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さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」
保守の会会長 松山昭彦のブログ

書庫日中韓歴史研究

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チャイナネットが報じたところによると、
日中両国の日中歴史共同研究の学者は3年間に及ぶ共同研究と学術討論を通じて、
日中歴史共同研究報告を完成させた。
日本側の学者は報告の中で、対中戦争は侵略戦争であり、
南京大虐殺は反ヒューマニズムの集団的な虐殺事件であることを認めている。

中国国民が関心を寄せる南京事件について、歩平所長は、
「今回の研究の中で、学者たちが関心を寄せているのは犠牲者の数ではなく、
この大規模なヒューマニズムに反した暴行の性質である」と話す。
双方の学者は論文の中で、南京事件は集団的な虐殺事件であるという判断で一致した。:

1月31日の日中両国の歴史共同研究委員会の報告書について、
南京虐殺については多くの新聞で取り上げていました。
しかし南京では大虐殺などありません。
それよりも、日本側はその5ヶ月前に起きた通州事件こそ大きく取り上げるべきでした。

昭和12年7月に、通州で支那人の保安隊による日本人民間人虐殺事件がありました。
この通州事件というのは戦後一切語られることもなくなり、通州事件を載せる本もほとんどありません。
もちろん学校でも教えませんので知る人は少ないです。

同じ年の12月にあった南京事件のありもしない大虐殺は学校で教えられ、日本人も多く知っていますが、
南京での支那の督戦隊による支那人への大量殺害や実際にあった通州事件は全く知らないという、
日本の戦後の教育とマスコミのゆがみを象徴するものです。

<通州事件についての報告書>
25日、26日と連続して起こった小衝突事件(廊坊、広安門事件)を契機として、
陸軍省部は延期していた3個師団の動員実施を決定し、27日の閣議はこれを了承した。
駐屯軍は28日に全面攻撃を開始し、翌日には永定河以北の北平・天津地区をほぼ制圧した。
その直後に起こった通州事件は日本の中国に対する強硬な世論を決定的なものにした。:

<南京事件についての報告書>
12月1日、中支那方面軍に南京攻略命令が下った。
12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。
翌13日、南京を占領した。この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、
住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(難民区)に避難し、
また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、
首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。
首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、
松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、
12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた。

しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、
中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた。
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(南京攻略要領)を通達していた。
しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上
(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、
1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、
中国の見解は後者の判決に依拠している。

一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。
このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、
対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、
南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ26、
さらに陸軍中央部にも伝えられていた。
その結果、38 年1 月4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。

虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、捕虜の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

26 石射猪大郎東亜局長は、38 年1 月6 日の日記に、
「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か」と記していた
(伊藤隆・劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社、1993 年、240 頁):



通州事件の日本側の報告はこれだけです。当時、日本国内でも世論が沸騰し、
日本人が大いに怒った通州事件が単なる一事件のように軽く流されています。
これでは日本の国の立場のものとはいえません。

報告書の通州事件の説明書きには
「北京郊外の通州で、冀東政府の保安隊が約200人余の日本人居留民などを殺害した事件」
と書かれています。

当時、この事件を知った現地の日本軍兵士たちは激昂し、
さらに日本に伝わって日本国民の多くが憤慨し国民世論は沸騰しました。
今回の共同研究の日本側の委員達が本当に日本人であるならば、
恨みを飲んで殺された同胞の鎮魂を込めて通州事件を最大限に訴えていくべきではなかったのか。
日本側は日本人の無辜の市民に対する大量の非人道的な虐殺をした済南事件や通州事件という事実を
どうして大きく指摘しないのだ。
日本人を虐殺してきた支那人の責任、それこそ責めるべきことでありこの機会に取上げるべきであった。

中国側は南京虐殺について
学者たちが関心を寄せているのは犠牲者の数ではなく、この大規模なヒューマニズムに反した暴行の性質だとか、
双方の学者は論文の中で、南京事件は集団的な虐殺事件であるという判断で一致したと発言する。
日本国民よ、こんなことを言われて許せるのか。
・・・・・・

上記の南京事件の報告書にはこうあります。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、
南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ

