なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

北村支援会

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聖餐のあり方について

 以下は、2018年8月26日(日)になか伝道所に招かれて、聖餐について話した内容です。なか伝道所の

方が私の話を文章化してくださり、なか伝道所の機関紙「ことぶき『なか』だより癸隠牽検2018年11月

発行)に掲載してくださったものです。教団において2010年に私が戒規免職処分をされてからは、特に聖

餐についての論議が、教団内において自粛されている感があります。しかし、この時代状況からして、私

たちの教会が再び過ちを犯さないためには、聖餐についての以下の問いかけに対する応答は、私たちの教

会にとって喫緊の課題ではないかと思うのです。私の免職処分の撤回と共に、下記の聖餐のあり方につい

ての問いかけに諸教会・伝道所、信徒・教職の方々が何らかの応答をしてくださり、教団内において論議

が活発に行われるようになることを希望します。

 新しい年の皆様の歩みの上に主の導きをお祈りいたします。

                     2019年1月1日   北 村 慈 郎
 


        ≪聖餐のあり方について≫ 2018年8月26日(日)なか伝道所で 


⓵ 船越教会での聖餐

 船越教会では、現在年5回(三つの祝祭日、イースター、パンテコステ、クリスマスと、8月第一日曜日

の平和聖日、11月第一日曜日の永眠者記念礼拝)聖餐を行っています。

 そこで使用されている式文は、司会者と礼拝出席者が交読文のように応答を行う形式となっています。

そして最後に、聖餐のパンとブドウ酒に与ります。式文は聖書のさまざまな箇所を典拠としてイエスの福

音に対する教会側の応答という側面が強いと思います。


◆\算舛琉婬舛箸修諒兪

 聖餐について現在に繋がる問題意識が起きたのは、恐らく1960年代後半からだと思います。当時、批判

的な聖書学の成果として、聖餐の起源は主の食卓、つまりイエスの食卓共同体という面が非常に強いので

はないか、という研究が出てきました。伝統的な聖餐の見直しです。

 同じ時期に、象徴としての聖餐の重要性の再発見が起こります。カルヴィニズム的な信仰観が支配的

だった日本の教会の礼拝は、説教中心の礼拝となっていて、そうした状況を「讃美歌付講演会」と揶揄す

る人もいました。リタージカル・ムーブメントの世界的な盛り上がりを受けて、説教中心だった当時の礼

拝スタイルが見直され、説教と聖餐両方が行われることが望ましい、と考える人が生まれてきたのです。

こうして、1970年代に入ると、聖餐式を毎週行う教会も出てきました。

 一方、キリスト教世界であったヨーロッパでは、他宗教の人々が増えてきて、キリスト教も他宗教と共

に一つの宗教に過ぎないという状況が生まれ、キリスト教を相対化する動きが起きています。そうした多

文化共生社会における教会では、聖餐もキリスト教徒だけに許される特別なものではなく、誰にでも開か

れたものであるべきだとする考えが現れてもおかしくありません。特に、キリスト教が他宗教のなかに

入っていったアフリカ、アジア、南米などではそのような考えが生まれているのではないでしょうか。北

米の合同メソジスト教会やカナダ合同教会などでも、聖書の知見と共にこの動きを受けて聖餐を開いてい

ます。


 象徴行為としての聖餐

 戦時下の教会で行った聖餐と現代の教会が行っている聖餐の連続性と不連続性について言えば、儀式と

しての聖餐は象徴行為ですので、それ自身をどう受け取るかということは、その聖餐の行われている教会

で語られている説教の内容や宣教の方向性と密接不可分だと思われます。ですから、同じ行為である聖餐

も、それぞれの教会によって実質的な違いがあるのではないでしょうか。また同じ教会のメンバーでも、

一人一人によって聖餐の受け止め方が違うということも起こり得ます。

 言葉ではなかなか伝えづらいことが、パンを食べブドウ酒を飲むという非常に具体的な体の行為によっ

て実感としてわかる。象徴行為の優位性というものがあると思うのです。もしカトリックのように内在の

キリストを信じるとすれば、パンとブドウ酒は祝福されると実際のキリストの体と血になるわけですか

ら、それを食べることでキリストが自分の内に生きているということになるわけです。それは非常に実体

としてわかりやすいじゃないですか。しかも具体的に感じられるわけです。

 ただそれは、場合によってはいかようにも受け取り手によって解釈されてしまうという側面も同時に

持っている。聖餐を受ければ幸せになれる、という具合に呪術的に受け取っている人がいなくもない、と

いうことです。

 そういう点で、戦時下の教会では憲兵に見守られて説教をして、宮城遥拝して、朝鮮半島の教会には神

社参拝を強要していたわけです。戦争に行く者には戦勝を祈願して送り出していった。そこで語られてい

た言葉は聖餐と密接不可分であって、恐らく聖餐も戦争協力のために大いに使われていたことは、当時の

教会としてありうるわけです。こういう歴史を持つ日本基督教団の教会が現在行っている聖餐は、当時の

聖餐とどう違うのか。かつての戦争協力していた聖餐が過ちだとするならば、その過ちをどう克服して、

現在どのような聖餐をしていくのか。こうしたことが問われてしかるべきではないかと思います。しか

し、それに対してはほとんど問題化されていないというのが現実です。

 聖餐について考えるとき、単にどのような形式の聖餐をすればよいのかと考えるだけでは不十分です。

私たちが行う聖餐が、現代という社会的な文脈のなかでどのような役割を発揮してしまうのかという点も

含んで考えないと、なかなか厳しいのではないでしょうか。この問題は私たちの現在の課題として考えて

いかなければならないと思っています。

全国交流集会の案内

   北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会

《全国交流集会》のご案内


 
 来る10月23日〜25日開催の第41(合同後26)回教団総会第2日目夜に、下記のように《全国交流集会》

を開催いたします。

今回はカナダ合同教会宣教師で農村伝道神学校校長のロバート・ウィットマーさんに講演をお願いしま

した。ウィットマーさんからは、伝統の異なる教会が合同して出来たカナダ合同教会が、カナダ合同教会

として一つの教会になるめに、一部の教会離脱という痛みを抱えながら、忍耐強い対話を重ねて現在に

至っているその歴史と課題について、お話を伺いたいと思います。

 私たちは、日本基督教団が異なる他者を強引に切り捨てるのではなく、多様性の中で一致を求めてゆく

本来の合同教会として成長していくためにも、カナダ合同教会に学び、北村慈郎牧師の免職撤回支援を通

して教団改革に取り組んでいきたいと願っています。

 どうぞ《全国交流集会》にご出席くださいますようよろしくお願い申し上げます。


 日時:2018年10月24日(水)午後9時〜11時

 場所:東京三協信用金庫ビル5階 東京セミナー学院大教室(150名収容)
   
            (東京都豊島区西池袋5-4-6、TEL03-3982-0191)

             ○JR「池袋駅」西口徒歩5分。
 
             ○地下鉄・副都心線「池袋駅」徒歩2分。

 
 内容: ヽ会:関田寛雄世話人代表挨拶、   
    
    ◆々岷蕁屮ナダ合同教会の歴史と現在」ロバート・ウィットマーさん
                 
                          (農村伝道神学校校長)、

    質疑応答・協議、

    な腸


  ○主催:北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会

                      (連絡先 事務局長:久保博夫090-2669-4219)

 以下は支援会通信第21号にも掲載したものです。教団から教師の戒規免職処分を受けて、8年目になりますが、現在の私の率直な思いです。

「戒規免職処分を受けて〜7年間の総括と今後に向けて〜」       北 村 慈 郎
                           2018年3月17日支援会第6回総会にて

はじめに
最初に皆さまにお礼の言葉を述べさせていただきます。
私が日本基督教団から教師免職処分を受けてからのこの7年間、皆さまの様々な形でのご支援を心から感謝申し上げます。一つは、この会の支援者の方々、世話人や事務局員の方々、免職処分後の私へのご支援とご労苦を心から感謝いたします。特に世話人代表と船越教会の代務者をお引き受けいただいています関田寛雄先生には、言葉に言い表せないほどのお世話になっています。ありがとうございます。そして免職教師の私を牧師として迎えてくださり、免職以前と全く同じように教団の教師としての働きの場を与えて下さっています船越教会に、そして実質的に教会担任教師として処遇してくださっています神奈川教区にも、心から感謝申し上げます。そして今日もこの総会の場所を提供してくださっています紅葉坂教会は、世話人・事務局会をはじめこの支援会の集会のために場所を無料で提供してくださっています。本当にありがとうございます。
このように多くの方々に支えられて、私は、免職処分後のこの7年間を、教区の常置委員会と総会での一部の議員による私を排除する発言以外は、免職以前と変わらないで、一教会担任教師として与えられた課題に取り組んでくることが出来ました。
さて、今日の総会での発言は、私の希望で担当させてもらいました。今日私がこれから話しますことは、2年前にこの会が発行しました、新教コイノーニア31『戒規か対話か〜聖餐をめぐる日本基督教団への問いかけ〜』の中で、以前になか伝道所で2回にわたってお話させていただきましたものをまとめて、「私の戒規免職問題とは何か?」という文章を載せてもらっていますが、ほぼそれをベースにしておりますので、この文章と重複する所があるかと思いますが、お許しいただきたいと思います。

(機貌本基督教団執行部による私の戒規免職処分は、パワハラではないか?

 関田先生がよく、「私の戒規免職処分は聖餐の問題に起因しているのではなく、最初に北村を排除したいがために、聖餐の問題はその理由づけに使われたに過ぎない。ですから私の免職処分は教団執行部によるパワーハラスメントである」という主旨のことをおっしゃってくださっていますが、私の免職処分に至る経過を振り返りますと、私自身もそのように思わざるを得ないのであります。

