庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

相模原市

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ネット上での情報がほとんどない旧「津久井郡」の庚申塔は風化や盗難、廃棄で消える一方です。できるだけ記録を残そうと思い立ちました。追加情報をお持ちの方がおられましたらご協力ください。
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旧津久井郡の庚申塔-39


旧津久井郡、現相模原市緑区の追加。
資料に従って旧町名、字表記です。
他の皆さんのYahooブログで存在を知ったものがほとんど。

津久井郡の東側から。

城山町、川尻
イメージ 1角柱文字塔
文化3年9月
「庚申塔」
相州津久井縣下川尻村
風間 穴川


明観寺の墓地の脇を抜ける旧道で、雰囲気の良い場所。
風間と穴川は川尻村の小名。庚申塔がある場所の南北なので、道標ではなく2集落協同の建立で、庚申塔のある場所「賽の神塚」が境目だったのかもしれません。














藤野町、吉野、吉野宿
イメージ 2自然石文字塔
文政2年4月21日
「庚申」
講中


杉本大権現銘の角柱と並んで。以前は無かったので近年になって設置されたようです。宿場の歴史館で杉本大権現やこの庚申塔について訊きましたが、何もご存知ありませんでした。










藤野町、名倉、名倉
イメージ 3角柱文字塔
寛政11年4月
「庚申塔」
當村中(台石)
道標(右つるしま □□□ 道/左 あきやま 道)。

比較的近くに昔「こうしんさん」と呼ばれていた堂宇があり、そこの石仏群に2基あった記録があるので、そこを探してみたもののありませんでした(1基は現存)。
民家の庭先で詳細に調べられませんが、道標の内容は名倉村の西隣り「鶴島」と南の「秋山」(どちらも山梨県上野原市)を示しているので、もともとこの付近にあったと思われます。















藤野町、日向、上日向
イメージ 4舟形合掌日月捧持青面金剛。
元禄6年□月
「奉造立庚□像□□□」
建之十人
単体。


風化が酷く、三猿が付いていたであろう台石は逸失。
探しても見つけられなかった2基です。
日向集落は家々の背後を通る旧道があり、途中にいくつか石仏が残っています。あるとすれば同じ道だと思い込んでいましたが、現在は崩落していて通り抜けられませんでした。
















イメージ 5笠付合掌日月捧持青面金剛
享保17年7月
「アン 奉造立庚申供養塔為二世安楽也」
施主九人 奥山□左衛門
三猿、蛇を踏む?。


日向集落から奧牧野集落へ向う現代の車道は深い沢を渡り、岩を掘り割った道になっていますが、昔はこんなルートを使えたはずもなく、旧道は日向から山伝いに山梨の田野入方面へ抜けるしかなかったようです。
この庚申塔がある場所は、日向集落の西端になるので、現在は消滅した隣村への旧道開始地点になるようです。



















藤野町、牧野、小津久、三枝神社
イメージ 6笠付三猿塔
元禄7年4月13日?
「バ 奉造立庚申供□」
小津□ 4名(残る部分のみ)
三面に猿(正面は欠損)。


この2基は、小津久生活改善センター近くの石仏群にあったものが、道路拡張工事で集落位置口付近に移設され、その後、現在地へ移されたようです。
三枝神社がどういう神社なのかは不明。風土記稿には掲載がありませんが、小名の鎮守が明治以降に名称変更したと思われます。






















イメージ 7自然石文字塔
文化6年8月
「庚申塔」
施主 村中。


これで旧津久井郡の庚申塔は179基確認できました。
自分の情報収集に間違いがなければ、あと少なくとも20基はあるはですが、いずれも一度は探してはみたものの(多くて5回)見つけられていません。無くなったと言われたケースもいくつかありますが、三枝神社の2基は地元の人にそう言われて一度は諦めたもの。それでもこうやって残っているので、確実な証言を得るには集落のまとめ役さんとか、氏子総代とかに当たらないと難しいのかもしれません。




旧津久井郡の庚申塔-38

旧津久井郡、現相模原市緑区の追加。
※資料が地名までなので、それに準拠しています。

藤野町、藤野神社
イメージ 1丸彫り合掌、地蔵?
元文4年9月
「庚申供養」
當村

頭部は後補。銘文は背中ですが土砂に埋まり気味です。
藤野は甲州街道の宿場として開けていました。藤野宿から北上した川沿いには集落群があり、宿場への往還として山越えルートが開かれていました。
藤野神社は山越えルートのとっつき付近に当たります。麓付近にはかつて清袋寺がありました。その関係か、あるいは山越えの関係と思われますが、神社付近の斜面に付いた登山路には地蔵が多く、一度探したことはあるのですが、どれが庚申なのか特定できませんでした。
一番目立つ神社の参道階段脇にありました。








