ピエモンテの小さな山村から−ぶじゃねんです、はい−

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テオバルド・カッペッラーノさんの逝去から約3日、

まだまだ頭の中でいろいろ追想しています。

鎮魂の意味をこめて少しテオバルドの言葉を御紹介しましょう。

まず、カッペッラーノさんのワインは日本でも手に入りますから必ずワインの裏のラベルに書かれているこの但し書きは目にされた事がある方もいらっしゃるでしょう。

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       『 ワインガイドブックをワインの評価に用いる人たちへ
1983年、私はジャーナリストのシェルドン・ワッサーマンに自分のワインに点数はつけて公表しないで欲しいと頼みました。彼は私の頼みどおりにしてくれました

それだけではなく著書「Italian Noble Wines」の中で

『私が、でたらめな数字の羅列ばかりで人の努力を分かろうとしない、教理を投げ出し怠惰な比較でしかないランキングに自分のワインを加えないで欲しいと頼んだ』と書きました。

私は今もこの考えを変えていませんし、私が気にするのは数限られた友人であり私のワインを買ってくれるそんな人たちです。

私は年間2万本を生産する小さな生産農家です。私はガイドブックに頼らず私のワインを飲んだ人のつくる情報をおもんじます、それがポシティブであってもネガティブであっても。

私は、ランゲに広がる私の丘をアナーキーな土地と思っています。異端裁判官もいなければ、対抗派閥もない、厳しく注意深い批評家がみえればその内面は豊かな土地:

私は、今日においても農民の連帯を口に出来るそんな集団、母なる自然から褒美をもらえなかった人のために奮闘します。
    夢だとおっしゃいますか?では夢を見させておいて下さいませんか。   テオバルド』

彼の人柄、仕事に対する姿勢がにじみ出ていると思います。

  Youtubeにテオバルドさんのインタビュー見つけました。


当然イタリア語で話していますが、内容はピエモンテの特にランゲは昔から大土地所有が存在してこなかった、小さな土地にしがみつくように必死に生きてきたことが、

ピエモンテの農民の性格に大きな影響を及ぼしているといると言っています。

テオバルドさんはいつも小話をするのが好きで、軽い下ネタも彼が言うと品良く聞こえたものでした。

 ここでも、ピエモンテの人の性格を小話で説明します。

  『あるとき、お百姓が野良仕事にでて鍬で畑を掘っていると魔法のランプの精がでてきてね、ランプの精はお百姓に

 「お前の望むものをなんでも一つだけかなえてやろう。が、言っておくがお前の隣人はお前の望むものの倍の同じものを与えることにする」、、、といったんだよね。

 このお百姓は少し考えてこういったんだよ 「私の目を一つえぐりぬいて下さい」、、、』

  決してピエモンテの人に好印象を持てる小話ではないでしょうが、これはピエモンテの人の気質について語ったものでした。ピエモンテ人の素晴らしさだけを語ってもよかったのかもしれません。

でも、テオバルドさんがそれだけ自分の大切なランゲの土地と人々を厳しく客観的な目で見、考えているのがうかがえます。


 昨年私が日本の若者達をを連れて行ったとき、

テオバルドさんに会う前、一緒だった日本人男性がバスの中で

『ワイナリーも数知れず回ったけど、ワイン作っている人なんて皆同じ!家の歴史は古いだの、家のワインは賞とっただのそんな自慢話しておわりだよ』

とバスの中で話していました。おそらく若者たちにも聞こえていたと思いますが

 実際、テオバルドさんに会った時のテオバルドさんの言葉はこうです

「私は小さな土地でワインを作っています。農薬は出来るだけ使わない自然農法でワインを生産しています。私の住むこの土地と平和な共存をしたいと考えているからです。

 そして私は自分の作ったワインを売っています。自分のワインをけっこう美味いと思うからで、他の人たちも同じ意見を持ってもらえたらと願っています。

 これが私の自己紹介です。このまま私が話し続けるのでは皆さんが退屈でしょうし、本当に知らない事を知らないままに終わってしまうかもしれない。

 それで皆さんの知りたい事を私に質問してください。例えばこのワイナリーを見回して気づいたことがあったらどんな小さなことでもいいので何でも聞いてください。」

 どうでしょうか?ワインメーカーとしてこんな自己紹介をする人は他にしていません。

私は実際には同じワインの造り手など一人もいないと私は思います。見る人によって皆同じにみえる事はあるでしょうが、、、

 それはともかく、今、思い返してみれば、こうして日本の若者の前で話をしてくれていたとき、彼は既に自分の時間がなくなりかけていることをわかっていたのではと思いあたっています。

