庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

厚木市

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知恩寺の石祠

イメージ 1石祠
紀年銘不明(寛文4)
二臂座像
三猿(正面龕の上と左右)。


厚木市の石造物資料から漏れているようで詳細が判りません。石像物ではない小社関係の資料に載っているのでしょう。
寛文四年は厚木市ではない他の資料から。

龕の前に出されている二臂座像は、おそらく内容仏だったのでしょう。
ギリギリ原型を保っている状態で、中に入れておいた方がまだマシな気がしないでもありませんが、セメントで固定されていました。

龕の上部に不聞の猿が残っていて、左右に猿の痕跡が認められましたので、三猿付。








イメージ 2側面に紀年銘らしきものと願文らしきものは残っていますが、現状ではとても判読できませんでした。
無理矢理読めば寛文四□甲。


イメージ 4
















イメージ 3風土記稿の知恩寺の条に「山王社 神体銅鏡 寛永十三年鋳造す」とあり、この石祠のことであれば、中に銅鏡(本当は掛仏)が納められていたことになりますが、龕前の座像は内容仏だったのでしょうし、他に木製の山王社があったのかもしれません。

寛永13年の掛仏は私のブログトップの写真にしているもので銘文は以下。
「奉鋳山王大権現鎮守」
「于時寛永拾三丙子年五月吉日」
「庚申人数老為二世也」
「相州荻野君所村 大工森久佐衛門 重久」

掛仏の中央座像は阿弥陀とされていますが、
山王信仰で一尊だけ出すとすれば釈迦が妥当ですし、そうなるとボロボロの座像も釈迦なのかもしれません。

七沢の庚申塔


厚木市の資料は昭和47年に刊行された(調査は44~46年)ものがメインです。
石仏の盗難が相次いだことも調査の要因の1つだったという噂も。
そのためか住所の記載がなく、寺社などのランドマークにあるものを除く全てが「字」表記になっています。
また、庚申年の昭和55年以前の調査なので、新しい庚申塔が作られていても記録はありません。

刊行当時から現在(2014)まで32年。
地元で字を訊いても知らない人がいる状態。
盗難・破壊については現在もあるようで、非住民は車のナンバーを控えられたり、
調査しているとさりげなく庭に人が出ていたり、常に監視されている雰囲気を感じる土地もあります。
移転、風化と併せて厚木市は石仏探索の難易度が高いです。



七沢。資料に従って「字」表記です。

向日川T字路
イメージ 1笠付文字三猿塔
享保6年11月
「庚申供養塔」
施主 敬白 4名
道標(左厚木岡田道、右ハ大山道)
三猿は剥落して痕跡。


昭和47年資料には未掲載。
それなりに目立つ路傍の石仏群にありますが、石仏群自体が漏れているようです。













七沢郵便局前
(現在は消防署横)
イメージ 2尖角柱文字塔
寛政12年10月
「庚申塔」
七沢村 講中17名
道標(右ひなた 一のさわ、左 大山 いせハら)

数年前は土手に埋まるような感じだったそうです。
















七沢門口
イメージ 3笠付合掌日月捧持青面金剛
享保8年11月
左側面
「奉造立庚申供養塔」
右側面
「講中善男子都弌十弐員」
三猿。


弌は弐かもしれません。
門口には造り酒屋があるので字の人数が多かったようです。

七沢の青面金剛は元禄塔を除くと全て同じ。
合掌で日月を捧げ持ち、三猿付きの像容。
年代も享保8~元文5と近いため、同じ石工と思われます。














イメージ 4笠付青面金剛?
元禄10年□□
「奉供養□□□」
三面に猿?。現状正面のみ痕跡。

昭和40年代の調査当時から風化していたようです。銘文と紀年銘は現在、ほとんど不明。

七沢は神奈川有数の丁場があった土地で、江戸初期から昭和初期まで切出されていました。
当然、石工も数多くいたようですが、資料によると、江戸初期から在地の石工、高遠石工の2系統があり、在地の石工は石材を切出す仕事を農業・林業と兼ねており、技術的には高遠からの流れ石工に学んでいたようです。











七沢
イメージ 6自然石文字三猿塔
明治29年10月15日
「庚申塔」
施主田中あき建之
「ユウマイ/キクマイ/ミマイ」。


資料では七沢になっていますが、そういう名前の字は無いそうです。
字としては中沢が近いので資料の間違いかも。

文字による三不猿表現が珍しい。













イメージ 5自然石文字塔
寛政12年12月
「庚申塔」
講中 9名。

同所にありますが、どういうわけか資料漏れ。
その代わりに、笠付文字塔安永5年「庚申供養塔」道標の記録が「七沢」にあります。
これは見当たりません。


















七沢上谷戸
イメージ 7笠付合掌日月捧持青面金剛
元文5年10

「キリーク・サ・サク 奉造立庚申供養」
三猿。

七沢バス停(ここで折り返す)脇の個人宅敷地にあるもの。
資料ではもう1基、

笠付日月捧持青面金剛
享保10年12月
「奉造立庚申供養為二世」

が記録されています。

個人宅のご主人によると20年前には既に無く、今と同じ2基しか無かったそうです。
つまり1990年代には無く、調査が1970年頃とすると20年の間に盗まれたか、字は同じだが別の場所にあるのかもしれません。
※ブナの森さんから所在地を教えて頂きました