(a) 私が戒規免職処分を受けるに至った経緯

 私が牧師として文字通りに「開かれた聖餐」を執行しはじめたのは、当時牧師をしていたこの紅葉坂教会が1999年3月の教会総会で、「未受洗者」も希望すれば、聖餐を受けることを認めた後の、その年のイースターの礼拝からでした。この教会総会で決めたのは、「聖餐には洗礼を受けた信徒が与る」という教会規則第8条の削除と、「受洗者非受洗者に関わらず希望する方は誰でも聖餐に与ることが出来ます」と聖餐への招きの言葉をはっきり語って聖餐式をするということでした。この時に、教会総会で教会規則第8条を削除しましたので、教会規則変更申請として教区常置委員会に出しましたが、教区常置委員会では内容には触れず形式的に承認して教団の同意を求めました。しかし、教団では承認されず、突き返されてきたのですが、その時は何か教団から言ってきたら役員会はそれに対応することを決め、役員会からは強いて教団に問わないことを確認しました。その後教団は何も言ってきませんでしたので、そのまま時が経っていきました。
 この頃まで私は一個教会をベースにして、1995年4月に紅葉坂教会の牧師になってからも、寿地区活動委員会以外は、教区・教団とは積極的に関わることなく牧師としての働きを続けていました。ところが神奈川教区には当時東神大問題で教授会から排除された牧師や信徒が数名いて、ここにいるOさんもその一人ですが、その方々から「北村さん、もう少し教区や教団に関わって問題を担ってよ」と言われました。この人たちから言われると断ることが出来ませんので、2002年の教区総会で教団総会議員に選ばれて、約30年ぶりに教団総会に出たわけです。その教団総会でご存知のように、沖縄教区提案の「名称変更議案」をはじめ、合同のとらえなおし関連諸議案が全て審議未了廃案になり、靖国・天皇制問題情報センターや性差別問題特別委員会が廃止にされたわけです。その総会が終わって、当時の沖縄教区議長の山里勝一牧師が「さようなら」と言って去って行かれました。沖縄から来てその総会を傍聴していました信徒の方々も涙を流しながら去って行かれました。その時から沖縄教区は教団との間に距離を置くようになりました。何十年ぶりに出た教団総会で、私はそのような沖縄教区を切り捨て、靖国・天皇制問題情報センターや性差別問題特別委員会を切り捨てる教団の現実を突きつけられたわけであります。その後私は当時横浜二ツ橋教会牧師だったMさんに言われて、現教団執行部には批判的だった9教区議長会に、当時神奈川教区議長は入っていませんでしたので、それまでM牧師が出ていたのですが、M牧師に代わって私が出るようになりました。そういう背景の中で、2004年の教団総会で私が常議員の一人に選ばれたのであります。しかもこの2004年の教団総会では、前回の総会でつぶされた性差別問題特別委員会の再設置を求める議案が複数の教区から出ていたのを、教団執行部はそれを勝手に一つにまとめて議案にしていましたので、有志の人たちと相談して、議事が始まる前に議長団に迫り、その撤回を求めることにしました。その抗議行動は1時間半ほど続き、その結果全ての教区の性差別問題特別委員会再設置の議案を扱うということで、議事に入りました。その抗議の実力行動で、当時の山北議長のところに最初にいったのが私でした。その時の教団総会では神奈川教区の議員の席が一番前で、山北さんのところに行くのに、私が一番近かったからです。この総会で私は常議員に選ばれました。その総会期の常議員会に出席し、常議員会が多数者の横暴による非民主的な議事運営をしていることを知り、その現実を日本基督教団の諸教会・伝道所に知ってもらおうと、常議員会ごとに私的な常議員会報告を作って、何度か配布しました。
恐らく山北さんをはじめ教団執行部側の人たちは、教団総会における私もその一人に加わって行った抗議行動を議事妨害と受け止めたと思いますし、私が常議員会の私的報告を全国の教会・伝道所に配布したことも、常議員会を支配して自分たちの思い通りに議事運営をしようとする人たちにとっては、私は目障りな存在になっていたのではないかと思われます。そして2006年の教団総会で私はまた常議員に選ばれました。その教団総会の礼拝での聖餐式で、私はパンと葡萄酒を受け取りませんでした。それは教団との間に距離を置いている沖縄教区の議員がいないところで行われた聖餐式に疑問を感じたからです。教団総会では各教区から選出された教団総会議員が、教区ごとにその得票数の多い人から順に教職が先にその後に信徒が並んで座ります。その時神奈川教区の信徒であるMさんが、私と横一列に並んでいました。そのMさんがこの教団総会後の第一回常議員会で、私を名指しはしませんでしたが、「常議員の一人が聖餐の陪餐を拒否したが、それは問題ではないか」という趣旨の発言をしましたので、私は「それは私である」と申し上げました。このことが契機となって、常議員会では、次回記録を取らない自由な懇談会という形で私に「聖餐について」、その時の教団総会で東北教区の信徒の方による同性愛差別発言がありましたので、解放センターの東谷誠さんに「同性愛差別について」発題してもらい懇談の時を持つことになりました。そして私は次回の常議員会で資料を用意して紅葉坂教会の事例を話しました。すると、その次の常議員会に山北さんから「教師退任勧告」の議案が出て、常議員会は多数決でその議案を可決し、私に山北さんの名前で第一回の教師退任勧告文が送られてきました。私はそれを拒否しましたので、第二回の教師退任勧告文が来ましたが、私はそれも拒否しました。すると、常議員会で決議して、常議員会が教師委員会に私を戒規にかけるように提訴したのです。その常議員会の提訴を教師委員会が受理する前に、2008年の教団総会があり、そこで柴田もゆるさんが提案者である議員提案議案、常議員会は教師委員会によって戒規処分を受けた者がその処分を不服として上告する所でもありますので、私に対する常議員会の教師委員会への提訴は無効であるという、第44号議案がその総会で不思議にも可決したのです。その総会には教師退任勧告撤回の議案も出ていたのですが、そちらの議案は否決で、私への教師退任勧告は生きていたわけです。
しかし、この44号議案が可決したので、私が教師委員会によって戒規にかけられることは、もうないと思いました。なぜなら、そもそも当時の教師委員会の戒規に関する内規によれば、教師への戒規を要請できるのは、各個教会の役員会か教区の常置委員会で、各個教会の役員会からの場合は教区の常置委員会を通して要請することができるとなっていたからです。信仰職制委員会の『教憲教規の解釈に関する先例集』96にも、そのことが明記されていたのです。そして、紅葉坂教会役員会も神奈川教区常置委員会も、教師委員会に私を戒規にかけるように要請することはあり得ないという確信があったからです。
 実は第44号議案が可決された教団総会が終わってしばらくして、山北さんから私に電話があり、会って話したいということでしたので、私は山北さんと二人で会って話を聞きました。山北さんは第44号議案の可決には聖霊の働きを感じたというのです。だから紅葉坂教会の役員会と会って話をしたい。そこで今後戒規で脅かすようなことはしないので、紅葉坂教会も「開かれた聖餐」の旗を振らないでもらいたいとう約束をしたいと言うのです。私は山北さんと紅葉坂教会の役員会の話し合いの場を設定し、山北さんの言われることは紅葉坂教会も全く異存がないので、両者の話し合いが成立しました。そういうこともありましたので、第44号議案の可決によって私の戒規はなくなったものと思ったわけです。それが2008年11月末のことでした。
 ところが、何としても私を戒規にかけようとする動きが、2009年に入ってから、山北さんを飛び越えて現れるようになりました。まず当時東海教区議長北紀吉さんから信仰職制委員会への諮問があり、その答申を受けて今度は教師委員会が信仰職制委員会に諮問を出し、その答申を受けて教師委員会は「戒規に関する内規」を改定し、改定前の内規にはあった、「教会の役員会か教区の常置委員会、教会役員会は常置委員会を通す」という誰が戒規を要請できるかという、戒規要請主体に関する規則の部分をすべて削除してしまいます。そして改定された戒規に関する内規は、「戒規発動要請の受理」から始まっています。この教師委員会の内規は補則に「この内規は2009年7月13日から実施する」とあります。この教師委員会の改定された内規をどのようして知ったのか、この内規の実施日から18日後の2009年7月31日付で小林貞夫さんが申立人で、小林貞夫さんを含めた7名の当時の信徒常議員の賛同者名のある「北村慈郎教師への戒規適用申立書」が教師委員会委員長宛てに出されました。教師委員会はその申立書を9月の委員会で受理していますが、私がそれを知ったのは10月の常議員会での教師委員会の報告によってです。2008年の教団総会の44号議案というのは、常議員会が教師の戒規申立人になることはできないということを議決したわけですね。私を教師委員会に戒規にかけろと申し立てたのは常議員信徒7名によるわけです。この信徒常議員による私への戒規申立も、実質的には44号議案で否定された常議員会による戒規申立に該当します。その申立書は私の戒規免職決定がなされるまで、見せてもらえませんでした。裁判の中で教団側の証拠書類として出て来て、初めて見たのですが、大変雑なもので、その申立書の最後に私が「開かれた聖餐」をやっていると書かれているのですが、実際に紅葉坂教会に見に来たこともないわけですね。私が話したり、書いたりしていることだけで、私が開かれた聖餐をやっていると書いてあるだけなのです。非常に杜撰な申立書だと思いますが、その申立書を教師委員会が受理し、その後教師委員会は調査委員会を立ち上げ、私に3度面談要請をしてきました。私は、紅葉坂役員会が教師委員会の戒規に関する内規は教団規則に当たるのかという諮問を信仰職制委員会に出していましたので、その回答がくるまで、面談は待って欲しいと、3度調査委員会に手紙を出しました。そのことを調査委員会は私が面談を拒否したと受け止めて、私との一度の面談もなく、教師委員会は2010年1月26日付で私を戒規免職処分にしました。翌日その通知を教師委員会委員長他数名で紅葉坂教会にいた私の所に持ってきました。
実は、教師委員会が私の戒規免職処分を決めた同じ日の2010年1月26日に信仰職制委員会が紅葉坂教会役員会からと北海教区議長の久世そらちさんからの諮問への答申を出しました。紅葉坂教会役員会からの諮問に対しては「教師委員会の内規は教団規則には当たらない」という答申でした。久世そらちさんの諮問は、戒規の要請主体が限定されていなければ、戒規の乱用が起こるのではないかとう諮問でしたが、それに対しての信仰職制委員会の答申は、「教憲教規の解釈に関する先例集96『戒規の申立ては教会役員会と教区常置委員会がし、教会役員会の場合は教区常置委員会を通してする』を尊重するように」というものでした。教師委員会はこの信仰職制委員会の答申が出た日に私の戒規免職処分を決めていますから、当然この先例集96を尊重するようにという信仰職制委員会の答申を無視したことになります。しかも教師委員会が私を戒規免職に決定した時に、7名の委員のうち2名は辞任しましたので、5名で私を戒規免職に決定しているわけですね。
 私の戒規免職処分における手続き上の不当性を考える時に、最初から最後まで審判委員会の選任から決定も含めてすべて不当だと思いますが、特におかしいのはこの教師委員会の戒規に関する内規の改定と私の免職処分の決定ではないかと思っています。
 そして2010年9月15日付で審判委員会が教師委員会の私への戒規免職処分の決定を是とすることによって、日本基督教団における私の戒規免職処分が最終的に決定されました。それまで常議員会においても既に規定事実のように進み、私の発言する機会が与えられませんでしたので、よっぽど私は嫌われたのか、或いは北村を何とか排除したいと思っていたのかわかりませんけれども、そういう形で私の免職決定がなされたわけであります。そういうプロセスを見ますと、組織における決定ということからすると、もしかしたらこの私の免職問題はパワーハラスメントに当たるのかなあと、私自身も感じておりました。

 (b) 私の戒規免職処分の背景としての二分化した教団の現状

 こういう私の戒規免職問題の背景として考えられるのは、やはり現在の教団が二分化しているということではないかと思います。2006年でしたか、教団総会の議長総括の中で「荒野の40年」ということで、戦責告白以降の教団の40年の歴史を全否定していますね。そういういわば、70年代の教団の運動の中で、状況との関係をどのようにとらえるかということで、教会をどうみるか、或いは宣教をどのように考えるかということと関わっていると思いますが、今の教団の執行部の考え方の中には、神学としては北森さんの考え方、「信仰の一致と証しの多様性」が幅を利かせています。たとえばベトナム戦争の時代に、平和においてはみな一致できるけれども、北爆反対ということでは一致できない。その点では多様性がある。それが証しの多様性です。社会的な立場の一致はキリスト者としてはそれぞれ異なる立場があり、芳しくないということです。そういう中で70年当時、そういう教会のあり方、宣教の在り方に対して「状況捨象の神学」と言われました。たとえば田川建三さんは「現実と観念の逆転」という言い方をしましたが、教会の教理が現実なのか、或いは社会的な人間の生活の場が現実なのかということからすれば、キリスト教の中にはその信仰において、観念としての教理の方が現実で、社会的な人間の生活の現実が観念に逆転しているのではという問題提起があったわけです。この指摘は今の教団執行部の立場にも当てはまるように思われます。70年以来この問題をずっと教団の教会は抱えていると思います。
ですから教団の中に教会や宣教についての二つの考え方があるのは事実であって、それを無視することはできません。神奈川教区はその二分化した現実を前提にして、どのような立場にあったとしても、相手を無視するのではなくて、多様性を認めながら、その中で一つをめざしていくという方向性を、教区形成基本方針の中でとっているわけです。ですから、私のような者も神奈川教区の中では排除されずに一緒にやっていくことができるわけです。しかし、今の教団の執行部は一方的な考え方に立って、他は排除するという姿勢が非常に濃厚に出ていますので、多分私のような立場はその中にいることはできないのではないかと思います。そういう構造になっているのではないかと思われます。そのことが2010年の教団総会では、皆さんも覚えていると思いますが、「議案ガイド」が200人位の教団総会議員に配られまして、これは本当に驚くべきことだったと思いますけれども、全ての議案に解説がついて、これは賛成、これは反対と、全部指示されて書かれているのです。それが教団総会議員の200人位に配布されて、その通りに議決されました。そしてその時から常議員選挙が全数連記(それまでは半数連記)になりましたので、そこで選ばれた常議員は一方的な立場に立っている人たちだけになりました。それが2010年以来の教団の現実です。
そしてそれ以降どういうことが現れてきているかと言いますと、2012年にはいわゆる「改訂宣教基礎理論」が出てきました。その後「教区連帯資金」が廃止されて「伝道資金」に変わってきています。「教区連帯資金」は教区間の互助を目的としたもので、負担できる教区は連帯資金にお金を出して、それを教区議長がお互いに話し合って連帯資金を受ける教区に分け合っていくということで、地方教区は受ける方で、神奈川や東京、西東京のような大都市のある教区が出すという形をとっていました。ところが伝道資金になって、各教区に割り当てられた負担金として一度教団にその資金が集められ、教区と各個教会・伝道所が教区を通して交付金を教団に申請して配分されるという形になっています。但し受洗していない人にも配餐している聖餐式を行っている教会・伝道所には伝道資金は交付してはいけないという規則があるのです。そういうことが起こっております。それから最近では、2018年になって、教区の常置委員会の報告で分かったのですが、教団の機構改定が俎上に上がっています。それは教団の財政難ということで、現在教団は会計面では約2億5,000万円で運営していますが、それができなくなるということで、5,000万円を減らして2億円で運営せざるを得ないようになるので、機構改定して2億円で運営できるようにするというものです。そうなるとほとんどの委員会活動はなくなります。このような教団の動きは、2010年以来選ばれている常議員が一方的な立場の人たちだけですので、現在の教団執行部がやりたいようにやっているという状況です。もう一つ言い忘れましたが、2010年の教団総会以降教団執行部は東京神学大学の機動隊導入反対の総会決議を反故にして、教団と東京神学大学との関係回復を標榜し、常議員会にも東京神学大学学長が出て来て発言するようになっています。そのように2010年以降の教団は執行部によるほとんど一方的な教団運営になっています。

(c) 裁判とその後

 そういう中で、2010年9月15日に教師委員会の私に対する免職決定を是とする審判委員会の結論が出て、私の免職が最終的に決定しました。その時はまだ私は紅葉坂教会の牧師でしたので、仮処分申請の裁判を起こしました。翌年の2月にその仮処分裁判の審尋の中で、裁判官の方からもしこれを本訴で争おうとするなら、仮処分申請を取り下げたらどうかという助言をいただきました。仮処分での判決を勝ち取るには、私は教団から免職をされていますが、まだ紅葉坂教会の牧師として働いて謝儀を教会からいただいていましたので、仮処分申請の緊急性がどこまであるかという問題を含めて、なかなか難しい状況にあったわけです。ですから、そういう助言をいただいて、本訴の準備にかかった時に、3・11の東日本大震災と東電福島第一原発事故が発生したわけです。しばらく様子を見て、2011年の5月頃から本訴の準備を少しずつ始めて、11月末に本訴の提訴に踏み切りました。私の訴えは、2014年6月10日最高裁で「争訟に値しない」という理由で最終的に棄却になりました。宗教団体内の問題はその宗教団体で解決すべきだということです。教団の中で行われた不当な免職なので、その手続きの不当性を訴えたのですが、司法はそれを取り上げてくれませんでした。
その結果、私の戒規免職撤回は教団の中で求め続けることになりました。私の裁判開始と共に「北村慈郎牧師を支援する会」を立ち上げ、活動を続けてきましたが、裁判が終わりましたので、2015年の総会で名称を「北村慈郎牧師の免職撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」にし、その直後に関田先生を中心にして5項目の宣言を発表し、その賛同者を募る運動をするようになっています。

