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打越和子さんは「靖国のこえに耳を澄ませて」という本を書かれている方で、
数年前に講演でこのように述べています。・・・・・
みくにいまたゞならぬときつはものと召され出でゆく何ぞうれしき
吾死なば後につゞきてとこしへに御國護れよ四方の人々
これは私の故郷の熊本県出身の和多山儀平さんという方が、
出征を前に詠まれた歌ですが「召され出でゆく何ぞうれしき」という言葉。
そして「後につゞきてとこしへに御國護れよ四方の人々」というこの訴えですね。
私達の世代は出征していった人達は戦争には嫌々、涙ながらに引っ張られていったと教えられてきました。
みんながそうだったのだろうと。
けれども、この方は御國がただならぬときに召されていくことを「何ぞうれしき」と。
そして私が死んだならば、この国を永遠に護りついで欲しいと後生に願いをかけておられるわけです。
その後生というのは「他ならぬ私ではないのか?」
そう思った時、私はそういう人達に願いをかけられている存在だということに気が付いたんです。
それが最初でした。それから〝みくにがただならぬとき〟とは一体どういう時だったのか、
という当時の国際情勢を学びました。
それからその戦争の真相が「なぜ戦後世代に伝わって来なかったのか」
戦後の占領政策についても学びを深めていったわけです。
それから数年が経った平成五年になって、細川首相が
「あの戦争は間違った戦争であった。侵略戦争であったと私は思っている。」
と発言しました。
その年は学徒出陣五十周年の年でした。
靖国神社で開かれていた学徒出陣五十周年特別展を企画した靖国神社の方々に
インタビューーする機会を得ました。
その時に靖国神社の神職さんの話を聴いて驚いたのは、
実によく一人一人の方のことを克明に知っていらっしゃる。
「〜さんはですね。飛行機にのって〜から行かれて、こういう歌を詠まれたんですよ。」
ってすらすらとその短歌がでてくる。
そして、
「〜さんは恋人がいらっしゃいましてね。今〜に住んでおられましてね。この前子供さんがいらっしゃって・・・」
とかそういう一人一人の名前や歌やご家族の名前、その人が残した手紙の一節、
そういうものがすらすらすらっと出てくるんですよ。
それを身内のことのように懐かしくお話されるんですね。
私はそれまでに戦没者を大切にしなければならないという気持ちはすでにもっていました。
けれどもその一人一人の方について、
じゃあどなたを知っているの?
その方はどういうお言葉をのこされましたか?
その方はどこに住んでいらっしゃって、どういう人だった?
そういうことは全く知らなかった。・・・
慰霊というのは、その人達お一人お一人のことをもっとよく知ることではないだろうか。
「英霊を大切にしなければいけない」という一つの概念に留まっていては、
私達は本当に慰霊するということは出来ないのではないかな、と思わされました。
・・・・・・
昭和十九年十一月、第九三一航空隊の空母「神鷹(しんよう)」に乗り組んだ一人の若者がいました。
十一月十七日、「神鷹」は済州島西方海面で敵潜水艦の雷撃を受けて沈没し、
その若者は艦と運命を共にした。
この若者は熊本県八代市の和多山儀平(わだやま ぎへい)さんです。 享年20歳。
米穀商の父母の間に、姉一人、弟三人、妹二人の七人兄弟の長男として生まれた和多山さんは、
九州男児そのもので、普段はやさしい兄として慕われていましたが、
一旦点火されれば爆発的なエネルギーで直ちに行動する武人(ますらお)であったという。
昭和十六年、旧制熊本高等工業学校に入学。
ここで日本学生協会に入り、自らの人格を高めるために熾烈な求道、研鑽に励みます。
聖徳太子のみ教えを道のしおりと仰ぎ、明治天皇の御製を拝誦し、吉田松陰を学びます。
昭和十八年に海軍予備学生として茨城の土浦航空隊に入り、
その後選ばれて新入予備学生の教官になります。
入隊後もひたむきな姿勢は変わることなく、「立派な海軍士官になる」ことを自分の使命と信じ、
どんなに厳しい肉体訓練も決して弱音は吐かなかったという。
昭和十九年九月十四日、和多山さんは弟の茂平さんにこのような手紙を出しています。
「人間としての感情は否定すべくもないのは当たり前だ。
しかしなから兄が又は海軍軍人一般があえて表面それに無関心をよそおうのは、
感情におぼれて不覚をとる事を恐れる故であり、その内にこもる想いは万斛(ばんこく)の想いである」
この「万斛の想い」について偲ぶ記述が和多山さんの日記にあります。
「今朝方、実に言いようのない夢を見た。
しるす事にする。
