかもしれません。 柏木は谷ヶ村にあった小名で、村は違いますが酒匂川の対岸だったので人的なつながりが多かったのでしょう。 柏木集落は廃村になっていますが、石仏は残っているようです。往時の交流を知る上で貴重な歴史資料です。 おまけ 唯念上人の名号塔。 1.5mくらいありました。 こんなボリュームのものが山からおちてきたのに、破損なしとは驚きです。 |



