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地神信仰や社日信仰によって造塔された石塔を神奈川ではよく見ます。
信仰の趣旨は大雑把に「作神」とされているようです。 厳密には豊作だけではなく、土地の守護=祖霊信仰が関係しており、むしろそちらの方がメインなのかもしれません。 しかし神奈川の場合(主に相模国)、この信仰が普及したのは江戸中期以降で、ほとんど作神とみなされています。 江戸中期以降に広まった理由は農業の歴史と関係があるという説もあるようです。 全国がどうなっているのか知りませんが、瀬戸内海地方(中国四国)のある地域では社日塔一色という資料を見たことがあります。それに対して神奈川は多彩で、正直に言うとあれもこれも「作神」なの?と信じられませんでしたが、これについて研究している人の書物などを読むと「同じなのか」と思うに到りました。 もちろん誤った理解の可能性は多分にあります(笑)。 あくまでも庚申塔を理解するための1つとして、この「作神」塔をどこかにまとめておきたいと思いこの書庫を作りました。 本当なら堅牢地神や社日の石塔からスタートすべきですが、庚申塔と合体しているものから始めたいので、天社神塔から。 天社神は祭祀などから地神のことだと判っているようですが、なぜこの名前なのかについて明記している資料には今の所出会えていません。 小田原市や秦野市、伊勢原市、平塚市、厚木市など、神奈川の西部にのみ見られるようです。 「天社神」「庚申塔」 昭和3年4月吉日 秦野市の庚申塔は寛文から元禄にかけてが最多で、江戸中期以降はほとんど造塔されなくなります。 昭和3年は秦野市で最新の庚申塔ですが、正面が天社神になっているので、メインは天社神なのでしょう。 地神と庚申を併刻する石塔は稀にありますが天社神との併刻は、天社神自体のエリアが狭いため、神奈川でこれ1基かもしれません。 最初にも書きましたが、神奈川の「作神」信仰は江戸中期頃から始まり、江戸後期から明治大正の頃までが隆盛でした。 興味深いのは、神奈川全域というわけではありませんが、時期的に庚申信仰と入れ替わるように広まった点です。 横浜市には地神の祭祀のついでに庚申を拝む場所もあるのですが、これが何を意味しているのか。 庚申塔に五穀豊穣を祈願している銘文が彫られていることはありますが、決してそれがメインではなかったはずです。そこで考えられている理由の1つが「農業の歴史」。 神奈川では谷戸地形が多く、江戸になってから新田開発が急速に進んだそうです。 ところが、耕作に適しているとは言えない土地を無理に開拓したため、水害や日照りなどに弱く、租税対象となる田畑は増えたのに実質石高は少ない状態に農民が苦しんだ。 こういった事情と「作神」信仰の広まりが重なっているのではないか。というものです。 これは神奈川西部の山間部なら当てはまりそうですが、それなりの平野部でも「作神」信仰は広まっているので、完全に納得できるものではありません。また、庚申信仰が下火になった理由の説明にはなっていません。 しかし、庚申信仰の担い手だった農民が、庚申から「作神」に信仰をシフトしているのは石塔からもうかがえるので、どのような関係があるのかを模索していました。 その答えの1つが、神奈川の「作神」塔の多彩さからうかがえるような気がしています。 |
地神塔・社日塔など
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