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イタリアは2005年に完全に兵役義務がなくなりました。 アフガニスタンにもイラクにも兵役中の若者はいません。 さて、クイズです。原始人はどれでしょう?(笑) 兵役の賛否は別として20年前に若者をやっていたためServizio Militare di leva(兵役についていました。)ピエモンテの人は伝統的に山岳歩兵隊に入る人が多いです。 原始人の親友などはフランス国境に近いスキー専門の山岳歩兵隊に入りました。当然それは優れたスキー選手だったからです。 本人にも意外だったそうですが、原始人は、イタリア北東部トレンティーノ・アルトアディジエのメラーノに当時あったサヴォイア騎兵連隊の配属になりました。 兵役中の思いでは悲喜こもごもとなのでしょうが、原始人はスポーツの得意な男子ではなかったにも関わらずそこでの兵役生活は意外にに楽しかったようです。 騎兵連隊入隊初日は伝統的に夜警が言い渡されます。環境も良くわからず、緊張する中での徹夜ですから辛いものがあります。たまたま同じ隊の下士官と一緒の夜警となりました。 下士官は原始人よりも若い人でした。二人は暇をもてあましてお喋りを始めます。お互い文学好き、読む本の趣味なども似ている、お互い気が合う事と感じました。 寒くて、辛いはずの夜警の場が一変してにわか文士のサロンになり、二人はお喋りに夢中になって夜明かししたそうです。 もう一つ原始人の本当の幸運の神はその下士官付き書記係りでした。原始人と同郷で原始人が文科系高校を出ていると知ったその人は、数ヵ月後に自分が除隊を控えていたことから、原始人を書記係後任に推薦し、彼が引き継ぐ事になりました。 通常、数人が相部屋でプライバシーも保てない兵役生活ですが彼には個室が与えられ、下士官にも可愛がってもらい悲惨なはず生活は大変でも楽しい事も多かったようです。 日常的には他の隊員の警備の順番や休暇日を決めたりが書記の仕事。ほかに下士官の勧めで連隊内の新聞も発行しました。必要な情報以外にも皮肉の効いた面白い記事を書いて隊員を喜ばせていたそうです。 実際に訓練では戦車に乗って操縦士、砲員に指示を出す(戦車長とでも言うのでしょうか)を務めました。 今でも車の助手席で道案内をするときは、右折、左折のジェスチャーはこの時のものを使っています。早くて分かり易いからでしょう。 ある時、仕事のための移動中、運転をしていた知り合いにこのジェスチャーを見て 「おまえ、サヴォイア騎兵連隊にいなかったか?」と聞かれました。 なんとその人も原始人の数年後、同じ連隊で戦車長をやっていたのだそうです。 上の写真は、年に一度、サヴォイア騎兵連隊の上官らのパーティーの日。 原始人は、いつもなら連隊内博物館に陳列されているはずの100年も前に使用されていた騎兵隊の制服の本物を着させられ、もう一人とボーイを務めました。 独りは、チョコレートをサービスする係り。原始人は葉巻に火をつける係り。それにしても100年も前の制服を使わせちゃうなんて!! こんな思い出話を原始人は車の中でよくします。日本で青春期を過ごした私には珍しさも手伝っていつも興味津々に聞いていますが、彼の話にはあまり苦労して辛かった話はありません。 結構、若い頃から状況を観察しながらさらっと自分のペースに周囲をとりこんでいた、葉巻の煙に巻くかのように。いいえ、おそらく嫌な事はさっさと忘れているのかもしれません。 とにかく、車の中でこの話をした日の夜。なれない手つきでネット検索していた彼が嬉しそう台所に入っていきました。 当時お世話になったその下士官の方が、最近Colonnnelloつまり騎兵連隊の連隊長になられたそうです。 彼にとっては男のロマンのシンボル的な人が連隊トップに立ったのです。20年会っていなくても喜びひと際でしょう。
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田舎暮らし『一こま』