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 最後に、みなさんにお渡ししたメモを見ていただきたいと思いますが、今後の課題と取り組みということで、いくつか私の方から提案と言うか、思いを述べさせていただきたいと思います。これは先ほどの総会で、2018年度の活動提案の中に「『宣言5項目』による具体的な運動を、他団体との連帯を模索しながら展開します」が入っていて、これをみなさんに承認して頂いたのですが、これは東京・神奈川の世話人と事務局会の人とで議論はしていますが、最終的にまだまとまっておりません。ですから、ここから私がお話ししますことは、世話人・事務局会で話し合っていることも中にはありますけれども、私個人の思いや提案になるかと思います。そういうものとしてお聞きいただきたいと思います。後で皆さんからのご意見を伺い、世話人・事務局会に持ち帰って、討論して、この会の今後の運動の方向性を出していきたいと思っています。短いのでメモを読みます。
「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」にあります5項目とは以下の通りです。

1、 北村牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。
2、 聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。
3、 「戦責告白」の教団史における意義について確認することを求めます。
4、 沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。
5、 一方的な「公同教会」の主張を再考して「合同教会」の形成を求めます。

この宣言の賛同者を募ると共に、この会としても5項目の実践が求められていると思われます。今後も教団の状況は、何時迄続くか分かりませんが、二分化が続くと思われます。戦責告白を大切にして、社会の問題にも教会が宣教の課題として関わって行くのか。或いは現在の教団執行部が言っているように、そういうこととは関係なく、戦責告白以降の40年を「荒野の40年」としてすべて否定的に評価して伝道一本で教会形成をしていくのか。その中で我々としてはどうするのかが問われていると思います。
先程もお話ししましたように、私の戒規免職処分が最終決定しました2010年10月の第37回合同後22回教団総会で、「議案ガイド」が約200名の議員に配布されて、全数連記による常議員選挙が行われ、教団執行部は一部の人たちによって支配されるようになりました。その後何が起こっているかと言いますと、伝道推進室の設置、東神大機動隊導入反対の教団総会決議の反故による教団と東神大との密着、改訂宣教基礎理論、教区連帯資金の伝道資金への改編、そして最近は教団伝道対策検討委員会による全国伝道推進献金の設置と教団機構改定が進められようとしています。この現教団執行部によって推進されています教団の方向性からしますと、「宣言」5項目の要求は一切無視されると思いますし、事実現在の教団執行部によって無視されています。そういう状況の中で「教団の活路を開くために」「土俵を割らない」「対話を止めない」「希望を捨てない」という、世話人代表の関田先生が繰り返して強調されている方向性をもって、今後具体的にどのような運動を形成できるかという課題が、私たちに突きつけられているのではないかと思います。
現在の教団執行部によってこの宣言5項目が無視され続けていくとしても、その主張を繰り返し言い続けていくことを、これからも私たちはしていかなければならないと思いますが、その上で、いくつか私の思いつく行動を挙げてみたいと思います。

(1) 宣言1「北村牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。」については、
2018年度活動提案の「北村慈郎牧師の戒規免職処分の不当性と撤回の必要性を分かり易いリーフレ
ットにして発行します」を実行し、このリーフレットをいろいろなツテ、方法を通してまだ私の戒規免職問題について正確に知らない、或いは知らされていない教団の信徒・教職に幅広く配布する運動をする。◆〆鯒10月28日開催の関西(大阪)出前集会でNさんが発言して下さいましたが、教団本部と議長宅に集団行動を展開するというご意見に触発されましたが、毎月一回教団本部があるキリスト教会館前で抗議行動の座り込みをお昼の前後2時間する。実際にできるかどうかは分かりませんが、そのくらいのことも考えなければならないか、とも思っています。
(2) 宣言2「聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。」については、講演会や研
究会、論文などを私たちの側から発信していくように努力する。私は聖餐の問題で一番大きいのは戦時下の教団教会で行っていた聖餐をどのように止揚するかにあると思っています。昨年の大阪の出前集会で発言をお願いした村山盛忠さんもその点を講演の中で述べておられたと思います。私は、2006年1月号でしたが『福音と世界』に書かせていただきました「聖餐につての個人的体験と一教会の試み」の中でも、最後にこのように書かせてもらいました。「未受洗者(非受洗者)に開かれた聖餐は、教会の礼拝に集うすべての人とともにこの世で最も小さくされた者のために全存在をささげられたイエスの出来事を想起する教会的行為だと、私は思っている。それに加えて、現在も日本基督教団に所属する教会で執行されている聖餐は、戦争責任の問題を避けては通れないと思う。戦争協力をした戦時下の教会でなされた聖餐と現在教会でなされている聖餐がどう連続性を持ちうるのか。日本基督教団に所属し、聖餐を重んずる全ての教会は、この問いに応えなければならない」。実はこの私の問いについては、一切応答はありません。ただある時に土肥昭夫さんから葉書をいただき、私の「聖餐につての個人的体験と一教会の試み」のコピーをどこかでご覧になったようで、この私の文章の出典はどこかという問い合わせがありました。そこで私は『福音と世界』2006年1月号ですと葉書に書いて土肥昭夫さんに出したことがあります。それからしばらくして土肥さんは召されましたので、何故私に問い合わせをしてこられたのかは分からないままになりました。
また今私がいます船越教会には聖餐式の礼拝式文というものがあります。これは「2003年8月3日改定」のものですので、私が船越教会に関わる前に作られたものです。この礼拝式文は交読文のような形式になっていて、司会者と一同とが応答する形になっています。その一部を紹介します。
「司会:『イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子達に渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した』(マルコ6:41)/主イエスは弟子達に『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』(マルコ6:37)と言われました。パンとぶどう酒はまず飢え渇いている人々にこそあたえられるべきものです。そのために私達は貧困と飢えを無くすべく、政治的、社会的改革に目を向けるように主イエスから問われ、依頼されました。人間の生命を維持するために日々必要とする食物がある人々には欠けている不平等な社会はイエスの神の国にふさわしくありません。/一同:主イエスの招きにあずかることによって私達は『万人の命が尊ばれる社会、生命(せいめい)の維持を保障される社会』の形成に向かっていきたいと願うものです。どうか主よ、この私達の祈りと願いに祝福と導きを与えてください」。
「司会:『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるためにきたのである。』(マルコ10:45)/主イエスは私達に、他者を、また隣の国の人々を支配したり、抑圧したりするような生き方をしないように戒められました。主イエスの招きに与ることによって、私達は他者を、また隣の国の人々を支配してきて歴史を心から反省し、また今もなお様々な形で隣の国の人々を苦しめ続けている現実を直視します。/一同:どうか主よ、私達が他者とともに、また隣の国の人々とともに助け合い、手を結んで生きてゆく者となりますように。主の御名によって祈ります。アーメン」。
船越教会には、こういう聖餐式の式文があるんですね。私は聖餐の問題を、戦時下の教会が行った聖餐と現在の教会が行っている聖餐との連続性とその止揚性という問題として考えると、船越教会には私が関わる以前からこういう式文が事実あるわけですね。こういう問題と課題も、関心のある者の中で共有し合っていく必要があるのではないかと思っています。今の教団の現状では、教区によっては、自分が属している教会でも聖餐を希望すれば誰でも受けることのできる「開かれた聖餐」をしていると発言しただけで抑圧を受けるところもあります。ですから、実際に「開かれた聖餐」について議論したり、文章を書いたりすることは、教団執行部の側からしますと非常に好ましくないということになるかと思いますが、しかしだから自己規制するだけでいいのかと思い始めています。問題意識を共有する者が集まって、それぞれの試みがあればそれを出し合って、それを検討していくという場がどうしても必要なのではないかと思うのですね。他にも可能性があれば、それを出し合って、学び合っていくということが必要ではないかと思っています。聖餐論議の場の設定を教団に求めるだけでなく、それを始めていかなければならないのではないかと思うのです。
(3) 宣言3「「戦責告白」の教団史における意義について確認することを求めます。」について
は、神奈川教区は戦責告白40年の時も、今度の50年の時も、戦責告白を覚える集会を開催しています。また報告集も出しています。これはどこから提案しているかといいますと、有志の会の「かながわ明日の教団を考える会」からです。実は沖縄教区が教団との間に距離を置くようになった2002年の教団総会の直後に若い教職の提案で、「かながわ明日の教団を考える会」という有志の会ができました。その会が現在も活動を続けていて、そこで戦責告白を覚える集会を教区総会議員提案議案の形にしたり、常置委員会に出して常置委員会提案の教区総会議案にしてもらったりして、教区総会決議という形で集会を実施するようにしています。これも一つの形ですが、機会を見つけていろいろな形で「戦責告白の実質化」を求めていくことができるのではないかと思います。
(4) 宣言4「沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。」についても、求め
るだけでなく、この会としても具体的作業に取り組んでいく必要があるかと思います。この課題につては、兵庫教区が誠実に取り組み続けていますので、兵庫教区の取り組みに学ぶことも必要だと思います。それから2004年の教団総会会期中に、2002年の教団総会で沖縄教区が教団と距離を置くようになりましたので、有志によって「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」(求め、すすめる連絡会)を立ち上げ、現在も細々とその活動が続いています。この会の共同代表を長年岩井健作さんが担ってくださいましたが、数年前から岩井健作さんがホームに入られましたので、現在は私が共同代表を担っています。その会では2年に一回の総会や集会を通して、沖縄からの問題提起をどう受け止めていくかということを考えながら活動を続けています。数年前にこの会が沖縄で開いた集会で、平良修さんが中心に、沖縄教区との関わりと共に、沖縄の問題をヤマトの人間がどう担って行くかということに対して、辺野古に座り込みに行ったりしているわけですが、それは大変うれしいけれども、辺野古だけでなく、場合によっては次々辺野古と同じような状況がつくられる背後には安保と地位協定があるから、安保と地位協定を無くす運動をヤマトの人はして欲しいと、はっきりおっしゃいました。これも大きな課題でありますから、この問題に取り組んでいるいろいろなところと連絡しながら、この会でも、教団に任せるのではなく、取り組んでいく必要があるのではないかと思うのであります。
(5) 宣言5「一方的な「公同教会」の主張を再考して「合同教会」の形成を求めます。」につい
ては、2018年度活動提案の「信徒・教職に関わらず、戒規による不当な除名・免職等あらゆる処分・抑圧に反対します。」と関連しますので、『通信』第20号に武田武長さんの講演を掲載していますが、昨年の10月開催の東京の出前集会でお話してくださったもので、長野の佐久教会の事例も紹介されています。詳しくは『通信』第20号をお読みください。神奈川教区と東海教区の違いを踏まえて、佐久教会を支えることのできる運動ができないかを考えていかなければなりませんし、多様性を認め合う合同教会としての豊かな教団形成をめざして、出来る所から教会間、教区間の連帯を築き上げていく必要があると思っています。
以上、どこまでできるか分かりませんが、今後の運動の方向性と具体的課題を提起したいと思います。

 以下は支援会第6回総会で、「教団の私への戒規免職処分の不当性について」話した私の発言の一部で

す。教団に所属する方々に広くみなさんに知っていただきたいと思いますので、このブログに掲載しま

す。みなさんの友人・知人に広めていただければ幸いです。
   

  日本基督教団執行部による私の戒規免職処分は、パワハラではないか?
               
                    (02018年3月17日支援会第6回総会での発言から)

