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ライさんに案内してもらってのブルガリア一日観光。困難な意思疎通、真夏並みの猛暑、穴ぼこだらけの道を長時間ギザギザ運転に揺られた事、、、 などなどでステッフィのアパートに戻ったときには原始人も私もぐったり。それでも、ぬるめシャワーを浴びて少しさっぱりすると新たに元気が沸いて来ました。ライさんとの一日が楽しかったからかな? 洗った髪をふきふきステッフィと原始人のいるキッチンに入っていくと、ステッフィは何だか白身魚のホイル焼きを作るのだと原始人と一緒に格闘中。 原始人は私を見ると、でも神妙な面持ちで 「おい、ステッフィが今話してくれたんだけど、ライさんさぁ大変な生活しているらしいよ。」 原始人がその話を始めるとステッフィの顔からもいつともなく笑いが消えていました。 共産主義国家時代、テノール歌手だったライさん。共産主義の国なら何処でも芸術家、スポーツ選手などの社会的プレステージはかなりなもの。 イタリアのスカラ座ではジョルジョ・ストレーラー監督、クラウディオ・アッバードの指揮でのヴェルディものに出演していたほどの人ですから、引退後も悠々自適の生活が約束されていました。 ところが共産主義政権崩壊後のブルガリアの貨幣価値が暴落。ブルガリア中の年金生活者は路頭に迷うことになり、それはライさんのような人にも例外ではなかったようなのです。
奥さんと自分の生活をどう立てて行って良いのか。 ドイツ語のできるライさんはステッフィのような国際機関で働く人たちの小さなアシスタントつまりは「なんでも屋さん」もしてますが、ライさんは仕事の口があれば選ばないといいます。 ステッフィによると、彼らの生活の大変さは、具体的には 『去年、奥さんが肺炎にかかったとき、医者に見せるお金もなく、車が故障しても修理費が払えないため、奥さんを病院に連れて行くことすら出来ない状態だった。 食料を買うこと一つにしても奥さんにソーセージを一本、、、それに自分の分をもう一本買おうか買おうまいかと躊躇する。ライさん手がだせないのよ、、、。以前溶鉱炉で働くっていうからよしなさいって言ったんだけど出かけてって案の定体が続かなかったのよ。』 病院に奥さんを連れて行くのにはステッフィが自分の車を貸してあげたそうですが、彼の老後の厳しい現実と、日中の彼の明るさやいつも奥さんを思いやる姿を思い出し、 なんとも言えない切ない、そして石のように重い気持ちに胸が詰まりそうになりました。 「ライさんだけじゃない、このアパートに掃除に来てくれるおばさんもね、体を壊してもう掃除に来れないかも知れないって言うんだけど、その心配そうな顔見てるとたまんなくって、、、。 アパートの掃除代を前払いしてあげるから早く体を直しちゃいなさいって言ったのよ。 でもね、遠慮して彼らからは私に頼みごとなんて一度もしないのよ。スーパーに一緒に行っても買いたいものが買えないでしょ。私は『ほらほら私の買い物籠に入れなさい』って彼女たちの顔は見ないでよそ向いたままね、言うのよ。だって見てられないじゃない。」 私はそう言われてやっと120平米ほどのステッフィのアパートになぜ掃除のおばさんが二人もいるのか訳がわかった気がしました。彼女の精一杯の援助だったんですね。 静かで温厚なブルガリアの人たちが直面している厳しい現実。それを目の当たりにして原始人やステッフィ、そして日本人の私にさえ去来する一抹の不安、それは『もしかしたらこれはそう遠くないイタリアの将来ではないか。』 ユーロ高、物価の高騰、イタリア経済の低迷。一般のサラーリーマンの平均収入が月1200ユーロ程度、工場労働者で900ユーロ程度。 ローマ、ミラノなどの住居費は700から900ユーロだというのに、、、。 新ベルルスコーニ政権は減税をすると言明していますがその財源は一体何処にあるのか? そのうち大きな経済破綻が起こらないとは言い切れません。