 彼は私達のために2時間、話し続けました。

時には通訳をしている私に息子さんと一緒にニタニタ笑いながら「なんか日本語上達したなあ」と冗談を言ったりしながら。

 それでいて出された質問にはあいまい答えることは一度もありませんでした。


 あの時の学生さんで誰かこのブログを読んでくれる人がいるかなあ、、、、。
 
 あの時、全員が彼の話に真剣に聞き入ってくれた事、沢山の質問をしてくれた事、日本人として私も鼻が高くなるくらい行儀よくしていてくれたことを心から感謝します。

 私はみんなの一生の思い出になるいい出会いを作ろうと頑張ったつもりでしたが、あれは本当はカッペッラーノさんにとっても心のバッグに詰めて持っていくいい思い出、そして希望になっていました。

本当にありがとうね!! テオバルドさんは自分の愛するランゲの地で安らかな眠りについたと思います。

  テオバルドさんを想うこの数日、強く思うのはワインという産物の不思議さです。

 造り手は自分の理念、文化、匠をボトルの中のワインに込める。それは芸術家が自分の作品を生み出すのと同じといってもいいかもしれません。

  けれど、ボトルの値段はその大半が一般の人の手に届く値段。それが故、造り手の匠は毎日の私達の食卓に上ってそのメッセージを飲み手に伝える事ができる。

  これと同じ産物が世の中に他にあるか考えてみましょう。

  チーズ!、、、No  
  陶芸品!、、、いいえ  
  
   匠や文化伝わっても理念まではこめないし伝わらない。

  すぐには何も思いつきません。


 今日でテオバルドさんの話はお終いにして、次回からまた土くさーい話をどんどん書いていきますよ!(笑)

  
今週の木曜日、地元のレストランに仕事で行った時、オーナーがカッペッラーノさんのファンなのを思い出して、彼に最近会った時の話をして聞かせました。

でも、私には連れのお客様もあって時間も無いのにテオバルドさんの話をオーナーに一生懸命したのか?
今思えば虫の知らせだったのかもしれないと思います。

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2月20日、テオバルド・カッペッラーノさんが急逝されました。

いつか、テオバルドさんのことはこのブログに書きたいと思っていました。
この人との出会いは、私のささやかな人生の勲章のようなものです。

おそらく私だけでなく、イタリアでワインを作る人、ヨーロッパでワインを作っている人にとってこの人の存在は大きかったと思います。

バローロの近くセッラルンガ村で伝統的製法にこだわってバローロを作る人、バローロキナートの生みの親であり1800年代のブドウのフィロキセラ病に抵抗性のある苗木をアフリカまで探しに逝ったジュゼッペ・カッペーラーノの末裔でバローロキナートの実際の育ての親、

ここ数年で日本でも馴染みとなった自然派ワインですが、その造り手のグループ「ヴィーニ・ヴェーリ(Vini Veri)」の会長でいわばイタリア自然派ワインの育ての親、

彼のイタリアワインへの貢献を挙げたらきりがありません。執筆活動を行う文化人でもありました。
『、、、ありました。』なぜ彼のことを過去形で書かなければならなくなってしまったのか。残念でなりません。

私はいつか彼の事を自分で撮った写真でこのページに掲載したかった。

でも、テオバルドさんに会うといつも話に夢中になってカメラを取り出せなかったり、せっかくの雰囲気をカメラのシャッターで壊したくなくてついつい写真を撮り損ねていました。