これには次のような注釈がついています。
石射猪大郎東亜局長は、38 年1 月6 日の日記に、
「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か」と記していた
(伊藤隆・劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社、1993 年、240 頁)

石射猪太郎東亜局長が日記に記したとあります。

当時、南京には安全区には国際安全委員会という組織があり、その委員長はラーベというドイツ人宣教師です。
(安全区とは南京城内に欧米人や残留した南京市民のために軍事力の行ってはいけない非武装の安全地域を設けていました)
国際安全委員会は南京陥落直後から「日本兵が略奪や虐殺をおこなっている」と総領事館に抗議していました。

総領事館はその内容を東京の外務省の東亜局に報告することになっています。
この時の東亜局長が石射猪太郎でした。
石射はその内容の写しを陸軍省・軍務局長と外務大臣の広田弘毅に報告していました。
このような報告書は南京陥落の12月13日から2月7日までで五百数十件ありました。

南京事件前後、石射は東亜局長として東京にいました。つまり南京の状況を直接見てはいません。
石射は、後の東京裁判で広田弘毅の証言台に立った時の自分の手記では、
南京のことは宣教師たちから提出された報告書によるものだと書いています。

実際に南京陥落翌日の12月14日から翌3月まで南京にいた外交官の福田篤泰は
当時のことを昭和54年にこのように述べています。
「当時、私は毎日のように外国人が組織した国際委員会の事務所へ出かけていたが、
そこへ支那人が次から次へと駆け込んでくる。
『いま上海路で10歳くらいの少女が5人の日本兵に強姦されている』あるいは
『80歳くらいの老婆が強姦された』等々、
その訴えをフィッチ神父が私の前でどんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれを記録するのか』と私は彼らを連れて
現地に行ってみると、何もない。住んでいる者もいない。
また『下関(シャーカン)にある米国所有の木材を日本軍が盗み出しているという通報があった』と
早朝に米国大使館から抗議があり、ただちに雪の降る中を本郷参謀と米国大使館員を連れて行くと、
その形跡はない。とにかくこんな訴えが連日山のように来た」

1月に南京に入って10月までいた外交官の粕谷孝夫は昭和60年このように述べています。
「南京の様子は普通でした。特別なことはありません。店は開いていますし、
日本の商人もいました。虐殺とかそういうことはありませんでした」
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宣教師たちからは2月にも報告書は提出されていたので不法行為は続いていたはずですが、
日本の外交官は否定しています。

総領事館に入ってくる抗議は裏付けも証拠もないものを東京に報告していたのです。

12月16日に南京に入った外交官の日高信六郎は
「日本軍によって行われたと称する行為に関して、在留外国人から総領事館宛申し入れがありました。
これらの大多数は伝聞でありましたが、総領事館では事実をいちいち調査する暇もなかったため、
一応そのまま東京外務省に報告した」と話しています。

東京の外務省に届いていた南京からの報告書とは、支那人がつくり上げた事件を国際委員会などを通して
事実確認もせず現地の総領事館へ抗議し、その抗議を更に事実確認もしないまま東京に報告していたのです。

石射猪太郎は東京裁判で広田弘毅の証言台に立ち、
「南京からの報告書は大部分事実であろうと思った」という証言により、
広田はこのような事実を知りながら適切な策を講じなかったと判定されて、
南京事件の責任を取ることになり、絞首刑となる七人のうちの一人となりました。

このような「石射猪太郎の日記」などを今回の報告書で使うとは全く許せない売国奴たちである。

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    鳳山さん

    こんにちは。
    同じ思いです。日本が南京を記述するならば、帝国軍人の勇戦や、
    南京入城と国旗掲揚、また反日の宣教師や記者のために虐殺の濡れ衣をでっち上げられたと記述すればよいのです。それが本当なのですから・・。

    傑作ありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 1:45

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    敬天愛人さん

    こんにちは。
    お察しいたします。・・。

    傑作ありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 1:46

  • 顔アイコン

    憂国烈士さん

    こんにちは。
    全くその通りです。
    第二回目をやる時は委員を全て変えていただきたいですね。

    傑作ありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 1:48

  • 後日、前記事といっしょに転載させて頂きたいのですが…。

    傑作

    seijin

    2010/2/3(水) 午後 5:42

  • 顔アイコン

    seijinさん

    こんにちは。
    傑作ありがとうございます。
    (転載可にしておきます)