 
 関田先生がよく、「私の戒規免職処分は聖餐の問題に起因しているのではなく、最初に北村を排除した

いがために、聖餐の問題はその理由づけに使われたに過ぎない。ですから私の免職処分は教団執行部によ

るパワハラである」という主旨のことをおっしゃってくださっていますが、私の免職処分に至る経過を振

り返りますと、私自身もそのように思わざるを得ないのであります。


        私の「開かれた」聖餐執行が教団において問題になった時期


 私が牧師として文字通りに「開かれた聖餐」を執行しはじめたのは、当時牧師をしていたこの紅葉坂教

会が1999年3月の教会総会で、「未受洗者」も希望すれば、聖餐を受けることを認めた後の、その年の

イースターの礼拝からでした。この教会総会で決めたのは、「聖餐には洗礼を受けた信徒が与る」という

教会規則第8条の削除と、「受洗者非受洗者に関わらす希望する方は誰でも聖餐に与ることが出来ます」

と聖餐への招きの言葉をはっきり語って聖餐式をするということでした。この時に、教会総会で教会規則

第8条を削除しましたので、教会規則変更申請として教区常置委員会に出しましたが、教区常置委員会で

は内容には触れず形式的に承認して教団の同意を求めました。しかし、教団では承認されず、突き返され

てきたのですが、その時は何か教団から言ってきたら役員会はそれに対応することを決め、役員会からは

強いて教団に問わないことを確認しました。その後教団は何も言ってきませんでしたので、そのまま時が

経っていきました。


 この頃まで私は一個教会をベースにして、1995年4月に紅葉坂教会の牧師になってからも、寿地区活動

委員会以外は、教区・教団とは積極的に関わることなく牧師としての働きを続けていました。ところが神

奈川教区には当時東神大問題で教授会から排除された牧師や信徒が数名いて、ここにいるOさんもその一

人ですが、その方々から「北村さん、もう少し教区や教団に関わって問題を担ってよ」と言われました。

この人たちから言われると断ることが出来ませので、2002年の教区総会で教団総会議員に選ばれて、約30

年ぶりに教団総会に出たわけです。その教団総会でご存知のように、沖縄教区提案の「名称変更議案」を

はじめ、合同のとらえなおし関連諸議案が全て審議未了廃案になり、靖国・天皇制情報センターや性差別

問題特別委員会が潰されたわけです。その総会が終わって、当時の沖縄教区議長の山里勝一牧師が「さよ

うなら」と言って去って行かれました。沖縄から来てその総会を傍聴していました信徒の方々も涙を流し

ながら去って行かれました。その時から沖縄教区は教団との間に距離を置くようになりました。何十年ぶ

りに出た教団総会で、私はそのような沖縄教区を切り捨て、靖国・天皇制情報センターや性差別問題特別

委員会を切り捨てる教団の現実を突きつけられたわけであります。その後私は当時横浜二ツ橋教会牧師

だったMさんに言われて、現教団執行部には批判的だった9教区議長会に、当時神奈川教区議長は入ってい

ませんでしたので、それまでM先生が出ていたのですが、M先生に代わって私が出るようになりました。そ

ういう背景の中で、2004年の教団総会で私が常議員の一人に選ばれたのであります。しかもこの2004年の

教団総会では、前回の総会でつぶされた性差別問題特別委員会の再設置を求める議案が複数の教区から出

ていたのを、教団執行部はそれを勝手に一つにまとめて議案にしていましたので、有志の人たちと相談し

て、議事が始まる前に議長団に迫り、その撤回を求めることにしました。その抗議行動は1時間半ほど続

き、その結果全ての教区の性差別問題特別委員会再設置の議案を扱うということで、議事に入りました。

その抗議の実力行動で、当時の山北議長のところに最初にいったのが私でした。その時の教団総会では神

奈川教区の議員の席が一番前で、山北さんのところに行くのに、私が一番近かったからです。この総会で

私は常議員に選ばれました。その総会期の常議員会に出席し、常議員会が多数者の横暴による非民主的な

議事運営をしていることを知り、その現実を日本基督教団の諸教会・伝道所に知ってもらおうと、常議員

会ごとに私的な常議員会報告を作って、何度か配布しました。


 恐らく山北さんをはじめ教団執行部側の人たちは、教団総会における私もその一人に加わって行った抗

議行動を議事妨害と受け止めたと思いますし、私が常議員会の私的報告を全国の教会・伝道所に配布した

ことも、常議員会を支配して自分たちの思い通りに議事運営をしようとする人たちにとっては、私は目障

りな存在になっていたのではないかと思われます。そして2006年の教団総会で私はまた常議員に選ばれま

した。その教団総会の礼拝での聖餐式で、私はパンと葡萄酒を受け取りませんでした。それは教団との間

に距離を置いている沖縄教区の議員がいないところで行われた聖餐式に疑問を感じたからです。教団総会

では各教区から選出された教団総会議員が、教区ごとにその得票数の多い人から順に教職が先にその後に

信徒が並んで座ります。その時雪ノ下教会の信徒であるMさんが、他の人が1人か2人私との間にしました

が、私と横一列に並んでいました。そのMさんがこの教団総会後の第一回常議員会で、私を名指しはしま

せんでしたが、「常議員の一人が聖餐を拒否したが、それは問題ではないか」という趣旨の発言をしまし

たので、私は「それは私である」と申し上げました。このことが契機となって、常議員会では、次回記録

を取らない自由な懇談会という形で私に「聖餐について」、その時の教団総会で東北教区の信徒の方によ

る同性愛差別発言がありましたので、解放センターの東谷誠さんに「同性愛差別について」発題してもら

い懇談の時を持つことになりました。そして私は次回の常議員会で資料を用意して紅葉坂教会の事例を話

しました。すると、その次の常議員会に山北さんから「教師退任勧告」の議案が出て、常議員会は多数決

でその議案を可決し、私に山北さんの名前で第一回の教師退任勧告文が送られてきました。私はそれを拒

否しましたので、第二回の教師退任勧告文が来ましたが、私はそれも拒否しました。すると、常議員会で

決議して、常議員会が教師委員会に私を戒規にかけるように提訴したのです。その常議員会の提訴を教師

委員会が受理する前に、2008年の教団総会があり、そこで柴田もゆるさんが提案者である議員提案議案、

常議員会は教師委員会によって戒規処分を受けた者がその処分を不服として上告する所でもありますの

で、私に対する常議員会の教師委員会への提訴は無効であるという、第44号議案がその総会で不思議にも

可決したのです。その総会には教師退任勧告撤回の議案も出ていたのですが、そちらの議案は否決で、私

への教師退任勧告は生きていたわけです。しかし、この44号議案が可決したので、私が教師委員会によっ

て戒規にかけられることは、もうないと思いました。なぜなら、そもそも当時の教師委員会の戒規に関す

る内規によれば、教師への戒規を要請できるのは、各個教会の役員会か教区の常置委員会で、各個教会の

役員会からの場合は教区の常置委員会を通して要請することができるとなっていたからです。信仰職制員

会の『教憲教規の解釈に関する先例集』96にも、そのことが明記されていたのです。そして、紅葉坂教会

役員会も神奈川教区常置委員会も、教師委員会に私を戒規にかけるように要請することはあり得ないう確

信があったからです。


 実は第44号議案が可決された教団総会が終わってしばらくして、山北さんから私に電話があり、会って

話したいということでしたので、私はみなとみらいにあるホテルのトゥーランドットという中華料理店で

食事を御馳走して話を聞きました。山北さんは第44号議案の可決には聖霊の働きを感じたというのです。

だから紅葉坂教会の役員会と会って話をしたい。そこで今後戒規で脅かすようなことはしないので、紅葉

坂教会も「開かれた聖餐」の旗を振らないでもらいたいとう約束をしたいと言うのです。私は山北さんと

紅葉坂教会の役員会の話し合いの場を設定し、山北さんの言われることは紅葉坂教会も全く異存がないの

で、両者の話し合いが成立しました。そういうこともありましたので、第44号議案の可決によって私の戒

規はなくなったものと思ったわけです。それが2008年11月末のことでした。


 ところが、何としても私を戒規にかけようとする動きが、2009年に入ってから、山北さんを飛び越えて

現れるようになりました。まず当時東海教区議長北紀吉さんから信仰職制委員会への諮問(戒規申し立て

は誰が出来るか?)があり、その答申(教憲教規に規定がないので、原則的には誰でもできる)を受けて

今度は教師委員会が信仰職制委員会に諮問を出し、その答申を受けて教師委員会は「戒規に関する内規」

を改定し、改定前の内規にはあった、「教会の役員会か教区の常置委員会、教会役員会は常置委員会を通

す」という誰が戒規を要請できるかという、戒規要請主体に関する規則の部分をすべて削除してしまいま

す。そして改定された戒規に関する内規は、「戒規発動要請の受理」から始まっています。この教師委員

会の内規は補則に「この内規は2009年7月13日から実施する」とあります。この教師委員会の改定された

内規をどのようしして知ったのか、この内規の実施日から18日後の2009年7月31日付で小林貞夫さんが申

立人で、小林貞夫さんを含めた7名の当時の信徒常議員の賛同者名のある「北村慈郎教師への戒規適用申

立書」が教師委員会委員長宛てに出されました。教師委員会はその申立書を9月の委員会で受理していま

すが、私がそれを知ったのは10月の常儀員会での教師委員会の報告によってです。教師委員会は調査員会

を立ち上げ、私に3度面談要請をしてきました。私は、紅葉坂役員会が「教師委員会の内規は教団規則に

当たるのか」という諮問を信仰職制委員会に出していましたので、その回答がくるまで、面談は待って欲

しいと、3度調査員会に手紙を出しました。そのことを調査員会は私が面談を拒否したと受け止めて、私

との一度の面談もなく、教師委員会は2010年1月26日付で私を戒規免職処分にしました。翌日その通知を

教師委員会委員長他数名で紅葉坂教会にいた私の所に持ってきました。実は、教師委員会が私の戒規免職

処分を決めた同じ日の2010年1月26日に信仰職制委員会が紅葉坂教会役員会からと北海教区議長の久世そ

らちさんからの諮問への答申を出しました。紅葉坂教会役員会からの諮問に対しては「教師委員会の内規

は教団規則には当たらない」という答申でした。久世そらちさんの諮問は、「戒規の要請主体が限定され

ていなければ、戒規の乱用が起こるのではないかとう諮問でしたが、それに対しての信仰職制委員会の答

申は、教憲教規の解釈に関する先例集96「戒規の申立ては教会役員会と教区常置委員会がし、教会役員

会の場合は教区常置委員会を通してする」を尊重するようにとうものでした。教師委員会はこの信仰職制

委員会の答申が出た日に私の戒規免職処分を決めていますから、当然この先例集96を尊重するようにと

いう信仰職制委員会の答申を無視したことになります。


 私の戒規免職処分における手続き上の不当性を考える時に、最初から最後まで審判委員会の選任から決

定も含めてすべて不当だと思いますが、特におかしいのはこの教師委員会の戒規に関する内規の改定と私

の免職処分の決定ではないかと思っています。


 そして2010年9月15日付で審判委員会が教師委員会の私への戒規免職処分の決定を是とすることによっ

て、日本基督教団における私の戒規免職処分が最終的に決定されました。その後私は裁判に訴えました。

私は2011年3月末をもって紅葉坂教会牧師を辞することが決まっていましたが、紅葉坂教会の全面的バッ

クアップの下に2010年11月末に仮処分申請を東京地方裁判所に出しました。しかし、4回目の審尋の時

だったと思いますが、裁判官の方からこの案件を本訴で争うならば、仮処分申請は取り下げたらどうかと

う話があって、2011年2月末に仮処分申請は取り下げました。そして本訴の準備に入ろうとした矢先に、2

011年3月11日に東日本大震災・東電福島第一原発事故が起きて、しばらく様子を見ることにしました。20

11年4月からは、それ以前から私は紅葉坂教会牧師として船越教会の代務者をしていましたので、教区・

教団への申請はできませんが、実質的に船越教会の牧師として働くようになりました。3・11以後しばら

く様子を見てから本訴の準備をして2011年11月末に「免職処分の無効と正教師の地位確認」を求めて裁判

に訴えました。この裁判を行うに当たり、「北村慈郎牧師を支える会」という支援会を立ち上げました。

裁判は最高裁まで行きましたが、2014年6月6日私の訴えは「争訟に値しない」ということで門前払いにな

り、裁判は終了しました。その後教団内運動として支援会は2015年4月開催の第3回総会で名称を、「北村

慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」として再出発し現在に至っております。

     「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」

                           (2018年2月8日現在、賛同者3,551名)
 
 私たちは歴史を導き給うイエス・キリストの主権を信じ、「戦争責任告白」を明らかにした日本基督教団として、現在の急速に右傾化する日本国家のあり方に深い憂慮を覚えるものであります。この時に当たり、日本基督教団現執行部が歴史的な教会の責任を無視するかのごとく、会議制の無視と権威主義的な強権発揮により、北村慈郎牧師との充分な対話をすることなく、免職処分に至ったことは誠に遺憾と言わざるを得ません。北村牧師が手続きの不当を人権問題として提訴した裁判は、残念ながら内容審議に至らず最高裁の上告棄却という結果で終了しました。私たちはこのことを、事柄を徹底して教会の問題として自主的に解決せよとの促しとして積極的に受け止め、ここに「ひらかれた合同教会としての教団」をつくる決意を新たにしました。まず、何よりも処分の撤回と対話を求めます。
 日本基督教団は歴史の中に建てられた教会です。「教団信仰告白」及び「教憲教規」は、教団成立の歴史的経過の中で定められたもので、「絶対的な」信仰基準として閉ざされたものではありません。「解釈相互間の争点については、法的処置の前に、必ず神学的論議の領域が設定されねばならない」(1954年10月26〜29日開催第8回教団総会「信仰告白制定特別委員会報告」)と歴史的発言にあるように、信仰的対話に開かれたものです。北村牧師の信仰的選択の背景には、釜ヶ崎や山谷と同じ寄せ場である「寿地区」に象徴される権力や社会構造によって虐げられた人々が存在し、その地域への福音宣教を使命とする教会の決断があります。そこでは「聖餐」のあり方も問い直されるべき重要課題であり、法的処置の前にまず神学的・教会的討論に開かれるべき現代的な課題です。それは同時に全国各地の地域各個教会の課題でもあります。その各個教会のかなりの部分は、国家が戦争協力を強いるための「宗教団体法」による教団統合以前の教派の諸伝統を負っており、またはじめから合同教会として教会形成をしてきている教会もあります。ここに教団が今なお形成途上の「合同教会」である所以があります。そこでは、開かれた対話こそが、教団を「教会」たらしめます。また、教団成立を含め「戦争協力」という過去の責任をふりかえり、戦争体制がつくられつつある現在への責任を受け止めるため、「戦争責任告白」は今改めて取り上げるべき対話のテーマです。さらに、「本土」と「沖縄」の関係史における構造的差別の中で、私たちの教団もまた、「沖縄教区との断絶」という痛恨の事態を作り出しており、この現状を打開するための開かれた対話が何よりも必要となっています。
 私たちは、教団の会議制がその内実を失って硬直したままである現在、教団の法的構成員であるからこそ、それに先立って、信仰の召命に基づき「キリストの前での自分」に立ち返り、「ひらかれた合同教会としての教団」をつくる教会的責任を負っています。この責任を果たすために、以下5項目を掲げて、ここに「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」をいたします。
1、 北村慈郎牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。
2、 聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。
3、 「戦責告白」の教団史における意義を踏まえ、歴史に向かい合う教団となることを求めます。    
4、 沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。
5、 一方的な「公同教会」の主張を再考して「合同教会」の形成を求めます。
           
       2015年4月18日
         北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会   代表  関 田 寛 雄