通訳の仕事で幸運にもテオバルドさんのワイナリーを訪ね、複雑な打ち合わせが一通り澄んだ後、

「さあ、次は何の話をしましょうか」

と彼が言い出し、大きなテーブルに彼の大きな両肘を突きゆったりと頬杖をついて私を凝視し、、、にっこり笑って

「『女性』の話なんてどうでしょう」

私が戸惑うと、同席の日本人の紳士が「貴方の事を自分で紹介してごらんなさい」と勧められ雰囲気に呑まれながらもなんだかあれこれ話した日をはっきりと覚えています。

どうも私がイタリア語を話すときの強烈なピエモンテーゼ・アクセントがテオバルドさんにとても受けたのでした。

彼は本当に自分の住むピエモンテを愛していた人でしたから自分と同じアクセントで日本人が喋るのがほほえましかったのでしょう。

 その日をきっかに私達の間に小さな交流が生まれました。

 私は去年暮れ、日本からの若者たちをワイナリーに連れて行きました。
大きなグループだったので色々クリアしなければならない問題がありましたが、彼は最終的にこの訪問を受け入れてくれました。

 料理人を目指す日本の若者たちでしたが、ワインはまだ勉強を始めたばかりの人たち、いったいどんな出会いになるのか期待と不安でいっぱいのその日、

 テオバルドさんのワイナリーのインターホンを押しても返事が無い。門の前で5分待ち、門が開いてからも彼が出てくるのにさらに5分待つ。いったいどうしてしまったの?

 でも、彼がとうとう姿を見せてくれたとき、松葉杖にしがみつくようにして私達の前に現れたとき、胸が詰まって通訳が出来なくなってしまいました。

訪問日までのやり取りに健康問題のことは一度も触れなかった、私を心配させないためです。

日本の若者には、でも、全てが伝わったんでしょうね。

この後、お喋り一つしないでテオバルドさんと私の言う事に体中を耳にして集中してくれました。そこにある全てを学んで帰ろうという純真無垢な向学心に澄んだ目で、、、

 テオバルドさんは若者たちのワインに関する質問、

たとえば「美味しいワインとそうでないワインの違いは何ですか」とか「どうしてこのワイナリーにある樽には大小、丸、楕円など違いがあるのですか」

といった本当に素朴な、それでいて宇宙的な質問に一つ一つ丁寧に応えてくれました。

まるでおじいちゃんが孫に私達の住む世界について語り聞かせるように。

質問は絶え間なく若者の間から出て、テオバルドさんは本当は体力的に大変だったかもしれません、
でも、彼自身がとても楽しんでいる、

私たちを迎えてくれたときより元気が出ているのがわかりました。

帰りがけには若者とどんどん写真に入っている。写真嫌いで彼の写真はどの雑誌もほとんど同じものが使われているのにです。あの時に撮った写真、みんな、是非大切にとっておいてほしいなあ、、、

 心配したバローロの巨匠を日本の若者が訪ねる試みですが、テオバルドさんからも若者からも色んなものを私自身が学んだ数時間となりました。

日本はまだまだ頑張れる立派な若者たちもいると確信も出来たし!イタリアに住んで一番心に残る思い出の一つはなんといってもこの日になりました。

 その後、テオバルドさんのところに原始人と会いに行った日、昨年暮れに比べてずいぶんとお元気そうで、私に暮れの若者たちにあった時のことについて

「これからは、、、これからは、、、あの時のようにどんどん育成の種を蒔いていかなければね、彼らから多くを学んだよ」といわれました。

 これだけ風格のある巨人でいながら決して向上心を忘れないテオバルドさんにかえって圧倒されてしまいます。あの時も彼の目はイタリアのワイン界の行く末を見つめていたでしょう。

 そんな彼がどうしてこんなに早く65歳の若さで行ってしまわなければならなかったのか。
まだまだ彼の周りは彼を必要としていたのに。

 ただ、彼はこの世に立派な種を残しています。テオバルドさんのようにのっぽで、優しい目の、ワイン作りではお父さんに負けない立派な造り手が。

 皆さん、御安心下さい。私たちは彼のワインを飲み続ける事ができると確信しています。

 私も原始人も無口な週末を過ごしています。頭の中ではやっぱりテオバルドさんのことを追想しています。

 テオバルドさんの御冥福を心から祈ります。
 

 

 




 
今回は、これです。

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去年の春、久々にバローロ・キナートで有名なカペッラーノさんを訪ねたとき、原始人が『翌週からフランスのボジョレーに行くのだが、氏の主催する自然派ワインのグループ「Vini Veri(ヴィーニ・ヴェーリ)」の参加者でボージェレーの人がいたら教えて下さい』と御願いしたところ、

