なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信

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船越通信(419)

     船越通信、癸苅隠后   。横娃隠糠7月7日   北村慈郎


・30日の礼拝には、久しぶりにO・Kさんが出席されました。O・Kさんは4月から山口県に行かれました

が、今回こちらにいるご両親の所に来たので日曜日に船越教会の礼拝に出席して下さったようです。お元

気そうでうれしく思いました。


・礼拝後いつものように残れる人でお茶を飲みながら懇談して散会しました。この日は、前日の29日土曜

日にお0・Yさんから鶴巻の自宅に電話をもらい、0・Yさんが金沢文庫のこもれびという老健にいること

が分かりましたので、鶴巻に帰る途中こもれびに寄って、0・Yさんをお訪ねしてお話してきました。

0・Yさんは3月31日の船越教会の礼拝に出席していますが、その後買い物に出かけて、帰って来て自宅マ

ンション前で転び、意識を失い救急車の中で意識は回復しましたが、骨折して入院。現在は老健こもれび

での生活になっています。数週間前に紅葉坂教会の関係者から0・Yさんに電話をしているがつながらな

いので、私が知っているかという問い合わせを受けました。そこで私も0・Yさんの携帯に電話しました

が通じませんでした。連絡の取り様がなく、心配していましたところ、29日にご本人の方から電話をもら

い消息が分かった次第です。現在は車椅子の生活で、自分で立って歩くことは難しいようです。リハビリ

をはじめてはいるようですが、まだ立つのも難しいようです。0・Yさんは、救急車で搬送中に意識を回

復してから、「神さま、『私をこのまま召してください』と繰り返し祈ったが、神さまは私の祈りを聞い

てはくださらなかった」と、いささか不満そうな顔つきでおっしゃっていました。0・Yさんは、80代後

半になってからも、股関節脱臼の手術や骨折入院を繰り返しながらも、その都度リハビリである程度回復

し、船越教会の礼拝にも一人で来れるようになっています。私は、今回も神さまは私を召して下さらな

かったと、いささか不満そうにおっしゃる0・Yさんと、しばらくお話をして、食堂になっているのでは

と思える広いホールに並んでいる机に車いすの人が集まり出して、午後のお茶の時間になるのではと思

い、0・Yさんに「0・Yさん、神さまはあなたに強靭な肉体を与えてくださったのではないでしょうか。

もう少し生きなさいと。」と申し上げて、一言祈り帰ってきました。お見舞いに伺う前には、もう少し

弱っているのではないかと思っていましたが、顔つきは以前と比べて柔らかくなっているように感じまし

たが、話はしっかりしていてお元気そうに思えました。こもれびは老健ですからそう長くはいられません

ので、将来はどこかの介護ホームでの生活になるかも知れません。0・Yさんのことを憶えてお祈りいた

だければ幸いです。


・1日(月)は午後1時から鶴巻の私の自宅でこの夏船越教会を会場に開催されるフェミニスト神学の会

の実行委員会がありました。実行委員会と言っても委員は私を含めて3人です。この日はもう一人連れ合

いに会いたいという人も加わり、連れ合いも入れると5人でお茶を飲みながら話し合いました。その結果

今年のフェミニスト神学の会は「クイア神学」について学びを中心に据えることに決まりました。3人は

午後4時過ぎに帰って行きました。連れ合いは鶴巻温泉駅まで送ると言って一緒しました。


・2日(火)は午後6時から教区の常置委員会がありました。私は午後4時過ぎに鶴巻の自宅を出て、午後

6時少し前に常置委員会が行われます蒔田教会の教育館に着きました。今年度私は寿地区活動委員会とオ

リエンテーション委員会の委員長と共に戒規問題当事者として常置委員会の要請陪席者になっています。

先日(6月29日)の教区総会で2019年度の各部各委員会名簿の確認の議案審議のときに、東京神学大学の

准教授で橋本教会を兼任しているS氏が、「この委員会名簿に戒規免職処分を受けた北村さんが入ってい

て、それを教区総会で承認するということは、教団の教憲教規違反の議決をすることになるから、北村さ

んは委員名簿に入ったままでは議決できない」という趣旨の発言をしました。教規143条には確かに「停

職または免職の処分中にある者は、教団総会議員若しくは教区総会議員に選ばれ、または本教団若しくは

教区の教務に従事することができない」と明記されています。神奈川教区は教団における私の教師免職処

分を不当とし、この教規に抗って私を常置委員会推薦の教区総会議員にし、教区の教務に携わることを認

めてくれているのです。この私の処遇を通して神奈川教区は、教区は単なる教団の言いなりになる執行機

関ではなく、ある程度自主的な地域共同体であるということを示しているのではないかと、私には思えま

す。その意味で、神奈川教区の私に対する処遇を私は感謝しています。5月26日に札幌北光教会で開催さ

れた支援会の北海道出前集会で、出席者の一人の教団の牧師が、かつて自分が聖公会で北村さんと同じよ

うに免職処分を受けた時には、支援者がなく、孤立して聖公会の牧師を辞めざるを得なかった。それに対

して北村さんの場合は、多くの支援者があり、教団の不当な処分に抗議し撤回を求めている。それは希望

ではないかと思う」という趣旨の発言をされました。その通りだと思います。支えがあるということは、

有難いことです。


・4日夜から6日の午前中にかけて、支援会の通信第23号の編集作業で、編集をお願いしているSさんと

メールで何回かやり取りして、校正作業を終えて、印刷業者にSさんから発注してもらいました。通信第2

3号は3,000部13日に船越教会に届き、16日(火)、17日(水)と支援会事務局会の人が船越教会で教団の

全教会・伝道所と支援者に発送することになっています。


・5日(金)は午後、私が秦野市役所に所用があり鶴巻の自宅を先にでかけ、所用をすませて、30分ほど

後に自宅を出た連れ合いと秦野駅で落ち合い、バスで出雲大社相模分祠に行きました。連れ合いが「ほう

ずき市、朝顔市」(7月12日〜15日に開催)があるようなので行ってみたいと言うので出かけました。6

日(土)は、午後3時から秦野教会で故A・K牧師のお別れの会があり、出席を予定していましたが、紅葉

坂教会関係者の葬儀式がで午前11時半から紅葉坂教会でありましたので、そちらの方に出席し、その後船

越教会にきました。

船越通信(418)

