庚申塔探索

神奈川最古は寛永10年塔?

横浜市

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国土地理院の電子地図で35.54387,139.49633に以下の2基がありました。
この民家は現存していません。
その脇に庚申塔が2基ありました。
これは現存を確認できました。
庚申塔はもしかすると藪に埋もれて現存しているかもしれませんが、
逸失した可能性もありますので記録の意味で写真をUPしておきます。

イメージ 1




































元禄□□(資料では元禄16年)□□□吉日
恩田村 同行□□

祠の背後に
イメージ 2

































上部に富士講の紋章らしきもの。
「庚申」埋まり
紀年銘不明(ノーチェック)。

どこかに現存していることを祈ります。


港北区の探索がほぼ終わった(未見は複数あるが)ので、
次は青葉区にとりかかった。

下調べしている段階から、横浜北部四区の中で最難関だとわかっていたのが青葉区。
古い町の1つ1つが大きく、それが現在は細分されて他の町名に変わっている。
手掛かりになるのは谷戸の名前や寺社の名前だが、
谷を崩していたり、記録にある寺社がなかったりで、
だいたいの場所すら不明なケースが30基以上もあった。

資料の読み間違いや、計算にミスがなければ青葉区には76基の庚申塔がある。
文化財調査報告書に何基記載があったか忘れてしまったが40基前後だったと思う。
秋山データには65基の記載があった。
76基とはどちらの資料にも未掲載の庚申塔があるからで、それを含めた実見数は49基。

資料にある庚申塔を全部見つけられるとは思っていないが、せめて8割は見つけたいと
がんばってみたものの、現状では7割にも満たない。

がんばってみた、と書いたのは、諦めたから。
資料に記載があっても、当時と町の状況が違いすぎるうえに、
地元の方に訊いてもご存知ないので、もはや探す手だてと根気が尽きたからだ。
イメージ 1


例えば秋山データに以下のような記録がある。
所在地         記録番号 造立年  主尊
上谷本町        26   延宝8  地
上谷本町        170  延享2  青
下谷本町谷本小学校付近 17   延宝3  地
下谷本町        77   元禄13 地
下谷本町谷本小学校裏  110  享保元  青
下谷本町六地蔵     129  享保9  地
下谷本町庚申塚バス停  132  享保10 青
下谷本町        286  大正2  文字

この内、129と132は文化財調査報告書にも記載があり、確認済みだった。
しかし谷本小学校をランドマークにしている17と110は現地で数人に聞き込みをしても知る人がいなかった。
町名だけの26、170、77、286については現在地がどこなのかまったく不明である。
下谷本町は現在4つほどの町に分かれており、上谷本町も同様なのだ。
古い地図で山林部ではない村道を探してはみたが、見つける事はできなかった。
大正2年造塔の286などは、まだ残っていると思うのだが。。。

この上下の谷本町は実はまだマシな方で、以下の6基についてはどうにもならなかった。
元石川町    319 ー    文字
元石川町荏子田 40  貞享元  青
元石川町荏子田 277 嘉永7  青
元石川町荏子田 278 安政2  青
元石川町荏子田 280 安政10 青
元石川町荏子田 176 寛延元  青

元石川町は青葉区と都筑区に分断されていることもあるが、荏子田に限っても完全な住宅地で、
古い道を数回探して回ったが手掛かりが得られなかった。
元石川に関する歴史を記録した「山内のあゆみ 石川編/横溝潔 著」で、この内のいくつかは川崎市の王禅寺に移築されたとあったので行ってみたが、探し方がまずかったのか庚申塔すら見つけられていない。
---追補---
王禅寺に庚申塔が複数ある写真をブログで見つけたので、確認してみたところ、現在は完全非公開との返事だった。同様の問い合わせが複数あるが全て断っているとのこと。
ブログ作者氏はかなりラッキーな人だったようだ。
なお、王禅寺が預かっていた庚申塔のうちいくつかは既に元あった場所へ戻しているとご住職が話してくださった。
その元あった場所がどこなのかはお教え頂けていない。
上に出した「山内のあゆみ 石川編」の作者ならご存知らしい。
--追補2--
遠目で見ることはできました。
-------------

同著でこのようにいくつかについては情報があり、それを頼りに見つけられた例もあるが、青葉区はとにかく探しにくい。

ただ、中にはラッキーな例もある。
鉄町にも見つけられない庚申塔が4基あったのだが、
インターネット検索で情報を探している過程で
どこにも記録がない(中山正義氏資料)文字三猿塔が竹林の中にある写真に出会えたのだ。
さっそくブログの作者に連絡をとり場所を教えて頂いた。

通常は路傍に設置するか、寺社に奉納するものだが、これは墓地の奥にある竹林の中にあり、過去に調査した人々が見つけられるはずもない場所だった。
ブログの作者も地元の農家の方に教えてもらったもので、個人造塔の類いと思われる。
このブログの作者の方に、他の鉄町の庚申塔について情報をお伝えしたところ、
後日、不明だったものをさらに1つ見つけたとご連絡頂けた。
あったのは某施設のグラウンドの隅で、いくら道沿いを探しても見つからないわけである。