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皆様、お待たせいたしました。 前置きが長かったですが、これがキットの作るサラミです。 写真右奥のポリ容器にラードに漬け込んでもらいます。 2008年のクリスマス。いつものように、かごに詰めた食料品の贈り物を届けに行ったときに撮らせて貰いました。 それをあと1ヶ月ほど吊るして乾かします。 右側にあるのがサングイナッチといってブタの血液と皮などの腸詰です。 サラミは、ただ素材がよければ美味しいというものではありません。 根気よくお肉を混ぜて、さらにそれを空気の入らないように腸詰にしなければならない。 イタリアのお肉屋さんなら誰でもそれができるというものでもありません。 キットの家の中庭に着いたら大騒ぎになっていた! 下手なお肉屋さんもいます。 因みに原始人の父親、パピンは生サラミは作っていませんでしたがモンフェッラート特産サラメコット(腸詰にした後茹でる大型のサラミ)作りの名人でした。今は亡き評論家のVeronelli(ヴェロネッリ)も褒めてくれたそうです。 パピンもキットのお肉の詰め方は上手いと褒めます。 、、、ね。美味しいものを一つ作る人は他のものを作っても上手いという事!! それだけ食いしん坊という事?でもそれだったら私も料理の腕におぼえがあっていいはずなのだが、、、。
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さて、夏場の5ヶ月あまりを標高1600mの山で暮らす友人キットですが、 彼の牛の放牧地はさらにその上、標高でおそらく2000m以上あるでしょう。 ちなみにこんなところです。 写真右上を拡大してみましょう。小さな四足の生き物は当然キットの連れて行った牛達。 ここに毎朝、牛を持っていき、お腹がすくとこんな風に山小屋に帰ってきます。 私たちが山小屋にいっても日中は当然小屋にいません。携帯に電話しろといわれますが、、、 電波は届きません。私たちはお腹がすいても、暇をもてあましても2時間でも3時間でも彼と連絡が取れるまでそこで待ちます。 そもそも、初めて彼に知り合ったのもここ、そしてその日はたまたま山小屋にいたものの、牛を小屋から出すまで待ってくれといわれ、私たちは山小屋の屋根の上で日光浴をしながらそれでも一時間まちました。 その間、キットは牛を小屋から出し、、、 、、、ん?なんと!!牛だけでなくかわいい子豚ちゃんもいるではないか!! 牛の後から鋭敏に駆ける子豚を見て思わず私は『かわいい!!』と叫ぶ。 その声にむっくり起き上がって目を凝らす原始人は、ブタというより猪のスポーティーさで駆け回るブタと見つけ『んん、ここには美味しいサラミがあるに違いない!』 麓の村でも有名なキットのリコッタチーズ「セイラス」を買いに来たはずの私たちですが、原始人はサラミを売って欲しいと一仕事終えたキットと交渉に入ります。 (キット自慢のセイラスチーズ 一つ4kgぐらいある) 「これは売り物ではない」とキット。「それならなお美味しいに違いない!」 売れ、売らないの押し問答が幾らか続き、、、 「お前さん、これを食べさせないと帰らないつもりだろう。試食はさせてやるが今日は売れない。僕の大事な食料だから。春になったらブタ一頭おろして作るからそのときは分けてやってもいい」 最後に、キットはそういって奥のチーズ熟成庫に入り、あるポリ容器に詰まったラードの下からサラミを2本掘り出し(こうしておけば冷蔵庫でなくてもひと夏サラミを保存しておけるんですよ)切り分けてくれました。 なんとその味の芳醇でコクの深いこと!!翌春にサラミを分けてもらいに行くまでがどんなに長く感じられた事か! でも、2002年春、初めて彼の家にサラミを分けてもらいに行った時、彼のお母さんセリーヌに半ば怒鳴られました。 「これは家の息子の大事な食糧なんだ!あんたたちに売るために作ってんじゃない!!」怖かった、、、 考えてみれば、夏場でも簡単に山の上から降りられるものではありません。私たちにはお店に売っているのと同じサラミでも、彼らにとってはある意味命を繋ぐ必需品です。セリーヌも怒って当然です。 2002年、冬、原始人は大きな籐かごいっぱいにオリーブオイルやお菓子、ワインなどなど持っていけるもの全部両手に抱えてセリーヌに挨拶に行きました。 次回もサラミを分けてほしい「欲」もあったと思いますが、なんとか彼女とも仲良くなりたいと考えた原始人なりの努力!! (キットの山小屋前から空を見上げる) 今では私の大事なお友達セリーヌです。70歳を過ぎ、歩くのも不自由な彼女ですが私たちが行くと絞りたての牛乳を用意して待っていてくれます。 紆余曲折はあるものの、今では年2回作るサラミを私と原始人のためにキットはポリ容器に取り分けて私たちが来るのを待っていてくれます。 もちろん私たちも彼の生活に役立ちそうなものを持参するのは忘れません。彼らにはお金より大切なもの、ただサラミをもらって代金を払えばいいというものではないです。 イタリアではホント、美味しい物を味わえるだけでなく、食べる事の原点みたいなものを教えてもらっています。
