|
人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。 その西郷が吉之助(きちのすけ)と名乗っていた頃、若者たちを集めて庭で相撲を取らせていました。
そこに小柄で弱々しげなある若い男が来たことを告げられると、西郷は一目見て「これは大した人物ではないだろう」と思い、相撲が終わるまで部屋で待たせていました。
やがて汗を拭きながら現れた西郷に向かい、その男は「我が国の進むべき道について教えて頂きたい」と畳に両手をつきました。
しかし、西郷は笑いながら「いやいや、おいはそのような大それたことは何も考えておりません」と受け流そうとしました。
しかし、その男はあきらめることなく教えを求め、まずは自分の意見を語りはじめました。すると西郷はだんだんその男の話に引き込まれていく自分に気付きました。
自分よりずっと年下であるこの男の言葉は、西郷の心を熱くさせ、時に打ちのめし、時に激しく揺さぶったのでした。
この男が去った後、西郷は見た目だけで人を判断した自分を深く恥じ、深く反省しました。
そして、翌日、西郷はすぐにその男の藩邸を訪ね、その男が姿を現すまでその場に両手をついて座り、その男が現れると、昨日の無礼を詫びました。
この男こそ、橋本佐内であります。そのこと以来、西郷はこのように人々に語るようになりました。「わしが心から尊敬する人物は先輩では水戸藩の藤田東湖先生、同輩では橋本佐内だ」。
明治になり、西郷は日本政府が新しい近代国家を建設しようとするばかりに、元々持っていた日本の素晴らしい精神を忘れていることを憂いていました。そして明治10年、士族の乱(西南戦争)を起こして、その戦いに敗れ、切腹して亡くなりました。
西郷の死後、カバンの中から手紙が見つかりました。それは西郷が昔、橋本佐内からもらったものでした。西郷は死ぬまで橋本佐内の手紙を肌身離さず大切に持ち歩いたのです。
また、佐内もすぐそばに松陰がいることを知ると、一編の詩とともに松陰に手紙を送りました。
「以前からあなたのことを人づてに聞き、これほど素晴らしい人がまだ我が国に入るのかと自分をなぐさめていました。ぜひ、一度お目にかかり親しく話し合いたいものです」と書かれていました。
しかし、それからしばらくした10月7日、佐内は処刑され、26歳という若さでこの世を去ったのです。
勝野から佐内が処刑されたことを聞いた松陰は「今更ながら佐内と一度も会えなかったことが悔やまれてならない。」と日記に記しています。
その20日後、松陰もまた佐内の後を追うように、わずか30年の生涯を閉じました。
安政の大獄という徹底した取り締まりの中で、佐内や松陰など多くの優秀な人材が命を落としていったのです。
戦前の「修身」の教科書には『人間の度量』という題でこのようなことを習っていました。ここには今の学校教育にはない、日本人として忘れてはならない大切なことが多く詰まっています。
<橋本佐内の生誕地が校区にある福井県福井県福井市春山小学校では、住民たちでつくる「佐内塾」が協力して橋本佐内の功績や精神を学ぶ学習が行われています。授業を受けた生徒の一人は「佐内は相手を大切にしたり日本のために努力したり心の広い人。教科書に載っていないこともわかったし、もっと調べてみたい」と話した。>(平成23年1月18日 福井新聞)
福井県は「全国学力テスト」の際に全国でもトップクラスの成績を出しています。福井で教育に従事している方は「佐内さんの啓発録が大きく関係していると思う」と話しています。
橋本佐内が福井県の教育に直接影響を与えているかは定かではありませんが、歴史を尊び、歴史に学ぶ地元の教育が子供たちによい影響を与えているのは確かかもしれません。
・・・・・・
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用




こんばんは。
佐内という人物、今までしりませんでした…。
勉強になりました。
ナイス・ランクリ2
[ ユニコーン ]
2012/10/6(土) 午後 8:04
一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ
志士は尊皇の士でありました。
ナイス
ランクリ
転載させていただきます。
2012/10/6(土) 午後 8:39