感謝すると同時に、やはり地元に住む人のご協力があると随分違うと改めて痛感した。

同所へ確認に行ったついでに、今までスルーしていた浄土真宗寺院にも足を運んでみた。
浄土真宗は庚申塔などの石造物をあつかわないので、行っても無駄足の確率が極めて高い。
しかし、何か予感のようなものがあって境内へ入ると、そこにもあった。
思わず「あった」と叫んでしまい、法事中のお寺に迷惑をかけてしまった。


ほとんど訪問者のいないこのブログ。
それでもこれを書く事で何か情報が寄せられるのではないかと期待して書いている(笑)

青葉区北部の保木薬師には、庚申塔でも珍しい「庚申天神急如律令」の銘が彫ってあるものがあるとされているのだが、現在、この庚申塔は見当たらない(2回確認しに行き、土や苔を払って文字を確認したが該当するものはなかった)。
他の庚申塔は残っているので盗難の類いかもしれないが、記録を残しておかないとあったことすら忘れられてしまう。

場所が町くらいしか判明していなくても、とりあえず行ってみるしかない。

試しに行ってみた高田町は、大半が農地のため場所を見つけやすいだろうと考えたからだが、
ネットで調べて見当をつけていた石仏は道祖神だけだったり、寺社も全て空振りだったりと
惨憺たる結果となってしまった。
全くあてがない状態で庚申塔を探すとローラー作戦となってしまい、1つの町に1日がかりになってしまう。
それでも見つけられないことの方が多い。
年配の地元の方に質問はしているが、昔から在地の農家の方とか自治会に関係している方でないと、庚申塔が何かを知らないどころか、石仏そのものを意識していない。

これではあまりにも効率が悪いので、区や町の集会所やセンターで訊く事にした。

港北区で最初に行ったのは、日吉地区センター。
10mもない距離に庚申塔の堂宇があるので、スタッフも庚申塔などに関する知識はあるだろうと考えてのことだった。
日吉本町は秋山データで5基がある町だが、範囲が広い。

しかし、、、この考えは甘かった(笑)
センターの隣にある庚申塔の存在すら知らなかったのだ。
ただとても幸運なことに、近々港北区内の石造物巡りをする企画があり、
その準備のために情報を集めているスタッフがおり、
その方に郷土史家の著書「港北の遺跡をたずねて」をご紹介頂けた。
この本(市販されていない)には、文化財調査報告書にも秋山データにも無いものが紹介されており、「さすが地元民」の調査は違うと嬉しくなった。
「港北の遺跡をたずねて」は港北区と都筑区の北部について詳しく、各種データに記載されていたもの全てとはいかなかったが、ほとんどを見つける事ができた。

庚申塔探索を始めた当初は、全部見つけることを目的としていたが、各種データからすでに30年は経っており、風化による廃棄や盗難などもあるため、8割程度を見つけられれば善しとすることにした。

港北区北部は順調だったが、中部にはかなりてこずった。
中でも新吉田町、大曽根、樽町では場所の特定に至る資料が見つけられなかった。
結局、非効率なローラー作戦と地元の古老インタビューを組合わせて探しまわり、
いくつかは移転を確認できたものの、樽町にいたっては3基あるはずだが有無すら判断できていない。


イメージ 1
幸運な例として大曽根の青面金剛1基がある。それが写真のもの。
秋山データで鶴見川沿いにあるとされていたものだが、山裾の薮の中に隠れていた。
この薮から見る山の斜面には古道がついており、山道の出入り口だったと思われる。
住所が存在していないため、秋山氏は近くのランドマークである鶴見川としたのだろう。

続けて大曽根の町中を探しまわったが見つけられず、地元の方に訊いても「昔は湿地で家などなかった」という返事で諦めつつあったが、自治体の倉庫で作業している方に訊くと、以前の場所と移転先を知っていた。
前出の地元民は宅地後の人、こちらは昔からの住民ということになる。

教えて頂いた移転先は長光寺。以前にも訪問したことがある寺だった。
あそこには無かったはず、と、疑いの気持ちを抱きつつ、ご住職に質問してみると、
墓地の中にある洞窟内に納めてあるという。
墓地への柵を開けて、洞窟に潜り込むと、ボロボロに風化した六地蔵がいた。
その中の1基にうっすら庚申の文字を読む事ができた。
もはや庚申と判る状態でいられる時間は残り少ないだろう。
イメージ 2

庚申塔探索日記−2



小躍りして喜んだ資料とは「郷土よこはま 第68号」に記載されている
秋山一雄氏作成の「横浜市緑・港北区庚申塔目録稿」である。
秋山氏がどういう方なのかは存じ上げないが、
寺院調査をする過程で石仏調査をしていることから、
横浜市の文化財調査団のメンバーだったのではないかと思っている。

