庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

茅ヶ崎市

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文化8年6月

イメージ 1笠付文字塔
文化8年6月10日(現状剥落)
「庚申□□□(供養塔)」。

小和田、熊野神社

剥落が進み現状では紀年銘も読めません。
資料によっては「文化八年六月十日吉日」と読んでいます。日付の後に吉日を付ける表記をするものなのか知りませんが、もしかすると調査当時すでに風化していて、本当は「十四日」だったのかもしれません。それなら庚申日になります。熊野神社にある4基のうち日付まで入っている他の2基はいずれも庚申日です。

庚申塔についてはこれ以上書けることもないので、他の石造物を少し。
境内には明治8年の「堅牢地神 弁財天」併刻塔や、紀年銘不明(元禄8年?)の姥神刻像石祠などもあります。併刻塔は菱沼村と小和田村の両村講中による建立で、どこにあったのかは不明ですが、もともと小和田村と菱沼村は土地が入り組んでいて分ちがたい状態だったらしく、共に豊穣を願ってのものでしょう。姥神は茅ヶ崎市内に「ギャーギ婆」と呼ばれる刻像塔と似ており、どちらも咳を止める系統の祭祀対象なので、おそらくミシャグジで、それと烏帽子岩(姥島)の信仰が融合したのかもしれません。石祠は以前、700mほど北東の菱沼3丁目、小字津戸田にあったそうです。熊野神社は小和田村の鎮守ですが、菱沼村との土地関係が複雑だったことと併せ、だから離れた場所の石仏が集められているのだと判ります。庚申塔も同様に小和田村各所から集められているのでしょう。

文化6年9月

イメージ 1櫛形地神立像
文化6年9月
「奉地神
并 庚申供養」
赤羽根中村 講中。

赤羽根、西光寺

主尊を薬師と見ている資料もあります。
銘文に「奉地神」とあるので、個人的に主尊は地神であり、持っているのは薬壷ではなく
盛花器ではないかと思っています。
西光寺に地神に関する伝承は残っていないそうで、残念ながらどういう経緯で西光寺にあるのか判っていませんが、茅ヶ崎市では唯一の地神庚申ダブル供養塔になります。珍しいのですが、あまり注目されていないようです。
県内を見渡せば地神と庚申を併刻している例がいくつかありますので、庚申と地神信仰は親和性が高かったのでしょう。
なお、地神塔として見た場合、文化6年は茅ヶ崎市域の初出塔になるようです。
赤羽根の中村は西光寺がある一帯なので、檀家の農家が庚申と地神の講をやっていたのは間違
イメージ 2いありません。
問題はこれを広めていたのが誰か
です。赤羽根村にはありませんでしたが、藤沢や茅ヶ崎の北側は修験寺院が複数ありました。しかし広めていたのは武神タイプの地神だったと考えられているようで、像容が異なります。
何の根拠もありませんが、廃寺になってしまった満蔵寺(真言宗)が扱っていたような気がしています。

文化5年6月

イメージ 1駒形索人青面金剛
文化5年6月
講中 8名
三猿。

室田、永昌寺

茅ヶ崎で2例目の索人持ち青面金剛。1例目は天和3年で、茅ヶ崎市域として特異な像容です。
室田村は風土記稿の時代25軒。1軒あたり5.5石の茅ヶ崎市域では平均的な村です。村の北が大山街道に面していますが、完全な農村。
この庚申塔は室田村の初出塔で、講中の8名は名前のみ。小さな村ですので、おそらく村の三役クラスの人々による講だったのでしょう。
室田村は中央に大山街道と東海道を結ぶ一本道があり、その東西に家や寺が並んでいました。永昌寺もこの道から西に入った場所にあります。庚申塔は山門の前にあることから、村内のどこかから移設されたと思われますが、元位置は不明だそうです。

村の北、大山街道に面した一角に妙行寺があり、その東隣にかつては手白塚という、茅ヶ崎史においては割と重要な塚があったそうです。この塚から烏帽子岩を結ぶ線が漁業の境界線であり、内陸においても境界線になっていたようで、東海道から南側には今も直線道路が走っていますし、塚は郷境でもあったそうです。庚申塔の設置場所として最適ですが、手白塚は昭和20年頃に消滅したそうで今は農地になっています。移設されてきたとすれば同時期でしょう。


文化元年11月

イメージ 1駒形文字塔
文化元年11月
「庚申塔」
相列高座郡堤村 6名
道標 左側面:東ふじ沢道 西一乃宮道、右側面:南なんこミチ。

堤、八王子神社

彫られている地名はいわばランドマークで「ふじ沢」は宿場の藤沢、「一乃宮」は寒川神社、「なんこ」は立場としての南湖です。
道標の内容から元位置を推理しようとしたのですが、堤村は東西に長い谷地形なので、重要になるのは「なんこ」=南湖道しかありません。ここにあれば完璧という場所は複数あるのですが、問題は奉納者名。6名中の4名が同じ姓で、地元の人によると小字の大上辺りにしかいないのだそうです。小字大上は八王子神社がある辺りで、現在地との違和感はありませんが、完璧だと思えた場所達とは少々離れています。
結局、八王子神社から南に100mほどの小さな辻くらいしか比定できませんでした。
ところがそうなると、はたしてこんな場所に道標がある意味は??と別の疑問が(笑)。村人しか通らなそうで、道標を付ける意味がほとんど無いのです。
道標が右や左ではなく方位になっているので、辻ではない場所にあったのかもしれません。

享和元年6月

イメージ 1尖角柱文字塔
享和元年6月
「庚申塔」
願主池田嘉兵衛。

香川、諏訪神社

茅ヶ崎では数少ない個人名のみです。
台石が失われていて、そちらに講中の名があった可能性はありますが、個人造塔なら個人宅にあったかもしれません。
庚申信仰が事実上禁じられた明治以降なら、各家で造塔した例はありますが、江戸時代の個人造塔は屋敷神か、あるいは鬼門封じのような風水的な意味合いかもしれません。県内には屋敷神として祀っていると記録されている例があります。また、このブログを書いていて思い出せた中では家の入口の脇、あるいは北東に設置されている例があります。後者については、たまたまなのか意図的なのかは不明です。

屋敷神の代表的な稲荷などは、敷地のどこに設置しているのか、ちょっと気になります。何にしても庚申信仰に篤い信仰心があったのでしょう。

池田姓の家は香川に比較的多いようで、
嘉兵衛の御子孫かどうかは不明ですが、祠の奉納者にも池田姓があります。諏訪神社の庚申祠は寛文10年塔が主で、この小さな庚申塔はおまけのような感じです。


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