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京都の町並み

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濁流

 昨夜から未明にかけて,京都市内に大雨が降りました。皆様の地域はいかがっだたでしょうか
 買い替えた車の写真を撮ろうと鞍馬方面に行く予定でしたが,途中の山道は何箇所かで山からの水が道路に流れ出し,石も道路に散乱していたため,引き返しました。その帰り道に賀茂川(鴨川の上流の名前)を見ると大変な状態になっていましたので,写真を撮ってみました。
 
 
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 北区にある上賀茂神社の北北西約700mのMKボウル前の賀茂川の様子です。川が波打っていますね。
 
 
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 MKボウル前から約1km上流の柊野堰堤(ひらぎのえんてい:砂防ダム)です。高さは7mで,普段ならザーと言う心地よい感じで水が落ちています。もう一段下にも堰堤があるのですが,今日は水量が多過ぎてそれを見ることができません。
 中洲の木は水に浸かり,上流からの流木等も沢山ありました。
 
 
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 同じ位置でシャッター速度を変えて(1/250と1/30秒)撮影しました。堰堤上流の木も水に浸かっています。
 
 
 
 今日,本来の目的である車の写真は,撮影場所を変えて叡山電鉄八瀬比叡山口」で一部だけ撮りましたので紹介します。
 車は「ABARTH 695 TORIBUTO FERRARI」(アバルト 695 トリブート フェラーリ)。アバルトがあのフェラーリとコラボで作った生産台数1.696台のレア物をゲットできました。詳細は後日,シリーズで掲載する予定です。
 
 
 
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 今のFIAT500がベース車として使われています。お気に入りの後ろ姿,下ぶくれで可愛いでしょ。ナンバーは「695」,そのまんまですね。
 この車種の先代の「ABARTH 695」(チンクエチェント)は「ルパン三世」の愛車です。そう言われれば,「ああ,あれ。」ですよね。
 
 
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 前から見れば,ヤンチャな感じでしょ。排気量は1,400ccですが,超ヤンチャ小僧ですよ。正にアバルトの異名,「ピッコロ モンスター」そのものです。(メッチャ速い

平安京造酒司倉庫跡#2

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 平安宮の位置図(赤の塗りつぶし部分)です。平安宮は東西約1.1km,南北約1.4kmで,その中に,内裏(だいり:天皇の住まい),朝堂院(ちょうどういん:政務を行う場所),豊楽院(国家的な饗宴行事を行う場所)を中心に二官八省等の役所が置かれ,この場所で,当時の全国の支配に関わることが決められていました。
 造酒司(みきのつかさ)は,平安宮の西側中央(赤の太枠)部分に位置します。
 
 
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 前回は赤枠の部分(京都アスニー内)を紹介しましたが,今回は赤枠右側の緑枠の部分を紹介します。
 
 
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 今回検出された造酒司倉庫跡の説明会は,約1時間,1班が30〜40名編成で3班に分けて行われました。
 解説は(財)京都市埋蔵文化財研究所の所員が行っています。
 
 
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 白線で囲まれた所に造酒司の内塀の柱があったと説明を受けました。
 他にも柱跡の穴がありますが,その多くは江戸時代の上田藩の藩邸に関連するとのことでした。
 
 
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 解説者が指している方向にある白線(写真中央下部)付近で,現在の鹿児島湾が形成された約25,000年前の火山灰が地表の下約3.5mから発見されたと言うことです。遠き鹿児島から京都まで火山灰が飛んで来たのですね。
 
 
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 当時(約1,200年前)の出土品です。「平安時代 須恵器 甕(かめ)」と書かれています。陶器の始まりは日本六古窯(鎌倉時代)と言われていますから,この出土品は土器ですね。
 
 
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 土師器(はじき)の皿(平安時代)の断片や火消壺(江戸時代)も出土されました。

