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こんにちは…というより凄くお久しぶりですね。こちらを更新したのってマジで何ヶ月ぶりだっけな…
今回から新章となりますが、今回は文字のみとなっております。ご理解とご協力を強制いたします。ではどうぞ。 『ステンレス鋼』。stain-less、要するに『汚れ-なし』という意味を持つ英語の造語である。その名の通り汚れや腐食に強く、錆びないことを活かして家具から生活雑貨まで様々な形に加工されて使われている。鉄道業界では試作車として東急車両がセミステンレス車両の東急5200系4両を試作。塗装のメンテが省けるなどのメリットがあり、やがてはオールステンレス車両の東急7000などに派生し、強く根付いていった。国鉄もセミステンレスのサロ95901-902(後のサロ111 900番台)や塩害が多い房総地区むけのオールステンレス車両、キハ35 901-905などが製作されたが試作車両としての扱いからは抜け出せず、量産はされなかった。その後国鉄は車両を鋼製に戻し、管理が雑な国鉄などに扱えるはずもないアルミなどに浮気しながらステンレスとは関係ない生活を送っていた。時は流れて1981年。国鉄は旧型国電駆逐兵器、103系を経て超高額省エネ車両、201系をたらたらと製造していた。しかし1980年代の国鉄の経営は火の車。高価な201系を無闇矢鱈と製造するにはコスト的な面で無理があった。それでもユニット窓を簡易化した201系軽装版などにモデルチェンジして頑張っていたが、いくら車体を安くしても床下のチョッパ制御機器が高いから意味がない。そして1984年、武蔵野線や横浜線で増発を行うために今度は103系40両を山手線から押し出さなくてはならない。ここで国鉄のお偉いさん方は201系を中途半端に投入するか完全新規の山手線向きの車両を開発するして103系を全部駆逐するかの決定を迫られる。201系を生産するならば設計料はかからないが山手線のような路線にはチョッパの効果が薄い。その上お高い。そしてその頃には211系に搭載される予定だった界磁添加励磁制御やボルスタレス台車、軽量ステンレス製車両の基礎が完成しており、国鉄は民営化を見据えて新型車両を新規制作することにする。しかしここである問題が発生した。当時、軽量ステンレス車は東急車両しか製造できなかったのだ。だか国有である以上、何処か一社のみに優遇することはできない。その解決策として、国鉄は東急車両に軽量ステンレス車の技術を強制的に開示させた。 1985年初め、山手線向きの新型車両が落成した。201系から引き継がれたブ左右非対称のラックフェイス、側面にビートが入った銀色の車体、簡略化された台車、そう、国鉄発のステンレス量産車『205系量産先行車』の誕生である。側面は201系軽装車と同じ方式の二段窓を装備し、ビニール製の帯を二本入れただけというすっきりとしたデザインになった。また床下は界磁添加励磁制御を国鉄の車両としては初搭載したのは勿論、ブレーキに電気指令式を用いたためにブレーキ配管が大幅に削減されている。205系量産先行車は東海道線などで試運転を重ね、1985年に運用入りを果たした。量産先行車が落成してから約半年後に山手線向きの量産車が製造された。これは1985年に開業する埼京線向けに103系180両を転出させる必要があったからの措置である。車体は新たに一段下降窓に変更され、それ以外は大きな変更は無く国鉄時代には山手線向き量産車10両30本が製造される。一方その頃、遠く関西の京阪神地区でも205系が導入される。彼らは7両編成を組み、4本が投入された。これにて国鉄は増備を終了し爆発する。なおこの205系たちは京阪神地区の7連4本がJR西日本が引き継いだ以外は前者JR東日本が引き継いでいる。 |
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