庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

川崎市

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興味深かったシリーズ 続き

青面金剛座像
イメージ 1
座像の青面金剛はかなり珍しいです。三猿が一緒に彫られていなければ、馬頭観音と見なされていたでしょう。
左は道標になっている座像。
四面に東西南北と村の名前が彫ってあります。文政10年(1872)。
右は庚申供養銘の座像。
道標の座像と似ていますが、前者は川崎区こちらは宮前区と離れています。
また、造立年は正徳4年(1714)と158年も開きがあります。

馬頭観音の庚申塔
イメージ 2
こちらの2基は個人的に馬頭観音を主尊にした庚申塔ではないかと思っています。
同じ例は他の県にならありますし、神奈川県内でもあったと記憶しています。
左は八臂の輪王座?。
側面に庚申供養の銘が彫ってあります。
しかし主尊はどうも青面金剛ではないように思っています。
頭部の掛けた部分に馬があり、輪王座に似た立て膝で足裏は付けていない。
八臂で前手は小指を組んでいるので合掌ではなく馬口印に見える。
この3つは馬頭観音の条件に合っています
下手に与願印と下品中生のような印。
印相を2種類作っていることの意味が判りませんが、
少なくとも青面金剛の条件からは外れています。
右は馬頭観音。
主尊は馬頭観音で間違いありませんが、台座に1猿。庚申銘は無し。
猿がいるため庚申塔でカウントされています。


続けて好みだった青面金剛を10基UPする予定です。


およそ340基ある川崎市の庚申塔。
場所が判らず未見が30基ほどありますが、一通り見終えました。
随分前に行った場所もあり写真を見つけられていないものもありますが、
手元にある写真の中から好みだったものと興味深いものを選んでみました。

詳細な場所は割愛します。

●興味深かった庚申塔シリーズ

地蔵と阿弥陀の庚申塔
イメージ 1
地蔵や阿弥陀の庚申塔はとても多いです。
三猿がついている場合は判りやすいですが、
銘文に「庚申」とだけあるものも少なくありません。
こまめに銘文を読む必要があります。
先達の皆さんが時間をかけて探された結果判明しているようなものです。
左は一石丸彫りの地蔵庚申塔。
舟形の中に彫ってあるものは多いですが、これは丸彫り。
丸彫り地蔵の庚申塔は他にもありますが、三猿付きはこれ1基だけでした。
右は阿弥陀庚申塔。
銘文に奉造立石仏庚申〜と彫ってあります。
川崎太子の墓地にある無縁仏群に混ざっているので探すのに一苦労しました。

信仰が混ざった庚申塔
イメージ 2
庚申信仰は庚申講で行いますが、その講はほとんどの場合、
同じ村や同じ信仰(檀家や氏子)の集団でした。
特に村の場合は過剰とも言えるくらいさまざまな講がありました。
厳密に分類すれば別の信仰なのに、一緒にやってしまっているケースは
ごく普通にあったようで、庚申塔の中には他の信仰が混ざってしまっている
ケースがよくあります。
左は庚申講が造立した道祖神塔。
ヒゲ題目の下に「道祖神」とある石塔ですが、奉納したのは庚申講です。
厳密に分類するとこれは庚申塔にはなりませんが、
往事の信仰事情が垣間見える興味深い石塔です。
右は富士講が造立した庚申神塔。
塔の上部に富士山が彫ってあります。
富士講では富士山が誕生したのは庚申年であるとし、
庚申信仰を富士信仰に取り込むことがありました。
この庚申神塔は富士講メンバーの集合場所になっていたそうです。

雑多な主尊
イメージ 3
庚申信仰の主尊は、江戸初期から中期にかけてとても雑多でした。
初期の終わり頃から青面金剛が登場し、徐々に主尊として固定して行きますが、
当初は地蔵や阿弥陀が最多で、他に不動明王(川崎にも1基あるようです)や
大日如来など、いわゆる仏尊がそのまま流用されています。
左は聖観音の庚申塔。
正面から見るだけでは判りませんが、背中に庚申供養の銘が彫ってあります。
都内には聖観音の庚申塔が複数ありますが、川崎市ではこれ1基のようです。
右は1猿の庚申塔。
猿が彫ってあれば庚申塔かとなると、なかなか難しい所です。
猿は山王信仰の神使であり、山王信仰は天台宗だったため、
江戸初期の庚申信仰普及者だった天台宗の影響で
猿が庚申塔に登場するようになったという説もあります。
だからなのか、猿が彫ってあればとりあえず庚申塔とすることが多いです。
江ノ島にある群猿庚申塔(36匹)は庚申銘がどこにもありませんし、
日本最古とされている(実はもっと古い三猿塔が三重県にあります)
茅ヶ崎の三猿塔も庚申年造立ですが庚申信仰によるものか不明です。
庚申塔の定義については話しが長くなりますし、
結論も持っていませんのでこの辺にします(笑)
この1猿塔は奉修庚申供養の銘が彫ってあります。

