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自分には甘いのに、やたら人には厳しい人がいる。 自分以外の人に向かって、『こうあるべき』『そんな事は出来ないはず』 『普通はこうだ』など、自分の基準で他人や物事を推し量って決め付ける。 実際私も少し前まではそうだったのだと思う。 「他人に対して、こんなことはしてはいけないでしょう。」 「こんなことをしたり考える人は常識的におかしい人なんだ。」 そんな風に思って、いっぱしの正義感で正論を振りかざしたりもしていた。 でも、果たして自分のその言動自体が正しかったのかというと、 どうなんだろうか、と思うようになった。 常識に照らして、明らかにおかしいことや、はた迷惑なことはたくさんある。 でも、それを断罪する権利など、誰が一体持っているというのか。 私は人を哀れむ感情は危険なんだと悟ってしまった。 「かわいそうな人」というこの言葉は、自分を人の上に立たせたときにしか 出てこない言葉だ。 そんな事を言えるほど、自分は高尚な人間か??? そんなに大した人間なのか? 間違い多く、いまだ迷い続けてばかりの悩み多き小さな人間でしかない事は、 自分でも良くわかっているつもりだから、人の事など言える立場にはないのだ、と思う。 私が考える常識や当たり前の事を、私以外の人がそう思わなくても また、そうしなくても、人間が違うのだからそれは仕方がないことだと、今は思える。 そして、それは決して悪いことでもないし、責められる事でもない。 もしも人と違うことが、誰かの怒りをかったとしても、そこにどんな理由や事情があるか それを理解しないと、本当の解決は図れないのではないかと思う。 あなたの基準で、世界は回っていない。 私が実感したことです。
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2007年05月31日
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自分でも良くわかってはいるのだけど、中々実践出来ないのが この『赦す』という行為である。 いや、『赦せる』ことは多分に自分の中では大多数だと理解している。 ただ、『どうしても』『赦す』事が出来ないことが幾つかあって それが私の日常を引き裂いているように思う。 何よりそこには、『赦せない自分』が存在する。 〜引用〜 「ゆるすということ」より ジェラルド・G. ジャンポルスキー ゆるすことは 幸せになるための処方箋 ゆるさないことは 苦しむための処方箋 苦しみの原因が何であれ 苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が 宿っていないだろうか? 復讐の念を燃やしつづけ 愛や共感を出し惜しみすれば 健康を害し 免疫が低下することは まちがいない 当然だと思われるような怒りでも こだわりつづけていれば 神の安らぎを味わえなくなる ゆるしとは その行為をよしとすることではない 残虐な行動を 見逃すことではない ゆるしとは 怖れに満ちた過去に こだわりつづけるのをやめること ゆるしとは 古傷を引っかいて 血を流しつづけるのをやめること ゆるしとは 過去の影に惑わされることなく いまこの瞬間に 100%生き 100%愛すること ゆるしとは 怒りからの解放であり 攻撃的な思いにさよならすること ゆるしとは 誰に対しても 愛を拒まないこと ゆるしとは ゆるさないという思いから生じた 心の空洞を癒すこと ゆるしとは 過去に何をした人でも すべての人のなかに 神の光を見ること ゆるしとは、相手のためだけでなく 自分自身のためであり 自分が犯したまちがいのためであり くすぶりつづけている罪悪感と 自分を恥じる気持ちのためである 最も深い意味でのゆるしとは 愛で満ちた神から自らを 切り離してしまった自分を、ゆるすこと ゆるしとは 神をゆるすことであり 神は自分を見捨てたという おそらくはまちがっている考えを ゆるすこと いまこの瞬間にゆるすということは もう先延ばしせずに ただゆるすこと ゆるしは心の扉を開け 感情をスピリットと一体にし すべての人と一体にし すべての人を神と一体にする ゆるすのに 早すぎることはない 遅すぎることもない ゆるすにはどれだけの時間が 必要だろうか? それはあなたの価値観しだい 絶対にムリだと信じるなら 絶対に起こらない 半年かかると信じるなら 半年かかる 一秒ですむと信じるなら 一秒ですむ 私は心から信じている
一人ひとりが 自分も含めてすべての人を 完全にゆるせるようになったとき 世界は本当に平和になるということを |

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