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学校で教えない歴史 35(二・ニ六事件 青年将校とアカ)
「決起した皇道派の青年将校たちはアカだった」という意見があります。
二・ニ六事件後、そのような噂が広まったという。
このことについて実際の皇道派と呼ばれた青年将校が自身の著書で触れています。
末松太平大尉が二・二六事件後の3月7日に青森から志村中尉と杉野中尉とともに、
東京の刑務所に入れられた時にこのように書いています。
(以下、末松太平著「私の昭和史」より引用)
「法務官は我々を赤とみているんじゃないですかね。転向したらどうかと言うんですよ。・・・転向したら赤になると言ったら、かえって変な顔をされた。君らは俸給だけで足りたかと、赤からでも軍資金を貰っていただろうと言いたげな口振りでしたよ」
志村がこういうと、杉野が相槌を打つように応じた。
「私にも志村と同じようなことを言いましたよ。料理屋で飲んだりした金など俸給だけでは足りなかったろうなどと。・・・君らの仲間の中村義明は元共産党員だったね、と意味ありげに言ってもいました」
この疑問はそのうち解けた。
志村、杉野の同期生・志岐中尉が熊本の十三連隊付で、引っ張られてきた。
志岐中尉はこともなげにこれに明答したのだった。
「十三連隊じゃ将校集会所で、連隊長が将校を集めて、今度の事件はアカじゃと、はっきりいいよったい。俺は貴様らよりか、引っ張られるのが遅かったけん、ようかわっとるばい」
二・ニ六事件を赤と思い込ませ、一挙に不人気にして葬り去ろうとした浅知恵に対しては、
今も心平らかでない。
二・二六事件を赤にすり替えようとした首謀者の氏名も誰彼とはっきりしていいはずである。
河野司編『二・ニ六事件』の特別資料中に、三月七日午前十時、第一師団参謀長舞伝男大佐が第一師団司令部において公表した口演要旨が収録されている。
それは公文書として全軍に印刷配布されたものというが、それに、
「我が国家国軍を破壊するため、第三国より資金を提供しある疑いあり。彼らの背景をなすものは職業的ブローカーにして、従来は最右翼のものなりき。叛乱軍幹部の中にも軍人精神、武士道の何物かを全く解せずして、純然たる赤色ブローカーの色彩ありしこと逐次判明せり」
志岐中尉が連隊長から聞いたのは、この舞参謀長の口演要旨と同じものだったと思われる。
口演が行われたのが三月七日、これが全国連隊に行きわたったのは八日以後であろう。
したがって七日に収監された私達三人は知りようがなかったが、収監が遅かった志岐中尉は、如実に連隊長の口からこれを聞いているわけである。
予審が終わって看読許可になった青森からの私の手紙の中に、我々三人は、いまわしい背後関係も知らずに、ただ国家のため一点張りで躍った気の毒な存在だったという意味のことが書かれてあった。
志岐中尉の解説によって、この手紙に書かれてあった疑問の点も氷解したことだった。
志岐中尉の解説があっての後だったが、平石看取が、格子を隔てて私にこう述懐したことがある。
「派遣になる時、今度の事件は赤だと聞かされていたので、将校のくせして赤の手先になるとは不届きな奴、東京に行ったら、うんととっちめてやろうと決心してきたので、最初のうちはそのつもりでいたが、いざ公判が始まり、それに立ち会って聞いてみると、全然反対ですものね」
このように、決起将校がアカだというのは、意図的につくられたものでした。
大蔵栄一も著書『二・ニ六事件の挽歌』でこのように書いています。
東京渋谷の宇田川町の陸軍衛戍刑務所に収容された時、格子の間から「大蔵さん」と呼んで
名刺を差し出した看守がいた。
名刺には、名古屋第三師団法務部 林昌次 と印刷されてあった。
「あなたはいい時期に来ました。はじめ私達看守は軍の発表で、あなた方は共産党と通じていた将校で武士の風上にもおけぬ連中だから、うんといじめてやれということでだいぶ辛くあたったのでしたが、公判がはじまってみると、裁判官の態度よりもむしろ青年将校の態度の方がいいことがわかってきました。最近は看守の考えも変わって、もっと大事にしてやらねばと思い直していますから・・」