御親切にマルセル・ラピエールさんの「Morgon(モルゴン)」とイヴォン・メトラ(Yvon Métras)さんの「ル・ウティム(L'Ultime)」を教えて下さいました。


マルセル・ラピエールさんは「ヴィーニ・ヴェーリ」の見本市で一度会っているので覚えていましたが、このイヴォン・メトラさんは知らない。原始人も自然、彼のワインに興味が沸きます。

だいぶ前にお話しましたがボジョレー、シルーブル村のデプレ家へ原始人は10年以上ぶどうの収獲のお手伝いに通っていました。

隣接するラピエールさんのいるモルゴン村もイヴォン・メトラさんのいるフルリー村も原始人にとっては庭のようなもの。ボージョレーに到着した私たちはまず、イヴォン・メトラさんに会いに行く事にしました。

もらった住所にはフルリー村の「Grille-Midi(グリーミディ)」という地区とあります。
「どっかで聞いた名前」だと原始人は言いますが、さて、一向に思い出せません。

で、人に道を聞きながら着いてみると、なんだか人気のない作業場だけがぶどう畑の真ん中にぽつんと、、、。人が住んでいるとはとても思えません。


近所の人にメトラさんの名前を告げると、彼のぶどう畑はここにあるが住んでいるのは別の村だと言われました。

で、原始人はイタリアから車を運転してきた旅の疲れも感じないのかそのままその村に向かいます。が、、、行ってどうする?住所も何も知らないのに、、、。

教えられた村に行くと原始人、まず金物屋さんに入って情報収集、、、収獲なし。
タバコ屋さん、、、誰も知らない。
車に戻ってシートに腰を落とすと原始人「うううううんん」と唸り、またいきなり車を降ります。

「最後のお試しをね」と、行って薬局にふわりと入りかけます。
、、、て、何?何で薬局なの?

「生きてりゃ風邪くらい引くでしょ。薬、買うでしょう?」
一体、君以外に誰がそんなこと思いつくのか!?


でもですね、最終的に見つけたのです、メトラさんの居所を。


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       原始人が大好きなボジョレーの丘陵地帯



自分たちの車がやっと通れるくらいの狭い道を進み、近所の人に聞いてやっとメトラさんの家の門のベルを押して、、、5分待ちました。長かったです。
でも、家のテラスでわいわい人の声がしたんですもの、待ちましたよ、ここまで来たんですから!


やっと、誰か出てきて原始人が「イヴォン・メトラさんのお宅ですか?」と訪ねると

「ウィ」とはいうものの、また長ーい沈黙。
 「ワインを分けて頂きたくてイタリアから来たんですが!」


それからまた暫くあって、やっと、本当に「やっと」中に入れてもらう事ができました。
入って挨拶をすると、さっきからワイワイやっていたグループと一緒に座らされました。

午後4時過ぎを回っていたのですが、友人とのお昼がまだ終わってなかったようです。どうも私たち失礼をしてしまったのではというと、

「ああ、気にしない!!」といきなりグラスを渡されワインをなみなみ注がれました。原始人の好きなフルーティーなでもしっかりした味でした。原始人、御満悦!!

それからが大変!

原始人がまた大げさに「イヴォン・メトラさんのワインを分けてもらうためにイタリアから来た」と、言うもんだから、周囲は「それはそれは」と、いいながら、何だかニヤニヤ笑いや、皮肉の聞いた冗談を言い出します。

メトラさんの奥さんが(とってもエレガントできれいな夫人でした、なんでこんな人がメトラさんの奥さん?)優しく笑って鴨肉の燻製にとんでもなく美味しいバターを添えたものが出してくれました。

私はフランス語が分からないので何が起こっているのか掴み辛かったのですが、要は可愛がってもらったのです。いいのかなあ、こんなすぐ甘えちゃって?

メトラさんとそのお友達夫婦3組。皆さんどことなくアナーキーな人たちのグループで、冗談の飛ばし方とか結構早く飲み込んでしまった原始人は(彼も同類?)