自作のメモ書きをベースにしておられるとのことだが、
紀年銘、主尊(or文字)、石塔の形状、日月、邪鬼、鶏、猿の有無と、
町名や字まで記録してあるもので、かなりの参考になる。

驚く事に総数は328基にものぼっていた。

一方、大きな問題もあった。
町名はまだしも「字」や谷戸の名前はもはや現存しておらず、
現在の地図では確認しようが無いのだ。
信号やバス停の名前として残っていることはあるが、下調べだけで大仕事となった。

まずは、現在4つに分かれている区への振り分け。
そして文化財調査報告書に掲載されているものとの比較をおこなった。

例えば、青葉区にある旧城寺には現存3基(4基かもしれない)なのだが、
秋山氏のデータには2基しか掲載がない。
秋山データは昭和46年に調査を終えているが、文化財調査報告書は現状の基数なので、
秋山氏より後の調査によるものと考えられ、時系列が見えて来た。

幸いなことに秋山データは紀年銘や主尊とパーツまで記録しているので、
現在旧城寺にあるもの(地蔵庚申)と同じ条件のものを探し出す事ができた。
直線で800m。道なりだと1Km以上も離れた場所から移築されていた。
真偽は確かめていないが、過去最長移動は相模原市から横浜に移転し、また戻った例もある。
宅地造成で所在を失った石仏は、浮遊霊のように点々とさまよう。

この作業によって、秋山氏調査からは漏れていて、文化財調査報告書には記載されている例や、
秋山氏の紀年銘判読ミス、寺院名の間違いなどがあることも判った。

この後、最大の難関、現在地の特定となる。
横浜北部は港北ニュータウンなど、秋山氏調査後に大規模な宅地造成がおこなわれ、
昭和46年当時の町はいくつかに分断。町名が新しいものに変わっている場所も少なくない。
谷戸の範囲などは、もう山が削られているので全く判らない場所もある。

ここで役立ったのは、横浜市都市計画課がWebで公開している横浜市の古地図だった。
昭和初期、昭和30年代の2つをダウンロードできる。
この地図は当時の道も描かれているので、庚申塔探しにはかなり使える。
この存在を教えてくれたUさんには感謝。

また、都筑区に関しては郷土史研究グループの方から古い町名を記入した地図を送って頂けた。
ほかに「
港北ニュータウン地域内文化財調査報告」が作られており、
宅地造成で移築される前の庚申塔がどこにあったか明らかになっているので、
現在地は不明なままだが下調べはかなりはかどった。

緑区は区が情報を整備しているらしく、まだあたっていないが楽観している。

港北区と青葉区、緑区は現在地不明な場所と、
だいたい判る場所が半々という状態にまでなったので、あとは現地へ行ってみるしか無い。

まずは港北区から始めることにした。


続く




庚申塔捜索日記−1

横浜市の庚申塔をできるだけ現存確認してみたい。
その思いで2年ほど前から悉皆調査を始めている。

横浜市は文化財調査報告書を出しており、昭和40〜50年代が中心だが、
一応、全ての区の庚申塔はリストアップされている。
文化財調査報告書掲載の場所を7割ほど調べ終わり、マッピングしてみた。

実は同時に神奈川県全域の庚申塔マップも作成しており、
現地調査はしていないものの、だいたいの場所で落し込んであった。

すると、横浜北部より北の川崎市の濃度、南の横浜市中央部と比較して、
やけに横浜北部が少ないと思うようになった。
横浜市北部とは、港北区、都筑区、緑区、青葉区の4区である。
この4区は文化財調査報告書では港北と青葉の2つしかない。
昭和44年に緑区が港北と青葉から独立し、平成6年に港北から都筑が独立している。

他の地域でも、ぽっかり穴があいたような庚申塔空白地帯はある。
庚申塔は村の人々が造る物であり、だいたい塞神的に村の出入り口に設置するか、
道標も兼ねて設置するから、山林の中に設置されることはほとんどない。
実際、緑区や都筑区はニュータウン化される以前は起伏だらけの山林が大半だったので、
それが理由だろうと思っていた。

しかしその一方、文化財調査報告書ベースで調べ回っている中で、
意外に漏れがあることには気がついていたこともあり、
これはもう少しくらいあるのではないかと、ネットで検索してみた。
案の定、文化財調査で漏れている庚申塔がいくつかあることが判った。

図書館で調べてみると、場所は不記載ながら、港北区の50年史に港北区の総数と
庚申塔の造立年、青面金剛や地蔵など主尊の特徴も記載されていた。
なんと、文化財調査報告書より数十基も数が多かった。
総数が判っているということは、何らかの調査が行われているはず。

そこで、各区にメールで問い合わせをしてみると、
他の資料の存在や地域の郷土史研究グループを紹介してもらえた。
郷土史研究グループの方から、横浜北部限定の個人調査記録の存在を教えて頂き、
さっそくあたってみた所、横浜市の調査報告書より100基以上もあることが判った。
こちらも住所はないが、寺社名や村の名前までは記載されており、
これで一気に場所の特定ができると小躍りして喜んだ。

つづく

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