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RAINBOW RAINBOW/TM NETWORK(1984)
カリビアーナ・ハイ
クロコダイル・ラップ
1/2の助走
1974(16光年の訪問者)
クリストファー
イパネマ’84
金曜日のライオン
RAINBOW RAINBOW(陽気なアインシュタインと80年代のモナリザの一夜
パノラマジック(アストロノーツの悲劇)
27年前に発表されたTMネットワークのデビューアルバム。今聴いてもあまり古さを感じさせない佳作です。
1984年というと私はちょうどハタチ。大学に籍を置きながらも学校にはほとんど行かず、アルバイトとバンド活動に明け暮れていた頃でした。
80年代初頭はちょうどニューウェイヴオブブリティッシュヘヴィメタル(NWOBHM)ムーヴメントの真っ只中で、私も70年代から聴きつづけていたジューダス・プリースト、UFO、スコーピオンズ、ブラック・サバスなどに加え、アイアン・メイデン、サクソン、デフ・レパードなどメタル系アーティストをこよなく愛していた頃でした。
ただ、中学時代YMOを通過してきた私にとって、シンセサイザーやそれを駆使した同期音楽にも関心があり、ハワード・ジョーンズなどのエレクトロポップ(?)や、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブなどのいわゆるニューロマンティック系の音楽にも興味を示しだした頃でもありました。
先ほども伝えたとおり、当時の私はアルバイトで稼いだ金のほとんどを楽器につぎ込んでた頃であり、初めは自分のバンドの曲をメンバーに伝える為のデモテープ用に購入した安いドラムマシンもいつの間にか(割と高級な)機種に買い替え、それと共にシンセやシーケンサーなどが増殖をはじめ、気がついたら自宅の部屋はカンタンなレコーディングなら可能なスタジオ状態になってました(ちょっと大げさか)。
前置きが長くなりましたが、んでTMネットワークです。
私がはじめてこのユニットと遭遇したのがTVK(テレビ神奈川〜神奈川県のUHFテレビ局〜)で流れていた「1974」のビデオクリップでした。映像そのものは非常にチープなものでしたが、のっけから流れるピコピコシンセと映画「未知との遭遇」などをモチーフにしたと思われる歌詞に参っちゃったのでした。
学校にも行かずプラプラしてた大学生の本領発揮、早速翌日は近所のレコード屋に繰り出しました。1軒目で無かったのですぐ二軒目へ。Tのところを見ても。タ行のところをみても見当たらずお店の人に聞いてみると
「え?TMなんですか?聞いた事無いなぁ。レコード会社どこ?」ときた。前日テレビで見ただけなのにレコード会社までチェックしてるわけ無いだろ!
結局茅ヶ崎のレコード屋では見つからず、学校の近くのレコード屋にてついに発見!数年後には一大帝国で一時代を築いた小室哲也率いるTMネットワークもこの時代はまだまだ一部のファン以外にはあまり有名じゃなかったようで、その後の調査で少なくとも私の周りにこのユニットを知ってる人はいませんでした。
さて期待に胸を膨らませ自宅に戻り、早速レコードに針を乗せる。(当時はまだLPレコードでしたからネ)
が、そこから流れてきたのはサンバのリズムに乗ったごく普通のポップソング。演奏形態もギター、ベース、ドラム、キーボード、サックスとバンド形式で、YMOのようなテクノポップとは言わないまでも、ハワードジョーンズやa-haのようなエレクトロポップを期待していた私は完全に出鼻をくじかれた状態でした。結局A面は4曲目に収録された「1974」までピコピコサウンドは無く、アルバム1枚通して聴いても半数はバンド演奏を強調したものでいわゆる同期モノサウンドは4〜5曲にとどまっています。
ただその4〜5曲にはハマってしまい、ついに日本でもこのテのグループが出てきたかなんて思ったものです(笑)。
その後TMはだれでも知っている国民的なユニットとして成功を収めることになるわけですが、当時はそんな事知る由も無く、友人に日本人ですっごいグループが出てきたぜなんて友人に勧めたりしたもんでした。考えてみると私の国内音楽の歴史は先ほども登場したYMOから一気にラウドネス、アースシェイカー、44マグナムほか多数のジャパニーズメタルに飛んでおり、特にポップス径の歴史には疎く、そのテの音楽を語る事自体がナンセンスだったわけですが. . .(笑)。
ただ今後数年間TMの呪縛から逃れる事は出来なくなってしまうのでした。
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