※ この「宣言」への賛同者は、今後も継続して募っていきますので、賛同してくださる方はお名前を楷書で明記し、ふり仮名をふって、支援会連絡先までお送りください。よろしくお願いいたします。
【賛同者】
あ 阿井幸太郎、阿井幸、藍行雄、相浦和生、相賀昇、相賀由美子、相澤きん子、相沢瀏、相沢静枝、愛原和子、青垣紀一、青垣亮子、青木昭子、青木恵美子、青木一政、青木和人、青木和彦、青木邦浩、青木けい子、青木精一、青木誠二、青木宏子、青木優、青木政江、青木麻里子、青木道代、青木みち子、青木裕美、青木洋子、青木洋子、青木喜恵、青木敬和、青木竜馬、青嵜百合雄、青柳明美、青柳均、青山香代子、青山博光、赤石園子、赤尾修、赤崎ユリ子、赤沢幸子、明石恵里佳、赤松啓子、阿川英子、阿川哲郎、秋澄子、秋月孝之助、秋月ヒロ子、秋田泰輔、秋田谷幸子、秋田谷徳行、秋永好晴、秋葉正二、秋葉たい子、秋葉睦子、秋場實、秋本敏男、秋山明美、秋山真志、秋山米子、秋吉隆雄、阿久津弘子、上松正行、阿佐光也、浅井喜世美、浅井敬造、浅井雄三、浅井良子、朝田恵美子、麻谷暢子、浅野淳博、浅野燈、浅野和美、浅野桂子、浅野献一、浅野航、浅野佐喜江、浅野純、浅野利光、浅野待子、浅野美香、浅野美登里、浅野律、朝比奈朋子、浅見定雄、浅利志津子、東実、東理恵子、阿蘇道子、麻生和子、足立悦子、足立薫、足立克己、足立千江、足立真実、足立洋子、安達智恵子、安達由江、厚見誌保、厚海美乃里、阿部榮一、阿部駿一郎、安部麻美、安部純子、安部徹、阿部紀美子、阿部君代、阿部慶太、阿部津江子、阿部敏夫、阿部奈々、阿部弘子、阿部弘子、阿部義美、天野哲雄、雨宮栄一、雨宮剛、綾野久子、綾部弘子、新井敬二、荒井献、荒井仁、荒井眞理、新井和子、新井堅司、新井節子、新井秀明、新井由利、洗平幸子、荒川和子、荒川純太郎、荒川義治、荒木真美、荒木眞弓、嵐護、新西信子、有浦陽子、有岡史季、有賀豊彦、有久園子、有森和可奈、有山絢子、蟻正悦子、安杏菜、安藤恵子、安藤眞一、安藤利美、安藤初恵、安藤光、安藤秀夫、安藤真起子、安藤眞知子
い 李銀英、李承潤、李美京、李有彩、井石彰、飯田イサ子、飯沼敬子、飯田さかえ、飯田多恵子、飯田輝明、飯田瑞穂、飯塚光喜、飯沼眞、飯野敏明、飯村静江、家城直子、井浦京子、家近健二、猪刈由紀、五十嵐稔夫、五十嵐紀子、五十嵐安子、五十嵐禮子、臺岐檀、猪城悦子、井口智子、井口博之、井口延、井口吉男、池内友子、池内弥寿子、池上息、池上おりを、池上信也、池上三枝、池田敦子、池田栄子、池田悦二、池田和弘、池田和弘、池田公子、池田浩一、池田絃一、池田岳生、池田照幸、池田富美枝、池田春善、池田道子、池田美智代、池田光司、池田雄司、池迫直人、池谷彰、生駒美智子、石井出一、石井悦子、石井和子、石井一成、石井勝男、石井絹江、石井恵子、石井恵子、石井健、石井淳子、石井大輔、石井龍子、石井達也、石井智恵美、石井なか子、石井信子、石井富美子、石井まき子、石井摩耶子、石井瑞代、石井芳雄、石川明子、石川晴彦、石川公子、石川徹、石川友子、石川直太、石川寛子、石川望、石井雄一、石垣進、石神惠美、石神健、石神稔、石倉サチエ、石倉夕子、石黒文子、石坂桂子、石崎秀行、石沢陽子、石城典子、石田伊志子、石田恵子、石田周介、石田保明、石眄跳叩∪佚銚兇気笋、石塚文子、石橋あや子、石橋功臣、石原郁江、石原順子、石原均、石原博美、石原ヨシ子、石丸進、居城百合子、和泉富雄、和泉玲子、泉並英明、泉谷厚、泉谷五十鈴、泉谷ひとみ、泉谷渉、磯尾譲、磯崎徳雄、磯崎布佐子、磯田博美、磯田幸子、磯村正夫、井谷嘉男、糸井偉雄、市川和子、市川邦雄、市川平、市川紀子、市川義和、一條英俊、一木千鶴子、一木寛子、一ノ木暖子、一ノ瀬雅巳、市田ひろみ、市場眞理子、市原和彦、一森文彰、市森澄子、市山陽一、井爪久美子、井殿準、井殿園、井殿信子、井東炤、伊東愛子、伊藤安由美、伊藤幾夫、伊東永子、伊藤克己、伊藤喜代子、伊藤節子、伊藤拓夫、伊藤朋子、伊藤直子、伊東哲夫、伊藤恭子、伊東淳、伊藤末吉、伊藤清治、伊藤輝美、伊藤乃梨、伊藤遙香、伊藤秀章、伊藤まゆみ、伊藤まゆみ、伊藤まり子、伊藤美津代、伊藤元子、伊藤裕子、伊藤ユリ子、伊藤好子、伊藤淑子、伊藤義経、稲正樹、稲生菊江、稲垣馨、稲垣壬午、稲垣正策、稲垣孝、稲垣仁、稲葉真理子、稲益久仁子、井波いく代、稲村茂、稲本裕子、猪野幸子、乾文男、乾光代、井上明子、井上明、井上巌、井上喜美子、井上讃美子、井上収之、井上隆司、井上瑞子、井上寛子、井上寛子、井上幸江、稲生優美子、猪股清子、猪股健太郎、猪俣まゆみ、伊吹康子、伊堀絵美子、伊堀努、今井明、今井修、今井紀代子、今井とみ江、今井直子、今井眞理、今井惠、今井優、今城慰作、今城晋作、今城宏子、今城匡子、今城諒作、今田起世子、今田澄、今多正行、今村俊一、今村直樹、今村寛美、今村真理、今村稔、今村幸子、今村泰子、井本美智子、入江仰、入江樹、入江多喜、入江洋司、入澤直子、入澤宏樹、岩井瀏、岩井健作、岩井溢子、巌典子、岩岡彰子、岩川多満恵、岩川正治、岩川幸昌、岩崎直美、岩崎八千代、岩瀬志津子、岩高澄、岩谷十郎、岩津美子、岩永尤子、岩野祐介、岩橋常久、岩見育子、岩村悦江、岩本和則、岩本隆、岩本ひかり、岩本廣志、岩本雅子、岩本洋子、
う 禹鍾基、宇井志緒利、ウイットマー圭子、上垣和子、上垣信子、上垣勝、上杉次子、上地繁、上地武、上地知佳子、上地美智子、上地美和、上地礼、上杉賢、上田徹、上田美穂子、上田康雄、上田律子、上田玲子、植田貞子、上地範子、上西哲雄、上野清次郎、上橋和也、上原惠、上松寛茂、上原秀樹、上山忠璋、上山英子、上山芳範、魚住英昭、鵜飼和子、宇佐美節子、宇佐美睦朗、牛島洋子、氏家鉄也、牛田ヒサ、氏原淳一、氏原令子、臼井幸夫、臼井路子、碓井健寛、宇高育枝、内田佳代子、内田浩司、内田弘子、内田昌宏、内田迪子、内田三枝、内村ノブ子、内村政清、内山多美、内山務、内山友也、内山伸子、内山宏、宇都宮佳果、内海美穂、楳田敦、梅田順子、鵜野あゆみ、宇野潔子、宇野進、宇野智恵子、宇野政勝、宇野稔、梅北陽子、梅崎須磨子、梅田和子、梅田順士、宇山進、宇山美佐子、浦井とも子、浦井正義、浦上知子、浦上結慈、浦田俊郎、海野博、海野文江
え 江口謹彌、江口公一、江崎直美、江澤時、江澤照子、江戸和美、江戸清、江藤さつき、榎園京介、榎本征子、江原榮子、江原幸子、江原進、江原浩子、江原郁子、海老塚典子、海老坪眞、海老澤浩、江村恵子、江守秀夫、惠美奈富紀子、遠藤恵子、遠藤興一、遠藤舞、遠藤緑、遠藤泰弘、遠藤ゆり子、遠藤良次
お 尾池幸、老田信、近江芳子、大石陽子、大石准良、大石恭子、大石シズエ、大石隆興、大石朋子、大石與賜子、大江浩、大岡勝義、大木和子、大木清子、大賀幸一、大垣節子、大河原蓉子、大川清、大川芙喜子、扇田紀子、大串典子、大口愛、大久保賢二、大久保徹夫、大久保正禎、大倉一郎、大倉江梨花、大倉祥子、大蔵浩之、大坂洋子、大阪谷由紀子、大崎利行、大崎康子、大迫小牧、大澤暁、大澤秀夫、大塩志野、大塩清之介、大塩光子、大塩豊、大嶋果織、大島保子、大下秀三、大下幸恵、大城厚子、大城実、大杉美耶子、大住三七子、太田温子、太田篤子、大田七千夫、太田望、大田美奈子、太田守人、太田方美穂、大竹愛子、大嶽芳樹、大谷述子、大谷諭、大谷真実、大谷義彦、大津京子、大塚恵理子、大塚惠子、大塚愼、大塚信明、大塚泰惠、大塚洋子、大月厚生、大坪剛浩、大坪美保、大成和恵、大貫隆、大野顕二、大野節子、大野高志、大野政子、大野正友、大野光江、大西珪子、大西紗貴子、大西晴子、大西安、大西義昭、大沼順子、大西俊夫、大西房子、大庭圓治、大野泉、大野至、大野静子、、大橋孝子、大橋美恵、大橋祐治、大場祐子、大林健太郎、大林友子、大林祐子、大久美和、大町信也、大町美幸、大美賀亨、大見謝直美、大村暁子、大村正和、大室寛子、大室裕子、大本千恵子、大本優子、大森悦子、大森東亜、大八木直子、大藪かづみ、大藪善次郎、大藪朝祥、大山修之、大山光子、大山睦子、大脇敏弘、小笠原公子、小笠原純、小笠原智明、小笠原博美、小笠原蓉子、岡恵介、岡健介、岡智子、岡豊子、岡春美、岡善樹、岡実、岡内君子、岡内知子、岡部精一、岡田あや、岡田淳子、岡田恭子、岡田せい子、岡田聖子、岡田照子、岡田長保、岡田南実子、岡田信子、岡田稔、岡田仁、岡田美代子、岡田悠二、岡田祐子、岡田由美子、小形眞知子、岡崎洋子、岡野和美、岡野聡子、岡部恵美子、岡部精一、岡部侠児、岡村翼、岡村花子、岡村幹子、岡村美子、岡安サダ子、岡安茂祐、岡安博、岡本敦子、岡本磐男、岡本隆、岡本拓也、岡本千枝子、岡本言行、岡本弘子、岡本幸子、岡本禎子、緒方節子、小川明子、小川清子、小川清美、小川久美子、小川健司、小川敬子、小川忠之、小川司、小川比沙子、小川美貴子、小川洋子、荻荘正巳、荻野育子、荻野久子、沖典子、沖陽子、沖田忠子、沖田康孝、奥角長生、奥角節子、奥角歩、奥園明、奥田明夫、奥田知志、奥田哲生、奥出直人、奥野捷彦、奥見忠子、奥間早登子、奥村僖佐子、奥村雅子、奥山和子、小倉和三郎、小栗仁志、尾碕光、織田佳奈江、小野一郎、小野恵子、小野昌二、小野忠、小野史開、小野勅紘、小野幸恵、小野沢剛昌、小野寺けい子、小野寺寿々恵、小畑克枝、小畑香世子、小畑太作、小畑眞知子、小尾映子、小尾睦夫、尾毛佳靖子、折野宏一、折野祥子、恩田光子、
か 賈晶淳、甲斐綾子、甲斐睦恵、戒能恵子、戒能信生、戒能真知子、鏡清美、加々美昌子、垣内惠子、垣内良子、覚野洋一、鹿児島正明、笠置恵子、笠置正民、笠貫和子、笠原恵美子、笠原澄子、笠松潤子、笠利和彦、笠利元、笠利ほさな、笠利まな、梶昌代、梶浦三優子、梶原ふく江、梶田敦子、梶野美紀、樫山恵美子、笠貫和子、柏井創、柏井路子、柏木俟子、柏熊㐂代子、春日幸子、数野みどり、勝田克則、賀戸拓洋、勝亦一江、勝又波音、勝又真理江、加藤キエ、加藤公子、加藤啓子、加藤順子、加藤節子、加藤隆弘、加藤孝幸、加藤武、加藤忠良、加藤鉄三郎、加藤智子、加藤則子、加藤春江、加藤浩子、加藤真規子、加藤幹子、加藤光正、加藤恵、加藤由利、加藤陽子、加藤嘉子、角谷弥生、門間博子、金井功、金澤周作、金沢文子、金澤和歌子、金丸京子、金子健、金子賢治、金子信一、金子尚子、金子奈美江、金子秀敏、金子史子、金子芙美子、金子桃夏、金子百合子、金子陽子、金高武子、金地慶四郎、金城邦子、金附正夫、片岡正義、片野優子、片山建作、片山節子、片山千寿子、片山禎二、片山春子、片山宣子、片山久子、片山洋子、片山洋子、片山義子、片山芳子、勝浦恵、活田尚子、勝俣閏子、勝股正夫、勝股三恵子、樺澤幸雄、鐘ヶ江晴彦、金子ユミ子、金光滋子、金光順子、金澤泉、金森七郎、金信和之、金信善幸、鎌田英子、鎌田一志、鎌田邦一、上泉建、上泉淳子、上泉直子、上内鏡子、神尾昭二、上加世田節子、上島一高、上島雄助、上遠岳彦、上遠文恵、神尾昭二、神倉てる子、神前聖一、神谷一夫、神谷和子、神谷扶左子、禿準一、禿泰子、亀岡顕、亀ヶ谷智惠、亀子幸大、亀島勝子、栢沼伸芳、栢沼牧、加山久夫、辛島篤美、辛島多恵、狩野ヒサエ、唐牛健三、川井恵子、川井寧恵、川井牧人、川合万里子、川浦弥生、川上純平、川岸清、川口卯満治、河口修、河口陽子、川越美佐子、河崎純子、川嶋めぐみ、川島ノリ子、川瀬和美、河田知子、河田隆史、河田文子、川谷恵子、河手純子、川西薫、川西俊子、河野修司、川畑馨、川畑聖司、川端紀子、川辺綾子、川辺希和子、川辺多惠子、川辺正直、川村和江、川村くに子、川村邦彦、川村原子太郎、川村寛之、川村美穂、河村英子、河村敏美、河村義行、川本良明、川本恵子、河本佳子、韓守賢、神崎典子、神崎正子、神田克己、神田恵子、神田琴音、神田花菜、神田宏子、神田洋子、菅野勝治郎、菅野洋子