藤野町、秋山川橋
イメージ 2自然石整形駒形文字塔
「申庚塔」
道標
右 大だちなぐら 上のはらみち
左 とづらはら あき山みち

橋はダムによって作られたもので、古くは川越で急斜面に道がついていたようです。
旧本道は階段として残っているので、そこにあるかと探しましたがありませんでした。
しかし本道と思っていたのは新設された階段で、この庚申塔の背後にかろうじて残っている道が本道だったようです。
道標の「大だちなぐら」はすぐ北東の「大刀」集落。「上のはら」は山梨県上野原。
「とづらはら」は西南西の「葛原」集落。「あき山」は山梨県上野原市秋山。
かなり山深い土地ですが、人々の往来は活発だったと判ります。








津久井町、長竹、白山神社付近
イメージ 3舟形輪矛型二臂
寛文9年7月29日
「キリーク 奉修為後生善生庚申供養也」
同道十一人
三猿。

輪矛型の7基目です。
存在は知っていましたが場所が不明でした。
見つからないのも当然で、こちらも旧道だった場所に残っていました。
輪矛型についてはこちらをクリック
知る範囲で、相模原市域に残っている輪矛型として最古になります。
初出の愛川町寛文8年塔から1年後に造塔されたこの庚申塔は同じ石工だと思われますが、全てを並べると像容は同じですが、石工は違うような印象を持ちます。
ガラパゴスな庚申塔ですが、このタイプを庚申の主尊として広めたグループor個人が寛文延宝期いたのでしょう。
修験をやっていた旧家の蔵などに掛軸が残っているような気がします。
各地の博物館がそのうち見つけれくれることを期待します(笑)

旧津久井郡の庚申塔-37

旧津久井郡の掲載モレです。
9基もありました。

イメージ 1城山町、久保沢観音堂
定印阿弥陀/享保3。三猿。
180cm。


右側面
「庚申□歳守尊崇自靡三尸窺諸衆
直下造言一霊塔活功徳徹梵□言」。
左側面
「伏惟扶桑國裏相模州津久井県上川
尻之内久保沢村信心之壇運年六
庚申長坐不臥摂念修吉方聞鶏鳴散
□茲年久加之今常結願之辰而聞亦
抽再情□□□□硲以伸供養之玄表
□仰□依茲活切力講衆等現世安穏
共砕三彭□受福養後生到千宝處必/矣」。

ずいぶん前に訪問したのですが、当時は草薮の中でした。今はだいぶ見やすくなっているようです。














イメージ 2城山町、久保沢観音堂
自然石文字塔/天保14。
76cm。

久保沢観音堂は百体観音で有名らしいですが、お堂の中なので見れません。
お堂も敷地内もさびれた感じで、前を何回か素通りしたのを覚えています。


















イメージ 3城山町、葉山島、下河原。
自然石文字塔/天保12。
78cm。


集落内の縁石に「城道」と刻印があります。
津久井城への道という意味だとしたら、古くからの街道ということになります。















イメージ 4津久井町、青根、荒井。
主尊不明(権現像?)/享保13。三猿。
112cm。


UP漏れしていたおかげで興味深い点に気がつきました。
二臂の剣と宝珠持ち青面金剛かと思っていましたが、同様のものが離れた藤野町にありました。
享保13(1728)から16年後の寛保4(1744)に同じ要素を持った、別の石工によると思われる塔があるので、石工のミスによる像様ではなく、この形をした仏像があったのでしょう。

もう一度全体を見直した方が良さそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/32715364.html
イメージ 5












イメージ 6津久井町、長竹
自然石文字塔/明治28。
58cm。


「猿田彦大神」

庚申塔かどうか不明ですが、念のためUPしておきます。











イメージ 7津久井町、長竹
自然石文字塔/紀年銘不明。
40cmほど。


「猿田彦命/木花開耶姫命」

さすがにこれは道祖神か富士信仰だろうと思います。
しかしこの塔の所在地は、別にある庚申塔設置場所の土地所有者のご自宅。今は所有者の方もこれが何か不明なのだそうですが、庚申塔と関わりがある家にあるということに。







イメージ 8津久井町、根小屋、根本。
文字塔/文政5。
87cm。

複数の所在地情報から推測すると、これ以外に考えられないのですが、いかんせん状態が酷すぎて写真を撮りませんでした。
ですのでGoogle Mapから。
たしか今はもっとボロボロになっています。










イメージ 9藤野町、牧野、篠原
青面金剛/元文2を昭和32に再築。四猿?。
86cm。


「奉造立庚申供養 施主敬白」。
「元文二丁巳年霜月吉日/再建昭和三十二年十二月吉日/河内繁雄書」。

笠付き塔です。

以前あった元文2年塔が盗まれたため、再築したそうです。
元の塔と同じ構図なのかどうか不明ですが、珍しい内容になっています。
右の上手と下手が矛の柄を掴む。
左下手は蛇?。
足元に見えるのは邪鬼ではなく、仰向けに寝そぺっており、猿の顔で股間を押さえていました。
セザルと判断して四猿としました。