      船越通信、癸苅隠検   。横娃隠糠6月30日   北村慈郎


・23日(日)も礼拝後残れる人でお茶を飲みながら懇談して散会しました。この日は礼拝後予定してい

る集会が何もなく、私は早めに船越教会から鶴巻に向かいました。鶴巻には午後3時15分ごろ着きまし

た。


・この週は月曜日から金曜日まで教区の集会や委員会もなく、その間ほぼ私はプライベイトな生活を過ご

しました。


・24日(月)には、前々から約束していていましたが、船越教会のメンバー6人が鶴巻に来てくださ

り、連れ合いを見舞ってくれました。連れ合いに負担をかけないようにと、私たち二人の分も含めてお弁

当を買ってきてくださいました。ちょうど正午に鶴巻温泉駅南口改札前で待ち合わせすることになってい

ましたので、私は10分ほど前にその改札前に着くように迎えに行きました。すると既にI・IさんとI・Eさ

んが、改札口外の壁にある鶴巻温泉駅周辺の地図を見ていて、私たちのマンションの位置を確認していた

ようです。二人に挨拶をして、少し話していましたら、後の4人の方々(H・Tさん、H・Sさん、W・Tさ

ん、N・J子さん)が到着しました。皆が改札を出たところで、鶴巻温泉駅周辺、特に秦野市営の弘法の里

湯日帰り温泉や陣屋という宿屋のある場所などを説明してから、私たちの住んでいるマンションに皆さん

を案内しました。昨年8月末から約10か月間、連れ合いは船越教会の礼拝に行っていませんので、皆さん

とは本当に久しぶりの再会でした。ストーマになり、糖尿でインシュリンをうち、抗がん治療を受けてい

るというので、皆さんは連れ合いがどんなにか弱っているのではないかと思って鶴巻に来られたと思いま

すが、思いのほか連れ合いが元気でいるので安心されたのではないかと思います。食事を共にし、午後4

時近くまで、いつもの礼拝後のお茶をいただきながらの懇談のように、話題はあちらこちらと飛びました

が、にぎやかな話し合いの時を連れ合いも共有することが出来ました。帰りは連れ合いも一緒に、少し遠

回りして田植えが終わった田んぼを案内してから、鶴巻温泉駅まで行き、そこで皆さんとお別れをして、

二人でマンションに帰って来ました。


・25日(火)から26日(水)にかけては、予約していた湯河原温泉の宿屋に二人で一泊してきまし

た。連れ合いにとっては、ちょうどこの頃は抗がん剤投与から3週目で、抗がん剤投与から2週間朝晩の食

事後に飲み続ける癌の薬も飲み終わっていて、体調が良好な時期ですので、温泉に入りたいという連れ合

いの希望もあって、湯河原温泉の宿を取っておいたのです。25日の午後2時半過ぎに鶴巻のマンション

を出て、小田原で少し買い物をして、湯河原温泉の宿にはその宿の車が湯河原駅まで迎えに来てくれて、

午後4時過ぎには着きました。連れ合いはストーマですので、大浴場には入れません。部屋付きの露天風

呂に入っては野菜ジュースなどで水分を取る。それを数回続けていました。彼女に言わせると、体温を少

し高めにすることがガン対策にはよいということで、そのこともあり、今回の温泉行きになった次第で

