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さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」
保守の会会長 松山昭彦のブログ

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日本史上、親しみを込めて「さん」づけで呼ばれる英雄は多くはありません。
「さん」づけで呼ばれているその一人が西郷隆盛です。そして、もうひとりは明治から昭和の三十年代頃まで「さん」づけされていた乃木希典です。明治から国民が真に愛したのは伊藤博文でも坂本龍馬でもなく、西郷さんであり、乃木さんでした。
 
明治十年、西南戦争で西郷隆盛を首領とする薩摩軍が熊本城を包囲しました。
乃木は主力を率いて小倉を出陣し、夜行軍で熊本城の植木で薩摩軍と遭遇しました。
戦闘は凄まじい白兵戦となり、乃木は一時撤退を決意しました。その時、天皇陛下から授かった大切な「連隊旗」を敵に奪われてしまったのです。
陛下への忠義を自分の支えとしようとしてきた乃木にとって、軍旗喪失という軍人にあってはならない失態を犯したことは、乃木の心に重くのしかかりました。
乃木は恥辱のあまり、自分から死地に何度も入り、あえて薩摩軍の正面に立ち、敵弾にあたって死のうとしました。この乃木の異常な行動はやがて明治天皇の耳にも達しました。
すると明治天皇は「乃木を殺してはならん」と前線指揮官の職からわざとはずすように命じられました。
明治天皇は乃木の責任感の強さに対して深く人間としての信頼の念を寄せられたのでしょう。
 
明治という時代に我々日本人が一番大切にすべき日本人の心が光り輝いた瞬間ではないでしょうか。
それは、陛下の軍旗を喪失した恥辱の臣に対して、明治天皇が乃木のまごころを知り、親が子を抱きしめるように許されたのです。そして、国民がこれを知り、共感することによって、己を虚しくしても大義に殉じる という明治の精神を確立したように思えます。
後年、乃木は明治天皇の後を追って殉死を遂げる際、この軍旗喪失への謝罪を遺言の第一に挙げています。
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明治二十七年、日清戦争が勃発すると乃木は歩兵第一旅団を率いて出陣。
乃木の属する第二軍第一師団は堡塁と砲台に守られた旅順要塞をわずか一日で攻略しました。
蓋平の戦いでは桂太郎指揮する第一軍隷下の第三師団を包囲する清国軍を撃破するなど目覚しい活躍を遂げ、名将振りを世界に示しました。
乃木は「将軍の右に出る者なし」という賛辞を受けて凱旋帰国しました。
その後、台湾総督に就任した後、帰国し、新設の第十一師団長に任じられます。乃木はこの新設の師団の将兵を厳しく鍛えると同時に、深い慈愛をもって接したので、多くの将兵から信頼を得ていました。
 
真夏の炎天下、この師団の工兵隊が橋を架ける訓練をしていた日のことです。
気づくと乃木が一人で対岸の河原に立ち、こちらを見つめています。
やがて正午になり、兵士達が弁当を食べると、乃木も握り飯を頬張り、兵士が河原に寝転んで休息をとれば、乃木もそうしました。作業再開後、乃木は再び午前と同じ河原に立ち、夕方作業が終わるまでその場を立ち去りませんでした。最初は監視されていると思って緊張していた兵士達も、乃木が自分達とあえて困苦をともにしようとしているのだと気づき、感激しない者はなかったといいます。この第十一師団こそ、のちの日露戦争の旅順戦で乃木司令官の下、勇猛果敢に戦った師団の一つです。
わが身は常に兵士とともにある
乃木の指揮官としての姿は日本人が最も愛する名将の姿そのものであったといえます。
 
