庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

相模原市

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ネット上での情報がほとんどない旧「津久井郡」の庚申塔は風化や盗難、廃棄で消える一方です。できるだけ記録を残そうと思い立ちました。追加情報をお持ちの方がおられましたらご協力ください。
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旧津久井郡の庚申塔-20

イメージ 1藤野町・佐野川・上岩
石祠/紀年銘無し。
石祠の三面に猿。
高さ40cmほど。

銘文無し、石祠内にも何も無し。
この辺りの石祠はほとんどに内容物があらしいので、以前は何かがあったと思われる。






イメージ 2藤野町・和田・山王
石祠/元禄15。
奉造立山王権現。

石祠内に舟形の合掌青面金剛板石。
紀年銘無し。三猿。
25cmほど。
イメージ 3















イメージ 4藤野町・和田・山王
石灯篭/享保6。2猿。
奉造立庚申供養石灯篭。


石祠の前にあり、対で立っていたようですが、現在、片方は崩壊。残ったこちらも笠付は無くなり、針金で補強されてやっと現状を維持している状態です。

猿は不見と不聞で、不言がどこかにあるのではないかと探しましたが、見当たらず。
対の崩壊した灯篭にあったのかもしれません。










佐野川や和田あたりには石祠の庚申塔7基の情報があるのですが、現地で聞き込みしても場所不明なことが多く、3基5基しか見つけられていません。
場所不明は以下。
●和田、山王。石祠、延宝8。55cm。
●和田、橋詰。石祠、元禄15。40cm。
●鎌沢。石祠、三猿、享保6。←その後発見、UP済。
内部に舟形の尊像。
石灯籠2基も庚申講奉納、享保6。
●中里、三能山。石祠、三猿、元禄8。70cm。←その後発見、UP済。
内部に丸彫り定印阿弥陀。

先日、藤野町の他所で、藤野には石祠タイプの庚申塔が10基くらいあると教えられました。
藤野町内の石仏を悉皆調査した方がおられるようで、連絡先を乞うたのですが、かなりのご高齢とのことでNGでした。
記録が残っていれば拝見したい所ですが、どうやら盗難がだいぶあるようで、他所者には見せて頂けない雰囲気が濃厚。相模原市の博物館が本腰を入れて再調査してくれるのを待つしかなさそうです。

旧津久井郡の庚申塔-19

イメージ 1藤野町・佐野川・上岩
石祠・内部に青面金剛/享保4。
石祠側面に三猿。
高さ40cmほど。


右側面に不言の1猿。
左側面に不見・不聞の2猿。
裏面に「大洞村」「奉造立庚申堂」の銘。
青面金剛は舟形の合掌六臂で、日月を捧げ持ち、下手は蛇と鈷杵を持っています。

盗難の恐れがあるので詳細な場所は伏せますが、町史などを読めば辿り着けます。

石祠の中に青面金剛像がある(残っている)タイプは藤野町に複数あります。神奈川県の他地方にもあることはありますが、密度としては藤野町が最多地域と思われます。
と言っても藤野町は広いですが(笑)。

藤野町や相模湖町の北側は、甲州街道がありますので当然ですが、今も江戸時代も文化圏としては八王子になるそうです。
山梨の上野原も目と鼻の隣で、山越えする必要もありませんが、戦国時代は武田氏と後北条氏がぶつかる最前線でしたし、江戸時代になってからはお江戸方面の方に行く用事が多イメージ 2かったでしょうから、自然と山越えして八王子となったのでしょう。