場所は母の実家、大島の海岸、軍刀を吊るして見慣れた家の前の防波堤より降りて、
これを最後にと八代の家に帰ろうとする時、渚より母は眼に涙を浮かべつつ、
実に忘れられぬ顔をしながら、
『儀平ちゃん、何も想い残す事はないから一生懸命働いて天皇陛下の御為に死んで来なさい』
と胸にすがって泣くのである。
(略)
しかしながら、決して取り乱してはいない。
ひたすら皇軍に捧げた我が子との別れに生じ来る別離の悲しみと
武運を祈る心との交錯する複雑なる面わである・・・ 私を送るのである。
その時、家の門に父が現れる。
別れようと父に最後の握手を交わさんとすると、父は母を見返り
『儀平、元気で行け』と言いつつ握手をのけて私の体を抱きかかえられる。
腰の剣がだらりと下がった重みに目がさめる。
気がつけば甲板の釣床の中」
この夢に現れた両親の態度は現実もその通りでした。
一九年三月五日、父と姉の智さんは和多山さんの元へ面会に訪れて最後の名残を惜しんだが、
母だけは
「一度あの子をお国に捧げた以上、心は動きませぬ。立派につとめを果たしてくれる事を祈ります」
と言って、面会には来られなかったという。
・・・・・・
その後、和多山さんが乗った「神鷹」の最後の様子は、戦後も知ることは出来ませんでした。
家族は八方手を尽くして調べ、ようやく戦友からの手紙によってその一部を知ることが出来ました。
「神鷹」は大型商船を緊急に改造して造った特設空母で、
戦局のきわめて不利な状況下、沈没の危険性はことのほか大きかったと皆わかっていました。
その「神鷹」に和多山さんは自ら進んで希望して乗船したのです。
この船に乗る順番であった同期の少尉が一人息子であることを察した和多山さんは、
「君は一人息子だ。自分には弟も多い」と言って進んで交替したという。
昭和二十三年になって
「和多山少尉は、海中を何かにつかまって流されながら、
戦友たちを励ますように元気な歌声を響かせていた」と生存者が証言しています。
「一度はお国に捧げた限りは」と面会に来ることがなかった気丈な母は亡くなり、
姉の智さんは弟の船が沈んだ東シナ海の波が打ち寄せる天草の岬へ、
今も年に一度は訪れているそうです。・・・
・・・・・・
打越さんは講演の最後にこのように述べております。
「歴史に目覚めてきて、戦没者たちのことを知ろう、知りたいという若い世代の人達が
たくさん出てきています。
そういう若い世代が、戦没者、死者との絆を回復する、死者との対話を回復する、
自分たちにかけられた願いというものに目覚めた時、
本当に生きるということの尊さが解ると思います。
命を大切にしなさい、自分を大切にしなさいといくら言っても
生きることの尊さが解るものではない。
亡くなった方々たちの思い、自分にかけられた願い、そういうものに目覚めてこそ解る。
ですから、今の教育問題というのも、靖国神社の問題と深く根っこは同じであって、
亡くなった方たちへの尊敬の念を回復することが、
本当に子ども達の命の輝きを回復することではないかと私は思っております」
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歴史の連続性、
尊厳、考えなくてはいけないことはたくさんありますね。
傑作
2010/5/19(水) 午後 6:32
名前を漢山に戻しました。
☆
[ - ]
2010/5/19(水) 午後 7:25
打越さんのこの御本は持っております。
和多山さんのことは靖国神社や、「靖国の声に〜」で存してはいますが、改めて見るととても凛とした精神力をお持ちの方だったのだなと思いますね。
凛として出陣し、凛として死に就いた。
その生き方を私たちは見習わねばいけないなと切実に思います。
今の日本をかんがみて。
[ 見張員 ]
2010/5/19(水) 午後 8:43
こんばんは。
>命を大切にしなさい、自分を大切にしなさいといくら言っても
>生きることの尊さが解るものではない。
まさにその通りです。亡くなった方たちのおかげで今日の平和があります。そして、生かされているという意識も必要でしょう。
傑作
[ JJ太郎 ]
2010/5/19(水) 午後 8:44
レッドさん
こんばんは。
その通りですね。
傑作ありがとうございます。
2010/5/19(水) 午後 10:16
漢山さん
こんばんは。
了解しました。^^
☆ありがとうございます。
2010/5/19(水) 午後 10:18
見張員さん
こんばんは。
現代の日本人には同じようなことは望めない気がいたしますが、
英霊たちは我々に何を託したのか、我々に何を望んで散華されたのか、
そこはきちんと受け止めなければならないと思います。
ご来訪ありがとうございます。
