庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

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山王社
村の鎮守なり。神躰石像。延宝七年起立の由を彫る。
例祭六月十五日。村民持。


矢作村の条にある山王社の紹介はこれだけです。
いくら山王信仰と庚申信仰が密接だからといって、これだけで神体石像が庚申だとは思いません。そもそも山王社は現存していないようで、元はどこにあったのかも不明でした。

ところが矢作197にこれがありました。
イメージ 1舟形如意輪観音立像
延宝7年10月
「為庚申供養塔二世安楽」
星崎角左衛門
各願主敬白。


紀年銘が延宝7というだけの偶然の一致である可能性はありますが、検証した結果、この如意輪立像が山王社の神体だったと結論しています。
矢作村には村の鎮守が2つあり、1つは山王社、もう1つは浅間社でした。
浅間社は浅間神社として現存しており、由来に「明治四十四年十二月當時村内にあった八幡神社(矢作バス停前)日枝神社(ふじでん南)菅原神社何れも無各社と當淺間神社に合祀する三社は〜」とあるようです。
日枝神社は山王社で、(ふじでん南)はこの庚申塔がある場所とほぼ同じです。
神社は合祀されましたが、神仏分離の影響で神体はそのまま残されたのでしょう。

山王社の神体が如意輪なのは何故?と首をひねりましたが、浅間社の別当をしていた真言宗の増福院(廃寺)の本尊が正観音と風土記稿に書かれています。多少なりと影響があったのかもしれません。
飯沢明神社(村民持ち)
末社 七座相殿
疱瘡神 天王 庚申 第六天 稲荷 山神 矢倉明神を祀る。


大雄山最乗寺創建の時、道了だけでなく神々も手助けしたことになっています。
飯沢明神はその1柱で、最乗寺完成後に庵で参禅したと伝承され、その縁で最乗寺へ輪番で入院する僧侶は8月8日に必ず飯沢明神社へ詣でていました。場所としては、飯沢明神社から坂を上れば最乗寺なので、ちょうど登山を開始する入口のような場所になります。

飯沢明神社の祭神は神明八幡白山の三座なのでなかなか複雑ですが、手助けした神々に矢倉明神や大山権現なども登場する所から考えると、修験の行場があった場所のようにも思え、道了も修験なので、道了が触頭で各明神は触下の修験だったのではないかと妄想しています。
ちなみに風土記稿は最乗寺は伝承していないと断りながら、他に箱根権現や武将由来の僧侶を挙げる資料もあると記しています。

そんな飯沢明神社の末社に庚申があったのは違和感がありません。

飯沢明神社は南足柄神社として現存。
境内には3基の庚申塔があります。
イメージ 1
万治元年12月吉日
「ア 庚申」
二鶏、二猿。


2基の庚申塔は階段の左右にありますが、この石祠は境内にあり階段付の基壇が組まれています。
七座相殿とは少々ずれますが、風土記稿は石祠も「社」として記録していることもあることと、神仏分離令で庚申だけ七座から外されて別途祀られている可能性はあります。
が、南足柄神社になった際、村内の小祠も含めて合祀していますので、他所から持ち込まれただけかもしれません。風土記稿には飯沢村に当山派修験寺院の金剛院があり、山神社を管理していたと記載されていますので、この石祠が該当している可能性もあります。

他の2基も含めて曹洞宗らしさはあまりありません。



風土記稿に記載されている庚申関連の記事を拾って、検証してみる試みです。
直接的に庚申と書かれていなくても、現存している庚申塔のことと推測できるケースもピックアップする予定。
新編相模国風土記稿だけでもかなりなボリュームなので、気がついたらUPする程度の内容です。後に内容を書き直すかもしれません。

上曽我村
保命権現社
祭神は最乗寺に祀れる道了と同体なり。弁天庚申の二像を脇侍とす。


保命(ほうめい)権現社は別当が竺土寺。
竺土寺は曹洞宗。曹洞宗大本山の総持寺16世を勤め、南足柄の大雄山最乗寺を開いた了庵慧明が、最乗寺を開く前に駐錫していた寺。竺土寺で霊告を得て最乗寺を開くため大雄山へ行きましたが、ここで弟子のような存在として道了が登場しました。
道了は怪力の修験僧とされていて、最乗寺建立に多大な功があり、それを称える意味で保命権現として祀られたようです。
最乗寺は応永元年(1394)開山。道了は、了庵が亡くなってから最乗寺を守護するためにカラス天狗になったとされています。ほとんど神話のノリですが、最乗寺建立に修験者の協力があったのでしょう。
臨済に対する曹洞と、密教に対する修験は、大衆を相手にする点で親和性が高かったのかもしれません。足柄平野にやたらと多い曹洞宗系の庚申塔の背景がなんとなくうかがえます。

保命権現社は明治の神仏分離によって保命神社になりましたが、寺の裏山に現存。
ただし、弁天や庚申は無くなっているようです。竺土寺に保管されているような気はしますが、それらしいものは記憶にないとのお返事でした。
どのような像容だったのか見当もつきません。曽我の界隈にある庚申塔に青面金剛塔は皆無です。