ところが、この庚申石祠に関しては山梨側からの文化のようで、八王子方面を含む多摩地方にはあまりないようです。

となると高遠石工かと考えたくなりますが、藤野町のこのタイプの庚申石祠は延宝から貞享年間に多いらしいので、高遠石工が本格的に出稼ぎを始める元禄より前。


イメージ 3乏しい知識ではこの辺りでネタ不足となり、どこからどうやって広まったのかさっぱり判らないという、毎度のオチに…。










イメージ 4

旧津久井郡の庚申塔-18


イメージ 1相模湖町・千木良・牛鞍神社
合掌青面金剛/紀年銘不明。宝玉、蛇持ち。三猿。


笠に垂木が付いている点や蛇持ちなどから、日神社などの蛇持ち青面金剛と同系なので享保から元文頃と思われる。
宝玉と剣は他の塔と違い、左右が逆。

千木良村は江戸時代の甲州街道小原宿の隣で、経済的に余裕があったのか手水石もなかなか凝っています。
ダム湖になる前の川の様子が偲べます。



イメージ 2









イメージ 3相模湖・千木良・岡本
定印阿弥陀/元禄7。三猿。
54×22×20。


廃寺となった妙観寺入口と思われる付近に。
妙観寺はこの一帯の4家のみが檀家だった小さな寺だったらしく、規模も小さかった。

この4家は後北条氏(小田原北条氏)の配下だった津久井城主を支える家臣の1つと同姓で、本家ではないようですが、連綿とこの地に続く家系。
庚申塔の奉納者名は同じ姓が並んでいます。

側面には光明真言。
イメージ 4












イメージ 5相模湖町・与瀬本町・慈眼寺
定印阿弥陀?/延宝7。三猿。


資料では地蔵となっているが、今まで見て来た旧津久井郡内の定印阿弥陀塔と年代が同じでデザインも同じなので、定印阿弥陀と判断。

慈眼寺の本尊は薬師なので、前手は印ではなく薬壷を持っているのかもしれないが風化で判別不能。

なお、他資料にも与瀬に観音(阿弥陀も地蔵も判別不能の場合はこう記されている)の庚申塔があるような記述がある。
同じ物かもしれない。










イメージ 6相模湖町・予瀬・中野
合掌青面金剛/宝暦3。三猿。
57×27×15。


路傍に設置されているにしては彫りの状態が素晴らしいが、なんとも残念なことに倒れて割れてしまったらしい。
左右の二猿が片手を付いて膝を崩していて可愛い。

この場所は昔、集落の中心地で、道路兼広場だったそうで、その名残が庚申塔を含む石仏。
子育地蔵と念仏供養塔、石祠が残っている。
数十年前までは村の女性達がゴザを敷き念仏を唱えたり、雨乞いをしていたが、今はする人がいなくなったとのこと。
そういった講は女性のみで男性はやっていなかったそうで、昭和初期に庚申講は終わっていたと思われる。

なお、中野集落の下にも石仏群があり、「おこうしんさん」があると教えられたが、該当する物はなかった。もしかすると庚申講はやっていたのかもしれない。




イメージ 7相模湖町・鼠坂北・八幡神社
文字塔/安永3。
85×37×33。


二十三夜、百万遍、念仏供養の3基はちゃんと道路に正面を向けているが、他の石仏はただまとめおかれている酷い設置。
奧に智拳印を結ぶ立像が倒れていて何か気になったが、確認できなかった。

鼠坂の読みは「ねんざか」。
江戸時代は関所があり、由井正雪の乱で落ち延びようとした一味を防ぐため村人総動員で関所を固めたとか。








旧津久井郡の庚申塔-17


イメージ 1相模湖町・西原・道志北・地蔵尾根
定印阿弥陀/延宝7、三猿(一匹欠損)。
右側面「為菩提也」「同行二八人施主敬白」。
63×24×23。

現在の寸沢嵐には同じ延宝7年塔がある。

地蔵尾根は地元の古老しか知らないと思われる。
その古老も庚申塔はご存知なかった。
地蔵尾根は古道であり、現在はほとんど使われていない。三叉路に埋没した六地蔵、馬頭、自然石双体道祖神があり、その中にあるだろうと掘り返してみたが見つからなかった。
三叉路の別地点に常夜塔、二十三夜塔もあり、そちらの木陰に倒れて埋まっていた角柱を確認してやっと見つけたもの。
本来は里を見下ろす位置に、笠付で建っていた。















イメージ 2相模湖町・寸沢嵐・顕鏡寺参道
角柱文字塔/寛政11。日月、三猿。
75×31×24。


顕鏡寺へは、車道もついているが、昔からの岩山を登る参道を使う方が楽しい。
石仏や丁目石が沢山ある。
四丁石の手前、崖の中腹に。
撮影は危険を伴います。
どこの在か不明ながら6名の奉納者名がついている。

