|
金子2836神明神社
享保8年12月 四臂青面金剛、三面に猿 「奉造立 施主惣村 庚申講中」 大井町に2基しかみつけていない青面金剛塔の1つ。 間違えているかもしれませんが、惣村は坊村ではないかと思われます。 しかしながら大井町史では坊村に庚申講が無いと記録しています。 調査が昭和の終わり頃だと仮定して260年ほどの間に絶えてしまったのか。 金子1820馬場老人憩いの家 寛文8年3月 正面「アン(マン?) 畳句記号 コ・コ・バン・ヤ・ソワ・カ」 三面に猿、裏面に一鶏 四面全てに梵字で、左右に10個ずつ。裏面にも真言らしきもの。 正面は何かの真言だろうと思っていたものの何かのか全く判りませんでした。 その後、真言宗系の大学の先生(ご許可が得られましたらお名前を記します)に、「山王二十一社の総真呪」とお教え頂き判明しました。 この場をかりて御礼申上げます。 正式には「オン コ・コ・バン・ヤ・ソワ・カ」 神奈川の古塔リストには「21仏種字」となっています。 正面が1で、左右の10ずつの合計と判断したのかもしれません。 左右両側面の20種字を手持ちの山王二十一社種字一覧と比較してみましたが、合わないものが複数。 先生からも一覧を頂戴しましたが、それと手持ちの一覧は完全には合致しませんでした。 山王二十一社の種字は仏だったり神の本地仏をあてたりしているため、各種あるそうです。 大井町の庚申塔はこれで終了です。 大井町史に掲載されていた「庚申講がある集落」をリストアップしてみます。 吉原 中屋敷 庚申塔あり 上大井 西大井 庚申塔あり 市場 高尾 庚申塔あり 赤田 庚申塔あり 講不明の集落 柳 庚申塔あり 篠窪 庚申塔あり 下山田 庚申塔あり 根岸下 根岸上 庚申講があるのに庚申塔の記録が無い集落は探せばどこかにあるかもしれません。 |
大井町
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
大井町の中部に位置する山田は菊川と勝利川が流れる谷戸地形。
神奈川西部の足柄平野を作ったのは酒匂川水系ですが、その東側に並行して流れている小さな森戸川水系の上流部になります。 狭い土地ながら、国の重文に指定されている土偶が出土しているなど、昔から住みやすい土地だったようで、江戸時代は山田村で118戸ですが、北から上山田、中屋敷、下山田の字があり、それぞれに庚申塔が残っています。 ●上山田 山田236日月社 元文5年11月 「ウン 奉造立庚申供養祈願成就」 三面に猿 相州足柄上郡山田村 講中 謹言 右大山道、左 □□ 三猿がちょっと変わった造形ですが、全体は笠、竿、蓮弁座でこの辺りにある庚申塔としては標準的。 ●中屋敷 山田1125天神社 延宝年間、秋 正面「起諸善法本是幻/造諸悪業亦是幻/身如聚沫心如風/幻出無根無実性」。 三面に猿 相陽□西相大井□山田村 天神社を中屋敷として良いのかどうかいまいち判りませんが、とりあえず中屋敷にしておきました。 この庚申塔は四面に大量の銘文が彫られているのですが、風化で難読。 どこかにもっとちゃんと読んだ資料があるかもしれませんが、大井町史は解読を諦めています。 かろうじて読み取れた部分から判ったことは以下。 延宝年間の秋。 正面に過去七仏の1つ尸棄仏(しきぶつ)の偈が彫られている。 年六度庚申、四面石塔一基など、正規の庚申信仰を想像させる文言があること。 山田村は臨済宗の了義寺の影響が強かったようで、「過去現在未来」と彫られていたり、「諸悪莫作〜」と彫られていたりする禅宗系庚申塔の1つと思われます。 しかしながら、尸棄仏の偈であることは間違いありませんが、過去七仏の1つだけをなぜ正面に彫っているのかはさっぱり判りません。 