イメージ 8自然石文字塔
万延元
10
「庚申塔」。


この2基は個人宅敷地になってはいるものの、往古から場所が変わっていないそうです。
















七沢熊野神社前
イメージ 9笠付合掌日月捧持青面金剛
元文3
11
「庚申供養」仝志 八人
三面に猿。

熊野神社といっても社殿はなく、石祠のみ。


















イメージ 10自然石文字塔紀年銘不明
「庚申塔」。


これが難物です。
資料の一覧No.101に「字横畑:自然石文字塔明治5年6月「庚申塔」が掲載されており、解説のページではNo.104に同じ内容ながら「熊野神社前」が掲載されています(一覧のNo.104はユウマイ〜の文字三不猿塔)。

しかしこの自然石文字塔はどこを探しても紀年銘がありませんし、資料に掲載されているサイズとも異なっています。

なお、一覧No.101は埋めてしまったという証言を地元の方から得ています。

つまり、、、この自然石文字塔は資料未掲載ということに。






七沢神社(鐘ケ嶽浅間神社)

イメージ 11角柱
大正9
3月26日
「庚申御縁年記念」
村社 七澤神社 氏子中
右側面
「維時大正九年浅間山七沢神社庚申御縁年ニ当ルヲ以テ三月二十五日ヨリ二十七日マデ三日間本社ニ於テ臨時祭ヲ執行セリ神社関係者ハ前日ヨリ登山参籠シテ社殿装飾ノ準備ニ着手シ当日壮厳ナル祭事ヲ執行セリ又宝物陳列所ヲ設ケ一般参拝者ニ拝観セシメタリ此ノ三日間降雪ニ遭遇シ坂路困難スルニ拘ラズ氏子宗敬者ノ登山スルモノ陸続トシテ社頭ニ充満シ殆ンド立錐ノ地ナキ感アリタリ 氏子ハ此ノ挙ニ先チ麓ヨリ頂上ニ至ル参道ヲ修繕シ尚ソノ他御縁年記念トシテ金品ヲ献納セル者アリキ 斯ク盛大ナル祭儀ヲ行ヒ赫々タル神徳ヲ仰グ誠ニ尊キ極ナリ 茲ニ略記ヲ彫シテ記念トナス 禾堂 高梨貞義書」
台石に47名(社掌1名、氏子総代4名、七沢石工40名、飯山石工2名)。




七沢は丁場があった土地とはいえ、石工40名は驚く人数です。
大正9年当時は第一次世界大戦に日本が出兵した直後。
実は第一次世界大戦によって日本は経済的には潤っていたことと、国内では墓石の需要が多かったことから、石材需要自体が増えていました。
おそらく最も七沢が栄えていた時期です。
第二次世界大戦になるとダメージが大きすぎて不況となり、石材需要は激減。
現在、丁場は閉鎖しているそうです。


これは資料で庚申に分類されているので、とりあえず出しましたが、
これと以下を含めた3つの「庚申御縁年」碑は庚申信仰とは関係ないものです。
富士信仰では、富士山誕生が庚申年だったとしており、庚申御縁年はそれを意味します。
資料の七沢神社は、鐘ケ嶽という標高560mほどの山頂付近にある浅間神社のこと。
浅間神社はいうまでもなく富士信仰によるもので、登山道(参道)には富士講による石造物が多数奉納されています。

イメージ 14富士信仰は庚申信仰を少しパクっている部分があり、猿も登場するため庚申塔と間違われていることがあります。
左の画像で三柱になっている部分が三尊になっている石塔もあるので紛らわしい。
中には富士講の笠印が付いた「庚申塔」銘碑など、どちらもと判別しにくいものもありますが、「庚申御縁年」はさすがに違います。







イメージ 12方形板
昭和55
10
「庚申御縁年記念事業推進委員会芳名」
七沢石工組合 中山□□、他60名。

資料には、当然ながら掲載されていません。
刊行が昭和47年なので。















以下も同じですが参考として。

七沢神社

イメージ 13櫛形板石
昭和55
9月
「庚申御縁年記念」
裏面
「七澤鐘ケ嶺の後方に霊峰大山や丹沢の山塊があり前方には相模平野を望む史的に由緒ある山□浅間社の祭神に木花佐久夜毘賣命大山祇命誉田別命の三柱を祭祀し戦国時代七澤城を持城にした武将上杉定正が崇敬し社殿の造営を行い元禄元年木食空譽上人が教えに帰伝した松平尾張中納言綱誠も信仰厚く再建を企て元禄四年十一月に落成社観を□□□代々連綿として代参護摩執行御礼献上があった明治五年三月不幸にも火災により社頭以下消失 明治六年村内鎮守八幡日枝の両社を合祀し七澤浅間神社と改称 明治十二年氏子に於て現在の神殿を再建明治二十二年四月七澤一四九四番地にこの遥拝所が氏子総意により建設され浅間神社□めることから庚申の年を御縁年とし六十年毎に盛大な祭事を執り行うことを記録せるものには拝殿裏山の百八十年記銘の手洗塔□大正九年鐘ケ嶽浅間神社の庚申記念碑があり昭和五十五年庚申御縁年に当り氏子ならびに信者の多大なる御奉賛尽力により記念事業は本殿の禰修工事浅間参道初め道樹遥拝所屋根銅板等替宝物の展示其の他何随事業を行い御神徳を体し崇敬の念を□せ庚申御縁年の祭事を盛大に執行すここに略記して記念とす」
前場孝治 文 中山勝 書、七澤浅間神社奉賛社一同。


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