日本と同じように自然資源のないイタリアですからアルゼンチンのような国家経済が破綻しないとも限らない。その時、年金生活を送っている原始人やステッフィの両親はどうなるのか? 彼らには、ライさんや掃除のおばさんたちの姿と彼らの両親の姿がオーバーラップするのです。そしてその時、自分たちはそうした厳しい現実に立ち向かって行く勇気を持つ事ができるのか、ライさんのように。 ライさん、たった一度ですが彼の強いプライドを垣間見せた一瞬がありました。それは原始人が「あとで何か歌って欲しい」と頼んだとき。 ライさんは、俯いて口をもぐもぐさせて言い苦くそうでしたが 「私はプロですから、歌は、、、」 そう言うのに一瞬の躊躇もありませんでした。 声楽家に何人かの友人のいる私たちは、プロが簡単に頼まれて歌ってくれるものではないことは百も承知でした。それに彼のプロとしての精神を試すつもりもさらさらなかった。 けれど原始人は子供のような好奇心でライさんの声を聴いてみたい強い気持ちに駆られてしまったのです。でも、ライさんの気持ちを即座に察して二度とその御願いは口にしませんでした。 テノールのプロとしての高いプライド、でもそれを守るために回りの現状を拒否するのではなく、プライドを支えに、体力が持つまで彼はああして働き続けるのでしょう。 ライさんも私たちとの一日が楽しかったというコメントを翌日受け取りました。 その日以降、原始人は、毎日ポケットに10ユーロ程度の現金を入れて散歩に出かけ、お年寄りが道端で何か売っていると必ず何か一つは買うのでした。 街の公園で積んだ花束を一つ1レーバ(70円程度)で3つだけ売っていたおばあさん。原始人がその花束を一つ買ったら、そのあとブルガリア人の若者も一つ買っていったそうです。 帰国の日、原始人はその小さな花束をステッフィの寝室にこっそり飾ってからステッフィのアパートを後にしました。 私達のブルガリアへの旅で出会った人は他にも大勢いました。例えばブルガリアのある地方都市で、ピエモンテ出身のイタリア名誉領事。 70代とはとても思えないダイナミックな経済活動を続ける強烈な個性の人で私たちは圧倒されるばかりでした。 映画や小悦になりそうなくらいな人生を送られている、とにかく凄い人でしたからいつか機会があれば御紹介したいですが、 でも、やっぱり私はライさんとの出会いが一番心に残るかなあ、、、。
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原始人のブルガリアン狂詩曲
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さてさてブルガリアNo.1のワイン産地「メルニック」に向かった私達。午後の陽気と、お昼ご飯でお腹をいっぱいにした私と原始人は車の中でうとうと。 リラを出発してトルコ国境に程近いメルニックに到着したのは午後遅く5時近くになっていました。 イタリアやフランスでワインを買うのにワイナリーを直接訪ねる事が常になっていた原始人は、 いわゆる観光地の土産物屋さんでワインを買うしかないメルニック(本当は良く探せば無いなリーもあったのでしょうが、贅沢は言えません。)に不満は残りますがとにかくワインの品定めを始めました。 私とライさんはバールに入って日陰で冷水をすすりだします。5月半ばというのに真夏並みの暑さ。とても原始人のようにワイン探しに熱中する元気などありません。 ライさんは冷たいグラスを手に周囲を見渡したあと、 「メルニック、カタストローフ!」と、私に向かって嘆きます。 どういう点でカタストローフかというと、川沿いに並ぶ10件ほどの土産店やバール、そしてそこにいる私達の頭上には壊れかけた民家があちこちに点在し、それが彼の目にはブルガリアの恥部とでも見えるようでした。