偈の内容はなんとなく三尸の害に通じるものがあるような気もしますが、それなら他所に複数ある「過去現在未来」や「諸悪莫作」でも問題ないような気もします。 今の所、尸棄仏の偈が彫られた庚申塔はここしか知りません。 まさか尸棄仏の名前から、三尸を棄てる仏として祀った、なんてことは…。 なお、尸棄仏の偈には「若眼見非邪 慧者護不著 棄捐於衆悪 在世為黠慧」もあるようです。 ●下山田 山田1821稲荷神社 享保6年3月 合掌二臂青面金剛、横向き三猿 柳川姓10名 下山田の丘陵部、獅子窪の湧き水にある稲荷社境内にあるもの。 新編相模国風土記稿には記載がありませんが、地元では山王さんと呼ばれ、今でも毎年7月に供養をしているそうです。 下山田は字で小字がどうなっているのか調べていませんが、丘陵部の集落限定の庚申信仰があるようです。 ●下山田 山田1286 明治4年、春 「大巳貴」 右側面に「猿田彦」 下庭講中 下山田の平地部にあります。 大井町史では庚申塔に分類していますが、文化財委員の間で議論があるそうです。 大巳貴は大国主、猿田彦は国譲りの先導者であることを考えると、さすがにこれは庚申信仰とは無縁ではないかと思いますが、それではいったいどういう民間信仰なのかとなると、不勉強にて答えがみつかりません。 横にある風化塔を無理矢理読んでみたところ「三王大権現」と読めたのですが、それが正解なら猿田彦も庚申がらみかもしれません。ただ、大井町は三嶋神社が多く、「三嶌大権現」としている石塔もあるので、「王」ではく「嶌」が風化しているだけの可能性も充分にあって良く判りません。 |
|
大井町東部の残りです。
柳、多目的集会所。 「奉造立庚申供養」 「相模国足柄上郡大井庄柳村」 「河口清右衛門、山口佐エ右門」以下同姓2名(計4名) 三面に猿 裏面に2鶏と「施主敬白 外七人」。 大井町は町史を作る際に各集落の民間信仰(講、屋敷神、氏神)の調査をやっています。 それによると柳集落は庚申講の有無が「不明」。 江戸時代にやっていたことは間違いありませんが、新編相模国風土記稿には戸数28とあるので、庚申塔に彫られた11人(4名+7人)は半数以下です。 もともと一部の人達だけがやっていて、それもいつの頃か絶えたのでしょう。 なお、庚申塔の背後に僧侶の墓らしき卵塔がありますが、集会所はおそらく阿弥陀堂の跡地なのでしょう。 赤田、八幡神社 「庚申塔」 「施主 當村中」 赤田は中村川水系の水源の1つ。 こちらも山の上を開拓した集落ですが、新編相模国風土記稿では48戸となっている大所帯の集落です。 一ヵ所にまとまっていたわけではなく、現状から推測すると、大雑把に3つの谷筋に畑と家が分散していたようです。 赤田は現在も庚申講が続いているのですが、資料によると昔は全戸参加の庚申講だったそうです。 その割にこの庚申塔はシンプル。 時代も1793年で、大井町の他の集落と比較しても新しいので、先代の庚申塔があったか、あるいは他の場所に隠れている気がしています。 念のため、大綱寺や集落内にある阿弥陀堂、古そうな宝篋印塔群、道祖神群、辻なども廻ってみましたが、庚申塔はありませんでした。 大井町唯一の公的資料である大井町史は各集落の石造物を掲載していますが、「悉皆調査はしていない」と但し書きしています。赤田集落はじっくり探せば、石塔の庚申塔だけでなく、木像青面金剛なども現存しているかもしれません。 |
|
大井町の篠窪は山の上を開いた集落ですが、矢倉沢往還が通っていた土地。