竺土寺には参道入口に3基の庚申塔があり、いずれも風化で難読ですが、笠付塔に曹洞宗の特徴がよく表れています。
イメージ 1
イメージ 2元禄3年9月
「直指人心見性成佛」
三面に猿。


「直指人心見性成佛」は心と向かい合うことで(己の)仏性を見られ、その結果成仏できるというようなニュアンスの概念語で、禅宗でよく使われる文言だそうです。
庚申信仰の本質は三尸駆除による長命ですが、この願文からは、もはや原形を見いだすことすらできません。庚申の晩に座禅でも組んでいたのでしょうか。
寝落ち率高そうです(笑)。








太陽光の当たり具合

日の光の当たり具合でどれほど差があるか。
石仏マニアには、あるあるですが、あまりにも差がはっきりしていたので。


伊勢原市上粕屋1296付近辻の畑
午前11時30頃 完全な逆光
イメージ 1






































近年まで三ノ宮の個人宅で保管されていたため資料から漏れていた庚申塔が、第2東名の工事で立ち退きとなり、こちらへ移築されたもの。他に表面剥落の断片に「庚申供□、月大吉祥日」のみ残る風化角柱、同じく風化角柱の寛政9年9月「庚申塔」講中、道標があります。
道標を調査した資料で存在を知り訪問してみたところ、道標以外に2基あったのですが、解説札にこれも庚申塔と書いてあるのを読むまで、まったく気がつきませんでした。
顔を近づけても文字が読めず諦め、帰りに再訪してみることに。

午後2時頃
イメージ 2






































というわけで、日の当たり具合がいかに重要か改めて認識しました(笑)

なお、この3時間の間に、伊勢原と秦野の境にあるイヨリ峠下から出土した庚申塔を見てきました。
イメージ 3














































戦後まもなくあたりまでは、年間に数万人が通行していたイヨリ峠(秦野〜大山)は、現在一般車両通行止めの林道となっています。
道路工事中、庚申塔が出土したため、水呑地蔵がある水場にまとめ置きしたとのこと。現在この水場は枯れていますが、登山客も随分飲んでいたそうです。
「庚申塔」の文字は鮮明ですが、両脇の「于□治□」と「小田□ミち」はほとんど読めません。この峠道の利用者は西の方、小田原方面から来て、秦野を経由し、イヨリ峠を越えて大山参拝していたそうで、「于□治□」と読める部分は大山方面を指している道標かもしれませんが、明治か元治の紀年銘の可能性もあります。
これも大山道標を調べた「伊勢原市内の大山道と道標」に掲載されていました。

ボロボロの復活

ボロボロで正直、庚申塔であるかどうかも怪しい石仏はよくあります。
資料で庚申塔に分類されていたので一応撮影だけはしても、特に単体になっている青面金剛は馬頭か他の石仏の可能性も高いですし、実際資料のミスもあります。

ところが再訪してみたら、ボロボロのまままではあっても当時は気がつかなかった、もしくは見つけられなかったパーツ(台石)が元に戻され、そこに三猿がついていて、なるほどちゃんとした庚申塔だったのかと疑念を払拭できるケースがたま〜〜にあります。

横浜市保土ヶ谷区東川島1-23
イメージ 1資料では川島町158、観音寺前旧道出口」とされているもの。内容はうろおぼえですが八臂にされていたかも。
台石には奉納者名があるだけで、単体ですし、庚申銘はなし。
八臂かどうかも怪しく、仮にそうだったとしても馬頭の可能性の方が高いと思っていました。
それにこの状態では、いつ廃棄されても不思議はありません。
ところが、なんとなく再訪してみたら…


イメージ 2ちゃんと組み直されて、しかも台石には三猿までついていることが判明。
駒形剣人六臂青面金剛
文化8年正月4日
13名?(台石)
道標(右はちわうじ道/左かな川みち/加満くら道)
三猿。

改めてちゃんと見直し、八臂ではなく天衣付の六臂像と判断しました。

以前の台石と同じものだと思いますが、三猿側は壁に密着していたようです。















このネタだけではブログにするつもりも無かったのですが、HIROSE99さんのブログでも同様のケースがあり、以前の状態をUPする気になりました。



緑区長津田1-23路傍(現在は移設)
イメージ 3資料には片町の石仏群とあったように覚えています。
これがどこにあるのか全く判らず、教えられた場所へ行っても庚申塔らしきものは無く、見つけるのに苦労した覚えがあります。
見つけても、この状態で、三猿も無く本当に青面金剛なのかどうかも…。
こちらは4年前の夏撮影で、ヤブ蚊に攻撃されて詳細調査をせず、当然銘文などはとても探し出せず、写真だけ撮ってそれきりでした。
これがちゃんと三猿付で台石もあり、そこに銘文がしっかりあったとは。
詳細はHIROSE99さんのブログでご確認ください。

ところで住所がどちらも1-23ですが、偶然なのか、あるいは1-23に庚申塔の怨念でもあるのかは謎です(笑)

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