す。昨年8月末に彼女がガンと診断されてから今回で2回目の温泉行ですが、今後も体調の良い時には安い

部屋付き露天風呂のある宿を探して行きたいと思っています。26日(水)は午前10時にチェックアウト

で、宿の車で湯河原の万葉公園まで送ってもらいました。万葉公園の入り口近くに滝があり、その散歩道

は木々に覆われ、滝の音とかすかな木漏れ日が射し込むところで、彼女はしばらく滝の冷気をからだに吸

い込むようにたたずんでいました。それで満足したと言って、その近くのバス停から大観山経由箱根港行

きの一日2本しかないバスに乗って箱根港まで行きました。その途中の大観山では、富士山と芦ノ湖の仰

望が見事な場所でバスが止まってくれて、6人しか乗っていない乗客に運転手さんは「写真を撮る人はど

うぞ撮ってください」と私たちに促してくれました。連れ合いはアイパットで何枚か富士山の写真を撮っ

ていました。箱根港ではバス酔いがおさまるまで少し休んで、正午発の小田原行きのバスに乗って帰って

来ました。小田原で昼食を食べて鶴巻のマンションには午後2時半ごろ着きました。ちょうど丸一日の外

出でしたが、連れ合いはそれほど疲れもなく、リフレッシュできたようです。翌日の27日(木)は3週

間ごとの抗がん剤投与の日で、この日は余り待ち時間がなく、朝9時に家を出て、糖尿の腎内科、癌の第

一外科・化学療法室(抗がん剤投与)で診察・治療を受けて午後3時に帰宅しました。


・29日(土)は教区総会の日です。鶴巻を8時前に出て総会の行われる清水が丘教会に9時半少し前に着

きました。総会は10時から始まりますので、その30分前にS先生に船越教会の総会記録と役員会記録の議

長サインをお願いしていました。私が清水が丘教会に着いた時には既にS先生はいらしていましたので、

サインをしていただくことができました。その総会記録と役員会記録を記録審査のために係に渡してから

私は議場に入りました。開会礼拝は逝去教師・逝去キリスト教教育主事記念礼拝として、指路教会牧師の

藤掛順一さんの説教「一致の基礎」でした。藤掛順一さんは説教で牧師としての父の歩みを紹介し、信仰

告白による教会の一致の基礎を強調しました。藤掛さんの言うとろの教会一致の基礎としての信仰告白

は、長老主義教会の考えであって、合同教会としての日本基督教団の一致の基礎は違います。合同教会と

しての日本基督教団の一致の基礎は教団の信仰告白ではなく、私たちを招くイエスの福音の出来事であ

り、消極的には国家の圧力で合同し、戦争協力をした戦時下の日本基督教団の責任の一端を日本基督教団

に属するすべの教会・伝道所は負っているということです。それが日本基督教団に属する全ての教会・伝

道所のアイデンティティーです。総会では、先ず全ての議事に先立って日本基督教団の信仰告白を唱和し

て始めるという動議が出て、1時間ほどその論議があり、前回総会では僅差で否決されましたが、今総会

では175名中60の賛成少数で否決されました。5名の准允式、その他の議事すべては、私の戒規免職撤回声

明と、合同50年を憶えて合同の実質化を目指す集会開催の件も含めて、原案通り可決承認されました。

船越通信(417)