海外からの観光客からも少しずつ注目を集め初めているメルニックですが、彼にはやっぱり自分の大切な国ブルガリアは外国人にも胸を晴れるものであって欲しかったのでしょう。 さて、川向こうのみやげ屋に消えていった原始人ですが30分後に戻ってきたときにはとてつもない大きな手提げ袋を手にしていました。 「一体、何本買ったのよ!?」 二人で18kmまでときかなり厳しい重量制限のあるスーツケース。 私は少し焦ります。 「自分達用に2本。一本はステッフィにお土産、そしてライさんにも一本プレゼントしようと思って、、、」 主婦のお財布感覚からするとライさんにはそれなりの謝礼もするのだし、何もそこまで大盤振る舞いしなくてもという思いも一瞬よぎったものの、自分達に2本なら重量も何とかなるだろうと一安心。 買べき物も買ったし、いざステッフィの待つソフィアに一路引き返す事に。 行きはのんびりしていたライさんですが、帰りは自分も早く家路に着きたいのか「猛スピード+ギザギザ運転」でステッフィのポンコツを飛ばします。 行きの所要時間とメルニックを出発したのが5時半近くだったことを考慮して、ステッフィにソフィア到着が9時近くになるだろうと携帯からメッセージを送ったものの、実際には8時少し過ぎにはソフィア市内に到着していました。 その日の朝、ライさんと初めて顔をあわせた時と同じようにステッフィの勤務するオフィスでステッフィと待ち合わせた私達。 移動中の車中の暑さで3人共くたくたでしたが、車を降りるとステッフィが開口一番 「あんた達の事だからきっとこうなると予想はしたいたけれどほんと三人とも楽しそうな顔をしてるわね!皆の顔をみてると私も満足だわ。」 と、言われました。 実際、ライさんも私達も車を降りてからもまだまだ笑いの種を見つけては大笑いを続けていました。本当に楽しい一日でした。 そして最後に謝礼を渡そうとしますが、ライさんはそれを断ります。最初の約束だから受け取って当然なのに、、、。 嫌がる彼のポケットに代金をねじ込み原始人は、ほらほら奥さんが待ってるから早く帰ってあげないと、とライさんの背中をぽんと叩き、じゃあさよならね、と手を振りました。 ライさんは右手を自分の左胸にあて、謝意を表してくれました、まるでテノール時代のステージで拍手を浴びたときのように。 でも彼の目が潤んできて、危ない、私も目が潤みそうに、、、急いで車に乗り込みます。 ライさんと別れ、ステッフィの自宅に戻った私達、この日の夜は私達もステッフィも疲れて外食する気もなく、自宅で簡単に作れるもので夕飯をすますことにしました。 (次に続く)
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リラ修道院に向かう道々、ライさんの言葉に耳を傾けていて、現役ソプラノとして頑張る奥さんの話の方がとても多いことに気がつきました。 ライさんぐらいの人なら、昔のテノールだった頃の自慢話をしてもよさそうなものを、自慢するのは奥さんのことばかり。 よっぽど奥さんが大事なんだなあ。奥さんをいつも気遣うやさしい紳士というのが僅か一言二言のイタリア語にも見え隠れします。 リラ修道院に到着すると、意外に慣れた感じで聖堂内部、周囲の回廊や博物館を案内してくれるのですが、聖堂では特に美しいイコンが並ぶ中、聖人の骨のちりばめられた神秘のイコンというのを古い引き出しを手前に引いて見せてくれました。
その上のガラスをハンカチでさわり、それを身につけていると病気にならないのだとか。 ティッシュペーパーを一枚出してそのガラスを触った後、「、、、こうしてっと」と言いながら、それを細かくちぎって一片づつ私と原始人に手渡してくれました。 そして残りは僕の奥さんにもって帰るのだと。本当に可愛い人です。 さて、私達の怪しげな旅、これだけ言葉に不自由があれば途中で投げ出して無口になっても仕方がないのに、ライさんは一生懸命。 幹線道路からリラに向かう日本でいうと県道とも呼べないような細い道に入ると周囲の情況は一変します。 牛の群れ、うん、これは私達の住むイタリアの村でもよく見る光景。