庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

相模原市

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ネット上での情報がほとんどない旧「津久井郡」の庚申塔は風化や盗難、廃棄で消える一方です。できるだけ記録を残そうと思い立ちました。追加情報をお持ちの方がおられましたらご協力ください。
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旧津久井郡の庚申塔-24

イメージ 1藤野町、中里、三能山
石祠/元禄8。内部に定印阿弥陀座像、三猿。
70c
m。

小字が中野で、三能山は小字以下の地域名称。
中野の住人でも60才くらいの方では三能を知らないが、運の良いことに三能山の所有者の方に出会えて場所を教えて頂けた。

東京オリンピックの頃、旧津久井郡は道路整備が進み、町道の拡張工事なども行われた。
それまでは、狭い切通し道に面して複数の石仏や稲荷社などがあったが、工事にともなって移設したとのこと。



石祠に庚申銘などは無いが、内部に定印阿弥陀座像と三猿の丸彫り塔が納められていた。

イメージ 2移設前から南面して設置されていたので、方角はそのままにしているとのこと。
石祠正面に刻まれている石井姓の御子孫は現存しており、その方と三能所有者の方が移設に携わった。急斜面の痩せ尾根にこれを上げるのは一苦労だっただろう。
残念ながら庚申についてはご存知無く、かなり以前に講は途絶えている模様。
石井氏はどこまで家系を辿れるのか知りませんが、戦国から続く豪族で、本家は文化財指定になっており、一般公開されているとのこと。


イメージ 3なお、藤野町には薬師を主尊にした同様の石祠も記録されています。
それも是非見てみたいのですが、所在情報が上記のような内容なので、これも運次第です。

おそらく、定印の部分に薬壷を持っている像様だろうと想像しています。

























イメージ 4
庚申塔以外の気になった石仏をいくつか。


イメージ 5藤野町、吉野、吉野神社
聖徳太子/天明2(1782)。

「天下泰平/国土安穏/ラ? 奉造立聖徳太子大願成辨」
「于時 天明二壬寅天 七月吉日」
「相州(異体字)津久井縣 吉野村/澤井村/勝瀬村/小渕村」

林業がメインの旧津久井郡ですので、大工関係者=太子講でしょうか。
天明2年の造塔にしては、露天なのにありえないくらいの美品です。
他の紀年銘はありませんでしたが、再築かもしれません。
















イメージ 1藤野町、牧野、網子
右から庚申塔、弁財天座像、廿三夜と蚕影山。

興味を惹かれたのは廿三夜と蚕影山のダブルネーム塔です。
藤野町には他の場所にもありますが、珍しい部類かもしれません。
旧津久井郡では、廿三夜講のご詠歌に「帰命頂礼、天竺の二十三夜の月さまを、お待ちなされるその人は、蚕もあたるし、作物も、三夫婦揃って、倉七つ。一のお倉が金の倉。二ばんのお倉が繭の倉。三ばんのお倉が糸の倉。四ばんのお倉が絹の倉。五ばんのお倉がカトク倉。六ばんのお倉が穀の倉。七ばんのお倉が質の倉。お年はおいくつ、百七つ、孫、ひこ、やしゃごで五十人。千秋万才、高砂の、お家は繁盛でおめでたい」と、養蚕業の繁栄を願う内容のものがあるそうです。
なお、蚕影は一般的には「こかげ」と呼びますが、旧津久井郡では「さんけい・さん」と呼ぶ人に何人か出会いました。


イメージ 2藤野町、牧野、網子
双体道祖神/明和3。
42cm。


藤野町に道祖神は20基ほどあるようですが、唯一の双体道祖神だそうです。
新しいのはあるような気もしますので、江戸・明治・大正の道祖神の中で、でしょう。






イメージ 3藤野町、牧野、奥牧野
双体馬頭観音/文政2。


これも藤野町で1基だけだそうです。
双体馬頭観音でネット画像検索してみると、山梨長野方面に、双体のそれぞれに馬がついているタイプが多いようです。
これは厳密に区分するなら1馬頭双体観音になるのでしょうか(笑)。
ここから西へ数百mで山梨。















