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自然石文字塔/寛政12。 90cm。 「施主 村中」 平成7年1月に遷座したむねのプレートが付いている。 トンネルを出てすぐの場所に廿三夜、光明真言供養塔などとあるため、今はほとんど使われない山越道から移したような気もしますが未確認です。 なお、今回のUPは「川上川」に沿った集落をまとめました。 青面金剛/寛保3。下部剥落。 90cm。 「奉造立山王権現庚申供養村中」 津久井郡では少数派の蛇を持たない青面金剛。 石仏群に「山王神社」銘碑などもあります。 風化が進んでいて、三猿部は剥落。 加えて背後が崖で、一応ネットは張ってありますが、いつ落石などで破壊されてもおかしくない状態です。 自然石文字塔/寛政12。 80cm。 紀年銘は探しても見当たらず資料による。 中折れを補修しているかもしれない。 次の青面金剛塔とこれは墓所にありますが、地元の人に教えてもらわなければとても辿りつけない場所でした。 昔は大久和集落への道だったようです。 青面金剛/延享3。2鶏、三猿。 80cm。 「奉造立庚申供養 為二世安楽也」 「施主 川上村中」 笠付塔です。 こちらも津久井郡では少数の蛇無し。 この谷筋では他の村と違う系統のようです。 紀年銘は年のみで月や日が無い珍しいもの。 なお、白苔で見にくいですが大きな尾の鶏がついていて、形が横須賀で見た物そっくりで驚きました。同じ石工ということは無いと思いますが…。 青面金剛/享保19。三猿。 笠を入れて113cm。 「奉造立正面金剛庚申待供養也」 像様は上の2基と異なりますが、これも蛇を持たないもの。 「正面金剛」が珍しいです。 石仏群には丸彫り聖観音などもあり、今も祀る人がいるようで、供え物がありました。 まだありますが、川上川に沿った谷筋は他の津久井郡と様子が異なっていて興味深いです。 |
相模原市
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ネット上での情報がほとんどない旧「津久井郡」の庚申塔は風化や盗難、廃棄で消える一方です。できるだけ記録を残そうと思い立ちました。追加情報をお持ちの方がおられましたらご協力ください。
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石祠/延宝7。内部に舟形の阿弥陀座像、三猿。 「于時延宝七歳 十一月廿九日」 資料には薬瓶持ちの薬師如来と記載。 しかし瓶を掌に乗せているようには見えず阿弥陀の定印に見えるので、阿弥陀としました。 ここは寺の跡地で、本尊が薬師だったらしく、それもあって薬瓶と見てしまったのではないかと思います。 延宝7年の11月29日は締めの庚申日。 吉祥日のようにしておらず、日にちを明記している場合,調べると庚申日のことがあります。 100%ではないのが悩ましい所ですが(笑) 藤野町、栃谷、沢栃谷 石祠/延宝7。左側面に不見、不聞の2猿、右側面に不言の1猿。 内部に二臂の不明主尊丸彫り。 「延宝七年 未ノ九月廿八日」 こちらの9月28日も庚申日。 資料未記載。 保管している民家は、石祠に名前がある家の子孫とのこと。 集落内民家横の傾斜地に設置されていたが、猿がいたずらして転がり落ち、割れてしまった。 「猿が猿を落した」と笑い話になっているそうです。 修理をするために民家で保管されていたものを撮影させて頂けました。 修復する方法を知らないかと問われたのですが、某サイトをご紹介するしかありませんでした。 石祠なのでセメント接着程度では、笠を乗せるとまた割れそうです…。 寛保4年11月15日は庚申日ではありません。 剣or杓?と宝珠?持ちの僧形二臂。仏像ではなく神像もしくは権現像かもしれません。 設置されていた場所を「さんのう」と呼んでいなかったか問うてみたところ、「そんな名前を聞いたような気がする」と仰っていました。 であれば山王権現像かもしれません。 また、東照権現像で右に剣、左に宝珠というのはあります。車で10分ほどの場所に東照宮があるので、この可能性もあります。 石祠から65年後に本尊を作ったのも謎です。 石祠内に本尊が残っている庚申塔は、神奈川ではあまり数が無く、当初は出会える度に喜んでいたのですが、こうも多いとだんだん麻痺して来ました(笑)。 むしろ、合掌で日月を捧げ持っていない青面金剛や、剣人型の青面金剛など、他地域ではありふれたタイプに出会うと、珍しいと感じてしまうくらいです。 