素晴らしい話ですね。本来ならこういう話を子供たちに教えるべきなのです。
ナイス&ランクリ
[ 鳳山 ]
2012/10/6(土) 午後 9:35
渡部昇一氏が、国民の修身という本を出しておられます。小学校1年生から順次載せておられますが、この教育を受けていた戦前の人間が残虐な行いをしたということは絶対にありえないと確信しました
[ ほるすたいん ]
2012/10/6(土) 午後 9:48
ナイス!、ランクリです。
私が中学・高校時代には、江戸幕府の大老井伊直弼による尊攘運動への弾圧(つまり安政の大獄)によって、福井藩の橋本左内と長州藩の吉田松陰が処刑されたという程度しか、学校で習いませんでしたが、戦前の「修身」の教科書で、これだけの内容のことを習っていたのですね。
そりや、戦前に受けた修身教育と、我々戦後に受けた道徳教育との間に、歴然とした差があるのも、仕方のないことですね。
そして、それ(教育)が毎日の積み重ねになるわけですから、戦前と戦後では、日本の国に対する思い方がどんどん開くばかりです。
しかし、今、橋本佐内の功績や精神を学ぶ授業を受けた生徒の一人が感動したことや、現に、今、『人間の度量』を読ませて頂いて、私が深い感銘を受けたことから考えると、道徳教育しか受けなかった戦後生まれの日本人の奥底には、日本人としての本来性がちゃんと残っているということの証拠になりますよね。
修身と教育勅語の復活を、切に望んでいます。
[ daisinshoten ]
2012/10/6(土) 午後 10:19
私もそう思います。
偉人・先人について学ぶ事の大切さを、今の教育には全くありません。
その結果がコレですから・・・・><
修身の教育を再び!
★!
2012/10/6(土) 午後 10:58
こういう器量がある人物が次々に輩出した時代であったからこそ維新を断行し王政復古できたんですね。
ナイス
2012/10/6(土) 午後 11:06
こういうことは日本人だからこそのお話ですね。
先人の懐の深さを痛感します。
仰せのとおり、修身の復活に尽きます。
西郷さんといえば、「敬天愛人」ですね。
ナイス、ランクリです。
[ nadarechan1113 ]
2012/10/6(土) 午後 11:13
我執にまみれた国民の行く末はシナ朝鮮を見ればわかります。
今の学校教育の下、子どもたちに修身を学ばされることは期待できません。大人たちが身近な所で語りかけていかなければいけません。日本人の魂の教育だと思います。ナイス、クリ
2012/10/6(土) 午後 11:22
応援&今日のランクリ ポチ凸
2012/10/7(日) 午前 0:28
今の日本に最も必要なのは昔の教育だと思います
異常な事件が多いのも道徳や倫理が欠けているからではないのか?
と思ったりもします
☆ラン
[ 誇り君 ]
2012/10/7(日) 午前 1:06
表に出る部分と裏の部分両方に手をつけなくては、しっかり変える事は難しいかもしれません。
阿部総裁に期待します。
クリック。
2012/10/7(日) 午前 6:54
修身の授業は、優れた幾多の先人の生き方を伝え、子供たちは意識して、あるいは無意識のうちに自分に取り入れてゆきます。
日本人が末永く日本人であるためには必須です。
ないす!
2012/10/7(日) 午前 7:33
watchさんに同感です。
修身ではなく何か別の名前にすれば学校で教えられるのかも。
[ - ]
2012/10/7(日) 午前 8:06
こんにちは
「今風の教育」は意図した欠陥があり過ぎます
○ランクリ
2012/10/7(日) 午後 3:23
( ´ー`)y─┛チァーパーボェー
良い話は 良い影響を産みますね。
ナイス!&ランクリ
2012/10/7(日) 午後 9:08
偉大な先人達が一生懸命作り上げてきた日本を取り戻しましょう
維新の会などと偉大な先人達をだしに使う輩達でわ日本は取り戻せませんナイスクリック
[ 憂國列士 ]
2012/10/8(月) 午前 9:44
近代日本の歴史は 教えるべきです
[ 道後 ]
2012/10/8(月) 午後 9:34
「修身」の授業の復活が望まれますね。
[ すだち ]
2012/10/10(水) 午前 5:26
橋本左内先生、吉田松陰先生、松林飯山先生は、大好きな先生です。
[ nak*m*ro46*9 ]
2015/9/9(水) 午前 1:18