    船越通信、癸苅隠掘   。横娃隠糠6月23日   北村慈郎


・16日(日)も礼拝後残れる人でお茶を飲みながら懇談して散会しました。この日は午後4時半から本

年度第一回のオリエンテーションが教区事務所でありましたので、私はその準備をして午後3時頃船越教

会を出て蒔田にある教区事務所に向かいました。京急で上大岡まで行き、あざみ野行の地下鉄に乗り換え

ました。ところが上大岡で私が乗った地下鉄は快速で蒔田には止まらず、上大岡の次は関内が停車駅でし

た。仕方なく私は関内で降りて、また蒔田まで戻って来ました。そのために4時半ぎりぎりに教区事務所

に到着しました。参加者名簿とオリエンテーションの資料を出席者に配り、この日まで私はオリエンテー

ション委員会の会計を担当していましたので、講師の謝礼、参加者・委員の交通費をそれぞれにお渡しし

ました。毎年第一回オリエンテーションは、「教区形成基本方針と教区の諸制度」について発題と協議に

なっています。今回は講師を教区議長のM牧師が引き受けてくれました。神奈川教区で教区形成基本方針

が必要になったのは、教区総会が開催できなくなったためです。その背景には戦責告白以降、沖縄キリス

ト教団と日本基督教団の合同、万博東神大問題、教師検定問題など、教団を二分化するいわゆる「70年問

題」が起きたからです。神奈川教区形成基本方針は、「違いを認めながら忍耐強く対話による一致を求め

ていく」ことによって地域共同体としての神奈川教区の営みに、立場や考え方が違っても他者を切り捨て

ないで共に参与していくというものです。M議長はその教区形成基本方針の歴史的背景に焦点を当てて

発題してくれました。その発題を聞いて、参加者の中からは、この4月から赴任した教会でも色々な意見

があり、一個教会においても教区形成基本方針の精神をもって牧会をしていく必要を感じているという趣

旨の発言がありました。また、現状ではそれぞれの立場や考え方の違いが溝を深くしているところがある

ので、そこを何とか繋いでいく働きを、自分としてはしていきたいという趣旨の発言も、参加者からあり

ました。午後8時半頃オリエンテーションが終わり、私は一足先に帰らせてもらいました。


・17日(月)は、連れ合いより先に癌を患って治療してきていた高座渋谷教会のメンバーで、国会前の

辺野古新基地建設反対の座り込みにも来ていましたNさんが帰天し、茨城県守谷市の葬祭場で葬儀式があ

り、私も出席しました。朝8時3分の鶴巻温泉駅発の小田急で新宿に出て、JR総武線で秋葉原まで行き、つ

くばエクスプレスで守谷駅まで行きました。守谷駅には10時30分過ぎに着き、たまたま高座渋谷教会の関

係者の方たちと一緒になり、葬儀式の始まる午前11時少し前に葬祭場に着きました。Nさんは、お父さん

が牧師で、5人兄弟姉妹の一番末になります。皆に愛されて育ったのだと思われますが、幼子のような信

仰の持ち主でした。葬儀式で読まれたマタイ福音書の「野の花・空の鳥」の記事も、生前Nさんが自分の

葬儀の聖書箇所に選んでおいた所だということでした。神によって与えられた命を、神の守りを信頼して

伸びやかに生きる。葬儀に出て、それがNさんの生き様だったように感じられました。葬儀式を終えて、

お別れをし、出棺を見送って、連れ合いよりもNさんは若い方でしたので、何とも重いものを感じなが

ら、私は帰途に着きました。


・20日(木)午後4時半からNさんがメンバーであった高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があ

