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フィリピン・マニラにて 写真は泊まっていた宿の横にあるツアーオフィスのドライバーの妹さんとその姪っ子さん。 一日だけそのドライバーとマニラ観光に周ってた。 観光コースらしきところを一通り周り終わり、帰路の途中でドライバーのおっちゃんが「マラカニアンも連れて行きたかったんだけどね・・・」とボソッとつぶやいた。 警備が凄くて近くに寄るのも難しいので行けないと言っていた、理由は分からなかったが。 そこでパッと思いついて、「これって何の意味?」って親指と人差し指を突き立てたポーズを取って訊いてみた。 「あぁ、Fight!って意味だよ」と、笑いながら懐かしそうに答えてくれた。 エドゥサ革命。知っている人もいるとは思うが、僕はTVで見たこのポーズが物凄く印象に残っている。 みんなコリー(故ニノイ・アキノ氏の夫人)を応援したいんだけど、でもやれば潰された。 次の選挙でマルコスが投票されないのはみんな知ってたから、その時は悪くてもあと少し耐えれば変わると思っていんだ。 どれだけ悪かったのかは当時生活している人でしか分り得ないと思う。 それまで散発的な行動でしかなかった反マルコス運動が一夜にして全土を覆うようになっていた。首都メトロ・マニラでは貧富の差を越えて多くの人々が立ち上がった。貧窮にあえぐ民衆だけでなく実業家たちもいまやマルコスの政治に限界を感じていたのである。 みんなコリーだと思っていたよ。でもなぁ、 民間の選挙監視団体「自由選挙のための全国運動」や公式な投票立会人らが、最終得点はアキノがほとんど80万票差で勝利したと示したものの、中央選挙管理委員会の公式記録はマルコスが160万票の差で勝利したと発表した。マルコスによるあからさまな開票操作は、野党連合のみならず、アメリカ政府、フィリピンに大きな影響力を持つカトリック教会からの非難を浴びた。 ガックリしたよ。。マルコスの為に努力する気もないが、歯向かえば立ち向かえる相手じゃないことは分かってたから、どうする手もないと思ってたよ(苦笑) でも、ミラクルは起こったんだ。その何日か後、窓の外を見たらみんな大通りに向かって歩き出してた。 それが何だか大通りに近くなってやっと分かったよ。前も後ろも先が見えないくらいの人が集まっていてあん時ほど嬉いことはなかったなぁ、、勿論俺も参加したさ(笑) おっちゃんは嬉しそうに語ってくれました。 この革命で、100万人がマニラに集結したそうです。 そこまでさせたアキノ氏・マルコスとはいったいどんな人だったんだろう、、、 人物像や功績に関してはいくらでも知る事ができる。 が、、国民をここまで駆り立てた感情は、やはり当事者でないとわからないと思った。 日本人は、ここまでできるものだろうか・・・とも思った。 |
回想-フィリピン
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僕にとって劇的なところでした。また行きたいです。
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うる覚えですがマニラでのこと。 宿からほんの少し歩いたところに昼は食堂、夜は簡単な飲み屋になるような店があった。 そこを通りかかると店の中からいつも「おいでおいで〜」と手招きしてくる姉ちゃんがいた。 エルミタで外国人は珍しくない、が、ウジャウジャいるというわけでもなくたま〜に外国人っぽい人を見かける程度。だから顔を覚えられるのは早かった。 正直、マニラで美味いと思ったメシがなかった。 単に美味いのに当たらなかっただけなのかもしれないが、滞在中はショッピングモールにあるフードコートで中華のようなものやちょっと洋風掛かった料理を選んで食べていた。 その姉ちゃんの店も一度は愛想につられて入ったはいいが、あまり美味いと思えない味で以降は素通りしてた。 ある日の夜、宿のロビーでビールでも飲もうとツマミを買いにコンビニまでブラブラ行ったその帰り 「ねぇ!アンタ!」 振り返ると「おいでおいで」の姉ちゃんがいる。 姉:「何処行ってきたのヨ」 僕:「あぁ、ビール買ってきた」 姉:「何でアタシの店で飲まないのよ」 僕:「何でって、別にいいじゃんよ」 姉:「ねぇ、アタシの店で飲んでかない?その分は勘定に入れないから」 そんなの当たり前である。 まぁ、やることもないし、話し相手ができるのでそれでもいいかと店に入る。20人くらい入れそうな店の中は薄暗く、テレビがひとつ寂しく置いてあるくらい。 が、、、客がいない・・・姉ちゃんもヒマらしい。 買ってきたビールで二人で乾杯し、どこから来ただの仕事は何だの、適当に会話してるうちに話は姉ちゃんの事になり家族はと訊くとこの店はお母さんの店で、足を悪くして家にいるので自分がここを切り盛りしてると。結婚してて子供が2人いて、旦那はサウジアラビアに出稼ぎに行き、その仕送りとこの店の稼ぎで生計を立てているとか。 が、実際この店に客が全然入って来ず、仕送りまで食いつぶしてしまってる始末と。 「前はお客さんいっぱい来てたんだけどねぇ・・・」 ここエルミタ地区は数年前までゴーゴーバーが乱立してて、当時は飲み屋だけやっていて黙ってても外人が流れて飲みに来てたそうで、結構いい商売だったらしい。 「日本人はいいお客だったよ〜」と軽く笑いながら冗談ぽく言ってたが、多分ホントだろう(笑) まさか僕からもボッタくるか?そしたら表情で分かったのか、 「あはは、もうやらないわよ!ビールは一本○○ペソ(値段忘れた・・・)コンビニより5ペソ高いだけよ。