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阿弥陀?/元禄年間。三猿。 88cm。 「造立庚申供養現安穏後善所」 紀年銘部分が剥落しているので資料による。 金剛山への登山口にあたる場所の覆屋にあり、雨はしのげているはずですが、砂岩独特の剥落が随所にでています。 日連は「ひづれ」と読みます。 日蓮宗とは関係なく、寺院も無いようです。 日連は牧野街道が通っており、甲州街道と並ぶ往還の一種だったようです。 青面金剛/紀年銘不明(宝暦12?)。 邪鬼、二鶏、三猿。 78cm。 風化と苔で細部を判別できないため、持ち物が何か正確にわかりません。 三猿は旧津久井では珍しく横向きかも。 紀年銘は20年以上前に調査した方の記録によります。 阿弥陀?/紀年銘不明(延宝3?)。三猿。 83cm。 こちらも痛みがひどく、三猿は痕跡程度です。 紀年銘も上と同様、古い調査記録によります。 当時は合掌阿弥陀に見えたようです。 五種字塔/正徳2。三猿。 竿52cm。 「バン、カ、ユ、タラク、ア」。 五種字については自信がありません。 上記の古い調査記録では「バン、ウーン、タラーク、ア、キリーク」=金剛界五仏としていましたが、どうも違うようです。 上がバンで正解だとすれば、胎蔵界や金剛界と同様の大日と四方の仏のような気もしますが、そんな五仏があるのかどうか…。 判る方がおられましたらご教示ください。 峯下の3基は石垣の上に設置されてあり、地震などで落下したようです。 聖観音/紀年銘不明。三猿。 70cm。 旧津久井郡では唯一(?)の聖観音主尊です。 光背の縁がくっきり浮かんでいますが、銘文部分がまるごと剥落しているような印象でした。 門前の石仏群にありますが、種類が雑然としており、まとめの石仏と思われます。 主尊不明残欠/紀年銘不明。三面に猿。 40cm。 主尊は足元だけ残っています。地蔵か阿弥陀あたりだろうと思いますが不明です。 周囲に上部が無いか探しましたが見当たらず。 藤野町資料では青蓮寺に2基あり、角柱文字塔があるとしていましたが、それは見当たらず、記録に無いこれがありました。 なお、青蓮寺は代官所があった場所で、代官所移設後は代官の守屋氏菩提寺になったそうです。 境内には高遠石工の作と思われる石仏が多数現存おり、見応えがあります。 庚申塔とは随分違う出来で、勧進なのか守屋氏一族の経済力なのか判りませんが、庶民の講との経済力の差が判って面白いです。 |
相模原市
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ネット上での情報がほとんどない旧「津久井郡」の庚申塔は風化や盗難、廃棄で消える一方です。できるだけ記録を残そうと思い立ちました。追加情報をお持ちの方がおられましたらご協力ください。
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文字塔/天明元。 甲州街道に面して設置されているので、複数のブログにも掲載されています。 境内に座像(主尊不明)の庚申塔があるという情報もあったのですが、見当たりませんでした。 青面金剛/享保9。三猿。 竿115cm。 「奉建立山王大権現、願主謹言」 山王七社の梵字。 右上手:矢、左上手:弓 右下手:棒、左下手:蛇。 細見の竿にアンバランスな大きい笠。 それが幸いしたのか、素晴らしい状態です。 旧津久井郡全体の中でもずば抜けた秀作で、しばし見とれてしまいました。 よく残っていてくれたものだと、近隣の人達に感謝しました。 如意輪/延宝6。三猿。 129cm。 「為庚申供養奉造立観音□□希者二世安楽」 藤野町で現存最古の庚申塔です。 主尊が如意輪なのはこれ1基のみ。 残念なことに倒壊したようで、修復してありますが、顔を作っていました。 砂岩質のため、剥落の兆候が出ていました。 阿弥陀立像?/紀年銘不明。三面に猿。 74cm。 地元の古老に「こーしんさん」の場所を訊いたところ、「ここ」と教えて頂いた石仏群。 庚申塔は判った範囲でこれ1基でした。 倒壊した石塔が複数あり、チェックしてみましたが他には見当たらず。 資料では他に以下があったことになっています。 舟型文字塔、貞享3年?、宝暦8年(再築か?)、50cm。 角柱道標文字塔、寛政11年、91cm。 他の場所がないか探してみましたが出会えませんでした。 石仏愛好家の団体らしき人達が色々と調べに来ているそうですので、そのうちどなたかがブログにUPしてくださることを期待しています(他人まかせですが)。 古老が子供の頃には堂宇があり「こうしんさん」と呼ばれ、近隣の女性が集まって念仏を唱えていたとのこと。 |