日露戦争後、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は金子堅太郎子爵に「旅順砲台は今日世界の学術機械を応用した堅牢無比の砲台で、ヨーロッパやアメリカの軍隊ではこれを陥れることは思いもよらぬ。この難攻不落の旅順を陥れるのは世界でも日本の兵隊のみである」と言わしめたのです。
その難攻不落の旅順を落とした乃木大将が「日露戦争の英雄」として、長野師範学校で講演を求められた時のことです。
乃木大将は演壇には登らず、その場に立ったまま、私は諸君の兄弟を多く殺した乃木であります」と、ひとこと言ってから絶句し、止めどもなく流れる涙を、延々と流しました。
これを見た生徒と教師らも、ともに涙を流し、慟哭したといいます。
乃木大将自身、息子二人も戦争で亡くしていましたが、それには一切触れず、少しも己の功を誇ることなく、多くの将兵を死なせた責任を痛感して慟哭する乃木の姿に人々は感動したのです。
 
・・・・・・ 
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    「私は諸君の兄弟を多く殺した乃木であります」
    あかんわ・・・目から汗が出てきた・・・

    [ 道後 ]

    2012/9/5(水) 午後 1:08

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    ある意味、愚直とも言われる忠義の精神。
    自分よりも周囲を感じ取れる心のあり方・・・
    先達から学べることが多くあるのに、学校では何も・・・
    それどころか、消し去ろうとしていますね><
    おかしな授業をするよりも、先達の生き様を学ぶ事の方が大事です!

    ☆!

    ジョウジ

    2012/9/5(水) 午後 4:59

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    明治大帝の人を見る目とそれに応えた乃木大将のお人柄は日本人の手本とするべきところですね。

    ナイス、ランクリです。

    [ nadarechan1113 ]

    2012/9/5(水) 午後 8:11

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    「乃木さん」のこと。よく調べて書かれてありますね!感激です。ナイスです!

    [ cei*chi ]

    2013/2/25(月) 午前 5:16

  • 今の政治家に 爪のあか飲ませてあげたい

    [ ホンダ ]

    2013/2/26(火) 午前 3:53

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    司馬遼太郎の原点は、太平洋戦争の敗戦です。司馬は、個人的に第二次世界大戦の軍人を嫌っていた。
    大戦中の精神主義を否定するため、軍神として崇められた乃木は、彼の中で貶められなくてはいけないのです。
    おまけに彼は歴史家ではなく「小説家」なのです。

    旅順要塞は、陸軍の作戦で孤立化して、とうに無力化されていた。旅順唯一の弱点は、「補給が一切望めない」これに尽きるわけです。
    あえてこの要塞を陥とすべしと言うのなら、そこを突くより他はない。だから乃木将軍は、兵を肉弾に変えて敵戦力をそぎ落とすしかなかったわけです。
    二〇三高地の攻略の時点で、ロシア軍の手持ち戦力は尽きていました。かつ、実はメクラ撃ちの砲撃で旅順港内の艦隊は、壊滅していました。
    二〇三高地の最後の防衛に回った戦力は、船を失った水兵に当たらせています。乃木将軍は甚大な被害に苦しみながら、戦術目標は実は半ば以上達成していたのです。

    くどいようですが、小説というものである以上、ドラマチックに脚色するのはやむをえません。ただ、乃木将軍の評価が、不当に貶められている事実を大半の読者が知らぬままでいるというのはいささか残念に

    [   ]

    2013/10/3(木) 午後 8:24

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    公演の場でこのような事を言える人物が一体何人いるのか
    他国からも評価されていると言うのに、なぜ自国では評価しないのか
    軍人と言うだけで、その人物を評価しない教育のあり方に改めて憤りを感じます

    [ 荒耶宗蓮 ]

    2014/5/23(金) 午後 10:15

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    ただのクズじゃん。
    なんだこれ?
    バカ?