それにあんた一人から取っても何の足しにもならないから(笑)」 喜んでいいのやら・・・ 話を戻して、マルコス政権が潰れてからはゴーゴーバーなどを一掃したために外人客が激減、、、というより来なくなったので、それで昼間も飯屋も始めたがこれも思ったほど客が来ず、ただやらないと収入がないので続けてるらしい。 聞こえ良く言えばフィリピンの歴史に振り回された店であるが、現実は飯屋も飲み屋も閑古鳥、姉ちゃんももうやる気ないらしい。 漠然にという感じで「日本にでも働きに行ければなぁ」とか言ってた。。 姉:「アンタ、アタシを日本に連れてってヨ(笑)」 「やだね〜(笑)」と返したが、日本から帰って来て家を建てたとか、流れてきたホントかウソか分からない誰かの噂に「もしかしたら自分も」とあるかどうかもわからない夢を抱く。 彼女にとって日本はまだまだ黄金の国らしい。 が、その反面現実で生きていかなきゃいけないという諦めのような表情もあった。 日本は不況とはいえ、そんな生活を強いられるほどの国じゃないし、気軽に海外に出れる日本人から「今不況だからさ・・・」なんて言われても彼らは誰もピンと来ないだろう。。 改めて幸せな国なんだなぁと思った。 「あれ?これ美味しいじゃん」と言ってきたのはさっき買ってきたツマミのピスタチオ。 ウマイウマイと言いながら一人であっさり完食しやがった(笑) 確かにサンミゲルによく合うんでもう数袋買ってきた、、、 っていうか豆くらい置いてないのか?この店は!! その姉ちゃん。名前は忘れました(汗)今頃どうしてるだろう。。 |
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イントラムロスにあるマニラ大聖堂 ここは日曜の朝にロメルの兄、ジョエルが連れて行ってくれた。 教会はいままで幾つか訪れた事あるが、観光用ばっかりで、こうやって日常的に使われている教会は初めて。 ちょうど礼拝中の時間で穏やかに、かつ厳かな雰囲気の中、僕とジョエルは一番後ろの列で礼拝を眺めていた。 ジョエルは「ここは俺達みたいな貧乏人でも来る事が出来るよ」と自慢げに言っていた。 彼を貧乏人とは思った事はないが、「信じるものは誰でも来ることができる」ということだろうと、自分なりに解釈しました。 青い衣で包まれたマリア像が幻想的で、暫し見入っていました。 |
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フィリピン名物の一つ、「カレッサ」 騎手さんが乗っているところを撮りたかったんです、、が、 どこにも見当たりませんでした。。 食事中だったのかな??
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(*左から、ロメルと同僚のタバット) 宿の隣は小さな旅行社で、その横が私設両替屋、ちょっと歩けばフィリピン航空オフィスにセブンイレブンやロビンソン、MRTの駅もあるので便利なトコだった。 午前中は、隣の旅行社で市内観光を頼んだ。 そしたら半値でいいから1人見習い中のガイドを同乗させてもいいかとのことで、半値になって話し相手も出来るのでOKし、観光地をグルッと回ってきた。 宿に戻り、明日帰国なので残り時間はあちこち周らずゆっくりしようと思い、特に何もせず宿の人達とロビーでお喋りしていたら突然、「パン!」と乾いた音がした。 何かな?と思ったが、昨日近所で華僑の誕生日祝いがあり、爆竹をバンバン鳴らしていたので多分また爆竹でも鳴らしているんだろうと思った。 そしたら間髪入れずもう一度「パン!」と、同時に、周りが一気に異様な雰囲気に包まれた。 ロメルの無線機がいきなりわめき出し、同時に入り口に向けてダァーッ!と走って行った! そして壁越しに拳銃構えて外をチラチラ覗く。 そして、宿の中に居る人に向かって と叫んだ。と思う(タガログ語だったんで不明) なんか外で凄いことが起こっている。。 何が起こっているのか全然解らない、どうしていいのかも全然判らない、まったく想像できない異様な空気に呑まれていた。 音が鳴ってからそれまでの間、5分もなかったと思う。 暫くして少し緊張が解け、周りから野次馬が集まってくるのが見える。 それから武装した警察が5〜6人、ジープでやってきて周りを封鎖。 外に出てもいいような、ある程度収まったかのような雰囲気だったので宿から一歩出たら すぐそこで人が血を流して倒れている。。。 それにもう1人、血を浴びたような人が歩いている。 隣の旅行社の人も、オフィスの窓から首をニョキっと出したまま顔をしかめて外を見てる。 訊いたら、「二件隣の両替屋に押し入った強盗が射殺された」と。。 その時カメラは部屋にあった、でも取に行こうなんて思いも浮かばなかった。 強盗の遺体が引き上げられ警察も撤収し、通りも掃除され、夕方には賑やかな通りに戻った。 当直でタバットがロメルに引き継ぐ。この時点ではもうさっきの事件の興奮なんぞとっくの昔だったかのように、引継ぎは淡々と終わる。 1人興奮冷めやらない僕は、そこで飯食ってるタバットにその事を話したら「あぁ、そうみたいね」って。 珍しくない事なんだろうなぁ、、昨日は市内の映画館で爆弾事件もあったって言ってるし。。 タバットがサラッと答えてきたとき、「オマエは余計な事知らなくていい」みたいな顔をしてた。 それはヘンな意味じゃなく、この国の貧困や宗教問題を語るには現実離れした相手で、あくまで旅行者ってことで気を使ってくれているように思えた。 どれだけ陽気に見えてたとしても、こういった環境の中で育って自然に危機感というのはしっかり身に染み渡っているんだろう、、 そうでもなけりゃ、僕みたいに後になってやっと気付くようなことはないと・・・(苦笑) その夜、ようやく自分なりに「平和ボケ」というのを感じました。 つづく
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