り、委員の一人として私も出席しました。この日の委員会は予定している講演会の講師に依頼の手紙を出

していて、まだ返事をもらっていませんでしたので、協議することも余りなく、情報交換が中心で、何時

もより少し早目に終えました。


・21日(金)夕方から22日(土)10時半までは、船越教会を会場に寿地区センターの6月委員会と

修養会がありました。そのために私は昼前に鶴巻を出ました。鶴巻温泉駅で小田急に乗ってから携帯電話

を忘れてきたことに気づき、伊勢原で降りて鶴巻に戻りました。自宅に着いたのがちょうど正午ごろに

なっていましたので、昼食は家で済ませてから、携帯電話をポーチに入れて、改めて船越教会に行きまし

た。船越教会には午後3時半頃着きました。会場づくりなどの準備をして、皆の到着を待ちました。午後

6時半過ぎに頼んであったお弁当屋さんからその日の夕飯のお弁当を持って、二人の委員が最初に到着し

ました。その後6名の委員が到着し、私を入れて9名で先ず6月の委員会をしました。何時ものような丁

寧なそれぞれの報告は出来るだけ簡潔にして、前回委員会記録の承認、会計及び募金状況、センター活動

報告、その他を素早く済ませました。協議事項としては、私は支援会の北海道出前集会のために参加でき

なかった5月25日開催の寿地区センター講演会の反省、寿夏まつり参加、寄せ場交流会などについて話

し会いました。講演会は講師のAさんのネイムバリューもあって、いつもより多い126名の出席があり

ました。講演会の横断幕は、私が書いて前日セットできるように準備しておきましたが、当日そのセット

で苦労したということでした。また、要約筆記者が専門用語になかなか対応できないので、それをどうす

るかという問題がでました。船越教会の場合は、私が前以て要約筆記者に説教原稿をデータで送っていま

すので、この問題はクリアしていますが、講演者に完全原稿を前以て要求することは出来ないので、講演

会の場合は難しいのではないかと思われます。今後の課題とし引き継ぐことにしました。寿夏まつりの参

加は決定。寄せ場交流会については参加者を募ることにしました。委員会途中で委員の一人が、委員会を

終えてもう一人が加わり、食事と交流の時を共有し、寿の今後について話し合いました。夜は12時で就

寝しましたが、22日の午前3時頃まで話した人もいました。今回は私も最後まで付き合いました。

船越通信(416)