三嶋神社も立派です。 鎌倉時代から続く二階堂氏(一部は戦国大名化、現代も政治家)の墓所があります。 中村川水系の源流域の1つです。 大井町はほとんどが1ヵ所に1基ですが、篠窪は庚申信仰が篤かったのか2基残っています。 それに加えて庚申講による階段供養塔。 さらに屋敷神として庚申を祀る家もあり、そちらにも2基の庚申塔があるようです。 ※再訪する機会があれば探してみたいですが、ちょっと行くのが大変。 庚申塔はいずれも素朴なものです。 正面「庚申供養塔」村講中 中村道 左側面「北大山道」 右側面「西ふじみち」 裏面「文化七午六月吉日 施主内藤文七」 中村道は資料では中村為となっていますが誤読。 中村川へ出る道ということで、おそらく矢倉沢往還の地元名称でしょう。 紀年銘読めず 「庚申塔」 草書体の文字がいくつかあるのですが、風化気味でどうにも読めませんでした。 以下は庚申塔ではありませんが関連石造物。 石段上部の両サイドにある尖角柱です。 安永2年4月8日(1773) 「石(石偏に皆)橋(異体字)建立」 「惣氏子中」。 「當邑 庚申講中」 「神山村 世話人 源之丞 善衛門」 「同 建立」。 「信州 石屋茨左衛門」 写真で文字は判りますが読みは不明です。 神社入口あたりに小さな石橋があったような記憶はありますので、石階段と石橋を作った記念碑ではないかと思います。 「神山村」は篠窪から西へ1.5kmほどにある、現在の松田町神山。 山越えの隣村です。 篠窪三嶋神社は篠窪村と神山村、2村の総鎮守。 神山村のまとめをしたのが世話人2人なのかもしれません。 ※神山村(松田町)にも庚申塔があります。 信州石工の茨左衛門は手持ちの神奈川県内信州石工リストに載っていない人でした。 リストは刻像塔がメインだからかもしれません。 石仏マニアの大先輩には神奈川の石工リストを作っていた人がいると聞いたことがあります。 この趣味も掘りさげるときりがないです(笑)。 |
|
大井町と言っても東京ではありません。
神奈川県足柄上郡大井町です。 酒匂川による平野部(西部) 小さな川と丘陵部(中部)、 山の3エリアです(東部)。 東部の山は中村川水系の上流部。 支流の水源沿いに村が開かれています。 急斜地にへばりつくような地形ですが、 古くからの村です。 高尾、柳、篠窪、赤田があります。 中部は酒匂川水系の支流があり、東西が丘陵部。 最も初期から開けていたようで、山田、上大井があります。 西部は酒匂川が氾濫すると水没していたであろう平野部。 金手、金子、西大井があります。 金子は中部の丘陵に接しているため古くから開けていましたが、 金手と西大井は比較的新しいようです(大雑把です)。 大井町は鎌倉時代から続く名門「二階堂氏」の所領の1つで、特に中部には「中屋敷」の小字もあるほか、金手は鍛冶職の村という伝承もあるようです。 大井町全体で確認できた庚申塔(怪しいもの、関連物件も含む)は14基。 他に2基あるようですが、詳細な情報が得られず見つけられていません。 徹底的に探しても現存20は超えないと思われます。 そのうち、最古級と思われる石祠から。 高尾252金山社 石祠、中央遥拝の二猿 寛文3年9月 銘文、何かあるものの判読できず 石祠内は空洞 金山社の脇に曹洞宗の清雲寺。 新編相模国風土記稿では、金山社の末社に山王社があり、古は別社だったと記録されています。 おそらくこれが山王社でしょう。 純粋な山王石祠かもしれず、大井町の資料では庚申にされていません。 ※このブログでは山王系も入れています。 もう1基はこちら。 西大井267西大井自治会館 石祠、何かを持ち合う2猿 紀年銘不明 銘文不明 石祠内は空洞 寛文くらいはありそうな感じですが、風化で何も読めません。 西大井自治会館には稲荷社があり新編相模国風土記稿に記載されていますが、 石祠のヒントになる情報はなし。 酒匂川まで200mほどの地点で、まさかこんなものがあるとは予想外でした。 これがあるということは江戸初期には集落が形成されていたのでしょう。 |
全1ページ
[1]