、、、むむ!? でもこの群れには牛飼いがいないぞ!?なんと40頭あまりの牛の群れは主を持たず野放し状態。下手をすれば車が突っ込んできそうな道の真ん中を牛達は縦横無尽に闊歩しています。 ライさんの「ムッケ(牛) イン・リベルタ(自由になった) コムニズモ・フィニート(共産主義が終わったみたいにね)」と軽い冗談に大笑い。 、、、と、真顔に戻った原始人が「まじめな話、共産主義の崩壊をどう思っているの? コザ ネ ペンスィ デッラ カドゥータ デル コムニズモ?」 今度はライさん、イタリア語に苦悩しながらも 「共産主義の後、ブルガリアのトップに立っていは共産主義時代のトップだった人の子供達。何も変わっていないよ。それどころかカタストローフ!」とまじめに答えてくれました。 「カタストローフ(破局的)ねぇ。カタストローフ!!」 それから何でもカタストローフ!! 現金の持ち合わせが少なかったためクレジットカードを使いたかったのにリラ修道院近辺のレストランはどこもカード拒否で カタストローフ! ステッフィは車を貸してくれたのは良いけど結構ポンコツで、ライさんのギザギザ運転に途中でアクセル上部のプラスシックの板が落ちてきて カタストローフ! ガソリンが切れ掛かっているのにガソリンスタンドが見つからなくて カタストローフ! 修道院を出発して次の目的地に向かった直後、ぎざぎざ運転の私達の車の脇を年寄りの酔っ払いがふわりふわりと千鳥足でやってきます。注意散漫になっていたライさんにとうとう原始人が 「ライさん、気をつけないとカタストローフ!」 おっとっと、危うくお年寄りをよけてほっとした瞬間!車の真正面に馬が一頭飛び出して!! さすがのライさんも「あっ!!」と叫んでブレーキをかけます。 良くありがちにあの瞬間はスローモーションで私の目に焼きついています。馬の嘶き、頭を左右にひねりながらその馬は私達の右後方を走り抜けます。 、、、あと1m足りなかったらあの馬は私達に突っ込んで来ていたでしょう。私達は病院に運ばれ、ステッフィも大変な目に遭っていたでしょう。 ホント、カタストローフ!なんて笑っている場合ではなくなるところではなかった。 3人とも全身に冷や汗が走りましたが、後ろを向くと馬は嘶きながら道路右脇の路地に走り去っていくところでした。 その馬は、轡(くつわ)はしていたものの鞍は装着されていませんでした。 何かの理由で神経質になってどこかの厩舎から逃げ出したのでしょう。 とにかく助かった、と安堵した後、私も原始人も同じ事を感じていました。 『、、、その馬が美しかった。』 完璧に均整の取れた体に、明るい栗毛の馬はブラシできれいに磨き上げられ、ブルガリアの午後の強い陽射しの下で眩しいほど輝いていました。 農耕馬ではありません。あれはサラブレッド、競走馬かどこかのお金持ちが所有する乗馬用でしょう。 この国では自分の想像力を精一杯働かせても到底及ばない不思議なことが起こってしまう。 それはブルガリアが不思議の国だじからではなく、私という人間が、気がつかないうちに、現代のシステム社会にすっぽり収まってしまっているからでしょう。 それにしても、酔っ払いとサラブレッド、あの光景は一生忘れないと思います。 さて、修道院への行きの道で見つけた牛乳を売っている農家をライさんは帰り道に見逃しませんでした。 早速おりて農家に入り原始人に試食を勧めます。「これがムー!(牛)」 「でこっちがメー!(羊)」 牛乳のヨーグルトと羊のヨーグルト。 いい歳をした男二人が「ムー」と「メー」を繰り返すのを見て、農家のおかみさんも笑い出します。 私達がムーとメーを一個ずつ、ライさんは2個ずつをお買い上げ。 そして、私達の旅の次の目的地はメルニック。 原始人が『ブルガリアのワインは悪くない。特にメルニック産のワインはどれも美味しい』 というブルガリアでワイン造りのコンサルタントをしているイタリア人から聞いて行きたいとリクエストしたところです。 トルコ国境に近いソフィアから距離にして250kmはある村でリラからさらに3時間近くかかるのに、ライさんは嫌な顔一つせず行こうといってくれました。 でも、どうもライさんも行って見たいみたいだったけど、、、、。 次回に続く