     船越通信、癸苅隠供   。横娃隠糠6月16日   北村慈郎


・8日(土)は午前10時に横浜駅東口駅前にある郵便局の前で、小学校時代の友人2人と待ち合わせて、

久しぶりに3人で旧交を温めました。一人は名古屋にいて、彼が横浜に来る時に、1年に1回くらいは3人で

会っています。6,7年前にもう一人の友人が亡くなって、彼が埋葬されている墓地が三ツ沢の奥にあり、

この日も3人で彼の墓地に行って線香をあげました。その後横浜駅のカラオケ店の部屋で、カラオケはし

ませんでしたが、昼食を食べながら午後2時過ぎまで歓談し、その後3人で横浜にいるもう一人の友人が運

転する自家用車で船越教会まで送ってくれました。船越教会に着いたのは午後3時頃でした。名古屋の友

人は教会まで来て、礼拝堂などを見ていきました。


・9日(日)はペンテコステの礼拝で、聖餐式があり、礼拝後昼食会もありました。昼食会後6月の役員

会を行いました。午後3時頃役員会を終えて、私は次週の準備をして午後3時半過ぎに船越教会を出て、

途中海老名で少し食材を買って鶴巻に帰りました。


・10日(月)午後1時30分から鎌倉恩寵教会で「沖縄を学ぶ会」があり、私はSさんから頼まれて、求め

すすめる連絡会のことと合同50年について話をしました。船越教会からはHさんとTさんが出席していまし

た。求めすすめる連絡会とは、正式には「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』を

すすめる連絡会」という名称です。2004年の教団総会会期中に有志によって立ち上げた会です。2002年の

教団総会で、沖縄教区提案の「名称変更議案」をはじめ「合同のとらえなおし」関連議案のすべてが審議

未了廃案になり、その時以来沖縄教区は教団との間に距離を置くようになりました。そのことを受けて、

教団が合同のとらえなおしを切り捨てたわけですから、教団との間に距離を置いた沖縄との関係の修復を

有志の会で担わなければならないということで、求めすすめる連絡会ができました。沖縄教区との関係の

修復には、過重な負担を強いられている沖縄の米軍基地撤去の問題を担わなければならないということ

で、上記の名称の連絡会になりました。求めすすめる連絡会は沖縄から根本的な問いを受けています。そ

の問いは、沖縄から聞き学ぶという姿勢だけでは、何時までも沖縄から収奪することになるのではない

か。ヤマトの側として主体的に何をするかその実を示してもらいたいというものです。この船越通信にも

以前に書いたことがあると思いますが、求めすすめる連絡会の全国集会を沖縄で開催した時に、平良修さ

んが「辺野古に来てくれることはありがたいが、日米安保がある限り、今辺野古で起こっていることは今

後も沖縄で繰り返されるので、あなたがたヤマトの方は日米安保を破棄する運動をしてもらいたい」とい

う主旨の発言をされました。この平良修さんの発言を重く受け止めなければならないと、求めすすめる連

絡会では思っているのです。本年3月に兵庫でありました求めすすめる連絡会の全国集会「合同50年にあ

たって〜その歴史を検証する〜」で、発題をされたT・Fさんが合同50年の歴史を振り返って、「主体性を

失わず、責任をちゃんと負うときにこそ、共同性ははじめてありえる。そこをずっと中途半端にしてきた

この50年、では、これからどうしていくか」と結びました。故小田原紀雄さんが、1981年の東京キリスト

者救援会発行「救援ニュース」に、「『戦責告白』と『憲法』〜平良修氏へ」という文章を書いていま

す。その中にこういう一節があります。「平良さんが、『合同』を吸収合併とおっしゃるのであれば、沖

縄の側から、少なくとも思想の水準で、日本基督教団との関係の一切を切断してみられる必要がありはし

ませんでしょうか。『戦責告白』もまた沖縄を吸収合併した『ヤマト』の為した物ですから、これも同様

に扱うべきだと私には思えます。/その上で、沖縄は沖縄固有の『戦責』を明らかにして下さい。私のよ

うな者からこういう言い方をするのは甚だ苦しいのですが、やはり沖縄には沖縄の『戦責』はあるはずで

す。そして私共もまた、日本基督教団の『戦責告白』の不充分性を徹底的に明らかにし、戦後責任から、

今私共の為すべき方向まで含めて展開すべく努力します。この個別に離れて為す作業の中で、沖縄と「ヤ

マト」の出会える可能性が見えてくるように思えます」。この小田原さんが指摘している課題は、今も私

たちの課題ではないでしょうか。沖縄を学ぶ会では、それと共に6月26日開催の神奈川教区総会の議案に

なっている「沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同50年を憶えて、合同の実質化を目指す集会を開

催する件」について話しました。


・11日(火)18:30より紅葉坂教会で支援会の世話人・事務局会があり、総会と北海道出前集会の報告

を中心に通信第23号を7月中旬に発行する予定。

船越通信(415)

     船越通信、癸苅隠機   。横娃隠糠6月9日   北村慈郎


・今日はペンテコステの礼拝です。毎年ペンテコステの時には、堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭の「風立ち

ぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句を思い起こします。これは、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓

地』の一節を堀が訳したものであると言われます。「生きめやも」とは「生きようじゃないか」という感

じでしょうか。聖霊は、「父なる神」と「イエス・キリスト」の霊であり、神の命の息吹なのでしょう。

聖霊の息吹を受けて、この生きづらい現実の世にあって和解と平和の使者として歩み続けたいと願いま

す。


・5月30日(木)は午後4時半から高座渋谷教会で教区の基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)が