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2008年夏、キットを訪ねて恒例Val Pellice(ヴァル・ぺッリチェ)に行ってきました。 毎年なぜか、キットに会いに行くのは8月の最終日曜日と決まっていたのに、今年は7月に待ちきれず行ってしまいました。 キットはピエモンテでも西部、フランス国境沿いに住んでいます。彼はValdese(ヴァルデーゼ)といって普通のイタリア人とはすこし違った文化を持つ人たちの一人です。 日本語ではワルドー派という、12世紀にフランス南部に起こったキリスト教一派ですが、異端と見なされてしまい、イタリア国境を越えピエモンテのこのピネローロ地域周辺に落ちのび現在に至っています。 その後も彼らは独自の宗派、言語、生活文化をまもって暮らしている人たちです。特に言葉はヴァルデーゼという彼らの言葉、フランス語とヴァルデーゼのMIX、フランス語、イタリア語を使い分けます。 他のピエモンテの人たちとあまり交わりたがらないと聞いた事もあります。 でも、キットはおおらかで、明るくって、大男で、そしてなんといっても彼の作るものが美味しい!! それもそのはず、彼は夏の間、標高1600mの山の上で牛をかって、その地域特産の2種類のチーズを作っています。まずトーマ(TOMA)あまりクセの無い牛乳のチーズ。 そして、、、そしてトーマを作ったあとのシエロ(お乳のカスみたいなもの)を再加熱したリコッタ、ひとよんで「セイラス」です!!彼のこれは天下一品!! 実際、スローフードもコラボレーションを何度も持ちかけていますが、いつも悩んだ末、結局ことわってしまいます。『自分で作れる量以上が必要になるから結局迷惑がかかるから』といいます。 彼は、他人の牛を預かって夏場育てています。その飼育料、チーズ、バターが彼の収入源。 でもなぜか、愛らしいブタさん達が毎年、牛と一緒に山に登ります。、、、なぜでしょう? そして原始人はこのブタさんたちをとてもとても愛しく思っています。それはどうして? これは私達の年間の基本食材計画の一つです。 なので暮らし『一こま』にいれてもよかったのですが、「ぶじゃキッチン」に入れました。 何かの参考になれば嬉しいです。 今度に続く。
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先日のピエモンテのハンターと野ウサギの話で小さな続きです。 日曜日、朝、快晴!!本当に久々の快晴!! 原始人は、愛犬バルトゥスと一緒に散歩に行こうといいました。 『お前に見せたい景色があるんだ、心にしみるぞお!! 』 私はゴム長、原始人は登山靴をガレージで履き、牛追い用の杖(これが山登りにはとっても便利!牛をつれていなくても)など準備を始める頃にはバルトゥスもおおはしゃぎ。 私達のお散歩コースになっているラバ道を歩き出しました。ラバ道は、酪農家の人たちがラバに日常物資をのせ山小屋に運ぶのに使う道です。イタリア語ではMulattieraと言います。 小川を越え、お友達のウーゴ爺さんの山小屋を過ぎ、、、 突然、原始人は「あったああ!!これはそうかもしれんぞぉ。」 、、、なんなんだ!? 小さなけものの足跡です。足の後ろに小さな引っかきキズのようなもの見えますか?それはどうも野ウサギのものらしいのです。 『あんた、やっぱり野ウサギを探しにいたんじゃない!!?何が、私にきれいな雪景色が心にしみるよ、うそつき!!』 、、、っと、わめいたところで彼にはどうでもいいことなのです。先週、彼らが東欧から買い地域に放した野ウサギたちはまだ生きている!!そう分かれば彼は安心なのです。 そして、そう決めたらてこでも動かない。ピエモンテ語の「Bogia Nen(ボジャネンor ブジャネン)!」そのものの生態ともいえます。(笑) あとは、ほっこりお日様をバルトゥスと浴び、お昼時間に間に合うようにまた雪道を戻ればいいのです。 そう、この人私に皮肉を言われてもあの日、諦めてはいなかったのです。『野ウサギの安否を知らねば』、、、まあ、この秋のハンティングに大きく関わってくるので気持ちが分からなくもないのですが、 私も雪道散歩で、きれいな空気いっぱい吸ったし。バルトゥスも幸せそうだし、、、。って、あ、また雪を食べてる、、、。 そろそろ、隣村の教会の鐘の音が聞こえてきます。11時半、戻らないとパピンとエディーは時間厳守でお昼食べる人たちだから、待たせちゃ悪い、、、 駆け足で家路につきました。
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