喜怒哀楽綴り帳

日常の中での喜怒哀楽を綴ります。

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告白17

  久しぶりに書くが、なかなか明るい話題にならない。
  毎日、体を引きずるようにして仕事に行き、帰りはまっすぐ帰る気にならず、安い居酒屋で軽く2杯。最近はお酒の量が増えているようなきがするので、今週は控えようと思うがうまくいくだろうか。
  心の中にあるのは、漠然とした「死」である。叔父がなくなるときアパートでひとりだったそうだ。死因は病気だったそうだが、私にはどうしても「自殺」に思えてならない。叔父がどのようにして生きてきたのかはよく知らないが晩年の様子をみると、誰にも理解されない、理解してくれる人がそばにいない。「孤独死」。
  告白16でも書いたが、そんな姿が自分と重なる。
  私自身は私なりに他者を理解することにつとめてきた。他者の話に耳を傾け、たとえなにもできなくても話を聞くことで、その人が少しでも気が楽になるのならと思ってやってきた。では、自分の話を聞いてくれる人がいるのかと思えば、あまりいないような気がする。話を聞いてもらうとき、一番嫌なのは「私だってそうだよ。」「俺だってそうさ。」と言って結局その人の話が中心となり、いつの間にかまた聞き役にまわってしまうことだ。そうなったときは自分の話をすることを諦めてしまう。「いい人」というのが他者の評価に多いが、私はただ聞いているだけ。心の中では、「早く終われ」と思っている。決してい「いい人」ではない。最近は「いい人」をやめたせいかもしれないが、私に話をする人が減ってきたが。世の中の人の心がそれだけ乾いているということなのかもしれない。ある
いは心にゆとりがなくなってしまたのかもしれない。私も同じだが。
 叔父のあの優しさからすると、同じようだったのではないかと思われる。そして自身の心のうちを話すこともできずに亡くなったのではないか。親類とほとんど交流がなかっただけによけいにそう思われてならない。身内だからいいわけではないが。
 そんなこともあり、漠然とした「死」を思うわけだが、最近は少し楽になりつつあるようだ。それはいい人をやめたこともあるが、「老子」に出会ったからだろう。まだ深く読み込めていないし、今までの自分と反対のことが書かれていることが多いので、とまどうこともあるが、心の中は軽くなりつつある。「老子」のことはまたいずれ書こうと思うが。
 私自身、これからも生きていくだろうが、もし「死」が訪れたとしても心の中はなるべく軽くしておきたい。そして人間は死ぬときは所詮ひとりだと言うが、他者と心のつながりがあったかどうか、それが生きた証だろう。それがある「ひとり」とない「ひとり」イメージ 1では大きく違うのではないかと思う。

閉じる コメント(2)

共感できます〜私も孤独と戦った時を思い出しました。
神様に、人間をもっと単純に創って欲しいと願った時代でもありました。
今は、、どうでしょう? 内面ではやっぱり戦っているのかなぁ。。
人間の心の複雑さを感じています。

2010/4/13(火) 午前 0:10 KATUNA

今は隣に居る人がいても将来の先のことは分からない?結局、みんな独りです、死ぬときもみんな独りです!深く考えたりすると嫌になりますから考えないようにしてます!

2010/4/13(火) 午後 8:32 みわ



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