私はこの話を聞きながら、二か月前羅南で聞かされた第一師団参謀長舞伝男大佐の口演要旨に次のようにあったことを思い出した。
「叛乱軍幹部の中にも軍人精神、武士道の何物かを全く理解せずして、純然たる赤色ブローカーの色彩ありしこと逐次判明しつつあるを見る、・・・(中略)若し今日に至る反乱軍の行為を是なりと考ふるものありとせば全く言語道断というべし」
取り調べもロクロクせずにいち早く発表した軍の虚構のでっち上げ、しかも、こともあろうに青年将校たちを赤化分子とまで決めつけた悪宣伝が、看守にまで徹底していたわけである。
さらに大蔵栄一はこのように書いています。
終戦後間もなく昭和二十四年の初夏の頃、大蔵栄一は土佐で静養していた大岸頼好を訪ねた時のことです。
「二・二六事件をどう思いますか」と大岸が言った。
「と言いますと、どういうとこですか」
「なぜ、あの時期にやったかということですよ。僕にはどうしても納得できない。相沢公判は決して不利ではなかった。何もあわててやらなければならぬ理由はなかったのではないですか」
「私も同感です。磯部、栗原らは別としても、村中や安藤らがなぜ決心したか、その辺がどうしてもわかりません」
「断行の決意を早めるのに、特別な力が作用したというような兆候は感じませんでしたか。例えばモスクワから赤い細い糸がどこかに繋がっていたとか、ワシントンからのくさびが、どこかに打ち込まれていたとか…」
「私もそのことに心をかけて、それとなく気を配っていたのですが、今までは別にそれらしい気配は感ぜられませんでした。ただ一つどうも合点のいかんことがあります。…栗原が決行の直前、しばしば不明の人物と二人で鳥森の料亭に現れていたことを、つい先ごろ聞いたことがあります。某料亭の女将の話だそうです。もしそれが事実であるとすれば、その謎の人物は誰であったかということです」
「誰だかわかりましたか」
「イヤわかりません。私がひそかにあてはめて見た人物に、和田日出吉という男がいます。決起直後、栗原は首相官邸に和田を呼んでいろいろ話をした形跡があります」
「あなたはその和田を知っていますか」
「知りません。ただ最近聞いた話に、和田は終戦時『満映』にいたそうです。甘粕社長(元大尉甘粕正彦)が毒を飲んで自殺した頃、赤に通牒していた疑いがあるというので、二、三人の社員が和田夫婦をたたっ斬りに行ったそうですが、その時すでにもぬけの殻だったそうです。和田の女房というのが、有名な女優の木暮実千代(こぐれみちよ)という女ですよ。・・・それから、ワシントンとのつながりのことですが、このことで思い当たることは、どのくらいかわかりませんが斉藤瀏(きよい)少将から栗原に金が出ていたらしいということです。その金がどこから出て、斉藤少将を通じて栗原に渡っていたのか、そのへんが問題です。斉藤少将といえば歌人です。お歌所を通じて宮中とは容易に連絡がつきます。ワシントンにそのいがあればこれまた宮中に入りやすい、といったところですが、それ以外は考えられませんね」
・・・・
二・二六事件にもソ連の工作の影があったと秘密文書の公開で明らかになっています。
検察側の未公開資料の中にもコミンテルン工作員とされる白系ロシア人シロータから反乱軍にコミンテルンの資金が流れていたことが言及されており西田税に宛てた満鉄調査部系のコミンテルン関係者からの資料が押収されているという。
陸軍の統制派の思想や考え方は相当な割合でソ連の影響を受けていたといわれて、ゾルゲとも深い関係を持っていた武藤章などもいた。 二・二六事件の青年将校の栗原安秀中尉が決行の一週間前にソ連大使館の人間と会っていたといわれています。
統制派は思想的にアカと共通しておりマルクス主義者と言われる連中もいました。
皇道派は思想的にはアカではなかったが、アカい手が伸びていたことだけは確かかもしれない。
・・・・
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何かと厭らしいモノが付きまといますね。
モヤモヤとイライラが交錯して・・・
結局、純粋な人間が苦しむパターンなのですね><
★!