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さてさて、ブルガリアの旅の続きを一席、、、。 ブルガリア料理の魅力やソフィアの街の穏やかさにに惹きつけられて止まない、それでいてその社会の現実を目の当たりにして戸惑う私達。 でも、ここでも原始人はへこたれません。ステッフィに、ブルガリアの田舎が見たいとリクエスト。 ステッフィには既に週末ソフィアの東にあるプロブディブの街に連れて行ってもらう約束になっていたのですが、彼としてはトレッキング・シューズもあることだし森の中に分け入ってみたいという願いがあったのです。 言葉の出来ない私達がイタリアのそれとは比べものにならないブルガリアの広大な森林地帯で万が一迷子になったら、、、という不安を抱えながらそれでも彼女は手配を考えてくれました。 イタリア語通訳つきタクシーのチャターは一人90ユーロから、イタリアからの飛行機代が70ユーロだったことを考えるとちょっと無意味。彼女は私達に打診するまでもなく勝手に却下。 うううん、と頭を抱えたステッフィですが、ひょいといい案が浮かびます。 「私の車を貸すからライに運転してもらってどこでも行きたい所に連れて行ってもらいなさい。」 ただし、謝礼として50ユーロとお昼代を出すこと。 50ユーロといえば一般の年金受給者の一か月分の付給額に相当します。文句はないでしょう。 でも肝心のライさんに了解を得なくては、、、。 ステッフィは携帯をあちらこちらにかけ他にライさんの手伝いの必要なスタッフがいないか確認。 このライさん、元テノール歌手だそうで、バックコーラスの一人としてですがミラノのスカラ座でも歌ったことのある実力派だったそうです。 イタリア語はできませんが、ドイツ語ができるのでステッフィが現地の仕事で手の足りないときは何かとライさんに雑用を頼んでいるとのこと。 とにかく、ライさんの了解を貰い一日ドライブに出発することに、、、。 それでもステッフィは原始人に説得を続け(というと立てこもり中の人質強盗犯みたいですが)森に入ることだけは諦めさせることに成功しました。 色々思案した結果、世界遺産に指定されているリラ修道院へ、地図で見ると150kmちょとに見え、イタリアなら1時間半で行ってしまう距離ですが、ステッフィはイタリアと同じと思うなと釘をさします。 その後は、その場で考えなさいと。、、、私達も行き当たりばったりが好きなのでそれで了解。いよいよ出発です。 出発して直ぐ車内でライさんに自己紹介をしようとしますが、まず何語でやったらいいの? 「イタリアーノ?」、、、「ノー」。 「イングリッシュ?」、、、「ノー」この返事に少し不安。 「フランセ?」 、、、「ああぁ、、、フランセ、、、ノー」 逆にライさんから「ドイチュ?」と聞かれ私も原始人も「、、、ノー」 原始人がすかさず「カント? テアトロ・アッラ・スカーラ?」 と聞くと今度は「ヤァ! ヤァ! スィ!! カント!!ヤァ!!」と嬉しい答えが!!内容はともあれ、とにかく通じた。 でも原始人がステッフィからそう聞かされていたのでで「バリトノ?」 と聞くとちょっと憤慨したように「ノー!! テノーレ!! イオ ソノ ウン テノーレ!!(私はテノールですよ!)」 私と原始人が「ああ!!テノーレ!! グランデ!!」 信号待ちで車を停車させたライさんと顔を見合わせ3人で大笑いになりました。 どうもなんだかこの調子でなんとかなりそう。 原始人が「グランデ」といいながらライ老人の方を軽く抱くと嬉しいそう!!こんあ旅の始まりでした。 ソフィアの街を抜けてすぐ、ガイドブックによく乗っていたロバに引かれた荷車を発見!おお、隣をベンツやBMWも走っているのに何の疑問も無く荷車をロバに引かせてるなんて!! ライさんが「チゴイネル!」