イメージ 10藤野町、牧野、篠原
青面金剛/享保14。三猿。
98cm。


垂木が彫られた笠付です。

ニョロ腕の日月捧げ持ち。
下手は蛇と索持ち。

忘れ去られたような庚申塔で、かなりの埃で真っ黒でした。
タワシで擦ってやっと像様が明らかに。

夏は見えなくなると思われます。

以上で旧津久井郡の庚申塔は終了です。
総計166基169(になっているはず)。
記録にあって見つけられなかったものは
2623基にものぼります。
その中には誤報も複数混ざっていると思われますが、一方で記録にない庚申塔もかなりの数ありそうな気がしています。
ですので、旧津久井郡は総数190~200基になるだろうと考えています。



もし追加の情報をお持ちの方は是非お教えください。


旧津久井郡の庚申塔-36

長々とUPし続けて来た旧津久井郡の庚申塔ですが、最後は牧馬峠沿いです。

イメージ 1相模湖町、寸沢嵐、新戸
自然石文字塔/天保6。
90cm。


「庚申塔」

集落の中央を通る狭い踏み跡を通り、道志川の河原に出る直前にありました。
一度前は通ったのですが気がつかず、地元の方に教えられてやっとわかりました。
狭い踏み跡には石仏群もありますが、そこからは離れて庚申塔1基。
東京オリンピックの前あたりまでは、庚申塔の前あたりに橋がかかっており、それがメインの道だったそうです。

資料では紀年銘不明でしたが、地元の方の許可を得てタワシでこすってみたところ天保六年四月と出て来ました。



イメージ 2藤野町、牧野、上牧馬
自然石文字塔/紀年銘不明。
65cm。


「庚申(塔)」と思われる。

下牧馬で取材した際は、行けばすぐ判ると教えられましたが、上牧馬では「おかいこさん」と呼んでいました。取材する人の年齢が70以上でないと庚申塔をご存知ないようです。
地元には、天狗の城伝説や、石仏などに使うには丁度良い石があったので持ち運ぼうとした人が死んでしまった、という伝承が残っています。
天狗の城といい、この話しといい、結界を思わせます。対岸に何が残っているのか興味ありましたが、先を急ぎました。

なお、同所に地蔵庚申塔の記録もありましたが、現存せず。


イメージ 3藤野町、牧野、加茂尾。
文字塔/天明2。
62cm。


「庚申塔/講中十六人」

自転車乗りのブログなどに登場しています。路傍にあって牧馬峠沿いで一番見つけやすいもの。
峠のピークを挟んで篠原側の端になる場所のようです。

隣に大山道標の残欠があるので古くからの峠道だと判ります。













イメージ 4藤野町、牧野、大山森
上欠円形文字三猿塔/万延元。三猿。
幅74cm。


「ア 庚申」
「上村中 大山青野原」

旧津久井郡では珍しい、ちょっと遊んだ感じの庚申塔。
時代から推測すると生糸でお金に余裕があったのかもしれません。

旧津久井郡の庚申塔-35

イメージ 1藤野町、葛原、桂林寺
青面金剛/享保15。三猿。
竿64cm。


「ウン 奉造庚申供養為二世安楽」

右上手:法輪、左上手:矛。
合掌。
右下手:矢、左下手:弓。

笠付です。西日を背にしていますので見にくくなっています。















イメージ 2城山町、葉山島、藤木
文字塔/明治2。
108cm。


「庚申塔」

個人建立でした。

相模川沿いの集落です。
明治の個人建立の物があるので、江戸時代の講中建立塔がどこかにあるような気がしてなりません。
他の集落の例だと裏山に古道がついていて、そちらに隠れているパターンが多いですが、この辺りは圏央道工事で山がざっくり切られてしまいました。








イメージ 3城山町、葉山島、下倉
文字三猿塔/明治7。富士山、三猿。
60cmほど。


藤木とこちらは相模川沿いの集落です。
この庚申塔も個人建立ですが、建立者は転出してしまったそうです。
なぜ富士山を入れているのか、富士講と関係があったのかなどを訊きたかったのですが、今となっては想像するしかありません。

















イメージ 4津久井町、青根、音久和
青面金剛/宝永7。三猿。
60cm。


右上手:欠損、左上手:宝玉。
右下手:索、左下手:蛇。

紀年銘は一部剥落しており「七年 寅四月吉日」から推測。
1年がかり4回訪問してやっと見つけた1基でボロボロですが感動ものでした。
しかし、資料にあるのは延宝5年霜月。
それは見つけられず、別のものを見つけてしまったようです。

詳細は省きますが、昔は集落中央にあったお堂の敷地にあったもので、お堂を移転する際に庚申塔は別の場所に移されたそうです。これが何かを集落の古老もご存知なかったので、随分前に庚申講は終わっているようです。

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