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               この前久々に一本空けたでしょ、残りあと2本 ぐしゅ。


友人に持っていくはずのサラミを車からひっぱり出してきて切り始め「サラミ対決」したり、、まあ、直ぐに仲良くなってしまったのです。

 で、肝心のメトラさんですが、相変わらず無言。その無口なメトラさんを他の友人たちがやっぱり皮肉を利かせた冗談でからかって楽しんでいます。

 と、私と原始人の前にシャッポー型のスープ皿に入ったアナナス(パイナップル)のスープ!
皆さんのデザートを一緒にお相伴してしまいました。


 これが美味しいのなんの!!アナナスをミキサーにかけ、そこにミントと他にスパイスが入ってるんでしょう、なんともいえない爽やかさ!

 と、それまで隣で原始人と大声で笑っていた男性が「僕が作ったんだよ」

 「ええ!!」と吃驚するとまた大声で笑いだし、彼はプロの料理人だと教えてくれました。普段はリヨンにいると。

さて、楽しい会話でお別れするのは残念だったのですがあっという間に2時間近くが経っていました。

「そろそろ、お暇しなければいけないのでワインをいただけませんか?」

 と、原始人がそろそろ本題を切り出したところメトラさん「売れるワインはありません。」ときっぱり、、、

「へっ!?」


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                 ボジョレー・クルを作っているうちの一つの村

いつも何事にも動じない原始人ですが、この時ばかりは私に地球の最後かというような不安と動揺いっぱいの視線を送ってきました。

「売ってあげたいが、もう残っていない。自分の呑む分くらいは取っておきたいし、残念ですがお売りできません。」

 原始人は絶望的な視線を再び私に流しますが、でも、私フランス語できないし、お助けできませんわん。

 再び最初と同じ沈黙が、、、でもこの時ばかりは救いがあろうはずもないのでした。
すると、メトラさんの友人の一人が 「私が家にまだ少しあるから分けてあげましょう。」

 「ええ?友人から買うの?」そんな経験今まで一度もないよ。
でも、分けてくださるならこんなありがたいことはありません。6本でよければと言われ即答で了解しました。

 すると、その方の奥さんが几帳面に御自分の手帳に原始人の名前、電話番号を記入。次にル・ウルティムを6本と書いて見せてくれました。

不思議な事をする人だと思いましたが、それだけメトラさんのワインは数が少ないという事と考えました。とにかく私たちも自分たちの携帯番号を渡して翌日会う時間を決めこの日は退散。

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       春、ボジョレー・クルを作っている村々が持ち回りでお祭りをしています



 翌日、決められた時間にこのメトラさんの友人の住む村の中心部に着くと電話をかけます。
電話に出たメトラさんの友人、私たちが郵便局の前にいると告げると、「じゃあそこを出て、右に、左に」とリアルタイムで誘導してくれ、彼の家に向かう、、、と、突然、目の前に大きなシャトーが!!?

 この方シャトーに住んでんだ!? そのシャトーの大きさにも驚いたのですが、驚いたのはそればかりではありませんでした。

 彼がメトラさんのワインを置いている倉庫に案内され足を踏み入れると、その巨大倉庫にはワインがぎっしり!!この方フランスの有名レストランと取引する立派なワイン卸業者だったのです。

 外観からは想像できませんでしたが、この倉庫は小さな体育館ぐらいあり、そこに原始人が夢に見、ひざまずきたくなるような凄いワインがいいいいっぱいあるのです。彼は、当然そこで気が狂い出します。

 この方、当然ラピエールさんのワインも持っているのでそれも分けてもらうことに、ラピエールさんの「Morgon」、メトラさんの「L’Ultime」のほかに「Fleurie-Cuvee Printemps」、更にあれやこれやあっという間に原始人は30本ほどワインを買い込みます。

おいおい、明日からどうやって暮らしてくの?

メトラさんの友人は私たちに彼のカンティーナを全部見せてくれました。

そう、その巨大倉庫だけ手なく、かれはロマネ・コンティ、シャトーマルゴーなど大御所のマグナムを安置した特別のカンティーナほか、別のカンティーナを幾つか持っていました。

そのあと、ゆっくりラピエールのMorgonを一本開けてくれ、お喋りしました。

「このMorgonもメトラのワインも、何本飲んでも翌日二日酔いがないんだよ。どちらも本当にいいワンだと思う。

それに昨日あそこにいた料理人の彼ね、彼もボジョレー出身で、出身の村の名前で店をだしているんだよ。機会があったら行って見るといい。」

 この方とのお喋りはなんでもさらりとしていました。形にこだわらなず無理のない、ささやかないい出会いだったと思います。 私たちは再会を約束してイタリアに戻ってきました。
 