イメージ 4藤野町、下河原、中里
月光菩薩?/延享4。
塔身65cm。


「奉造立大月光輝無遍塔」「願主 釈□真宗」。
主尊が何だか判りません。銘文から、月光菩薩or月待ちの勢至菩薩あたりかと考えました。
旧津久井郡の月待講は廿三夜で、造塔はほとんどが文化文政の頃。延享年間はそれより60年ほど遡りますし、願主が個人名なので、全く関係ないかもしれませんが、主尊が何であれ月待ちの初期のものかな〜と。

















旧津久井郡の庚申塔-23

イメージ 1相模湖町、与瀬本町、慈眼寺
阿弥陀?/延宝7。三猿。


今まで見て来た同系のものは阿弥陀だったので、同じだろうと思いますが、慈眼寺は本尊が薬師如来。風化しすぎでなんとも言えませんが、もしかすると前手は薬壷持ちかもしれません。

なお、与瀬にはもう1基、阿弥陀らしき庚申塔の情報があるのですが、これなのか別にもう1基あるのか判らないままです。






















イメージ 2相模湖町、横道、秋葉神社
自然石文字塔/紀年銘不明。
88×88×20。


「庚申塚」。
庚申塔を含む石仏群が土留めに使われていて、裏面が確認不可能。
神社前の道は細いですが、昔の甲州街道のようです。





イメージ 3相模湖町、橋沢、十二天神社
主尊不明/元禄9。三猿。


主尊が足元のみ残して剥落している。形だけで推測するとこれも阿弥陀か。
こちらも旧甲州街道沿い。

旧津久井郡で聞き込みをすると、よく言われるのが「なんとかしたいんだけど」というボヤキ。庚申塔に限らずボロボロになっていくのをなんとかしたいということですが、再築するのではなく補修したいという点が共通しています。
しかしそれもひび割れ程度だったり、部分パーツを追補するくらいで、ここまでになってしまうとそんな声も出なくなります。

この辺りの人達は自給自足の精神があるので、方法が判れば材料だけ買って自分達でやってしまいます。ただ、補修もちゃんとやらないとかえって酷いことになります。
自治体が手を差し伸べられると良いのですが。


以上で旧津久井郡の相模湖町が終わりです。
旧津久井郡は城山町、津久井町、相模湖町、藤野町の4町がありました。
これで3つの町を一通り終えましたが、随分見つけられないものがありました。
情報を間違えて読んでいる可能性もあるため、大雑把ですが、
城山町15基(2基)。津久井町72基(11基)。相模湖町33基(6基)。
カッコ内は逸失と未見の合計数。
粘ってもあと1つか2つ出会えるかどうかです。
過去にUPしてある3町で追加情報がありましたら是非お教えください。

残るは藤野町75基。すでにいくつかはUPしていますが、かなりの山間部なため、自転車ではいつ終えられるか判らないので、車を使うことになりました。
土砂崩れで道が通行禁止の場所(牧馬峠)があるなど、早々の終了は難しそうですが、自転車と違って体力に余裕があるため、現地での聞き込みと探索に時間を掛けられて順調に進んでいます。

旧津久井郡の庚申塔-22

イメージ 1藤野町、和田、橋詰
合掌青面金剛/紀年銘不明(文政2?)。三猿。
光背部分60cmほど。


路傍ですが土地の所有者がおられ、ご当主が定期的に拝んだり手入れをされているとか。しかしながら庚申の祭祀はもうやっていないようです。奥さまが対応してくださいましたが、まったく手をつけないそうで、昔は男だけの庚申講だったのかもしれません。

資料には主尊が不動で文政2年の記録があったものの、紀年銘は見当たらず。地番はほぼ合っているので、他に「こうしんさん」はありませんかと問うて見たのですが、お心当たりは無し。火焔輪が付いているので、それを不動と見て、紀年銘は台石の側面か後にあったのかもしれないと想像。






