庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

清川村

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


清川村は1956年に煤ヶ谷(すすがや)村と宮ケ瀬村が合併してできた新しい村。
しかし宮ケ瀬村は1969年に始まったダム計画により水没。
大半の住民は厚木市へ移住しました。
宮ケ瀬村にあった石仏は、一部を除いて宮ケ瀬の高台に残る住宅地にある「宮ケ瀬石造群安置舎」に集められています。

立ち入れない小屋の中にあるので、写真は悪いですし、紀年銘や銘文、眷属などは間違えている可能性があります。
水没してしまった村の字別にまとめられていますが、撮影時、あまりそこを意識していなかったので、所在地も間違えている可能性があります。

新編相模国風土記稿の天保年間、宮ケ瀬村は83軒。
内訳は不明ですが、落合集落はその内、20軒足らずのようです。

宮ケ瀬村 落合
地理が全く判らないので、国土地理院サイトから1970年代の空撮写真を。
イメージ 1


























宮ケ瀬村の北部が字「落合」の集落です。
川を挟んだ南が前落合、北が向落合。
向落合は急斜地に民家が立ち並び、集落内から坂を登り詰め1.5kmほど行くと現在の相模原市緑区鳥屋の集落。
鳥屋集落には獣による作物被害を抑えるためのシシ堀がありますので、向落合も被害はあったかもしれませんが、畑は前落合に多かったようです。
明治の地図では落合集落上流の河原に水田のマークが出ています。

落合集落は宮ケ瀬村の中心でもある他の集落と離れていて、間に人家は無かったようで、距離も2.5kmは離れていました。鳥屋村の方が距離は近いです。

宮ケ瀬村 落合/向落合の庚申塔
イメージ 3笠付剣(索?)青面金剛
宝暦13年4月
石工直右門
三猿。

落合の庚申塔はこれ1基です。
詳細な場所ははっきりしませんが、向落合集落の北側路傍に石仏群があり、その中にあったようです。

空撮写真でも判りますが、家は向落合の方が多いですし、
明治の地図でも割合は同様です。













なお、宮ケ瀬の全体は以下。
左側が1970年代、右側が2007年。
判りにくいですが昔の集落は完全に水没しています。
落合集落は1970の左上、川が合流している辺り。
2007年空撮写真の「+」がある部分は1970に南側集落の北端にあった橋の位置。
ここから落合集落の間は民家がありません。
2007写真の橋、西側に現在の町(小中学校も)があり、そこに石仏群があります。
イメージ 2

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事