 因みにイタリアに帰ってリヨンにある例の料理人さんのお店を原始人が検索していました。

ピエール・ガ二ェールの愛弟子で、彼のバックアップでレストランを出し成功していたそうですが、料理界のあり方に疑問を抱き、地元に戻り、営業はお昼だけ、メニューはコース一つきり(35ユーロ程度)、自然派ワインのみを扱うというお店を出したとありました。

一体、あのグループは何者たちの集まりだったのでしょう?自然派のワイン、ビオディナミックのワインをこれまで長年作ってきた人(流行になったから作る人でなく)には頑固で一癖ある人が多いのは知っていますが、あの日のあの場にいた人たちはみなさん一癖どころではなかったんですね。

でも、何か特別なことをしたわけではありませんが、一緒にいてすっごく楽しかったです。


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 ところで、去年のあの日、後で友人のデプレ一家とメトラさんの話をしていて、彼らがフルリー村に持っているぶどう畑はメトラさんの畑の隣にあるといわれました。だから原始人はメトラさんの畑のある地区の名前をうろ覚えにも記憶していたのでした。まさにメトラさんの隣で原始人はぶどうの収獲に汗を流していたのです。

 世界は狭い!!
 
日本でも当然、メトラさんのワインは手に入ります。今や日本で手に入らないワインは無いのですね。

 私はワインのプロではないのでワインの批評はしたくないですし、ワイン輸入業者の回し者ではないので興味があったら検索してみてください。値段も凄く高くではありません。『イヴォン・メトラ』でヒットします。


では
 これまで、イタリア(特にピエモンテ)でいろんなワイン生産者と知り合ってきました。一つの地域を通りかかってそこに興味のある生産者がいると電話をかけ、OKがもらえればカンティーナにお邪魔する。

 イタリアでは、ガイヤやオルネッライアといった大御所はそうは簡単にカンティーナを公開してくれませんが、たいていの造り手はカンティーナのドアを開け、訪問者に時間を割いてくれます。

 先日のリーノ・マーガさんの話に戻りますが、これほどの感銘を受けたワインの造り手のぶどう畑をしりたい。そう思った私は、カンティーナを訪れた際、あるお願いをしました。

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 それは、ぶどうの収獲『Vendemmia(ヴェンデミア)』のお手伝いをさせてもらえないかということ。リーノさんも息子のジュゼッペさんも二つ返事で「お出で」と言ってくれました。

 でも、原始人は「お前、簡単に言うのはいいが、マーガさんとこのヴェンデミアをファブリツィオの所みたいに楽に考えるなよ。いい加減な気持ちで出かけていくと恥じ掻くぞ!」と釘をさされました。

 ワインの造り手を訪ねるとき、カンティーナも勿論興味深いものですが、畑はその人の作るワインの事がもっとよくわかります。一緒に汗をかいて仕事ができたらそれはなおさら。だって、仕事の仕方は造り手一人ひとり違うから。

 私がヴェンデミアにお邪魔した秋、残念ながら私の仕事の都合でどうしても『バルバカルロ』の収獲に間に合わなかったもののマーガさんの作るもう一本のワイン『モンテブオーノ』のための畑でヴェンデミアに参加しました。

 原始人も一緒に参加。朝、8時半作業開始。私と原始人を含め約10名ほどのチームが連れて行かれた畑を見て最初は吃驚!

 結構、雑草が伸び放題!これまでの私が知っている畑はぶどうの棚と棚の間には雑草も丈7から8cmほどに刈り込まれたみたいに生え揃っているのですが、ここはなんだか雑草もすくすく、、、。

ぶどう畑をFIサーキットごとくトラクターを乗りこなす息子のジュゼッペさんイメージ 2



 それもそのはず、マーガさん、畑ではほとんど除草剤や化学農薬を使わず、草刈も年三回しか行わないのです。

 因みに、うちのパパさんが庭の手入れをするのに、草刈は3週間に一度は行います。それをマーガさんは3回、雑草が伸びきっているようにみえて当然!

