なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

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船越通信(413)

      船越通信、癸苅隠魁   。横娃隠糠5月19日   北村慈郎


・12日の日曜日は、礼拝後昼食会がありました。Nさんがあんかけかた焼きそばを作ってくださいまし

た。この日は耳の不自由なOさんが船越教会の礼拝に出席することになっていましたし、役員会もありま

したので、Hさんから昼食会の提案があり、急遽そのようにさせてもらいました。Nさんには4月21日の

イースターの時にも昼食づくりをしてもらっていますので、一か月に2回も昼食づくりをしてもらうこと

になりました。ありがとうございました。この日の礼拝には福岡のWさんも出席しましたので、昼食会の

お祈りをしていただきました。WさんはSさんと昼食会後、教会の庭の草取りの作業をしてくださいまし

た。昼食会後4人の役員と私は集会室で5月の役員会を行いました。役員会での協議事項の幾つかを報告い

たします。➀4月21日の教会総会で会計監査より指摘があった種々の積立金が一つの口座に混在していて

煩雑である点について、口座を2つに整理することにしました。そのうち1つは流動性の少ない項目(牧

師退職積立金、牧師招聘準備金、オルガン基金)を入れ、もう1つは流動性の高い項目(一般会計、会堂

補修積立と崖地対策を合体させたもの)を入れることにしました。昼食会および食事については、イー

スター、ペンテコステ、平和聖日または牧師夏期休暇、永眠者記念礼拝、クリスマス礼拝、クリスマス祝

会の年6回とすることにし、食事作りについては、Hさん、Nさん、H・Sさんで話し合って調整して協力を

呼び掛けることにしました。また、イースターとクリスマス祝会を除いては会費300円として、材料費を

除いた差額は会堂補修積立に入れることにしました。今年の平和センター活動の平和と人権を考えるDV

D鑑賞会の第1回は、7月21日(日)礼拝後、「宮古島からのSOS」にしました。第2回、第3回は、未だ内容

は決まっていませんが、日時は、第2回:11月10日(日)礼拝後、第3回:2月9日(日)礼拝後にしまし

た。この時は今までと同じように、昼食会とは別におにぎりを用意し、参加者には実費でおにぎりを買っ

てもらい、鑑賞会の前に昼食をとることにしました。役員会後私は次週の準備をしてから、まだSさんとW

さんは庭掃除をしてくださっていましたが、先に失礼させてもらい、船越教会から鶴巻に帰りました。


・15日(水)には、私より10歳年上の私の姉が連れ合いを見舞いに鶴巻に来てくれました。私はこの姉

からしますと、母違いの弟になります。この姉の上にもう一人の姉がいましたが、もう大分前に亡くなっ

ています。私と同じ母からは兄、姉、妹と私の4人が生まれましたが、姉は敗戦後のどさくさで栄養を十

分取れずに幼くして疫痢で亡くなったと聞いています。兄と妹は二人とも60歳前後に事故が契機となった

病で亡くなりましたので、私の6人兄弟姉妹の中で今も健在でいるのは、私と今回連れ合いを見舞ってく

れたこの姉の二人です。この日は熱いくらい天気の良い日でしたので、鶴巻のマンションでしばらく話し

た後、連れ合いが言い出して、バラを見に平塚の花ガーデンに行こうということになり、私の娘も来てい

ましたので、往復はタクシーを使い、4人で花ガーデンに行きました。花ガーデンのバラ園はよく整備さ

れて、沢山の種類のバラが見事に咲いていていましたので、姉も連れ合いも喜んでいました。私の姉との

こんな機会は今までありませんでしたので、連れ合いの病気がこのような機会を作ってくれたことにな

り、何だか複雑な気持ちになりましたが、嬉しく思いました。連れ合いも、この日は前回から3週間に一

回の抗がん剤治療になっていますが、その3週間の最後の日でしたので、花ガーデンのバラ園の散策を元

気ですることができました。


・16日(木)は、連れ合いの診察治療の日でしたが、午前10時が診察の予約時間でしたので、その一時

間前に採血再尿検査を受けるために、連れ合いは一人で大丈夫と言って、8時半過ぎに家を出て病院に向

かいました。私は後から病院に行き、第一外科で診察を受け、化学療法室で抗がん剤投与を受けて、手足

にしびれを感じている連れ合いと共に、午後3時頃タクシーで鶴巻に戻りました。


・17日(金)は午後6時半から寿地区センターで寿地区活動委員会がありました。前回前々回の委員会

には少し遅れてしまいましたので、今回は早目に家を出て、20分前には地区センターに着きました。

ちょうど前日の16日に、釜ヶ崎の活動を支える関西労伝のニュースが届きました。そのニュースの中に

「緊急報告『センター閉鎖に抗議する!』という大谷隆夫さんの記事がありました。その中に「1970年に

竣工された、あいりん総合センター(以下、センターと略す。)は、釜ヶ崎日雇労働者にとって、そこで

生活し、憩い、情報交換をし、雨の日も風の日も、追い立てられたり攻撃される心配のなく、ダンボール

を敷いて横になれる場所であり、釜ヶ崎の日雇労働者にとっては文字通りなくてならない場所ですが、こ

のセンターが、ジェントリフィケーション(地域の高級化=貧しい人々を追い出す)の流れの中で、今、

まさに、『解体』の危機に晒されようとしています」と書いてありました。センターの解体が、あいりん

地区には星野リゾートの進出計画もあり、ジェントリフィケーションによる「寄せ場」そのものの解体に

繋がり、寄せ場からの日雇労働者や野宿者の追い出しにならないとも限りません。この大阪の動きに呼応

するような動きが寿にもないかどうか、私は主事に聞いてみましたが、今の所はそのような動きは感じら

れないということでした。東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と違って、同じ寄せ場ではありますが、寿は圧倒的

に地域が凝縮されていて、400メートル四方の面積ですので、再開発をするほどのメリットがないのかも

知れません。けれども何が起こるか分かりませんので、このジェントリフィケーションの問題を注意深く

見守り、寿においても日雇労働者や野宿者の追い出しがないようにしていかなければなりません。


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