    [ nor**shi ]

    2015/1/18(日) 午後 2:45

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    ↑吊りでも冗談でも、言っていいことと悪いことがある。
    そういう態度はいつか必ず自分の身に返ってきて後悔するんだ。

    小学生か、まったく。

    [ トトメス ]

    2015/3/3(火) 午後 10:37

  • 結果論だが何万という兵を馬鹿な作戦
    で殺した事にかわりない
    戦争が終わった時点で責任を取るべき
    だった

    [ Gmen75 ]

    2015/5/7(木) 午後 5:36

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    乃木さんは西郷さん同様、茫洋としていて人間味溢れる愛される大将だったのでしょう。でも苦境に立った時、局面打開の出来ない人でもあったし戦下手であったのは有名。無能な参謀が付くと最悪。その後の明治天皇の寵愛を受けての栄達を思うと複雑。ただ、当時の日本としては国家形成の為にも天皇陛下忠誠の象徴を作りたかった。乃木さんはその点、国民に愛される様な実直な人柄でぴったりだったのでしょう。ただ外面と内面が極端だったらしいけど。

    [ 美しいJP ]

    2015/10/9(金) 午後 0:38

  • 日露戦争って明治37年じゃなかったでしたっけ?

    [ iso***** ]

    2015/11/1(日) 午後 8:08

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    乃木は名将ではない。多くの兵士を血に変えた無能の軍人だ

    [ 司馬遼太郎 ]

    2016/6/7(火) 午前 1:24

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    わたしは、乃木さんの人柄を心から尊敬いたします。

    [ 下品館 ]

    2016/6/11(土) 午後 4:57

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    司馬遼太郎とメディアに感化された情報弱者が多いことは確か。

    [ MAKO ]

    2016/7/28(木) 午後 4:54

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    戦争はいけない。それはわかる。
    ただ、その時代の一瞬一瞬を現代の価値観で判断してはならないと思う。
    乃木さんは、日本人として日本を愛して生きた人だと思う。

    [ ひな ]

    2016/9/25(日) 午後 11:00

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    人格者であり、学校等の校長としては適任。
    軍事指揮官としては理論寄り、長州閥の縁故により出世した人で能力は軍旗喪失の時点でお察し。 失敗を糧として人しての成長はあっても軍事指揮官としては別問題
    名将? 人物かも知れないが、名将は流石にね。

    [ 旅人 ]

    2017/4/2(日) 午後 4:40

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    僕は乃木希典は名将だと思います。
    旅順要塞は日清戦争の時よりも強化され、多くの機関銃の装備、堀を張り巡らしコンクリートで固めて、さらにその堀を狩り場として利用するなどして、近代要塞となっており、アメリカなどからも難攻不落とされていました。参謀本部はその旅順の強化の報告を受けたはものの乃木希典大将率いる第三軍に旅順攻撃の指令を送ります。軍略を怠り兵力も十分に送られていない中で行われた戦争。それで攻城戦を挑むのは世界でトップレベルの軍略家が必要でしょう。それに地の利は敵軍にあります。そこを踏まえると、乃木将軍は多くの死者が出ることは予想がついていてなお、その戦い方で挑むしかなかったのではないでしょうか?仲間を残して敗戦を選ぶか、それとも多くの犠牲を出しながらもこの先の戦いで犠牲を出さないために勝利を選ぶかその苦渋の決断をし、そして勝利という結果を残した。そこを評価の論点に置くべきでは?
    実際この旅順攻略が失敗していたら、勝利は愚か、海軍陸軍ともに多大なる被害がでていたことでしょう。
    ついでに、乃木神社や乃木坂と名付けられたことが、乃木希典大将がどれだけ偉大な人であったかを物語っていま

    [ サラダ ]

    2017/8/23(水) 午前 2:31

  • 乃木さんの人生を真似出来ない人間が、批判するなど片腹痛い。天罰でもくらいなさい。
    才能はなくても、疑い無く『有能』な大将だった事は間違いない。日本にしか、このような仁義誠心溢れた軍人は現れないよ。

    [ たん ]

    2018/1/26(金) 午後 3:00

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    陸軍黒幕の山縣有朋に変に気に入られてしまったのが乃木さんの不運。まあ山縣にしてみれば長州閥で生き残った将官級の軍人が他にいなかったからだろうし。

    [ JJJ ]

    2019/8/3(土) 午前 9:43

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