 それから、原始人は正しかった! マーガさんの収獲作業をする人たちに対する号令は軍隊並みです。のんきにお喋りなんかできません。遠くでマーガさんの叱咤する声がして、私もぶどうに伸ばす手が緊張します。

 マーガさんはきれいな房も、あまり良くなさそうなのもとにかく摘み取りなさいといいます。、、、他のところなら汚いと思うのはかごに入れるなと言われるのですが。

 それには訳があります。急いで摘み取ってカンティーナで圧搾機にかける仕事が待っているので、どこの畑でもみんな急いで摘み取り作業を急ぐのですが、マーガさんには絶対譲れない事があるのです。

イメージ 3摘み取ったぶどうを一房ずつチェックするリーノさん。

 それは、自分の目で一つ一つのぶどうの房をチェックする事。私達の目ではダメなのです。カンティーナに持っていくもの、除外するもの、全部彼自身の目で選ぶのです。 

 除外されたぶどうの入ったかごには、リーノさんらしい笹のような草が上におかれます。作業員もこれで間違える事なく、かごの仕分け作業ができます。

 作業は、とにかく大変でした。でも、その秋、私に許された時間は一日だったので弱音は吐きたくなかったし。「頑張っているな」と途中でマーガさんに褒められたて嬉しかったし(右下の写真はバルバカルロの丘)

イメージ 4 イメージ 5



 その日、収獲が終わってからもカンティーナで働きました。その日のうちに200km離れた我が家まで帰らなければ成らなかった私とルーディ。

 車の中で二人とも「腰が抜ける!!」っと本音が出ましたが、マーガさんたちはまだまだその後2日の収獲作業が続きました。

 ちなみに、「モンテブオーノ」の畑はまだ収獲作業が楽ですが、本命「バルバカルロ」の丘の傾斜は信じられないくらい急です。

 そのため、マーガさん自身も若い頃は、この急な傾斜に負けないように毎年秋に向けて体力作りをしていたそうです。

 なんだか、それと似たことをどこかの誰かさんもフランスでしていたようですが、、、それはまた別の機会に語らせていただくとして、、、

 マーガさんのところでぶどうの収獲のお手伝いをしてみたいですか?半端な気持ちで来られると困りますが、体力に自信のある人で是非参加したいというワイン好きは御連絡下さい。

  体力に自信のない方、是非、日本でバルバカルロをお買い求めいただきマーガさんの苦労を想像しながらボトルを開けてみてください。味わいもまた格別のはずです。



 
   それは、『バルバカルロ』です。ピエモンテ州との境に近いロンバルディア州のブローニでリーノ・マーガ氏が作り続けるワイン。

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ラシーヌ社によるリーノ・マーガさんのページ
http://www.racines.co.jp/producer/italia/barbacarlo.html

マーガさんのワインを買ってみたい人は
http://www.winey.net/SHOP/17457.html

2年前、ルーディ(別名:原始人)とベローナに向かう高速道路を走っていて、ラジオの交通情報が自分たちの走っている先でかなりの交通渋滞と告げていました。

  少し考え込んでいたルーディがちょうど走っている地区に伝説のワインの造り手リーノ・マーガさんがいると、その場で連絡を取り出しました。 朝の8時半、いつも無謀なルーディです。

  ブローニの街の中心部、マーガさんの自宅の通りに面した試飲室の薄暗い、でも温かでぬくもりのあるその空間に足を一歩踏み入れると、それまでの時間の流れが止まります。大げさに言っているのではありません。本当に、、、。

  大きな木をくり抜いて作られた一枚板のテーブルに2002年、2003年のバルバカルロが並んべられ、マーガさんが試飲室奥のカンティーナから2004年ものを手にゆっくりした足取りで戻ってきます。

ルーディは、戻ってくるマーガさんを待たず、既に開封されてはいたものの、2002年の栓を勝手に抜いて香りを確かめ、続いて2003年、、、

グラスに2003年を注ぎ『すううぅっ』と鼻いっぱいに香りを取り込み、長く溜め込んでから『ふはあぁ』、、、さらにゆっくりと、ゆっくりとそのルビーの液体を口に含みました。

しばらく無言だったルーディがいきなり私の肩を肘でつつきながら「おい!今、何飲んでんのかわかってんのか!?お前このワインの素晴らしさ分かっているのか!?」

 私が彼の昂奮振りにひるんでいるのも目に入らない様子で今度はマーガさんに「これは素晴らしいです!!素晴らしいワインです!」
マーガさん、それには答えずゆっくりタバコに火をつけて一服。