石老山顕鏡寺は真言宗寺院で、神奈川の修験の主要地“八管”と藤沢の“江ノ島”と顕鏡寺の洞窟が繋がっているという伝承があるらしく、各地からの参拝者がいたようです。













イメージ 3相模湖町・阿津西大道北・上阿津・正覚寺
角柱文字塔/宝暦7。
90×60×55。


正覚寺は俳句の寺として知られているそうです。
柳田國男が村落調査を初めてやったのが津久井郡であり、調査団の宿泊地となったのがここ正覚寺。
食事面で苦労したらしく、「山寺や葱と南瓜の十日間」と句を詠んだことがきっかけで俳句の寺になったとか。
なお、「葱」ではなく「麩」が本当らしいです。
民俗好きにとってはエポックな寺ですが、庚申塔は素朴すぎてあまり…。







イメージ 4相模湖町・下原・奥畑・宝寿庵跡
角柱文字三猿塔/宝暦7。
57×24×22(竿のみ計測)。


宝寿庵は大正7年に火災となり廃寺。
現在は畑の中に墓地が残っているだけの状態。
墓地入口部分に石仏群があり、その中にある。

















イメージ 5相模湖町・西長尾
角柱文字塔/文化14。
78×35×33。


資料では下部に三猿がついていると記してあったが、探しても三猿はなかった。
だいぶ亀裂が入っているが、接着していない台石まで繋がっているのが不思議。
倒壊ではなく落雷などの被害だろうか。

旧甲州街道へつながる枝道として江戸時代の人が使っていた山中の脇街道。その三叉路に「右甲州街道」「左大山街道」と道標になった馬頭などと建っている。
今は林業の作業道としてしか使われておらず、地元でも知らない人がいた。









イメージ 6相模湖町・千木良・柳馬場
自然石文字塔/紀年銘無し。
70×47×30。


村道脇の駐車スペースに。
車が前にあって正面から撮影できなかった。
ただの想像だが、元は他の庚申塔があり、それが壊れたか逸失してしまったため代用として作ったのではないかと思う。





旧津久井郡の庚申塔-16


イメージ 1相模湖町・道志南・南畑
下写真左
合掌青面金剛/享保15。宝玉、蛇持ち、「庚申供養」。
下写真右
合掌青面金剛/寛延3。「奉造立庚申供養」。
65×28×23。

集落入口に2基ある。車道はこの集落より先に無い山奥。
享保15は「旧津久井郡の庚申塔-15」で3基UPしているものと同系。
右上手に剣。 左上手に宝玉。
合掌。
右下手に蛇。 左下手に索。
この系統の石工は享保年間頃にこの界隈で人気があったらしい。
寛延になると全く作風が変わる。

イメージ 2
イメージ 3



























イメージ 4相模湖町・寸沢嵐・関口・堂の前
合掌青面金剛/元文元。宝玉、蛇持ち。
55+27+17。

享保の次が元文。宝玉、蛇持ちの系統。
蛇の尻尾が上を向いたり下を向いたりしているのは変化を付けたかったからか。
風化ではっきりしないが、宝玉は法輪のサイズにまで大きくなっている。
イメージ 5



















相模湖町・寸沢嵐・関口・堂の前
阿弥陀庚申塔/元禄12
105+43+43。

三面に猿がついていた(正面は剥落)。
紙ベースの資料に、詳細な住所不明の阿弥陀庚申塔の記録があり、元禄10となっている。
この阿弥陀庚申塔は上の青面金剛塔を探しにいった場所にあったもので、住所不明の阿弥陀庚申塔と同じではないかという気がしている。
これだけボロボロだと紀年銘の読み違いも起こりうる。












イメージ 6相模湖町・若柳クラブ
青面金剛/紀年銘不明/丁卯
45×30×15。

ボロボロでぱっと見では青面金剛と判らないが、下部に三猿、二童子がついている合掌青面金剛塔。
国会議員の家の脇にあるため、警察の詰め所があり、(与党ではなくなったため無くなりました)それが目印になる。



















イメージ 7相模湖町・増原・石仏。
青面金剛/延享3。
112×28×33。

この庚申塔の前を横に、畑の方へ進むと稲荷社がある。元は参道入口だったのかもしれない。
旧津久井郡内で二童子付はかなり少ないが、上の若柳のものは比較的近い。宝玉、蛇持ちの例もあるので、同時期に建立されたのかもしれない。若柳は丁卯とだけ残っているので延享4年の可能性もある。




どうもyahooブログへの写真UPが煩わしいことと、古いExcelファイルが開けなくなってしまい、資料が見れなくなってしまったこともあって更新が遅れています。
昨年末に廻った分が未だ残っているのですが…。


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