ありました。この日の基地小は2人の委員がお休みで、出席した委員は4人でした。主な協議は今年度の講

演会についてですが、講師は矢部宏冶さんにお願いしようということになり、お願いの手紙の原案を私が

書くことになりました。後日原案を書き、基地小の委員の方々にメールで送り、基地小として修正された

講演依頼の手紙を矢部宏冶さんに講演依頼担当の委員から郵送しました。矢部宏冶さんは講演をしない人

のようですが、今回は敢えてお願いしました。矢部宏冶さんはその著書からしますと、憲法体制よりも安

保体制がこの国では政治的な権力としては上にあるという現実を踏まえて、平和につながるこの国の在り

様を模索している人です。是非講演を伺いたいと願っています。


・6月2日の日曜日の礼拝には、耳の不自由なOさんが出席しました。この日はいつもパソコン筆記を

担ってくださるHさんがお休みでしたので、Tさんにお願いし、Tさんには2日の午前0時30分ごろメールで

説教原稿を送っておきました。Oさんは船越教会の礼拝に出席される時には、いつも私に対する質問をい

くつか持ってこられます。その質問に私は礼拝後に答えるようにしています。この日も三つの質問を0

さんから受けました。そのうちの一つは、神とイエスについてです。教会によってはイエスについは余り

語らす、もっぱら神について語るところがあると言うのです。私はベトナム戦争の時にアメリカ大統領の

ブッシュの信仰には、神への宣誓はあるが、イエスの十字架はないという批判があったことを紹介しまし

た。そして神はイエスを通して自らを啓示したというのがキリスト教信仰であり、イエスに全く触れない

で神だけを語るのは、キリスト教信仰としては問題ではないか、と申し上げました。


・この日は礼拝後医療の問題で懇談に花が咲きました。がん治療のこと、薬の使い過ぎのことなど、話が

盛り上がりました。私も高血圧と前立腺の薬を一錠ずつ毎朝飲んでします。そのため2か月に一回は内科

に、3か月に一回は泌尿器科に受診して薬をもらっています。私も医療費の高騰に一躍買っているのかも

知れません。


・4日(火)は午後6時から蒔田教会教育館で常置委員会がありました。私も要請陪席者として出席しま

した。この日の主な議題は6月29日開催の教区総会に関わる内容のものでした。実はかながわ明日の教団

を考える会でまとめました、「日本基督教団教師委員会・審判委員会の北村慈郎教師に対する戒規適用が

無効であることを確認し、北村慈郎教師の免職処分を撤回を求める声明を出す件」と「沖縄キリスト教団

と日本基督教団との合同50年を憶えて、合同の実質化を目指す集会を開催する件」は常置委員会提案に

してもらうように、私の方から四役会にお願いしてありました。四役会はこの日の常置委員会の議題に入

れてくれ、審議の結果二つとも常置委員会提案の教区総会議案になりました。この日は常置委員会が終

わったのが午後9時半ごろでしたので、すぐに帰りましたが、鶴巻の自宅に着いたのは午後11時少し前で

した。


・5日(水)は、連れ合いが抗がん剤投与から3週目の時期で、比較的安定していましたので、この日午

後6時半から横浜駅西口近くの神奈川県民センターホールで行われました辺野古新基地建設反対の集会

(「ストップ!辺野古埋立て6.5横浜の集い」主催:島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会)に参加しました。

この集会の協賛の中には、神奈川教区の基地小も加入しています「基地撤去をめざす県央共闘会議」も加

わっていました。集会では二人の発言(安次富浩さん〔ヘリ基地反対協議会共同代表〕が沖縄からの訴

え:「辺野古のたたかい〜現状と課題」にいて、元山仁士郎さん〔「辺野古」県民投票の会〕が「県民投

票の経験から考える<沖縄の自己決定権>」がありました。元山仁士郎さんは、今は一橋大学大学院で19

72年の沖縄返還前後の歴史を研究しているそうですが、沖縄の県民投票では呼びかけ人としてハンガース

トライキもした人です。様々な圧力のある中で沖縄県民の52.48%の人たちが県民投票に行って、その7割

超の人たちが辺野古新基地建設に反対の意思表示をしたことは、大変重いことです。それも無視し続けて

いる今の政府は、沖縄への植民地主義を露わにしているとしか思えません。東京新聞6月7日朝刊に、沖縄

大非常勤講師の親川志奈子さんがこのように書いていました。


・<(今年4月にニューヨークの国連本部で開催された)「先住民族問題に関する常設フォーラ

ム」で私たちは、辺野古新基地反対票が七割超に上った二月の県民投票の結果尊重を訴えた。/中には、

琉球姿の私に駆け寄り「ニュースで投票結果を知りました。あなたたちの行動に敬意を表します。民主主

義を無視する日本政府の態度を遺憾に思います」と握手を求めてくる人がいた。/沖縄言葉に「まく

とぅーそーけーなんくるないさ」がある。「くじけずに正しい道を歩むべく努力すればいつか良い日が来

る」との意味だ。/県民投票後、岩屋毅防衛相は「沖縄には沖縄の、国には国の民主主義がある」と言っ

た。それはまさに、植民地主義にのっとった「日本型」民主主義の正当化ではないだろうか。世界は見て

いる。私たちは、真の民主主義を実践していく。>

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