灯篭型庚申塔
イメージ 4
庚申塔には上に出して来たような刻像塔だけでなく、
石幢、五輪塔など寺社に多い石造物を流用しているケースがあります。
銘文だけで「庚申供養」と彫ってあるものもありますが、
川崎は猿がついていました。
左は1猿の庚申灯籠。
山王権現の銘、延享元年(1744)で個人奉納です。
山王で猿なので厳密に分類すると庚申塔ではないかもしれません。
とりあえず川崎市の調査では庚申塔に分類されています。
実は、対になるもう1つの灯篭は猿がいませんが元文5(1740)の庚申年造立。
1猿だけで庚申塔に分類するなら、それもと思いますが
庚申塔に分類されていません。
右は三猿の庚申灯籠。
火袋に六地蔵が浮き彫りされ、竿に三猿が彫ってあります。
三猿は薄くなっていますがオスメス。
かなり薄いですが庚申の銘があり寛文元年(1661)で川崎最古とされています。

写真の容量が一杯なので、その2に続きます。


庚申塔探索日記-6


川崎市多摩区登戸新町78。
川崎市の資料に掲載されている2基の庚申塔所在地。
資料では個人宅の管理となっていたが、この管理が路傍にある庚申塔の面倒をみているのか、個人宅敷地内で保管している意味なのかは現地へ行ってみないと判らない。

登戸新町78の住所をインターネットの地図で検索しても出てこなかったが、
庚申塔が路傍にあったのなら、現地に残っている可能性が高い。
しかし現地で周囲を探してみたが見つからなかった。
大きな道路があるので、道路拡張工事で捨てられたか。
ダメもとで近くにいた人に訊いてみると、ご親切にも町内の地図を持って来て78がどこか探してくださった。

「ないねぇ。名前なんだっけ?」
「○○さんです」
「うーん、記憶にないなぁ」

漢字を見せると「なんだ□□さんじゃないか」。訓読みだったかw
そのお宅は道路拡張工事で移転し、現在の住所は割と近くだと教えて頂けた。

□□さん宅へ行き、庚申塔を探している旨を伝えると、「おじーちゃん呼んで来て」。
かなりご高齢の方が現れ、それなら家の庭にあると仰る。
思わず「あー、残っているんですね。よかったよかった」と喜ぶと、「おいで」と見せて頂けた。
イメージ 1


最初、庚申塔は草に埋もれていた。
お宅のご主人は「えーとどこだっけ」と見当違いの場所を探しておられたが、
おじいちゃんはまっすぐこの場所へ来て、草を踏んで抜いて露にしてくれた。


「この三猿だけの庚申塔は、形からすると古いんだよね」と仰る。
駒形の塔婆を模した三猿塔は寛文が多いので、おそらくそこから推測されているのだろう。
延宝年間ではないかと仰っていた。近隣の庚申塔と比較した上でのことかもしれない。
しかし紀年銘は無いのだろうかと顔を近づけると、痕跡も確認できなかった。
「これは以前から文字が薄いのでしょうか」
「最初からこうだったね」
隣の塔頂と下部欠損の青面金剛塔も、かろうじて「申供養」が読み取れるので庚申塔と判る状態。

お話によると、どちらも堰堤工事の際に礎石用として集められた石の中にあったのだそうだ。
他に道標もあったが、それは品川区の郷土資料館にあるという。
これはおそらく品川歴史館のこと。

なぜ川崎の石造物を品川区が?と思っていたら、どうやら、この庚申塔も道標も品川区内の堰堤工事現場から出土したらしい。
そのままでは礎石にされてしまうが、引き取り手もおらず、それはもったいないと、おじいちゃんが持ち帰り保管したのだそうだ。
おじいちゃんは郷土史に関する講演などもされており、詳しくお話しを伺ってみたかったが、ヤブ蚊がひどい上に突然お邪魔したお宅だったので早々に退散した。

元の場所がどこだったのか、道標があるという品川区の資料館に記録くらいは残っているかもしれないと電話をしてみたが、基本的に道標は現地保存されており、館内にあるのは比較的新しいものだとのこと。しかも由来は職員が代替わりしていてよくわからないという返事だった。

この庚申塔が将来どうなるのかは不明だが、いずれ品川区に寄贈されるかもしれない。
もし道標が現地保存されているのなら、その脇に並べられるのが正しい姿だろうし。

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