き 木尾美惠子、菊川泰、菊田静江、菊地綾子、菊池重雄、菊地達、菊地敏弘、菊池美奈子、菊地ゆたか、菊地温子、菊山和子、岸岡眞樹、木下朝美、木下眞理、木下美夏、岸高久徳、岸本和世、岸本京子、岸本賢幸、岸本蘭子、紀太敦子、北尾勲、北尾富美江、北尾美津子、北川浩司、北川健一、北口沙弥香、北島ちづ子、北島三枝子、北嶋由紀子、北田契子、木谷実、北野千波、北原智史、北原豊子、北濃祥二、北村勲次、北村恵子、北村健治、北村慈郎、北村信二、北村千賀、北村智史、北村真紀子、木下眞理、絹田育子、絹田美保子、木原由紀、君島洋三郎、君島庸子、金斗鉉、木村アサ、木村和子、木村協子、木村喜世子、木村清子、木村光寿、木村晋治、木村武志、木村登茂江、木村直美、木村典子、木村登、木村拓己、木村文砂、木村幸、木村眞由美、木村美知男、木村祐子、木村由紀、清島須栄子、清島恒徳、清瀬ヒロ子、清田和美、清田麗子、清野量、行之内尚久、木山幸、吉良保子、金城順子、金城麻美子
く 空閑幸、釘本銀子、草瀬啓子、日下部克彦、日下部直子、草地大作、草地妙子、具島脩、具島友子、楠之木義勝、楠元勇一、工藤定嗣、工藤潤一、工藤達晃、工藤宏美、工藤万里江、工藤靖明、工藤玲子、國澤友義、國松靖子、國安敬二、九里恵、久保小夜子、久保新一、久保征紀、久保登志子、久保初枝、久保博夫、久保マサ子、久保道子、久保礼子、久保田泰子、熊岡暁子、熊倉弘幸、熊澤みどり、熊田郁子、熊田もと子、汲田美枝子、倉掛直樹、藏所のぞみ、蔵所ひかり、蔵所裕子、倉永秀明、倉橋克人、倉橋啓子、栗原宏介、栗原通了、栗本久雄、久留島トシノ、車昌泰、車田博子、栗原正、栗山結、黒川純、黒川文江、黒木博和、黒木光子、黒木律子、黒河内信、黒澤喜一、黒澤さつき、黒澤愛子、黒瀬徹、黒田いづみ、黒田禎、黒田理佳、黒鳥栄、黒鳥佳臣、黒野忠和、桑垣其枝、桑島勝代、桑原重夫、桑村美由紀、郡司敦子、
け 気賀健生、気賀知恵子、見満かおる、剣持昭子、
こ 小池晴二、小池泰子、小泉麻子、小泉治一、小泉眞紀子、小泉史子、小泉美千子、小出英子、小糸健介、光田昌子、合田佳子、合田淳太郎、小内秀高、廣津博子、河野忍、河野登喜子、河野トミ、河野美子、河野洋子、郷原洋子、河本昌介、河本ツル子、河本真菜、河本めぐみ、古賀かおり、古賀吉太郎、古賀健一郎、古賀智子、古賀幸子、古賀由美子、小海祈、小海サチ、小海寅之助、小海光、小海基、古郝荘八、國分タミ、小阪ひとみ、小笹和子、小笹千佳、胡小榮、小曾根一枝、五藤民雄、越美恵子、越本冨美、小島勇、小島訓、児島荘明、小島昇、小島真理子、小島道彌、小島三保子、小杉比呂子、小谷正昭、小平慎一、小平善行、小高考一、小高利根子、小竹郁子、小武絹代、児玉衣子、児玉真由美、児玉洋一、小塚牧夫、小塚優子、小手川列、後藤亜子、後藤和子、後藤浩三、後藤順子、後藤静子、後藤真愛、後藤光恵、後藤守弘、後藤和佳子、小西和子、小西佳子、小西晴香、小西文江、小西礼子、小畠文枝、小林晃、小林朝乃、小林恭子、小林順子、小林喬、小林直樹、小林典子、小林宣子、小林久子、小林牧子、小林正樹、小林朕諭⊂林緑、小林道彦、小林道代、小林みや子、小林有仁子、小林泰次、小林休、小林ユリコ、小林良作、小林路津子、古波蔵剛、小堀真奈美、小松瑞穂、小松原健夫、駒宮なら子、駒宮初子、小宮一子、小宮山盛昭、小宮山芙美子、小迎綾希、小室暁、小柳まさゑ、小山宏平、小山小夜、小山重夫、小山重夫、小山東作、小山奉子、小山浩子、小山廣重、小山都、五來静枝、金剛静慧、権田純子、権田嗣夫、権田倫子、近藤節子、近藤孝子、近藤直枝、近藤昇、近藤千鶴子、近藤ひとみ、近藤洋、近藤良夫、
さ 西城啓子、西條博之、西城仁、斉藤恵美子、斉藤一昭、齋藤開、齋藤勝朗、斎藤佳代子、斉藤喜世子、齊藤香子、斉藤佳子、斉藤順子、斎藤成二、齋藤昭七、斉藤圭美、齋藤民子、財藤民代、斉藤徹夫、斉藤直子、斉藤直而、齋藤はる江、齋藤秀子、齋藤裕子、斉藤亮、齊藤正樹、齋藤麻実、斉藤美枝、斉藤美智子、斉藤康子、齋藤百合子、斎藤礼子、財藤民代、佐伯多津子、佐伯元、佐伯嘉美、境ひとみ、堺美智子、酒井賢治、酒井照正、酒井紀恵、酒井久子、坂井とも子、坂井千佐子、榮美和子、坂上玲子、榊原いづみ、坂口潤子、坂口俊雄、坂口陽子、嵯峨道子、坂田亜衣、坂梨喬、坂野赫子、坂本薫、坂本香織、坂本直、坂本舞香、坂本美由紀、先繭子、先八千代、先瑠璃、崎濱厚子、櫻井克子、櫻井重宣、櫻井淳司、櫻井登美江、櫻井紀子、櫻井義也、櫻田敏子、迫田典子、笹井晶子、佐々木昭男、佐々木五律子、佐々木公子、佐々木恵子、佐々木順子、佐々木孝子、佐々木直恵、佐々木秀子、佐々木雅子、佐々木美知子、佐々木迪淳、佐々木允子、佐々木美幸、佐々木泰雄、佐々木幸夫、佐々木佳枝、佐々木洋子、佐々木立一、笹木彰、笹木純子、笹倉美穂、笹倉瑞穂、笹田実、雀部邦子、雀部征宜、笹部一正、佐治金次郎、指方愛子、指方信平、指方虹希、佐竹明、定形和子、定形裕子、佐谷絵美、貞弘範行、貞弘眞理、定村弘子、佐藤厚、佐藤歩、佐藤一雄、佐藤かよ子、佐藤加代子、佐藤喜美子、佐藤清、佐藤邦子、佐藤啓子、佐藤吾、佐藤幸子、佐藤成美、佐藤志奈子、佐藤昭三、佐藤鈴代、佐藤節子、佐藤崇、佐藤知惠子、佐藤智恵子、佐藤恒子、佐藤坤子、佐藤友順子、佐藤登貴子、佐藤友子、佐藤宣子、佐藤紀子、佐藤稔子、佐藤英和、佐藤弘徳、佐藤昌子、佐藤正美、佐藤待子、佐藤真名、佐藤真帆、佐藤真喜子、佐藤麻理子、佐藤研、佐藤幹雄、佐藤美佐子、佐藤稔、佐藤峰子、佐藤美和、佐藤恵、佐藤康光、佐藤泰子、佐藤靖子、佐藤雪子、佐藤由美、佐藤由美、佐藤洋子、佐藤律子、佐藤令子、佐藤練、佐渡友順子、真井忠雄、真柄周吾、讃井康六、佐野淳子、佐野匡、佐野宣雄、佐野通夫、佐原光児、佐原眞、佐原繁子、佐原良子、寒河江正一、鮫島郁子、佐柳孝子、更井勝子、澤淳好、沢井尚子、澤田嘉代子、澤田知夫、澤田文子、澤田眞、澤田雪江、澤野ミヨコ、猿谷恭平、猿谷節子、
し 塩井みどり、塩入秀義、塩田保、塩谷真澄、塩原佐智子、塩野和夫、塩野まり、塩見乃武雄、汐見日出子、重岡奈津子、茂美樹、地阪隆三、宍戸ユリ、柴野芳子、篠木孝、篠崎美生子、篠田和子、篠原利枝、篠原正雄、篠原愛文、篠原幸雄、信夫洋子、四宮久代、柴田恵、柴田薫、柴田克己、柴田知子、柴戸和子、柴崎聰、芝野晴見、柴本登志男、渋谷久、島しづ子、島妙子、島友江、島敞史、嶋岡世里子、嶋岡亮、嶋義尚、島田繁明、島田房惠、嶋田安子、島谷由利子、島村須美江、島村眞知子、島村美里、下村果南、下村優、清水悦子、清水千恵子、清水敏夫、清水和枝、清水喜美子、清水澄子、清水竹司、清水智子、清水寿子、清水英男、清水英綱、清水寿子、清水麻衣、清水雅子、清水美紀、清水美穂、清水与志雄、清水雍夫、清水康弘、清水芳信、清水礼子、志水澄江、志水真喜子、沈成妍、志村澄江、志村敏子、志村真、志村満子、下川原つせ、下園弘子、下園昌彦、下園真由美、霜田君子、下手従容、下村ゆり、ジャクソン信、宿谷尚之、F、シュペネマン偕美、東海林勤、東海林信幸、庄司まさ、庄子都、小豆さやか、小豆真太郎、小豆真人、小豆優子、庄野伊佐子、生野温子、生野龍二、鄭芝永、白井朝子、白石由紀子、白川多代、白川千代、白川幸枝、白沢典子、白沢譲、白戸治代、白波瀬衛、白濱佳代、白蓋タミ子、白蓋勉、城千広、申英子、新行内和子、新海洋子、新川裕子、新庄容子、進藤喜美、進藤啓介、進藤省一郎、進藤徹、新藤直子、陣内自治、陣内京子、陣内太蔵、新免貢、新屋幸子、
す 末次かおり、末永公子、末吉悦子、須賀誠二、須賀茂登子、須賀松治、菅井裕行、須貝智恵子、菅谷保夫、菅根信彦、菅谷博、菅原国夫、菅原恵子、菅原徹也、菅原千江子、菅原知行、杉英行、杉浦依都美、杉浦イク、杉浦忠武、杉浦みち子、杉田尚子、杉村和子、杉本淳子、杉本貞明、杉本哲、杉本節子、杉本智子、杉本誠、杉本正江、杉本道代、杉村博、杉山由紀、菅和世、菅生明美、菅生卿子、鈴江英一、鈴江祝子、鈴鹿靖子、鈴木育三、鈴木祈、鈴木英司、鈴木恵美子、鈴木嘉代子、鈴木恭子、鈴木邦子、鈴木さとし、鈴木紗綾子、鈴木重正、鈴木茂、鈴木茂伸、鈴木静男、鈴木承平、鈴木史郎、鈴木順子、鈴木摂子、鈴木拓、鈴木千秋、鈴木暢子、鈴木敏和、鈴木伸、鈴木詔明、鈴木典子、鈴木英夫、鈴木弘美、鈴木富美子、鈴木昌子、鈴木雅行、鈴木美紀織、鈴木美智子、鈴木美紀子、鈴木美和子、鈴木基夫、鈴木伶子、鈴木礼子、鈴木玲子、須藤淳、須田巌、須田剛司、須藤聡、須藤史朗、須藤瑛子、須藤義美、須永祥雍、須永洋子、砂村よしの、素原峰子、角秀宣、角博子、澄直治、澄敬子、澄川健治、住口節子、住谷祐子、隅埜千昌、角之江郁音、角之上治美、住谷祐子
せ 成正子、清野量、瀬尾佐和子、瀬川千恵子、関佐紀子、関武純、勢喜光、関やよひ、関律子、関口登紀子、関口福一郎、関口靖子、関田寛雄、關根明子、関根節子、関根三枝子、関本達也、関本浩子、関矢えり子、瀬口恵里子、瀬越美和子、瀬戸英治、妹尾ひづる、瀬谷智惠子、瀬谷智明、瀬山一郎
そ 相馬述之、宗本廣子、曽根恭子、曽我和子、曽我真理、曽我洋一、園久美子、曽根原穹、曽根原徹、曽根原友子、曽根原洋子、園眞實、園川悦子、園川泰雄、反町潤平、孫裕久