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 6:42

  • 顔アイコン

    転載させて頂きます。

    傑作 ポチ凸

    hito

    2010/2/3(水) 午後 9:43

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    こんばんは。

    国際安全委員会など国民党の宣伝部隊だったのは明らかで、その話を伝え聞いたことを史実とするなど学者どもは頭がおかしいのかと思います。北岡氏は知っていたはずなのに一体何をやっていたのか。
    これでまた数十年真実の歴史は公には闇に葬られたことになります。

    ポチン

    [ JJ太郎 ]

    2010/2/3(水) 午後 10:28

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    hitoさん

    こんばんは。
    傑作、転載頂き感謝いたします。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 10:41

  • 顔アイコン

    JJ太郎さん

    こんばんは。
    全くです。反日宣伝部隊にやられました。しかもフィッチなどは天長節爆破事件や桜田門事件の実行犯に銃を与え犯行を指示していた金九をかくまっていたくらいです。
    陛下を殺害しようとした奴らを保護するやつらの言うことなんか信じられるわけがありません。
    日本よ、しっかりしてくれ!

    ポチンありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 10:48

  • 顔アイコン

    JJ太郎さん
    TBありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/3(水) 午後 10:48

  • 顔アイコン

    通州こそ 悲惨のきわみ
    これを言わないなら 支那と話し合う必要なしです

    [ 道後 ]

    2010/2/3(水) 午後 11:01

  • 顔アイコン

    水大師さん

    おはようございます。
    仰るとおりです。

    傑作ありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/4(木) 午前 8:57

  • 顔アイコン

    エンヤスさん

    こんばんは、はじめまして。
    ご理解いただき非常にありがたいです。
    感謝申し上げます。

    傑作、転載頂きありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/4(木) 午後 10:30

  • おはようございます。

    今回の共同研究は全く中共の罠にはまったのです。
    日本は南京虐殺なるものは存在しないという立場で望まねばなりませんが、存在を前提にした人たちが参加しているところに既に結論が用意されているし,チベット,ウィグルについては一切言及しないし、天安門についても一切言及しない、即ち、日本叩きの為の日本側の同意を得ることがその目的です。

    南京事件は存在せず、日本側は尼港事件、通州事件、昭和2年の南京事件などを取り上げて中国に謝罪と賠償を求めるべきです。

    [ mana ]

    2010/2/5(金) 午前 7:33

  • 顔アイコン

    manaさん

    おはようございます。
    その通りのようですね。
    近く日韓でも共同研究があり、日中でも二回目があるといいます。
    人選を見直し、最近の研究も踏まえて日本の立場をきちんと主張できる事を望みます。

    ご来訪ありがとうございます。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/5(金) 午前 9:10

  • おはようございます。
    前記事と合わせて転載させていただきました。

    seijin

    2010/2/6(土) 午前 11:06

  • 顔アイコン

    seijinさん

    こんにちは。
    転載頂き感謝いたします。

    保守の会会長 松山昭彦

    2010/2/6(土) 午後 5:33

  • こんにちは。
    共同研究委員会とは一見、前向きなところが腹立たしいです。
    残虐な通洲事件とともに広安門事件という卑怯な虐殺事件もシナ兵によって起こされていたとか・・卑怯な工作を重ね日本が陥れられた事実は、教科書などで正しく教えなければならないのに、このような共同研究で後押しするとは、いったい日本はいつまで戦後なのかと思います。
    TBありがとうございました。いつも勉強になります。
    傑作

    [ -- ]

    2010/9/2(木) 午後 0:44

  • 顔アイコン

    おはようございます。また転載させてください。
    済南事件、通州事件、日本はちゃんと知っておかないと。
    記録がありながら教科書に載っていないのは不自然極まりない。いま2016年ですど、まだうやむやですよね。

    [ いかづちまる ]

    2016/7/13(水) 午前 9:23

  • 顔アイコン

    再転載させていただきました。

    [ いかづちまる ]

    2017/1/10(火) 午前 8:34

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