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合掌六臂 笠落ち 三面に猿 享保14年6月 「□造立庚申供養」 「施主 神尾田村中 拾二人」 84cm 足元にいるのは邪鬼ではなく不言の猿。 両側面に不聞と不見があり、不言は裏かと見てもなく、邪鬼と思っていたものを下から見ると口を押さえている風。 もう一点珍しいのは矢の持ち方。 これから矢をつがえるように、矢羽根というか筈というか、矢のお尻を持ち鏃が下を向いています。 神尾田神社は尾根にありますが、使い込まれた感じの道がずっとつながっていました。往古は神社前を通るルートが街道だったのかもしれません。 合掌六臂 笠付 三猿 宝暦7年4月 竿77cm 独特な像様です。 竿一杯に本体を彫ってしまってから六臂に仕立直したかのような、無理矢理感が漂います(笑)。 左上手が何か判りませんが、体にへばりついている左右の下手は弓矢。 1つ気になるのは花崗岩に見えることで、知らないだけの可能性も高いですが、相模国に花崗岩の丁場があったと聞いたことがなく、いったいどこから持ち込まれたのか見当がつきません。 追記/白石峠のあたりが花崗岩だそうです。 神奈川西部はあまり見ていないのですが、像様も含めてこれからこのタイプが出て来るようだと楽しみです。 追記/この像容は御殿場界隈に見られます。 合掌六臂 三猿 享保16年11月 「山王権現為二世安楽」 73cm 左上手が宝珠持ちに見えます。 右上手は宝輪。 瑞雲が無ければ日月を捧げ持っていると勘違いしたかも。 神尾田のものと同じ石工のようで矢羽根を持って下げています。三猿は風化していますが足元にいました。 文字塔 「庚申塔」 紀年銘不明 102cm 苔が付いていてはっきりしませんが、ザラザラした手触り。 もしや玄武岩の河原石? 花崗岩も玄武岩も山中湖を源流とし、丹沢山系を削って流れる酒匂川の河原では普通に見られるようです。 丹沢湖周縁にはもう1つ世附村がありましたが、ダム湖に沈みました。 周縁の村全てに庚申塔があるので、世附にもあったのではないかと思うのですが資料には載っていません。 移住先は松田町や山北町などに分散しているようで、1つの移住先には道祖神が移設されています。世附に地蔵などは残っているようですが、庚申塔の情報は無し。でも、どこかにあるような気がしてなりません。 |
山北町
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合掌六臂 三猿埋没 天明6年4月 「天下大平/□土安全」 65cm 蛇で髷を作る。 三叉戟/宝輪/矢/弓 足元、裾をたくし上げているような造形に注目。 天然記念物の箒杉の根本にあり、立ち入り禁止なので詳細は調べられない。 主尊不明 紀年銘不明 45cm 「山北の石造物」では庚申塔となっているものの、現状では何か判らない。 唯一、足元の造形が箒沢の青面金剛に似ている、という程度。 地元では地蔵として伝わっていた。 合掌六臂 日月捧持 三猿 寛政元年 「施主 市野衛門 上野原惣中」 100cm 三頭身で可愛らしい青面金剛。 腰に二重巻になっているのは、蛇かと思ったが、ただのロープ状だった。 山北町の中川は旧津久井郡に匹敵する山間部。三方を1000m超の山々に囲まれた谷筋です。街道がどうなっていたのか調べ切れていませんが、最奥になると1500mクラスの丹沢山中を抜ける山道はあるものの、とても常用的な街道だったとは思えません。 現在は三保ダムに伴う人造湖の丹沢湖があり、沈んだ村もあって往古がどのような生活だったかはよく判りませんが、ダム手前の集落から推測するに、中川川沿いの狭い農地しか無かったでしょう。 林業がメインのギリギリの生活だったろうと思います。 よく村が構成できていたものだと驚くばかりでしたが、その割に石仏は少なくありません(大半が馬頭)。 江戸時代は木材需要が多かったから、案外潤っていたのか。郷土史を少し調べる必要がありそうです。 と、思っていたら、中川、玄倉、世附から西の山越えで甲州に出るルートが街道として機能していたようです(江戸時代)。 メインルートは酒匂川沿いの古東海道だけかと思い込んでいました。 やはり郷土史は有る程度であっても調べておかないと…と反省。 |