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定印阿弥陀(釈迦?)立像/貞享5。三面に猿。 竿石65cm。 「バク 奉供養結衆」 見た目は阿弥陀っぽいですが「バク」なので釈迦かもしれません。 奥牧野は小さな集落ながら、大量の石仏があります。 奥牧野へ至る3つの車道全てに石仏があり、もしかすると集落裏手の山中に残っているかもしれない古道にもあるかもしれません。 というのは、覚えている範囲では35~7基の石仏をチェックしたものの、記録にあって見つけられていない庚申塔が複数あるからです。 石仏の多さの原因の1つかもしれませんが、奥牧野には昭和4年まで来迎院という真言宗系の修験寺があったそうです。 寺跡にも若干石仏が転がっていましたが墓石のようでした。 薬師如来立像/延宝7。三猿。 54cm。 「庚申供養結衆」 苔がひどくてはっきりしませんが、二臂で何か持っているように見えるため、資料にあった薬師だろうと判断しました。 青面金剛/享保2。三猿。 63cm。 「奉造立庚申供養塔婆一基 為郷内安穏諸人快楽也」。 左上手:宝玉、右上手:剣 左下手:蛇、右下手:索。 ここに来て津久井郡最多の蛇持ちが再登場。 萬霊塔/安永6。「庚申講」の銘 125cm。 資料にあったのを忘れ、銘文ノーチェックですので間違えているかもしれませんが、他に萬霊塔は見つけていないので該当だろうと判断しました。 資料にあって見つけられなかった庚申塔。 角柱文字塔、延宝7/夏、「庚申講像」。 角柱文字塔、明治24/10。43cm。 |
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青面金剛残欠/紀年銘不明。 「奉造立庚□□塔婆□」 (庚は广"まだれ"のみ残る) 写真では判りにくいですがニョロ腕の合掌です。 ここまでニョロ腕を見て来たから判別できたようなもので、初見だったら判らなかったかもしれません。 文字三猿塔/元禄8。三面に猿。 51cm。 正面の文字は判読できず。 ここはゴルフ場入口で大量の石仏がまとめられています。 他に、三面馬頭、蚕影塔、仁王丸彫りなど。 青面金剛/寛保2。三猿。 65cm。 「奉造立庚申供養為二世安楽也」 ここから綱子川沿いになります。 ※上流に綱子集落があり、そちらの青面金剛はUP済みです。 綱子川のこの辺りは山梨との県境で、すぐ隣は上野原市桜井。 戦国時代は半地だったでしょうが、一応、川沿いに奧牧野城の跡があります。 庚申塔裏手の神社からは綱子川がよく見えましたので、城域だったかもしれません。 ニョロ腕ですが、顔が違います。 川上川沿いは口がへの字でシャクレ顎のような造りでした。 なお舟久保集落では文化財の盗難があり、今も他所者には目を光らせています。 藤野町、牧野、小舟 こちらに文字塔と思われる2基の情報があり、探しましたが見当たりませんでした。 元禄7/4、高さ57cm。 文化6/8、高さ106×周囲165cm。 石仏群にあったようですが「道路拡張工事で集落入口に移設、その後いつのまにか無くなった」 という証言を得ています。 どこかに埋もれてでも残っていると善いのですが。 探した場所:集落上の道、下の道。集落奥にある神社は「何も無い」と言われ未訪。 |
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29に引き続き「川上川」沿いです。
青面金剛/享保14。三猿。 116cm。 向滝寺跡にあり、石仏が多い。 庚申塔は2基。 日月捧げ持ち、合掌、弓矢。 「奉造立庚申供養為二世安楽也」 ニョロッと長い腕の「ニョロ腕」タイプ(仮称)です。 文字塔/安政4。 55cm。「庚申塔」 青面金剛/享保17。三猿。磐座に蛇。 104cm。 「奉造立庚申供養」 こちらもニョロ腕。都内の西部や山梨にもありますが、顔立ちが異なるものがいくつかあるので「ニョロ腕」流派がいたのではないかと勝手に妄想しています。 この青面金剛は顔立ちは同じですが、持ち物が三鈷杵、法輪、弓矢。 ちょっと判りにくいですが、青面金剛の足元の磐座に蛇が巻き付いています。 六地蔵と庚申塔は別の場所にあったそうです。 以下から川上川の隣の谷になります。 定印阿弥陀立像/元禄7。三猿。 竿石105cm。 「奉造立庚申供養□□」 吉原集落入口部分の石仏群にありますが、各所からまとめた石仏だそうです。 この辺りの車道は新しく付けられたもので、古くは山越えです。現在はゴルフ場などができていて山も様子がだいぶ変わっています。 しかし、まとめるにしても集落入口にするのは、過去の原風景がそうさせているのでしょう。 文字三猿塔/宝暦9。三猿。 120cm。 「サ 庚申供養塔」 こちらは側面に青面金剛立身呪「ウン ディバ ヤキシャ バンダバンダ カカカカ ソワカ」の梵字がありました。 庚申真言が彫られた庚申塔は神奈川で2基とされていましたが、3基目となります。 丁寧に探せばもっと出て来るかもしれません。 ソワカは一番下の左右に配置されています。 |