た 平良愛香、平良修、平良仁志、田内恵美子、田岡信子、皸翕佝、高井紀美代、高江洲盛雄、高岡洋光、高垣泰子、高木善啓、睫杳胆 高木由美、高木善啓、盖彿檗盖廚里召漾高倉謙次、高倉田鶴子、盞洋一、高沢幸男、高下泰三、高木武良、高下マリ子、高嶋民子、高嶋幸世、高瀬京子、高瀬久美子、高瀬千代子、高瀬軌利、碾鷯珊勝高田育郎、高田末子、高田智路、高田宏子、高田雄子、高田穣、高田道子、高戸佐和子、高戸二三男、高徳芳忠、高津勝世、高梨恵、高野信子、高橋昭子、高橋英子、高橋詠子、盒況暖子、高橋和子、盒恐弾犹辧高橋貞晴、高橋幸子、高橋志保、盒興濟辧高橋しおち“、盒胸忙辧高橋千洋、盒兇弔羯辧高橋照子、盒局匯辧高橋直之、盒郷子、盒玉子、高橋靖子、盒蕎此盒彊譟高橋平夫、高橋雅子、盒蕎算辧高橋美香、盒業貴代、盒業紗子、盒仰靉此高橋康子、高橋幸久、盒桐ヂぁ盒況百陝高畠公子、高濱心吾、高濱慈衣、高濱梨紗、高原寧子、高見伊三男、高見智恵子、高見光子、高見善生、高村美津子、高村美羽、高谷のぞみ、高柳研二、高柳純子、高柳徹三、 高柳富夫、高柳道也、高柳めぐみ、高山久郎、太川フミ子、瀧川喜代子、滝口博子、滝沢あゆみ、滝澤京子、瀧澤さやか、瀧澤秀樹、瀧澤みちる、滝澤昭治、滝本あい子、武井幾子、武井昭代、武井正治、竹内永子、竹内佳代、竹内憲一、竹内宏二、武内翔、竹内すなお、竹内節ゑ、竹内節子、竹内忠美、竹内富久恵、竹内まさ、竹内雅郎、竹内雅子、竹内淑恵、竹迫之、竹下貞夫、武田武長、竹花和成、竹花とも子、竹原千晴、武原要子、武久惠子、武久盾、武部正美、武部美知子、竹村寛賢、竹村泰子、滝上正、武田利邦、武田芳、武原要子、武部美和子、竹本智華、沢紙百合子、田口敦子、田口重彦、田口久恵、田口弘子、田頭謐子、田崎幸子、田崎まさ、田崎旨生、田澤陽子、田島治、田嶋貴代栄、田島宣人、田島美智子、田代冨美子、多田健二、多田早智子、多田志穂、多田裕志、多田より子、立原敬一、立原美恵子、龍野和子、館山英夫、館山史子、橘真理子、田原キミ、立岩秀彦、立岩由美子、田所いずみ、田所健作、田中愛子、田中郁子、田中市子、田中佐紀子、田中和恵、田中慶子、田中桂子、田中祐幸、田中静子、田中純子、田中高生、田中隆、田中隆幸、田中千栄、田中智之、田中暉彦、田中倫子、田中牧子、田中政己、田中夫伎子、田中富美江、田中浩子、田中昌光、田中麻里子、田中美知子、田中美智子、田中美知代、田中恵、田中素子、田中靖純、田中義宣、田中義信、棚田はるか、田辺綾子、田邊あさ子、田辺玲子、谷勲、谷光子、ダニエル・ヨシモト、谷岡清子、谷垣幸代、谷口栄子、谷口悦子、谷口こころ、谷口順子、谷口照子、谷口尚弘、谷口七代、谷口治道、谷口ひとみ、谷口尋子、谷口博宣、谷口眞、谷口禮子、谷村久子、谷本静子、谷祐一郎、田野井勝、田沼大典、田畑洋子、田原喜一、玉川敬子、玉越勢冶、玉嵜勝也、玉嵜順子、玉城豊、田丸康雄、田村京子、田村弘子、田村ひろ子、田村ふみ子、為房清二、田家たか子、多良浩一郎
ち 千神幸子、千代幸雄、茅野勇、茅野正子、千葉邦雄、千葉幸次郎、千葉司、千葉宣義、千葉牧子、千葉燿子、千葉洋子、茶木千晶、張連淑、曽慶姫、陳清子、陳正順、鄭明和、鄭芝永、鄭英和、
つ 塚田祥子、塚田孝、塚田庸子、塚本宏子、月下彩香、月下悟志、月下星斗、月下昌代、月下有里、月下美孝、築山広子、津司崇、佃章、佃真人、佃ミチエ、佃美智子、辻建、辻正樹、辻田光代、辻中徹也、辻中尚子、對馬平代、辻野禎胤、辻村啓之、辻村晴美、辻本和子、津田快子、津田健一、津田京子、津田成子、土田潤子、土田澄子、土橋晃、土屋栄子、土屋忠雄、土屋智英、土谷祈求江、土谷直穂実、土谷良治、筒井啓子、筒井準子、堤健生、堤肇、角田美代子、角田幸夫、坪井裕美、津村博文、津村有紀子、露口房子、鶴岡昭一、津留崎博子、鶴野暁、鶴野朝子、
て 出口和夫、出口富美子、手嶋智子、寺岡清、寺岡シホ子、寺師美佐子、寺田富雄、寺田陽子、寺谷勝江、寺本臣子、寺岡麻美、
と 戸井雄二、土井桂子、土井武文、土井兆、土井道子、東郷晴代、東條紗羅、桃原明子、遠山幸子、遠山花子、遠山正義、富樫和義、土岐満、徳江久美子、徳岡信哉、徳重師功、徳重弘子、徳重フミ、徳田有希子、渡口差知子、徳富すみれ、徳富誠子、徳永綾子、徳永五郎、徳永潤子、徳永恂子、徳永精二、徳永紘子、徳永政子、徳永真彦、徳永美知子、徳永依子、徳本美香、所佳子、所真弓、登坂久美子、戸崎ちはる、戸澤悦子、利光純子、利光ひさ子、戸田清志、戸田露子、戸田洋子、戸田博、戸田真理子、戸田睦子、戸田洋子、鳥羽成明、鳥羽美穂、戸村伸治、斗内寿子、刀祢舘美也子、刀禰尭介、富沢明美、富田和子、富田茂樹、冨田智容子、富田洋香、富田正樹、冨永喜代子、富永淑子、戸村歌子、戸村潔、戸村武嗣、友重紀美子、具島友子、外谷悦夫、戸谷紘、豊福明子、寅井章男、寅井泰子、鳥井新平、鳥居真知子
な 内藤健、内藤婦美与、名嘉節、名嘉みどり、中井京子、中井早苗、中居すが子、中井大介、中居哲朗、長井英子、永井順子、長井衣世、永井司郎、長井隆、長井美歌、永井緑、永井友仁、永井保雄、永井律子、中尾恵子、仲尾サヨ子、中尾伸子、長尾顕子、長尾恭仁子、長尾優、長尾守、長尾泰文、長尾道子、永岡篤信、中江禮子、中川英樹、中川信明、中川寛子、中北信子、長倉望、中越洋子、中越優、長坂直哉、永作令子、仲里佐代子、仲里朝治、中里由美、中澤英子、中澤一夫、中沢譲、中澤光子、中沢和佐子、長澤正義、長澤三枝子、長塩滋子、中島郁子、中嶋朱美、中島悦子、中島香、中島菊子、中嶋名津子、中島昌子、中嶋美佐子、中嶋陽子、中島幸人、中嶋理沙、永島鉄雄、永瀬加代子、永瀬喜久江、中瀬純一、長瀬光子、長田康志、長橋純男、長橋千鶴、永田愛、永田惠、中田香、中田成、中田清子、中田邦彦、中田保、中田千枝子、中田朋誠、中田正道、中田裕子、中田益代、中田光枝、仲田美和、中臺咲歩、中臺厚、中竹和子、中竹京子、中竹力、中谷晃也、中西海音、中西佳壽子、中西秀菜、中西萌花、中西康裕、中西英清、中野惠美子、中野公義、中野京子、中野順子、中野のゆり、中野真、中野佳子、中野渡淑花、中原眞澄、中原陽子、仲程剛、中堀仁四郎、中堀美代、長峰恵子、長野和範、長野泰子、永野和茂、永野茂洋、永野治子、永沼昭子、永沼勲、長沼桂、中松禎夫、永見美奈、中村明子、中村悦子、中村和男、中村一義、中村今日子、中村瀞、中村匡克、中道京子、中村勝吾、中村証二、中村晋作、中村隆俊、中村孝代、中村千恵子、中村俊宏、中山節、中村哲男、中村哲夫、中村哲信、中村直子、中村紀子、中村冨美子、中村文子、中村正俊、中村まさ代、中村實、中村稔、中村美津子、中村美代、中村弥栄子、中村容子、中村陽子、中村由子、中村良子、中村愛基、中村吉基、中村喜信、中村玲子、仲森美穂、中屋重正、中山晶朝、中山岩男、中山和子、中山京子、中山與子、中山禎子、中山俊子、中山ミチ、中山光子、中山美也子、中山明峰、中山裕子、仲村渠清子、仲森恵子、中森文穏、名久井幸子、名久井忠、名古屋瀬津子、那須清美、夏梅和世、夏梅文和、名取信子、七川七生、七海佳代子、七海義雄、七海義継、生井要司、並木一子、並木節、奈良光男、成川晃、成澤茂子、成澤正人、成島久美、成島信夫、成宮朗、成宮十四子、成宮孝子、成本書子、名和君枝、名和真理子、難波幸矢、南部明美、南部サダ子、南部泰治、南部智子、南部紀子
に 新居利子、二河照子、二川昌子、西貴子、西井祐子、西内勝、西浦弘子、西浦紘子、西尾市郎、西尾研二、西岡淳子、西岡稔、西川順子、西川賢、西川通子、錦田信昭、錦見慧子、西口守、西口智子、西崎紀代、西澤あけみ、西澤一泰、仁科優子、西島浩、西嶋悦子、西嶋佳弘、西田章子、西田和子、西田京子、西田国子、西田武治、西田照子、西田光男、西堂静子、西富夏子、仁科昌紀、西野えみ子、西野信子、西畑浩一、西畑裕子、西八條敬洪、西村温子、西村加寿子、西村惠子、西村耕盛、西村泰一、西村大介、西村千夏、西村正寛、西村松枝、西村穣、西村牧子、西村雅巳、西村みさお、西村義臣、西浜楢和、西本恵子、西本理香、西山禎、西山温子、西山美津子、西山美宝、西脇慎一、西脇寿美子、ニーゼン・ベルト、ニーゼン珠希、新田美智子、新田美根子、二宮志津枝、二瓶城、二瓶久子、二瓶良之、二瓶玲子、
ぬ 沼田弘之、
ね 根本雅美、根本幸雄、
の 盧芝栄、野上豊彦、野上由紀子、野口悦子、野口菊義、埜口はと子、野口春夫、野沢香代子、野沢香代子、野島和子、野末歳之、野副達司、野副めぐみ、野田恵美子、野田祥、野田隆、野地岡裕之、野地岡留美奈、納富瑞穂、野中裕子、野々垣愛花、野々垣慎治、野々垣直子、野々山彰、信田和子、信長たか子、野村重子、野村孝子、野村豊子、野村素子、野元美佐子
は 灰谷晋次、芳賀義也、羽賀早智子、袴田交子、袴田交子、袴田芳克、萩谷菊江、萩野智明、萩野美智子、萩原悦雄、萩原美穂子、朴美卿、間晶子、橋口久仁子、橋田聖子、橋爪孝子、橋詰喜久恵、元正章、橋野太一、橋村富士子、橋本衣美、橋本可奈、橋本和子、橋本貴俊、橋本照子、橋本直行、橋本博、橋本真、橋本正枝、橋本優子、橋本礼子、長谷川紀子、長谷川三和、秦克彦、畑房男、羽田洋子、畑中和子、畠中恵子、畠中保又子、畑本真智子、蜂巣都世、八田由貴子、服部圭子、服部邦子、服部栄、服部智子、服部祥子、服部綮子、服部尚子、服部秀三、服部誠子、服部正昭、羽鳥直之、花岡愛子、花岡哲男、花岡寛子、花岡文子、花城静子、花城安夫、花野千恵子、花房康子、花山ひとみ、馬場紀美代、馬場久代、馬場季、羽原艶子、羽原亮、濱恵美子、浜君代、浜崎久美子、浜崎眞実、濱崎敦、濱崎揚子、浜島和子、浜島高之、浜島朋子、濱野一郎、濱野幸子、濱野聰子、浜野千純、濱邉達男、浜辺ますみ、霈松漆諭霈沼邱、浜本和子、早川初穂、早川昌子、早坂悦子、早坂文彦、早坂由美、早崎桂子、早崎貴文、林郁子、林巌雄、林和恵、林和子、林和美、林公子、林久仁子、林茂博、林節子、林敏行、林輝子、林智之、林ひさえ、林弘恵、林滉子、林宏、林洋久、林芙美子、林真人、林三知男、林理子、林芳子、林淑恵、林玲子、林田弘子、早原君子、原公朗、原慶子、原聖子、原絢子、原宝、原忠和、原千恵子、原直呼、原治子、原晴子、原ひさ子、原裕子、原牧人、原誠、原真文、原美智子、原裕、原弓子、原洋子、原義彦、原田あずさ、原田和子、原田銀平、原田なるみ、原田伸子、原田由加、原田玲子、榛木恵子、針生敬子、播磨久美子、播磨輝孝、春木睦子、春名康範、春名迪子、伴サナエ、坂敬夫、伴秀男、板西千鶴子、坂東麻衣、半澤正子、半田博美、
ひ 比嘉清子、東幸子、東隆義、東昌子、東みどり、東島勇気、東谷香保子、東谷誠、東山明子、比企敦子、疋田久子、樋口聡美、樋口早知子、樋口哲夫、樋口芙美子、樋口幸雄、火口慎也、久木哲、久木幹子、土方喜美代、土方美香、日高民喜、日高俊朗、日高伴子、日高門、日眄禹辧日眸也子、秀村あさみ、人見勝、必守行男、日野和世、日野眞一、日原美鈴、兵頭幸子、平井清、平井早苗、平井俊江、平井文則、平井桃子、平川英勝、平澤久美子、平澤佳、平田一吉、平田すみ子、平田美知子、平田由喜子、平田良子、平野多枝子、平野直子、平野昇、平野昌子、平野ゆう子、平原公子、平原守、平間チヨミ、平松公子、平松英人、平松守、平本光枝、平盛真理子、廣石望、廣石由加、廣越惠子、弘島すみ子、広瀬香、廣田和浩、廣田道子、廣野嗣雄