青面金剛/正徳3。三猿。 塔身64cm。 「正徳三癸巳七月吉日」 「ア 奉立庚申供養為二世安楽也」 右上手:剣、左上手:弓。 右下手:矢、左下手:蛇。 木陰で風雨にさらされていないためか、びっくりするくらい状態が良いです。 日月を捧げ持っていない合掌ですが、蛇持ち。 蛇持ち青面金剛が多いのも旧津久井郡の特徴。 こちらは資料に記載がありましたが、住所が間違えているようで、石祠を保管している民家の方に教えて頂いて辿り着けたもの。 奉納者の子孫は複数残っているとのことで、民家の方は庚申塔をご存知でしたが、どう祀っていたのかはご存知ありませんでした。 こちらも庚申信仰は終わっているようです。 |
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宝篋印塔残欠/紀年銘不明。三面に踊る猿か? 68cm。 塔身の四面に刻像。 正面と思われる面に座像。 残る三面に着衣戴冠の猿と思われる刻像。 かろうじて「八月吉祥日」。 背後の石詰み側にも文字がありましたが読み取れず。 資料では「正面に青面金剛。両側面と後面に踊る三猿」としています。ここまで風化していると何だか解りませんが、青面金剛ではないだろうと思います。 宝篋印塔の庚申塔はいくつかありますが、刻像されているものは珍しいです。 風化とセメント補修がなんとも惜しい。 以下が正面。 青面金剛/享保7。鶏、蛇、三猿。 96cm。 「奉造立庚申供養」「施主同行拾四人」 合掌、日月捧げ持ち、弓矢。 1鶏、1蛇が珍しいです。 寺の境内にありますが、後から持ち込まれてやむなく設置している風でした。 阿弥陀立像?/紀年銘不明。三猿の痕跡。 60cmほど。 三面に猿が 資料に記載がないもの。 薮の中に埋まっていた。 こちらの場所を手入れしている方によると、台風や地震などで倒れるたびに、起こせるものは直しているが、自立しないものはそのままにしているとのこと。 藤野町の時代に調査は入っている場所なので、庚申塔ではなく他の石塔として記録されているかと調べてみたが、該当するものは無し。 |
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青面金剛/元文2。二鶏、三猿。 83cm。 持ち物は標準的な剣、法輪、弓矢。 碩岩寺という廃寺跡近くにある旨の記載が資料に。 現在は少し離れた路傍の斜面に片付けられているような印象です。 斜面が急すぎて無理に登ると土砂を崩してしまうため、詳細を調べるのは諦めました。 石灯篭/享保6。 126cm。 2基のうち1基は火袋分裂、竿も中折れ。 「為庚申供養奉造立石灯籠施者也」 割れた竿にも同じ銘文と紀年銘。 灯篭の上方に石祠。 石祠/延宝8。 「奉造立山王権現」 「右三村而是供養者也 橋詰村 佐野川村 和田村」 「相州津久井領之内」 石祠内 舟形、二臂像、三猿。 銘文、紀年銘無し。 内部の主尊像を見てたまげました。 左手で後光を握り、右手で矛or錫杖らしきものを持つ主尊像。 もう無いだろうと思っていた輪矛型でした。 http://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/30391728.html 武蔵の多摩地方には町田に1基ありますが、もしかすると甲斐の上野原以西にもありそうな気がしています。 |
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青面金剛/元禄12。三猿。 92cm。 左上手:剣、右上手:宝玉、 左下手:蛇、右下手:鈷杵。 隣の菅井へ行くための旧道というより山道だが、その道の村の境に廿三夜、疱瘡神、馬頭などと併設されている。現在は民家の敷地と思われる道を通らないと出会えない。 青面金剛/寛保元。三猿。 塔身63cm。 左上手:剣、右上手:宝玉、 左下手:蛇、右下手:鈷杵。 石が新しい大理石に見えるので再築かも。 長俣集落は西の、川に下る旧道にも石仏群があります。庚申塔もあり、以前にUPしています。 撮影当時に、いずれ道を拡張して石仏はどかすと地元の方に教えられたので、ついでに立ち寄ってみました。さほど変化はありませんでした。 青面金剛/宝暦2。磐座の下に三猿。 106cm。 左上手:法輪、右上手:蛇、 左下手:弓、右下手:矢。 三猿は下から覗き込まないと見えません。 かなりの山奥にある小さな集落ですが、3つある道に全て石仏がありました。 庚申塔はそのうち1ヵ所。 |