と荷馬車に乗っている人を指差していいました。 そう、とっさにサラサーテの「チゴイネル・ワイゼン」がひらめき、「ジプシーのことね?」 「ヤァ!」と意思疎通の早さに感動のライさんと私。 ブルガリアでは、まあイタリアでもいまだにそうですが、ジプシー達はかなり差別されているそうです。 ソフィアのような都会の郊外で荷馬車を使っているのはジプシーだそうで、それでも田舎に行くにつれ一般の農夫達も荷馬車を使ているとか。 実際、高速を降りて確かにリラ修道院に向かうあたりには何台も荷馬車を見かけました。 さて、ライ老人の運転についてですが、ステッフィは原始人の荒い運転を知っているので 「ライはすっごく慎重な運転をするの。だから絶対にいらいらして文句を言わないこと、運転は彼に任せるのよ!」 、、、と言っていたのですが。実際にはとおおおっても危なっかしい、ジグザグならぬギザギザ運転。 その理由はまず、道路の舗装がなっていなくて道のあちこちに穴があいていて、『それを避けるため』と、『ブルガリア人全体の運転マナーの悪さ』で、 結構、他の車が突然割り込んでくるのを避けるばかりかライさんも割り込む、割り込む! しかもあんまり周囲に注意も払わず、逆に原始人が注意を促すことが2度、3度と続きます。 原始人も「おい、ステッフィは一体何をもって慎重な運転といったんだろ?」と怪訝そう。 とにかく、修道院までの道々、ライさんは、奥さんは今でも現役のソプラノで時々海外にも呼ばれて出かけていくこと、 日本でも歌ったことがあって、日本から帰ってくるときはいつも日本の同僚からもらったプレゼントでかばんをいっぱいにして帰ってきたとうれしそうでした。 私もそれを聞いて彼と日本が無縁でないと知り嬉しくなります。(次回に続く)
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前回、ブルガリアのあまりポシティブとは言えない面をお話したのですが、実際には私も原始人もブルガリアがだーい好きになって帰ってきたのでした。 で、私達がブルガリアで狂喜乱舞したものの一つが、やっぱり「食」でした。 何が美味しいって、まずお野菜。サラダ菜、きゅうり、トマト、にんじんでも何でも、とにかく「野菜の味」がするのです。 イタリアでも日本から来られる皆さんが一様に野菜が美味しいと仰いますが、ブルガリアのそれはもっともっと美味しい!! 当然ながらヨーグルトも美味しい!!ブルガリアではヨーグルトをざるに上げて水を切ってデザートにします。日本のものより固めでそれに蜂蜜と摺りゴマをかけて、、、。 朝ごはんや、デザートのほか、きゅうりと合わせて上にアニスの刻んたものかけさわやかに食べます。
ヨーグルトときゅうりのサラダ
また、ピーマンのオーブン焼き、ナスのグリル、にんじん、たまねぎ、トマトにレモン汁を少々、塩一つまみをすり鉢でつぶし混ぜる「Kyoppolu」という前菜も最高!! お肉も、仔牛肉、豚肉、子羊肉に鶏肉のさまざまなお料理が!私が特に気に入ったのはお米をトマト味のリゾット風のものに子羊のレバーの角切りの入ったものでした。 キョッポルゥ パプリカがほど良く効いて、上にさらっとしたヨーグルトをかけて食べるのですが、これまでにない驚きの味でした。 原始人は、私とステッフィの目を盗んで本屋さんに直行。ブルガリア料理のせめて英語版の本を買うためでしたがなんとイタリア語版が売っていて首尾よくそれを手に入れ、イタリアに持ち帰りました。 で、早速作ったのがこれです。原始人はブルガリアで食べた味に結構近いとほめてくれました。 ワインも結構美味しいワインがあるのすよ。今ではイタリア人のエノロゴもブルガリアのワイナリーでワイン作りのアドバイスをしているそうですが、結構美味しいです。でもこの話はまた今度。
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