ふ 深井光、深田一範、深澤奨、深澤健雄、深澤美紀、深澤要子、深見祥弘、深見美砂緒、福井貴絵子、福井のぶみ、福井稔、福岡佳子、福岡富士雄、福岡満寿子、福田宏子、福澤益代、福島良子、福田純子、福永光永、福原健郎、福原輝子、福原早子、福原福美、福原恭子、福本和代、福本香代子、福本末子、福本均、福山貞子、藤岡妙子、藤倉達郎、藤井和子、藤井友枝、藤井文子、藤井三紀子、藤井道雄、藤井涼一、藤川和子、藤川知子、藤木謙一、藤木チエ、藤田幸夫、藤田淑子、藤中一成、藤谷操、藤野和久、藤野みち子、藤原仰、藤原義子、藤巻惠子、藤巻朋子、藤本茂夫、藤本澄子、藤本ひかる、藤本まほる、藤本睦朗、藤本淑子、藤原恵子、藤原宏昭、藤原寛人、藤吉求理子、藤吉文佳、淵脇志摩子、二川昌子、二見武、二見安子、不動俊樹、船木暢夫、船見順子、文井みよ子、古市慎、古川久恵、古川力也、古川博子、古澤とき子、古住誉史、古瀬きく子、古林明郎、古谷恵太、古谷直美、古谷浩代、古谷正仁、古野明美、古野雅恵、文愛実、
へ ベッケルエミリー
ほ 帆足文子、保坂明恵、星谷召子、星野拓也、星野ひろか、星野浩子、星野昌枝、穂積久美子、穂積修司、細井貞男、細谷恭平、細田敦子、細野信子、堀町子、堀光男、堀内加代子、堀内美代子、堀江有里、堀川慶子、堀川政子、堀川勝愛、堀澤明子、堀澤六郎、本庄ゆき子、本行輝雄、本郷清子、本田明子、本田栄一、本田由美子、本田洋子、本多久子、本田哲郎、本田正博、本多峰子、本間あゆみ、本間一秀、本間せつ子、本間弘子、本間真理、
ま 前川花有、前里光盛、前里正子、前島宗甫、前島真喜子、前田恵子、前田康二郎、前田昌幸、前田龍男、前田乃莉子、前田稔、前田宏子、前田真紀子、前田美喜子、前田豊、前田揚子、前中榮子、前橋京子、前橋みどり、真門益子、眞壁伍郎、眞壁葉子、槇和彦、真喜志英美子、眞下弘一、真下潤、増井弘子、増井利内、舛岡道子、増田榮、増田聖子、増田望、町田淑子、真鍋孝幸、真崎麗子、牧野邦久、牧野良子、政金驍、正木明子、正木方雄、柾谷津恵子、馬島節子、升田文夫、又吉京子、町頭良行、町田愛子、松江光記、松尾佳子、松井達也、松井直樹、松井信子、松石真貴子、松浦良子、松浦新吾、松尾美保子、松尾芳子、松岡孝司、松岡佐和子、松岡浩、松川豊子、松倉寛、松崎新吾、松崎義明、松下悦子、松下さか江、松下怡子、松下広子、松下礼三、松代東亜子、松代徹也、松田邦子、松田徹、松田道子、松田善博、松田陽子、松田実栄子、松田美栄子、松田みせ、松田光代、松永時子、松永眞理子、松永雄祐、松林直子、松原麻美、松原直樹、松原昌子、松原佑輔、松島惠美子、松村茂也、松宮節、松宮此⊂硝槎正廖⊂硝榾稟、松本和史、松本しおん、松本慈、松本新子、松本敏之、松本義弘、松村晶子、松村健司、松村智和、松村寛、松本あずさ、松本仁、松本直子、松本治子、松本万喜子、松本よを、松本義信、松吉芙蓉、松山正男、黛栄子、丸田俊男、丸野愛子、丸山敦子、丸山和、丸山恵子、丸山澄夫、丸山玲子、
み 美甘翠、三浦あけみ、三浦いづみ、三浦修、三浦啓、三浦忠雄、三浦宣道、三浦英敏、三浦みつ美、三浦ゆかり、三浦良子、三浦麗子、三上イキ、三上真希子、三賀森栄子、三木美智子、三鹿悦子、水澤友子、水島祥子、三嶋静枝、三嶋義雄、三角恵子、三角朋子、溝井正美、溝口葉子、溝部省治、光嶌洋子、水田洋美、水谷香奈、水谷滋子、水谷真希江、水野恵子、水野和子、三谷寛男、三橋妙子、三股まさ子、三原貴美子、水上隆邦、水上千歌子、水田寛、水田剛子、水野亨好、御舘しのぶ、御舘博光、湊川あや、南和子、南春代、南英美、南山宏之、美濃泰造、美濃怜子、蓑田堯子、峰崎生子、峰崎直樹、実生律子、三村睦江、三村修、三森妃佐子、宮タズ、宮内常喜、宮内正江、宮川一男、宮川喜代子、三宅和夫、三宅邦和、三宅日奈子、三宅文子、三宅昌希、三宅義子、三宅義人、三宅利江子、三宅良昌、三宅保子、三宅幸子、宮川一恵、宮川喜代子、宮川経晃、宮川経実、宮川經裕、宮川経範、宮川道子、宮川美智子、宮川裕美子、宮敦子、宮崎祥司、宮崎達雄、宮崎扶子、宮崎元子、宮崎洋子、宮里稔、宮沢京子、宮澤哲、宮澤豊、宮島敏枝、宮島星子、宮田和子、宮田皓旦、宮田泰子、宮田ゆう子、宮野明宏、宮原朗子、宮原忍、宮原直道、宮原美枝、宮原雄一、宮之原敏恵、宮之原史、宮本睦子、宮本誠一、宮本真希子、宮脇俊昭、宮脇文子、三吉明、三好鐵雄、三好理恵、茗原泉、三吉信彦、三好照子、三輪清子、三輪隆夫、三輪則子、三輪正史、三輪保夫
む 向井愛、向井希夫、向田慧、向田怜、武蔵容子、武藤秋、村上章子、村上彩夏、村上和、村上カズコ、村上知子、村上典子、村上ハル、村上宏、村上弘子、村上祐子、村上芳子、村川糸子、村川仁、村川元、村口満香、村崎妙子、村嶋民和恵、村瀬文男、村瀬汎昭、村瀬澄子、村瀬喜久子、村瀬佳子、村瀬匡昭、村瀬美恵子、村田かず子、村田貞子、村田里美、村田多恵子、村田敏、村田雅子、村中琴絵、村中孝之、村橋素行、村松芳子、村松庸子、村本陽子、村山綾子、村山香代子、村山盛忠、村山盛葦、室岡恵
め 目黒和彦
も 毛利五郎、毛利俊雄、最上久美子、最上義、最上千都、最上光宏、持田光三、持田由美子、望月惠、望月丈児、元木博之、本弘亘代、本松陽子、樅野省子、森昭、森一雄、森邦子、森言一郎、森茂徳、森静子、森澄子、森尚江、森英夫、森秀代、森正子、森美樹、森亮太、盛耕三、盛紀代、森川美奈子、森川真理子、森口知代、森茂隆、森下久美子、森嶋道、守田滋代、守田美恵、森田暁子、森田光一、森田順一、森田千鶴子、森田恒一、森田典子、森田紘、森田基子、森田芳子、森田善之、森平理子、森西静子、森野善右衛門、森場恵子、森場さとし、森光知世、森光尚美、森光美文、森宗秀敏、森本義一、森本信也、森本玲子、守屋芙美代、森山昭雄、森山浜子、盛山和子、森脇美登里、諸井右彦、諸家香代子、諸川美那、諸星辰子、門戸幸子、門奈明子、
や 八重樫芳子、八木美保、八木隆太郎、八木郁子、薬師寺洋子、薬師寺美保、矢口淳美、矢口春子、矢口洋生、柳沼利信、八坂純子、矢崎和彦、八代智子、矢島直武、安井栄城、安井純子、安井鞠子、安岡純子、安田茂世、安田俊朗、安田信夫、安田浩規、安田浩行、安田律子、安富英世、安富睦、安永順子、安永正道、安場恵子、安本恩英、柳井百合枝、柳川真太朗、柳沢啓一、柳沢智弘、柳沢稔、柳下仁、柳谷直巳、柳谷舟子、柳本和良、矢野佐恵子、矢作明子、藪本利夫、山内愛、山内一郎、山内英子、山内友子、山内常行、山内久実、山鹿昭明、山鹿文子、山縣昌介、山岸路子、山口明子、山口和生、山口佳子、山口光司、山口紘三、山口幸代、山口里子、山口高弘、山口貴伸、山口徳江、山口教子、山口直子、山口弘子、山口政隆、山口正紀、山口雅弘、山口真美衣、山口恒、山口泰彦、山口恭通、山口やすゑ、山口洋子、山口陽子、山口義人、山崎えり子、山崎和男、山崎和子、山崎健二、山崎寛子、山崎博之、山崎久子、山崎真、山崎昌子、山崎正幸、山崎美香、山崎睦子、山崎康生、山崎良策、山先方江、山下晃、山下孝雄、山下徳幸、山下照子、山下智子、山下智彦、山下尚美、山下信行、山下弘、山下正子、山下洋子、山代寛、山住済埼、山住英勝、山添悦子、山田愛、山田昭子、山田恵里、山田啓子、山田啓人、山田耕平、山田早智子、山田淳子、山田招子、山田スエ、山田壽一、山田俊子、山田典子、山田富美、山田雅俊、山田町子、山田真理、山田真理子、山田美千子、山田穣、山田義夫、山田理英、山田理恵、山田麗子、山梨弘一郎、山部清子、山中伸子、山村勇、山村恵美子、山村泰輝、山村直子、山村博偉、山村道代、山村勇二、山村怜史、山本昭郎、山本爽起子、山本栄子、山本恵美、山村倫代、山本邦子、山本桂子、山本信次、山本泰次郎、山本南保子、山本尚美、山本淑江、山本昇平、山本多賀子、山本忠雄、山本トミ子、山本宏義、山本文男、山本昌実、山本雅之、山本護、山本安生、山本美穂、山本弥生、山本佑子、山本有紀、山本裕司、ヤング肇子
ゆ 湯浅佳代、湯浅茂子、湯浅信之、祐村明、由井肇、由井登子、弓削厚子、友利順子、由良哲生
よ 横内いづみ、横井利永子、横井美佐子、横井見矢子、横石和子、横坂幸子、横障子亜矢子、横田明典、横田綾子、横地達夫、横溝恭子、横山恵子、横山恵子、横山茂男、横山潤、横山順一、横山杉子、横山泰、横山富美子、横山正代、横山学、横山光子、横山まゆ美、横山義雄、横山義雄、吉尾泰子、吉岡恭子、吉岡知彦、吉岡望、吉岡るみ子、吉川明子、吉川幾子、吉川幸二郎、吉川てる子、吉川尚伸、吉川宏、吉川博也、吉川光雄、吉川勇三、吉沢惠次、吉澤摘麦、吉澤和海、吉澤譲司、吉澤暢紘、吉澤道子、吉田亜紀子、吉田和子、吉田敬子、吉田啓子、吉田光司、吉田技辧吉田慈、吉田忍、吉田純一、吉田貴子、吉田洋子、吉田弘道、吉田尚子、吉田松芳、吉田真由美、吉田真由美、吉田美代子、吉田鈴子、吉田三千代、吉田亮子、吉谷眞佐子、吉永郁子、吉永恵美、吉沼泰子、吉久玲子、吉野光、吉野ふじ子、吉野雅子、吉原伊津子、吉新ばら、吉松ケイ子、吉松繁、吉松恵、吉見美雪、吉村安紀子、吉村喜久恵、吉村義、吉村健、吉村百々代、吉村禎子、吉村トク、吉村司、吉村真理子、吉村ミヤ子、義本良太、余田由香利、依田康子、四居惠子、四居長敏、与那城初穂、米田俊周、米田美千代、米山雅枝
り 竜千代、龍口奈里子、領家輝世
ろ 六角忠、六角陽子、ロバート・ウイットマー
わ 若尾景子、若林毅、若本美弥子、和気明美、脇本光代、脇本泰、脇山陽子、和久井昭治、和久井亨、和久井美知子、涌井徹、涌井まり子、和久井洋子、鷲尾一眞、和田献一、和田節子、和田忠典、和田平、和田恵、和田美恵子、亘緋紗子、渡辺魁、渡辺香代子、渡辺君子、渡辺恵子、渡邉惠子、渡辺幸子、渡邊澄江、渡辺利彦、渡辺富子、渡辺直子、渡辺直子、渡辺直大、渡辺皎、渡辺文子、渡辺文子、渡辺幸子、渡辺晉、渡辺澄子、渡辺政三郎、渡辺富子、渡邊知平、渡辺とよみ、渡辺伸枝、渡辺紀子、渡辺晴美、渡辺兵衛、渡辺久子、渡辺久直、渡辺英俊、渡辺教、渡邉美壽子、渡辺道子、渡辺好子、渡邉淑光、渡邊るり子、渡部幸子、渡部展夫、渡邊康子、渡部裕子、綿貫富夫、綿貫淳子、藁科信子
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