|
人気ブログランキングに参加しています。
読み逃げされませんように、まずはここをポチッとお願い申し上げます。
日本人の価値観とは何であるのか。
今や学校でも社会でも「個性」とか「自主性」を磨いていくことが大切だとか、尊重すると言います。こういう言葉は正しいように思えて誰も否定しにくいものです。しかし、本当にそれで子供たちが日本人として育っていくのでしょうか。
かつて横浜高校野球部の渡部監督は「私の目指す野球はノーサイン野球だ。監督がサインを出さなくても選手たちが自分たちで判断していくことが理想だ。しかしノーサイン野球は自由放任の教育からは生まれない。自主性は楽しさから生まれ、楽しさは厳しさから生まれる」と言いました。
この話の中で一番肝心な部分は「厳しさ」という言葉です。しかし、今の教育やマスコミの風潮はこの肝心な部分を否定して「自由」とか「自主性」と言っています。それは正しいのでしょうか。
守(しゅ)・破(は)・離(り)という千利休の和歌があります。その中で「守」とは基礎基本を身につけさせることを言い、それをやってやってやり抜いて、それが突き抜けた時に“楽しさ”を感じるというもので、この段階にくると「破」という応用の段階に入るのです。そして型を離れる「離」の段階において初めて自主性とか個性となるのです。
今の教育は、ここでいう基礎基本を教えることを「強制することはいけない」と言って基本を身につけさせることなく、いきなり個性や自主性を言います。その結果、どうなるでしょう。
今の教育で気になるのが「自由」や「個人尊重」の考えです。欧米の白人はこの「自由」や「個人」を最も大切と考えます。しかし日本人は元々はそういう考えはしなかったのです。日本人は自由を身勝手とみなして、そういう人間にならないように躾していました。また個人のこと、つまり自分のことより他人や公のために尽くすことが美しい生き方だと躾けられてきました。だから我欲は汚いものであるのです。
個人を尊重していくとやがて社会の秩序が乱れます。個人と個人がいつもぶつかり合っていつも争いが起きやすい社会になります。だから白人は昔から争ってばかりいます。つまり平和ではないということです。
しかし、日本人は個人よりも公を第一に考え、秩序を乱すことは嫌います。つまり和の精神であり、日本人は争いを好まない民族なのです。ですから日本人の生き方こそ平和を好む民族であり、そのために「個(私)」を表面に出さないように控え目でいるのです。
ただ今の日本ではよく平和とともに個人尊重を主張しますが、本来この二つは相反するもので決して交わらないものですから、言っていることが矛盾しているのです。
日本人が今忘れている言葉に武士道の惻隠の情という言葉があります。日本人として昔から長らく伝えられてきたこのような言葉を教えなくなりましたが、消さないようにしっかり次世代に継承していくことも日本人として大切な役目なのです。
・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。
日本人が大切にしてきたものを見失ってはいけない、と思った方はここをポチッとお願いします。
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用