平安京造酒司倉庫跡#1

 先日,我が家の近くで平安京造酒司(へいあんきょうみきのつかさ)倉庫跡が検出(見つかり)され,その検出現場で造酒司倉庫跡の説明会が開催されました。造酒司倉庫跡は,昭和53年,今回の現場の西隣りにある京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)建設時に検出されていますが,今回ほその残りの部分が検出されました。
 造酒司とは,平安時代に朝廷が儀式や祭礼に使うためのお酒や酢を作っていた役所です。場所は,中京区丸太町通七本松北西側(二条城の北西約1km)にあります。
 
 
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 近くにある病院が新築移転工事を行っている所で検出されました。奥にある建物は京都アスニーです。
 
 
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 京都アスニーは,ホールや講習・会議室の他,平安京創生館と中央図書館が併設されています。
 
 
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 京都アスニーの出入口の横には,平安京造酒司倉庫跡と刻まれた石碑が立てられています。
 
 
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 京都アスニーの出入口付近の様子です。四角枠に●の模様がありますが,枠が少し歪であっり,●が枠の中心にきていないものがありますね。
 
 
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 模様のアップです。●は造酒司倉庫の柱の位置,四角枠は柱を立てるために周囲を掘った跡の場所と形を示しています。
 
 
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 当時を復元した平面図です。中央の赤枠で囲まれた16個の緑が模様の部分です。
 
 
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 京都アスニーから今回の説明場所を撮影したものです。説明会の様子については,次回紹介します。

三栖閘門#2

 今回は,閘門(こうもん)の原理と三栖閘門の歴史を踏まえて御覧いただくと分かり易いと思いますので,それらの説明から行います。
 
1 閘門
  閘門は,水位が異なる河川や運河等に船舶を航行させるために造られる建物(構造物)です。 あまりにも高低差がある場合は,インクライン等での対応が必要となります。
2 閘門の構成
  一般的な閘門は,前扉室,閘室,後扉室及び給排水装置で構成されています。前後の扉室で各  扉室に設置されているゲート(水門)の開閉を行います。閘室は,前後の扉室の間にある水路で,ここ  に船を入れます。そして,給排水装置は,閘室の給排水を行うもので,閘室の水位を上下させ  ます。
3 閘門の原理
  前扉室側の水位が後扉室側の水位よりも高く,後扉室側から前扉室側(水位が低い側から水位が  高い側)へ船が向かう場合を例に説明します。
  前扉室のゲートを閉鎖,後扉室のゲートを開放 ⇒ 後扉室側から船が閘室内に入る ⇒ 後扉室 のゲートを閉鎖 ⇒ 前扉室の給水装置から前扉室側の水位と同じになるまで閘室内に水を注入    ⇒ 前扉室のゲートを開放 ⇒ 船が前扉室側から出る
  前扉室側から後扉室側へ船が向かう場合はこの逆になり,後扉室の排水装置で後扉室側と同じ 水位になるまで水が抜かれます。
4 三栖閘門の歴史
  陸上交通が発達していなかった明治時代までは,京都・大阪間の淀川舟運が重要な輸送手  段でした。その流通拠点であった伏見港は繁栄を続けましたが,大正11年の宇治川右岸の観月   橋・三栖間の築堤工事のため,伏見港と宇治川との船の通航ができなくなりました。そのため,  淀がへとつながる宇治川と濠川(伏見港)との間を船が通航できよう,宇治川と濠川の合流点に三  栖閘門が建設されます(昭和4年)。その後,陸上輸送の発達に伴い,淀川舟運による輸送は次 第に減少,昭和37年に淀川舟運はなくなります。さらに,宇治川改修工事や天ケ瀬ダム(京都府  宇治市)の完成により宇治川の水位が低下し,三栖閘門はその幕を閉じることとなりました。
 
 
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 三栖閘門の全景です。手前の赤い鉄扉(ゲート)の建物が前扉室(伏見港側),奥の建物が後扉室(宇治川側)です。
 船長さんから「三栖閘門はパナマ運河の縮小版,作動の原理は同じです。」との主旨説明がありました。パナマ運河の名前と作動原理は知っていても,実物は見たことがないな〜ぁ。
 
