|
覚えている限りでは、『読書』と呼べる事を始めてから最近まで、それを欠かしたことがなかった。 活字中毒と言ってもいいくらい、活字に触れていないと不安になる私だった。 傾向としては「濫読」派なので、読み物は何でもいいのが私の特徴だ。 極端な事を言えば、ローカルな情報誌であっても、その内容に興味がもてたら 「読む」事に没頭できる、という簡便な私である。 だから、毎日何かしら手元の書物(本ではなくても)に目を通して暮らしてきた。 その活字中毒たる私が、ここ4ヶ月ほど殆ど活字に目を通さなかった。 新聞さえ読まなかった。 それに加えて、TVにも目を向けなかったので、世の中の事にはものすごく疎い人間になっていた。 何だか、何でもどうでもいい、というか、投げやりな心根が腐っていた感じだ。 もちろんそんな自分は、私の望む自分ではなく、それどころか嫌悪する対象でもあるのだけど いかんせん、人というものは自分の意思だけで、自分をコントロールできるものではないらしい。 しかも、焦れば焦るだけそこから抜け出せなくなる。 まるで悪循環で、苦しさだけがクローズアップされ、ネガティブ一色に彩られていたと思う。 そんな私がようやく、無性に活字に触れたくなった。 もちろん、感覚がまだ戻っていないことを自分が一番理解しているので、 『リハビリ』の意味合いを兼ねて、まずは心に優しいものを入れていこうって思った。 何百冊もある手持ちの本の中から、吸い込まれるようにある一冊の本を手にとった。 もう何度も何度も読んで、知り尽くしているからこそ、今この本が必要なんだな。 自分にとっても納得した。 ご存知の方もあるだろうな。 小川洋子さんの【深き心の底より】という作品なのだが 小川洋子さんが、ものを書くに至った原点を書き示してある本だ。 私自身彼女の心情に重なる部分が多く、というよりも、ものを書く人というのは 皆少なからず『心の深き底』を見つめているものなんだろうという気がしている。 その心の底は、深さや暗さもきっと人それぞれなのだろうし、そこからこみ上げてくるものの違いが 作風やその人のカラーを作り出しているのだろう。 本当に久しぶりの活字を読みながら、不覚にも色んな思いに捉われて涙が溢れた。 そこにもう、悲しみはないが感傷は消えていなかった。 苦しさは薄らいだが、痛みは変わらずに存在した。 手の中に納まる一冊の本が、今日今から歩き出す事を私に促す。 誰に言われるよりも、誰に背中を押されるよりも、私自身を突き動かしてくれる。 だから私は活字中毒なんだな。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用






そっか〜。私も濫読派っす。で、私も5年前に流移さんと同じ状態になって、テレビも本も新聞も人と話すのもおっくうになったことがあります。多分、うつ状態だったんでしょうね。私の場合は、2所帯同居の義母が、腎盂炎で2ヶ月入院して、その間、義父の世話に明け暮れてる内に、治っちゃいました。
2007/4/7(土) 午後 1:16 [ にゃおn ]
nyaonちゃん、私には大きな責任があるから、鬱にもなれないという現状を抱えています。そうなるときには私は一気に壊れるしかないんだろうなぁ。でも、壊れてくれない強さみたいなものがあって、私は私が一人で生きているわけではないことを痛感させてくれます。生かされているんですよね。では、生きるしかない!簡単なことです。
2007/4/7(土) 午後 2:34
活字って人の心や世界が形になった物で、触れても傷を負わない(誹謗・中傷等の品性下劣な物は除外)唯一の感情みたいに感じます。オレも多くの世界を感じたくていつも『小説』などを読むようにしてるかな♪そして自らも活字を描くのは自分の世界を見て欲しいからなのかも・・・?流移さんもオレもネv(*'-^*)-☆
2007/4/8(日) 午後 8:21
はじめまして。私も活字中毒?の一人です。ファン登録させていただきますね。よろしくお願いします(^-^)
2008/3/30(日) 午前 1:24 [ よしあき ]
はじめまして。私は長年活字中毒になりたいという希望があるにも関わらず、なかなか読書をしようとしません。文章を書く機会があるときは、いつも自分が情けなくなります。やっぱり活字好きの人って良い文章を書くなぁ。。。そう思います。
2008/4/5(土) 午後 10:26 [ uni**rse_k*n ]