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今週の木曜日、地元のレストランに仕事で行った時、オーナーがカッペッラーノさんのファンなのを思い出して、彼に最近会った時の話をして聞かせました。 でも、私には連れのお客様もあって時間も無いのにテオバルドさんの話をオーナーに一生懸命したのか? 今思えば虫の知らせだったのかもしれないと思います。 2月20日、テオバルド・カッペッラーノさんが急逝されました。 いつか、テオバルドさんのことはこのブログに書きたいと思っていました。 この人との出会いは、私のささやかな人生の勲章のようなものです。 おそらく私だけでなく、イタリアでワインを作る人、ヨーロッパでワインを作っている人にとってこの人の存在は大きかったと思います。 バローロの近くセッラルンガ村で伝統的製法にこだわってバローロを作る人、バローロキナートの生みの親であり1800年代のブドウのフィロキセラ病に抵抗性のある苗木をアフリカまで探しに逝ったジュゼッペ・カッペーラーノの末裔でバローロキナートの実際の育ての親、 ここ数年で日本でも馴染みとなった自然派ワインですが、その造り手のグループ「ヴィーニ・ヴェーリ(Vini Veri)」の会長でいわばイタリア自然派ワインの育ての親、 彼のイタリアワインへの貢献を挙げたらきりがありません。執筆活動を行う文化人でもありました。 『、、、ありました。』なぜ彼のことを過去形で書かなければならなくなってしまったのか。残念でなりません。 私はいつか彼の事を自分で撮った写真でこのページに掲載したかった。 でも、テオバルドさんに会うといつも話に夢中になってカメラを取り出せなかったり、せっかくの雰囲気をカメラのシャッターで壊したくなくてついつい写真を撮り損ねていました。 通訳の仕事で幸運にもテオバルドさんのワイナリーを訪ね、複雑な打ち合わせが一通り澄んだ後、 「さあ、次は何の話をしましょうか」 と彼が言い出し、大きなテーブルに彼の大きな両肘を突きゆったりと頬杖をついて私を凝視し、、、にっこり笑って 「『女性』の話なんてどうでしょう」 私が戸惑うと、同席の日本人の紳士が「貴方の事を自分で紹介してごらんなさい」と勧められ雰囲気に呑まれながらもなんだかあれこれ話した日をはっきりと覚えています。 どうも私がイタリア語を話すときの強烈なピエモンテーゼ・アクセントがテオバルドさんにとても受けたのでした。 彼は本当に自分の住むピエモンテを愛していた人でしたから自分と同じアクセントで日本人が喋るのがほほえましかったのでしょう。 その日をきっかに私達の間に小さな交流が生まれました。 私は去年暮れ、日本からの若者たちをワイナリーに連れて行きました。 大きなグループだったので色々クリアしなければならない問題がありましたが、彼は最終的にこの訪問を受け入れてくれました。 料理人を目指す日本の若者たちでしたが、ワインはまだ勉強を始めたばかりの人たち、いったいどんな出会いになるのか期待と不安でいっぱいのその日、 テオバルドさんのワイナリーのインターホンを押しても返事が無い。門の前で5分待ち、門が開いてからも彼が出てくるのにさらに5分待つ。いったいどうしてしまったの? でも、彼がとうとう姿を見せてくれたとき、松葉杖にしがみつくようにして私達の前に現れたとき、胸が詰まって通訳が出来なくなってしまいました。 訪問日までのやり取りに健康問題のことは一度も触れなかった、私を心配させないためです。 日本の若者には、でも、全てが伝わったんでしょうね。 この後、お喋り一つしないでテオバルドさんと私の言う事に体中を耳にして集中してくれました。そこにある全てを学んで帰ろうという純真無垢な向学心に澄んだ目で、、、 テオバルドさんは若者たちのワインに関する質問、 たとえば「美味しいワインとそうでないワインの違いは何ですか」とか「どうしてこのワイナリーにある樽には大小、丸、楕円など違いがあるのですか」 といった本当に素朴な、それでいて宇宙的な質問に一つ一つ丁寧に応えてくれました。 まるでおじいちゃんが孫に私達の住む世界について語り聞かせるように。 質問は絶え間なく若者の間から出て、テオバルドさんは本当は体力的に大変だったかもしれません、 でも、彼自身がとても楽しんでいる、 私たちを迎えてくれたときより元気が出ているのがわかりました。 帰りがけには若者とどんどん写真に入っている。写真嫌いで彼の写真はどの雑誌もほとんど同じものが使われているのにです。