 
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 前扉室(左側の写真)と後扉室(右側の写真)の間にあるのが閘室と呼ばれる水路です。この水路に船が入り,前扉室と後扉室の両ゲートが閉じられた後に給排水装置によって水位の調整が行われます。
 今は観光用となっているため,閘室には船着場が設けられ,前扉室のゲートは常時開放,後扉室のゲートは常時閉鎖となっています。穏やかな日だったので,閘室の水面に両扉室が綺麗に写し出されていました。
 
 
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 前扉室のゲートの内側です。ゲートは作動していないので,雑草が生えていましたが,両扉室やゲート等の外見は綺麗で,メンテの行き届いていることが分かります。
 
 
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 後扉室と宇治川です。宇治川を下流(奥方向)へ行くと,桂川,木津川と合流(3川合流地帯)して淀川となって大阪へ流れて行きます。
 
 
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 後扉室を宇治川側から撮影したものです。三栖閘門の活躍時,宇治川の水位はゲートの中ほどまであったのでしょうね。写真では見えませんが,ゲートの右下には閘室の水位調整用の排水口があります。
 
 
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 現在,濠川の水位を調整して宇治川に放流するゲートは,三栖閘門の後扉室の少し上流にあります。(三栖洗堰:みすあらいぜき)
 
 
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 資料館の近くにある巻上機のモニュメント,巻上機は閘門のゲートを上下(開閉)させる装置です。実際に後扉室で使用されていた巻上機がモニュメントとして置かれています。前扉室には,現在も巻上機が取り付けられています。
 
 
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 ツツジが咲いていたので,前扉室を背景にパチリ
 
 
 今回も長くなり,すみませんでした。

三栖閘門#1

 
 ゴールデンウィーク後半の5月4日,息子と娘が私の退職祝いを伏見の料亭で行ってくれました。食事の後,以前紹介した十石舟に揺られて三栖閘門(みすこうもん)へ行ってきました。
 
 
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 乗船場の十石舟(定員20名)です。後ろの白いテントは待合所,その後ろの焼き板塀は大倉記念館です。
 
 
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 出航前にカメラの用意をしていると,船長さんから「写真を撮られるなら,一番後ろの席(窓がない)へどうぞ」と嬉しいお言葉,「ありがとうございます」ラッキーでした。そして出発,舟から身を乗り出してパチリ(水深は1.6m程度とか,はまっても大丈夫
 
 
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 大倉記念館を後に一路「三栖閘門」へ。十石舟の船外機はYAMAHAの30馬力,手ハンドル仕様です。(あまり,関係がありませんね。)
 
 
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 宇治川派流から濠川(ごうがわ)に出ると川幅が広くなり,ここで三栖閘門から帰って来る舟とすれ違います。舟にはそれぞれ名前が付けられていますが,写真の舟は「秀吉」,私の載っている舟は「千姫」です。伏見城を中心として,伏見を発展させた豊臣秀吉にちなんで名付けたものと思われます。
 
 
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 伏見港(内部河川港)は,豊臣秀吉が伏見城下に大阪からの物資を舟で運び入れるための港として本格化しました。そして江戸時代,伏見・京都間はそれまで陸運だったものが,角倉了以の高瀬川開削事業で京都までの舟運が可能となり,さらなる繁栄を続けていきます。
 江戸時代の絵師,伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の「乗興舟(じょうきょうしゅう)」は,この一帯を描いた(版画)のでしょう。
 
 
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 道路(外環状線)の奥に見える塔屋と赤い鉄扉(ゲート)が三栖閘門の前扉室です。
 
 
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 前扉室の外側(伏見港側)です。この赤い鉄扉の下を十石舟や三十石舟が行き来します。
 
 
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 三栖閘門の船着場に到着しました。先に来ていた人達がこの舟に乗って戻ります。左側の舟は三十石舟です。
 
 
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 三栖閘門の全景です。奥が前扉室,手前が船着場,右の建物は三栖閘門資料館(閘門操作室を復元)となっています。
 当然,この閘門は豊臣秀吉の時代にはありません。閘門が造られた経緯や閘門の原理等については,次回紹介します。

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