イメージ 2藤野町、上河原、東照宮
智拳印(大日如来?)座像/延宝8。三猿。
竿部分66cm。


「奉造立南無山王権現當村/善男善女人念仏供養/慈現二世安穏後生善前也」。

山王権現と念仏供養の銘。三猿が付いていなかったら別の信仰塔に分類されていたでしょう。そもそも猿が付いていれば絶対に庚申なのかという疑問はありますが、民間信仰は、きれいに割り切れるものでもないでしょうから、色々とごちゃまぜな現れ方をするのかな〜と、懐を広く持って楽しもうと、こういうのに出会う度に思います。

東照宮と山王とくれば天台の山王神道がらみでしょうか。とすると念仏は何…。
天台宗では山王権現=釈迦=胎蔵界大日=天照なのだそうですが、智拳印は金剛界大日。うーむなんでだろう…(笑)。



イメージ 3藤野町、上沢井
合掌青面金剛/享保元。
日月捧げ持ち。二鶏、二猿。
竿56cm。


「庚申供養」。
不見がどこを探してもなく、不聞と不言の二猿。
下手は左手が蛇、右手が剣のようです。
こちらには丸彫り馬頭観音立像や阿弥陀三尊浮き彫りの念仏供養塔などもありますが、いずれもボロボロでした。

旧津久井郡の庚申塔-21

イメージ 1藤野町・佐野川・上岩
合掌青面金剛/天明2。
日月捧げ持ち、蛇と剣持ち。
80×28×22。


野ざらしでこの状態の良さは、今まで見て来た旧津久井郡の石仏として異例なくらい。
黒く光る細かい粒が混ざっている点は伊奈石に似ているが、この辺りで流通量の多い伊奈石や七沢石はボロボロになってしまうので、違う産地の石なのだろう。
手入れされていれば状態を保てるようだが、三猿の埋まり具合(掘り出している)からするとそれも無さそう。

日月を捧げ持つタイプは、旧津久井郡の中で藤野町に入ると急増する。
甲州街道の宿場があるからと思われるが、津久井町の甲斐相模を結ぶ街道筋(道志道)にはあまり見られないため、日月捧げ持ちは八王子方面から伝播してきた可能性も。

全体の統計をとってみたい所ですが、そもそも現存最古の日月捧げ持ち(万歳型)はどこにあるのだろう。



イメージ 2藤野町、相沢、和田
合掌青面金剛/享和3。1猿か?。道標。
40×16×13。


「右さの川道、左ひの原みたけ道・通利」。
今はハイカーと地元の林業者がたまに通る程度だが、往事は尾根筋を使った古道だったようで、
里の人に訊けば、山中の目印として「こうしん」が今でも通用する。
ちなみに他の目印は「ぐんだり」、「いなり」、「ふじづか」、「うまおとし」など色々あって面白い。通利は峠の名称。

「みたけ」は武蔵国の御岳、現在の青梅市にある御岳山。場所としては「左 生藤山」とした方が道標として正確なのに、「みたけ」を入れているのは、それだけ参拝者が多かったからかもしれません。



上岩の青面金剛より20年ほど新しく、大木の下にあって雨はしのげているはずなのにこの風化っぷり。三猿なのか一猿なのかもはっきりしない。石材の違いが顕著な例。



イメージ 3藤野町、下岩、倉子峠
合掌青面金剛/宝暦10。三猿。
日月捧げ持ち。索と棒持ち。
竿70cm。中折れを修復。


彫刻作品としては下手な部類になるでしょうけれども、個人的に大好きなタイプ。名工ばかりだったら庚申塔を好きになっていないと思う(笑)。
倉子峠は往還と言っても過言ではない場所だったらしく、芭蕉の歌碑なども立っている。

以前は薮気味だったのに、つい最近、私費で整備した人がいるようで、補修整備をしてあり見やすくなっています。100万円以上かけている感じでした。







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