2010/5/19(水) 午後 10:22
JJ太郎さん
こんばんは。
そのような教育が学校で必要ですね。
英霊たちが託したことはそういうことかもしれません・・・
傑作ありがとうございます。
2010/5/19(水) 午後 10:24
今日も素晴らしいお話しです。
確かに、教育問題と靖国問題の根は同じです。
私たち今を生きる世代は先人より受け継いだ命の尊さを、子供たちにいかにして継承すべきかを考えるべきですね。
傑作○です。
2010/5/19(水) 午後 10:31
恥ずかしながら私も特攻隊の心情はわかりません、否、むしろわかった風に言うのはどうなのかと思うのです。
おそらく色々といいたいことはあるのでしょうが、それを心に仕舞ってあの世に潔く旅立った・・・その方たちのお蔭で今がある。
今を生きる若者はまずは肯定する事からはじめなければならないのでしょうが、学校をはじめ大人の世界は否定から始まります。
学校は戦前の否定、組織は日本国そのものの否定、会社では幾ら頑張っても努力が足りないと否定。
こんな世だからこそ、物質的なモノを超越した何かが大事であると思います。
傑作
2010/5/19(水) 午後 11:08
おはようございます。
読みながら涙流れ、同時に自責の念と羞恥の念に耐えられません。
歴史に関心を持つ若者と同じように現実逃避を急ぐ若者がいます。自らの根を探す若者と同じように刹那の快楽にのみ時間を費やす若者がいます。
頭で分かっていても、それを実行に移すことの恐ろしさに気づいて心が萎え怯んだ時、それでもなお凛として突き進む勇気が欲しいです。
昨日のバンコクの赤シャツ派の集会指導者の態度はあまりにも醜いですね。無責任な先導者の姿を目の当たりにし、多くの赤シャツ民衆は怒りの炎を燃え上がらせ、事態を悪化させました。それでもなお彼ら集会解散と自首を一方的に宣言した指導者は命の保証を得て薄ら笑いを浮かべています。卑怯、下劣ですね。
政治に関わるとは命がけだと頭で分かったいても、こうした現実を見ると、政治とは金儲けか、金の為に無垢の民衆を扇動して殺して恥じないものかと思います。
翻って、日本の武人は誰もが責任を逃げることなく、部下の為に涙を流し、血を流して散りました。
今その先人の志に報いる勇気と気概が自分にあるか???
傑作
[ mana ]
2010/5/20(木) 午前 7:47
近野さん
おはようございます。
仰るとおりです。
傑作ありがとうございます。
2010/5/20(木) 午前 9:40
千葉日台さん
おはようございます。
その通りですね。
事実はそこにあるわけですから認めなければいけません。
日本の心を育てていかなければと思います。
傑作ありがとうございます。
2010/5/20(木) 午前 9:43
manaさん
おはようございます。
>今その先人の志に報いる勇気と気概が自分にあるか
多くの人がその問いに答えられないでしょう。
先人達が我々後世にかけた願いに思い至らないのが今の現実です。
傑作ありがとうございます。
2010/5/20(木) 午前 9:49
遅ればせながらコメントさせていただきます。
『死者との絆を回復する』、『亡くなった方たちへの尊敬の念を回復する』。自分はまだまだ理解が足りていませんが努力したいと思います。傑作
2010/5/20(木) 午前 10:49
歳の所為か?最近は涙脆く成り・・・「さくらの花びら」さんの更新記事を読む度に涙が零れ落ちます!。
記事を読み進む内に父、叔父が出征した時には、父は幼い子三人を残し、叔父は独身でしたが、如何なる心境だったのか?、思わざるを得ません!。
不帰の人と成り、尋ねる事も出来ず・・・私は想像するだけです。女々しいと笑われるかも知れませんが・・・何か切なく、胸が押し拉げられようです。
☆傑作!〜
[ gre*n*hub*32 ]
2010/5/20(木) 午後 10:54
すみませんが、とりあえずは「傑作」を入れておきます。
詳しくはまた後で。
[ - ]
2010/5/22(土) 午後 6:09
遊坊さん
こんばんは。
打越さんはすごい体験をしたようです。
魂を揺さぶるような・・。
傑作ありがとうございます。
2010/5/22(土) 午後 7:40
gre*n*hub*32さん
こんばんは。
英霊たちの遺書や手紙を読むといつも思うのは非常にしっかりした文面です。日本の先のことも考えて散華されているのですね。
我々後世のものがそのご遺志を受け継いでいくべきだと思っております。
傑作ありがとうございます。
2010/5/22(土) 午後 7:45
ZODIACさん
こんばんは。
傑作、ご来訪ありがとうございます。
2010/5/22(土) 午後 7:46