2011/9/1(木) 午前 10:46
アカの遠謀深慮、現在は民主党を手先に進行中と観ています。
転載させてください。
[ tearface ]
2011/9/1(木) 午前 10:50
この歴史は表に出てきてほしい
勉強になります
[ 道後 ]
2011/9/1(木) 午前 10:55
こんにちは。
今日も受講できました。ありがとうございます。
皇道派にもアカが・・・・。
なんかモヤモヤします。
傑作
応援クリック
[ - ]
2011/9/1(木) 午前 11:09
後ほど34から読ませて頂きます。
傑作・ランクリ○です。
2011/9/1(木) 午前 11:11
転載させて頂きます。
応援&今日のランクリ 傑作ポチ凸
2011/9/1(木) 午前 11:20
戦前の歴史を公平な観点からもう一回再評価する必要を痛感しました。いつも勉強になります。
傑作&ランクリ
[ 鳳山 ]
2011/9/1(木) 午前 11:45
真相は不明にしても決起将校たちがアカというのは最大の侮辱ですね。戦前の日本もいやらしい部分がありますね。傑作
2011/9/1(木) 午後 0:25
本当は赤が原因の軍の乱れに対しての、資本主義の毒の部分に対峙する動きとも取れる側面がアカとレッテルを貼られた所以でしょうか。資本主義も共産主義も、唯物論であって純粋な人は土俵が違うんですね。それを一部だけ取って、邪魔者にアカのレッテルを貼った訳ですね。酷いですね。
傑作ランクリ
[ -- ]
2011/9/1(木) 午後 2:11
これ以上の邪悪な思想はありません。
世界中に血の雨を降らせ、現在も進行中です。
傑作
ランクリ
2011/9/1(木) 午後 3:21
誠意ある人間を罪の陥れることを画策して国家変革をしようとする人間たちの思想が、その結果に良い社会を作り上げられるわけがないことは自明の理だと思うのに、なぜそんな思想にハマるのかが理解できません。手段に汚いことをして創り上げられた社会は又、それを維持するのに永久に汚い手段を使い続けて、ソ連も中共も血の粛清を大量に行っています。赤という思想は、思想というより、思想の仮面をつけた自分以外のものへの憎しみや恨みヒガミの感情なのかとも思います。ルサンチマンという言葉は、結構的確な言葉のような気がします。
傑作ランクリ
[ さざんか ]
2011/9/1(木) 午後 4:25
悪いことはすべて愛国者に擦り付ける。
腹がたちます。
傑作、ランクリです。
[ nadarechan1113 ]
2011/9/1(木) 午後 7:19
こんばんはっ!
ワタシも「さくらの花びら」さんの記事を読むまで知りませんでした(汗)
ずっと青年将校達がアカだと思いこんで・・・(恥)
国を思う人間が何で?悪と決め付けられなければならないのかっ!
根本的に我が国の教育を一から見直すべきですっ!!
日教組の解体、左翼や在日の追放などなどっ!
傑作!
[ ちびっこライダー ]
2011/9/1(木) 午後 8:10
複雑な世界ですね
傑作です
2011/9/1(木) 午後 8:15
あのころはソ連の5カ年計画が次々と成功して「共産主義」に目を奪われていた頃ですからね。「共産主義はなんと素晴らしい体制ではないか」と。
しかし、カネが無ければ文字通り無い袖は振れない訳で、石油輸出が5カ年計画成功の原動力であって、体制が優れていた訳ではないと気がつく人は少数でした。
まあ、今だから言える事ですが、今になっても解らない人が大勢います。
傑作
[ - ]
2011/9/1(木) 午後 11:39
これは広くに世に広めていくべきだと思います。知ってる人は知ってるけど、知らない人は本当にしらない。日本の真実をです。
こんな、ことが行われていたとは。しかし、これ形は違うけど、今に通じるところがあるのではないかと思います。
傑作・ランクリです。
2011/9/2(金) 午前 1:23
応援&今日のランクリ ポチ凸
2011/9/2(金) 午前 2:25
純真さゆえに乗せられてしまったんでしょうか。
傑作・ランクリ
2011/9/2(金) 午前 4:53
「統制派」と「皇道派」の対立は大戦終了、関東大震災、世界恐慌の中で軍縮を行うに当たり、人員を削減して軍の近代化を行うか人員を維持するかの差であり。
シナへの対応ではない。
226事件の首謀者の主張は土地の国有化、企業の国有化であり、
尊王を隠れ蓑とした共産革命であるのは明白である。
そもそも226事件がなければ満州事変という外地でのクデータが勃発しない、
盧溝橋事件時は関東軍の首脳は病気その他で職務が出来る状況ではなく。
すぐに現地で停戦となったが、近衛が増援を送った為、停戦が崩れた。
シナでの日本人虐殺事件への強行な対応は人気取りには都合の良い政策でシナ事変は近衛の人気取りと陸軍の予算欲しさ、蔣介石の統制力のなさから起こった。
当時蔣介石軍はナチスドイツの軍事顧問団に率いられており。
ナチスドイツはソ連と同盟関係
ドイツが蔣介石軍を使って日本を消耗させ後ろからノモハンでソ連本体が攻撃という挟撃戦略に見事にはまったが、軍首脳がアホでも、現場のバカ力で双方を撃退、ドイツとソ連は戦略を変更してすぐに撤退、東欧分割に乗りだす。
[ cli*at*_wea*o* ]
2014/2/9(日) 午後 4:48