あの時に撮った写真、みんな、是非大切にとっておいてほしいなあ、、、 心配したバローロの巨匠を日本の若者が訪ねる試みですが、テオバルドさんからも若者からも色んなものを私自身が学んだ数時間となりました。 日本はまだまだ頑張れる立派な若者たちもいると確信も出来たし!イタリアに住んで一番心に残る思い出の一つはなんといってもこの日になりました。 その後、テオバルドさんのところに原始人と会いに行った日、昨年暮れに比べてずいぶんとお元気そうで、私に暮れの若者たちにあった時のことについて 「これからは、、、これからは、、、あの時のようにどんどん育成の種を蒔いていかなければね、彼らから多くを学んだよ」といわれました。 これだけ風格のある巨人でいながら決して向上心を忘れないテオバルドさんにかえって圧倒されてしまいます。あの時も彼の目はイタリアのワイン界の行く末を見つめていたでしょう。 そんな彼がどうしてこんなに早く65歳の若さで行ってしまわなければならなかったのか。 まだまだ彼の周りは彼を必要としていたのに。 ただ、彼はこの世に立派な種を残しています。テオバルドさんのようにのっぽで、優しい目の、ワイン作りではお父さんに負けない立派な造り手が。 皆さん、御安心下さい。私たちは彼のワインを飲み続ける事ができると確信しています。 私も原始人も無口な週末を過ごしています。頭の中ではやっぱりテオバルドさんのことを追想しています。 テオバルドさんの御冥福を心から祈ります。 |
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びっくりしました。
ぼくも2度ほどテオバルドさんの所を訪れたことたことがあります。ワインについて勉強はじめたばっかりのときだたので、”マセラシオンはどれくらいやるんですか?”なんて質問してしまいましたが。”ワイン作りは畑での仕事がたいせつなんだよ。”との答えに、なんて表面的な質問してしまったのだろうってはずかしいおもいをしたことを思い出しました。
ぶじゃねんさんは深い交流があったのですね。
テオバルドさんのご冥福をお祈りします。
2009/2/21(土) 午後 10:36 [ cadeltomo ]
Tomoさんがカッペッラーノさんをご存知だったのは知っていたので吃驚されるだろうとおもっていました。Tomoさんもお会いになっていたんですね。ほんと凄い人でした。
2009/2/21(土) 午後 10:54 [ ぶじゃねん2000 ]
読んでる内に、目頭が熱くなりました。ご冥福をおいのりします。
2009/2/23(月) 午後 5:11 [ 山功 ]
私はまだちょっと立ち直れないでいます。そんなに頻繁に会っている人ではなかったのに、彼の言葉は良く覚えていて、今にして思えば彼は自分の短い命を悟って残りの時間を思い残しのないよう踏みしめてすすんだ思います。そこに彼の周りの人たちへの愛情が感じられるから凄いとおもいます。
2009/2/23(月) 午後 7:49 [ ぶじゃねん2000 ]
初めまして、
東京は渋谷代官山駅の上に、ピエモンテの財閥が出資するレストランイタリーがオープン、昨年11月でした。今年4月には三越日本橋本店地下2階にも広いスペースで2店目を出店しました。
この冬、ホットワインを、又、麦芽、そば粉で作ったビール・BIRRA LURISIA、アルコール分9% を初めて味わいました。
トリノにはベジタリアン専門のレストランが繁盛していると耳にしました。
香りの高いオリーブオイルを冷奴にかけて食べると美味しいと教えられて、病み付きになりました。
FRANTOI CUTRERA PRIMO .
ROI CARTE NOIRE,
ずいぶんと視界が開かれつつあります。
高価格設定が難です。
アフリカから捜し求めたバローロの苦闘する研鑽のお話に感銘を受けました。
ワインのお話は、昔、メルシャンの大谷常務から教えていただきましたが、バローロは初耳でした。
ありがとうございました。
2009/7/1(水) 午後 11:34 [ - ]
ベインリップマンさん、始めまして。冷奴にオリーブオイルはモッツァレッラにオリーブオイルからヒントを得ているのかもしれませんね。昔、道場六三郎さんがパプリカなどの野菜を刻み、セルフィーュにバルサミコ酢そしてオリーブオイルをたらすのをみて自宅でも時々やっています。 ROIはいいですね。わたしはリーグリーアの本店に年に一度立ち寄ります。ほかにタッジャスカ種のものはAbboさんのが大好きです。www.dinoabbo.it です。いつかご覧下さい。たしかEatalyも扱っていたと思います。
2009/7/7(火) 午後 7:11 [ ぶじゃねん2000 ]