 ルーディはグラスを片手に今度は試飲室を見物。雑多に詰まれた本に目をやったり、あちらこちらに貼ってある著名人がバルバカルロに残したコメントやマーガさん自身の語録を丁寧に読み始めます。

 まるで秘密の隠れ家におかれたおもちゃを見つめる子供の目みたい。

「ジャンニ・ブレーラ! ジャンニ・ブレーラもバルバカルロのファンだったのか!?そうか、そうだろうなあ、、、。お前は知らないだろうがジャンニ・ブレーラはジャーナリストで本も何冊も出してたし、彼の文体はそれは素晴らしくて、、、(講釈が続く)」

ルーディが夢見るような目でブレーラについて私に説明を始めると、それまで一言も発せずタバコの煙を見つめていたマーガさんが、ルーデの顔をちょっと興味深そうに見つめ

「そーかい、ブレーラを知っているのかい。」

ルーディがブレーラの文体だけでない、その生き方も全てにスタイルがあったというと、マーガさんは、すこしずつ彼の思い出話をいろいろ語ってくれました。

 私達の会話はブレーラやヴェロネッリとマーガさんんとの交友、そこからワイン作りへと話題がどんどん移っていきます。

「Tutti dicono che questo vino sa di viola, sa di brutti di bosco…eccetera, ma nessuno dice che questo vino sa di uva, secondo te perche’? 」
(みんな『このワインはスミレの香りがするとか、森の果実の香りがする』とか言うが、誰一人として『このワインはブドウの香りがする』たぁ言わない。お前さん、これをどう思う?)

 こんなシンプルな問いも、マーガさんの口から出ると到底私達のような小者には太刀打ちできない、体を張ってこのワインを作るだけでなく、ワイン作りそのものを守り続けてきたマーガさんの人生の年輪を感じます。

 そう、まさにマーガさんは伝統的なワイン作りを守り続けてきた。ラシーヌ社やその他のワインを販売しているお店のHPを検索いただければ、皆が一様にそのことに触れているのでお分かりでしょう。

 私は、ワインのプロではなく、ワインを楽しむ一消費者ですから、大事なワインのスペックなどはプロにお任せします。

 マーガさんのみが作るワイン、マーガさんの代名詞「バルバカルロ」伝統的な手法で、除草剤や農薬をほとんど使わず、、、とここまでは他の自然派ワインも同じですが、加えて、彼は毎年の自然が作りだす気象変化などの環境に逆らわないでワインを作る。

生産者にとってこれはたやすい事ではないと思います。また、従って毎年バルバカルロの特徴は違うのです。ですから私にとってバルバカルロを口にするとイタリアのこのバルバカルロを育んだ自然と対話ができるのということなのです。

本数は少ないですが、ラシーヌさんら輸入元の大きな努力で日本での価格が意外に手頃、、、ですが、先に言っておきます。誰にでもわかるワインではない。 「あれー!?」って言われた事があります。 

ピエモンテに料理修行に来られた方でワインをいつも扱っていらっしゃるはずでしたが、それでも難しかった。

素晴らしいワインですが、スーパーTuscansやピエモンテの大御所のワインたちを想像しないで下さい。

これまでたーくさん美味しいワインを飲んでこられた方ならお分かり頂ける文化かな、、、。あるいは無垢な心でワインと対峙するつもりでお飲みいただくとワインの世界観を変えくれるかもしれないワイン。

そうそう、「文化」という言葉もマーガさんの語録に見られます。

「Tutti parlano di “Cultura” ma noi siamo contadini. Dov'è finita l'idea di“ Coltura”…」
(皆ワインの「文化(クルトゥーラ)」を口にするが、わしたちゃ「百姓」さね。「収獲(コルトゥーラ)」する者だって事はそどうなっちまったのか、、、」

ルーディがこのまえ、食事をしていてしみじみと一言。
「2, 3ヶ月するとマーガさんに会わないでいるとマーガさんが恋しくなる。また会いたいなあって思う。これまで、ワインの造り手は何人知り合ったかしらないけどマーガさんみたいに恋しくなる人は他にはいないなあ、、、。」

 マーガさんについてはまだまだ語りつくせません!!


 

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